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3、(信)小さな悩み


 昼食時にざわめく教室から、幸が消えるように静かに出ていった。

 幸が常に一人なのも、昼休みに何処かに行くのもいつもの事なので、教室の誰もそれを気にとめてはいなかった。


 俺は幸にちょっかいを出している吉田を見てギョッとしたが、クラスの誰も気にして無くて、ひとりホッと胸を撫で下ろした。


 ……目立つ行動は止めてほしい。平穏な学校生活を送るために。


 そんな俺の心配など気にもとめない様子で、吉田は一人ニヤけていた。


「見た? コウちゃんあーんって」

「……そんなこと言ってないだろ? 口に押し込まれただけだ」

「フフフ……」


 吉田はニヤニヤしながらコンビニの袋をあさる。俺は吉田と二人で昼食を食べた。

 俺は吉田に顔を寄せてコッソリ話す。


「面倒なことになるから、目立つことはするな」

「同じ班の人と飯を食べたらあかんの?」


 吉田は小学校が違うので、六年の事は知らない。いくら同じ班でも、男の間に幸を入れたら、また女子にやっかまれそうだ。このことをどう吉田に伝えたらいいのか……。

 俺は弁当の蓋も開けずに目を閉じて考えていたら、吉田が勝手に俺の弁当を食べていた。


「しまった……」


 よりにもよって、さっき幸に貰っていたのと同じ玉子焼きを食べたので、吉田の顔がニヤーッと歪む。

 吉田は俺の肩に腕を回し、頭を引き寄せ、俺の頬をつつく。


「お前の弁当、おかずがコウちゃんと同じだねぇ……」

「知らんて、よくあるだろ? 玉子焼きとか」


 俺はにこやかに笑ってごまかすが、吉田がキュウリを咀嚼しつつ、俺の前に二本のプラスチックの楊枝を付き出した。


「控えおろう、これが目に入らぬかぁ!」

「騒ぐなよ、単なる楊枝だ。百円ショップだろ?」

「十手型の楊枝なんて普通持ってないよー?」

「この街に百円ショップは一軒しかないからな」


 俺は適当にごまかすが、苦しい言い訳だと思う。同じフライパンで焼かれたピースのひとつなのだし、焼き加減だって、味だって同じ筈だ。


 ……エレンママの時代劇趣味がこんなところで足を引っ張るなんて。


 俺が頭を抱えていたら、弁当を食べ終わった委員長が、女子グループから自分の席に戻って来た。委員長は席に座らず、俺と吉田の間に割り入った。


「あなた達何をやっているの? 篠崎さんを困らせて」


 冷たい目で言う委員長に、吉田はヘラッと笑う。


「困らせてないよー。班で一緒にランチをしようと思っただけ」

「おかず泥棒のの吉田を捕獲しただけ」

「……なるほどねぇ」


 委員長は腕を組んでしばらく考えていた。


羽間ハザマ君はどう思っているの? 班でお弁当食べたいの?」

「……んー」


 ……勿論食事は幸ととりたいですが、目立ってハブられたくは無いんです。


 正直に言うわけにもいかず、俺は迷って言葉を濁していると、吉田が勝手に答えた。


「ハーイ! 信は班長なので班員と食べたいといっていました!」

「言ってない」


 佐久間は男二人の顔を見て、ため息をついた。


「私も彼女のぼっち状態は気になっていたの。あなた達が協力してくるなら、班で食べることにしましょうか。後で篠崎さんに声を掛けてみるわ」

「よろしくお願いします!」


 吉田が席を立ち、佐久間の手を握ろう手を伸ばす。佐久間は華麗な足さばきを見せて、後ろに避けた。

 委員長は吉田の手の届かない間合いから冷ややかに宣告する。


「班員に危害を加えた時点で、この話は無かったことにします」


 そう言って委員長は自分の席に座り、手帳に何かを書いていた。

 やれやれと息をついた俺は、自分の弁当を開くが、中身があらかた食い尽くされていた。俺は吉田をにらむと、吉田はコンビニの袋からそっとパンを差し出した。


◇◇


 長い坂を上り家に帰ると、俺は自宅で軽くシャワーを浴びて着替え、宿題を持ち幸の家に行った。

 勝手知ったる隣の家。幸の家の玄関は基本的に鍵が閉まっている。それを合鍵で開けて、幸の通学用の白いスニーカーがあることを横目で見てリビングに入った。


