2-12、ジーン
学院の生活も慣れて、時間は駆け足で過ぎてゆく。凍てつく冬は過ぎ去り、気温はだいぶあたたかくなった。信と別れた夜には短かった私の髪も、肩を越えて背中に掛かるくらいに伸びた。
春休みも私は叔父と過ごしていたが、養子のはずのジーンが研究所から離れないので、私は不思議に思っていた。
本人に聞いたら「受験勉強」と言っていたが、それが理由というにはやや弱い気がする。それに彼は昼下がりに毎日車でどこかに行くのも気になっていた。
「どこに行ってるの? なんて聞くわけにはいかないし……」
私が部屋で宿題を前にため息をついていると、ミレイが答えた。
「あいつなー、山の方にある病院に行ってるよ」
「ジーンさんは病気なの? それで学校行ってないのかな……」
ミレイは座ったまま振り向き、ペンを口にくわえて私を見た。
「あいつは健康だよ? 問題は心配性なとこくらい。毎日どこ行ってるの? って、あいつに聞けば?」
「そんなプライベートなことは聞けない……」
私が机に突っ伏せるのを見て、ミレイは手を動かせ、ワークを埋めろとペンでつついた。
日課である書庫参り、私はモニターの前でため息をついた。
「常識を捨ててよく見ろとは何の事なのか……」
私は机に肘をついて頭をのせ、意味もなくマウスを動かしていた。
……若い、十代の女性。髪の毛長い。
ジーンさんが探している人はどんな人なのかな。偶然見つからないかなと、ボーッと目で街の住民リストを追うが、目に入るリストに若い人は見当たらなかった。
「特徴的には、ファリナのお姫様が近いかな。年令若いけど。十三才だけど……」
お姫様は違うやと、私は画面を切り換えた。
ジーンはたまに、あちらの風景や動植物の画像を見せてくれる。動画で人の住んでいる所が映っていれば、信もその女性も探しやすいのにな……。
私は街の地図を見ていて、赤い丸が動いているのに気がついた。矢印を合わせてみると、「一の王」と名前が出る。どうやら王様や守護竜には居場所がわかるように目印がついているようだ。
それを目で追っているだけで、その人が本当に生きていて、あの世界が実在しているのだとわかる。
一の王は確か……。
一番最初に生まれた人で、昔のセダンの王さまだ。巻き毛の金髪で青い目をしている人。そして、輝く槍でフレイを殺した人……。
「街から離れた草原にずっといるなぁ。何をしているのか」
「一の王は暇があると街を外れて魔物の調査に行くようですね」
「ひっ!」
私が夢中で画面を追っていると、背中から突然声を掛けられた。私の最後にはお茶を持ったジーンが立っていた。
「どうぞ」
時計を見ると三時だった。私はお礼を言いジーンが出す紅茶を一口飲む。いつもながらに美味しくて、ホッとする味だ。
私はふと思い出してバッグからタッパーを出して開けた。中にはチョコチップのスコーンが入っている。
「ミレイに作った余りを入れてきました。お茶うけにどうぞ」
差し出すとジーンは躊躇なく食べた。この人はいつもお腹を空かせている。私は彼が食べるところをじーっと見ていた。
……常識を捨ててって難しい、彼を見ていても、信と似ているなーくらいしかわかんないや。
「ジーンさんって、食べ物で好きなものってあります?」
「突然ですね、一の王の話はもういいんですか?」
「フレイを殺した人よりも、優先度が高いかな」
悩んで言う私を、ジーンは笑って見ていた。
「何でも食べますよ。最近は食べること自体を忘れますが」
「トマト食べます?」
「……食べますよ?」
……弱冠溜めがあったな。苦手なのか?
「クレソン」「普通に」「ぱくちー」「出されれば」「ピクルス」「普通に」
矢継ぎ早の尋問にジーンは苦笑する。
「突然ですね、何かたくらんでます?」
「いつか親に弁当を作る約束をしたのでりさーち……」
「隼人さんに?」
私は黙って頷いた。
「仲直り出来て良かったですね、少し気になっていました」
「隼人はね、貴方には気を遣わないって言ってたの。まあ私にもそうなんだけど……。自然体の隼人って結構酷い人だよね? ジーンさんは隼人に意地悪されてない? 大丈夫?」
「……大丈夫ですよ」
……また溜めがあったな。大丈夫じゃなさそう。
「隼人は俺様だよね? 偉ぶっているよね? 自分大好き人間だよね?」
「肯定しかねますね……なんの罠なんだろうか」
「あーっ! もういいや、分かんないことは考えない。作業に戻る……」
私はカチカチとマウスを動かして、情報を漁る。
「隼人さんに何か言われました?」
「よくわからないの。常識を排除して貴方を見ろって」
「また不可解な事を……」
ジーンは頭をかかえた。
私はさっき見ていたセダンのデータを閉じて、聖地を開いた。聖地神殿に人は誰もおらず、聖地の側にある街に多くの人がいるようだ。しかしこの街にも子どもはいないようだ。
どの国にも主要人物はマーキングされているが、聖地の街にも動く点がひとつあった。
「私が探している人と、ジーンさんは似ているのよ」
「まあ、私も日系人ですからねぇ。あの国の人は皆どこかにている」
「種族とかそーゆー似てるじゃないの……」
「と、いうと?」
ジーンはモニターに被さるように私を見た。私はマウスから手を離して、ジーンの胸に触れる。
「あなた、胸に穴が開いている…」
「…………」
ジーンは目を開いてしばらく止まっていた。ふと我に返り、私の手をどかして私の膝に戻した。
「そんなことを言われたのははじめてですよ」
ジーンが優しく微笑むので、それがかえって悲しくなって、私は下を向いた。
「私が探している男の子もそうなの。その穴を風が通り抜けるような寂しい感じがするの。私はそれが気になるから、私は彼の方を見てしまう。それに、穴はあなたの方が大きいわ……」
今まで漠然と感じていた事を口にすると涙がこぼれた。ジーンは黙って、袖で私の涙を拭いた。なんでも袖で拭くのは信と信のパパの癖だ。それを思い出すと、もっと悲しくなった。
「ジーンさん、今辛くない? 何かを我慢していない? 私で出来ることがあれば何でもするよ?」
「大丈夫ですよ……」
笑顔でそう言うのに、全然大丈夫には見えない。それもそうだ、毎日彼女を探してこんな地下深くに引きこもっているのだから、笑顔も曇る。
……早くジーンさんの彼女を見つけて、会わせないとダメだ。
しかしサーラジーンでさえ出来ないことを私が出来るのかな? 私ひとり向こうに行ったからって、何が出来るの?
そう思うと自分の無力さにまた涙が出てきた。
「私の事で泣かれるのが一番堪えますね……」
メソメソと泣く私の頭を、ジーンがポンポンと叩く。湖の時といい、隼人といい、みんな私を子ども扱いする。
「それ眠くなる……子どもじゃないから、やめてください」
「子どもですよ、まごうことなく」
「私十五だよ? 日本なら中学も最終学年だ。なのにみんな幼稚園児みたいな扱いをする」
「こればっかりは中身の問題ですねぇ」
なんてことだ、中身が子どもだとキッパリ言われてしまった。
私はふて腐れて、机に突っ伏した。
「ねぇ、ジーンさん」
「はい、何でしょう」
ジーンの声は少し遠くから聞こえた。どうやら書庫のほうにいるようだ。姿が見えないのをいいことに、私は聞きたかった事を聞く。
「人を好きになるって、どんな気持ちですか? それは友人や家族に対する愛情とは差がありますか?」
しばらく待つが、返事は無かった。聞こえてなかったのかな? と、思い、私は席を立って、ジーンのいる書庫の隙間を覗く。
ジーンは棚の前でひとり考え込んでいた。
「今の聞いてました? 愛情に違いはあるのかというやつ」
「聞いていましたけどね、言葉で答えるのは難しいかな……」
言葉じゃなければ可能なのかな? 彼女持ちの大人の意見を聞いてみたかったのに。
「好きか嫌いかはわかります。そーじゃなくて、ママや叔父さんを好きなのと、ジーンさんが彼女さんを好きな気持ちには違いがありますか?」
「そうですねぇ……」
ジーンは書架の隙間から出てきて、私に右手を差し出した。
私はわけがわからず、取り敢えず握手をする。ジーンの手は大きくてがっしりしていた。
「嫌いな人とはこうして接触したくないですよね。それはおいておいて、家族と接触しても安心するとかで、特に何も思いませんよね」
「はい……まあそうですね」
私はジーンに握られた手を、プラプラと揺すった。ジーンはかがんで、私の手を両手で握った。
「……!」
そのままジーンは、近距離で私の目を見つめる。私の脳裏に隼人の言葉がよぎった。
――キスしてやればいい。
……わぁぁ、何て事を言うんだ、親の癖に。そして何て言うタイミングでそれを思い出すんだ、私は!
オロオロする私を気にすることなく、ジーンは手を繋いだまま私に聞いた。
「異世界に行ってしまった彼とはどうだったのですか? 家族止まりでしたか?」
「シ、シンですか? えっと、毎日接触していたので、特に何も……」
そこまで言って私は、パンダ椅子のある公園で、私からキスした事を思い出した。
「うわぁ! えっ、えっと、彼はずっと家族だったので、良くわからないです!」
「それにしては、今顔が真っ赤ですが」
「それは……」
ふたりっきりの部屋で、ジーンさんの顔が近くて、手を繋いでいるからです! とは言えなかった。
私は握られている手を外そうとするが、離してくれないので外れない、距離が近すぎて、私の動悸が聞こえるんじゃないかと気が焦る。
……やはりこの人といるとドキドキする。もしかしたらスープを飲まされたのがショックだったのかもしれない。つ、つり橋効果的な?
目の前にジーンさんの顔があると、どうしてもスープの事を思い出してしまう。喉の奥が熱くなって、胸が苦しくなる、息が詰まる、これは何だろう?
「まあ、違いなんて人それぞれですよ」
ジーンは笑って私から手を離した。そして椅子にかけてあった上着を羽織る。どうやら外出の時間のようだ。
私は手が離れてほっとするかたわら、どこか残念に思う所もあった。
「私の場合ですが……」
「は、はい!」
私が部屋の片隅から返事をすると、ジーンは笑って、夢の世界の言葉で言う。
『好きな方と手を握るほど側にいたら、キスをしたくなりますね』
「……!」
「ではこれで、また明日」
ジーンがそう言って、席を立つので、私は後ろ髪を引かれてジーンの袖をつまんだ。
「まだ用がありますか?」
用もないのに引き留めてしまい、私は慌てる。
「えっ、あっ、ま、毎日どこに行ってるのかなーと」
その場しのぎで口をついた言葉が、私がいつも思っていたことをずばり言ってしまって、私は青くなる。
「いえ、別に答えなくていいです、気になっただけなので……」
「病院ですよ。そこに、サーが守っている人が入院しています」
「いつから?」
「去年の十一月からですね」
「それは、女の子ですか? 男の子ですか?」
「少女です。貴方と同じ位の年齢ですね……」
「入院って、どこか具合が悪いのですか?」
「外傷はありませんが、意識が無いので入院しています」
それを聞いて私は顔を覆った。去年の秋からサーが守っている少女は一人しか思い浮かばない。
「名前は、佐久間菊子ですか?」
私が聞くと、ジーンはしばらく黙っていた。
「彼女は寝たきりなので身元は判明していません。心当たりがあるなら確認されますか?」
「はい、お願いします」
「では土曜に外出許可を取ってください。午後の数時間ですみますよ」
「はい……」
私は、部屋から出ていくジーンの背中を見送って、壁にゴツンと頭突きをした。
……菊子さんがいた。意識が無いみたいだけど、生きているようだ。
「良かった……」
ジーンさんは毎日菊子さんの容態を見に行っていた。行方不明だった彼女が目覚めるのを待っているんだ。
最近毎日楽しかったのは、私がジーンさんを好きだからだった。さっきの握手ではっきり分かった。でもそんな色恋沙汰に浮かれている場合ではなかった。
今、信は異世界を一人さ迷っていて、菊子さんは寝たきりだと言う。二人をそうした原因は私。そして、エレンママにはもう二度と会えない。
「……私は、私のすべきことをしなければ」
私は頭を壁につけたまま涙を流した。