 エレンママは出掛けているようで、リビングは静かだった。でも人のいる気配はする。音は浴室から聞こえてくる。幸がシャワーでも浴びているのかもしれない。

 俺はクーラーをつけて、リビングのソファに座り、白紙のノートと向き合った。


 しばらくすると、シャワーを浴びたらしい幸が、タオルを首にかけて裸足でリビングに来る。幸は俺を見つけると、軽い足取りで近付いて来た。


「今日の宿題は、そんなに難しいの?」


 声を掛けられたので、俺は顔を上げて幸を見て、すぐにノートに視線を戻した。


「宿題をやっているわけじゃないんだけどね。……幸、裸足はママに見つかったら怒られるよ」


 指摘したいのはスリッパの有無ではなく、服装の方だが、さすがに言い出せなかった。


「ママ買い物だもん。まだ大丈夫」


 幸はスリッパを取りに行くこともなく、リビングから繋がるキッチンに行き、冷蔵庫を漁っていた。俺はノートを見るふりをして、コッソリ幸の姿を目で追う。


 幸は最近気に入っているのか、上はキャミソールで、下は短パンと裸足といういつもの部屋着だ。キャミソールのヒモから見るに、ブラはつけていない。

 そもそも幸はブラを持ってないのではと思う。隠すものが無いから、必要性を感じていないのかもしれない。


 いや、見せてくれるならコッソリ見るけど、男だしね。でも出会った頃に着ていたような白いレースのワンピース、あーゆー可愛い服だってたまには着たっていいとおもう。

 ママが幸の服を作っている姿をよく見るので、家のどこかにあるはず。箪笥の肥やしにするなんてもったいない。


 ……昔はかわいかったな


 俺は昔の幸を思いだしてため息をついていると、幸は俺の前にコースターとグラスを二つ置いた。

 幸がペットボトルを開けて、グラスに注ぐと透明な炭酸水が氷にあたって、シュワシュワと涼しげな音を立てる。

 幸はその一つを手に持って、俺の隣に座った。


 篠崎邸のリビングには、窓際に大きめのソファーがコの字に並んでいる。なのに幸はいつも俺の隣、しかも肩が触れるくらいの距離に座る。


「さっきから、何を書いているの?」


 幸はサイダーを飲みつつ、俺に寄りかかるように肩に頭を置いた。俺の肩に、首に、幸の髪がかかる。


 ……風呂上がりのいいにおいがするし、服装はほぼ下着だし、幸は本当に無頓着だよなぁ。


 俺の視点はノートに固定していたが、内心は幸の頭や腕が触れる部分を気にしていた。しかしその考えが絶対に顔に出ないように努めた。


「班の人に、幸の状況を説明しようと思って、どう切り出すか悩んでる」

「何で? 別に今まで通りでいいよ?」


 幸がグラスを傾ける氷がカランと鳴った。うだるような暑さが残る外と違って、室内は薄暗く涼しい。


「吉田がね、幸と仲良くなりたいみたいなんだ。どうやってやめてもらおうかと思っているよ」


 吉田と聞いて、幸の眉が中心に寄る。額にたて皺が出来た。


「玉子焼きが好きな人……」

「その認識はあんまり合ってないと思うぞ」


 俺は人差し指で、幸の額のたて皺を伸ばした。


「その玉子焼きで、吉田に幸と俺のおかずが同じだとばれた。だからちゃんと話そうと思うんだ」


 幸はパチパチとまばたきをした。


「何を? 家が隣だってこと?」

「それは言ってある、委員長も知ってる」

「じゃあ何を話すの?」


 ――何を?


 と聞かれて、俺は腕を組んで悩んだ。


「まず、幸の病状かな? ところかまわず倒れること、本人は制御できないということ。あとは六年の時にあった事とかも知ってほしい……」


 幸はぱちくりと、大きな目を瞬いた。


「なんかあったっけ? 六年の時」

「えっ……」


 俺は耳を疑った。幸はあの一件を忘れているのか。


「幸が寝てるのを先生が怒らないから、ひいきだってクラスの女子が騒いで幸の事を無視してたよ? 上履き捨てられたりとか、ノートに落書きされたりとか、全然覚えてない?」

「……ああ!」


 幸はポンと手を叩く。そして、「そんなこともあったねー」と、ニヘラーっと眉尻を下げて笑った。

 その顔を見て、俺はため息をつく。


「……あの悪意と、集団からの圧力を忘れられるのか」


 幸の能天気さと忘れっぽさに俺は呆れた。

 よっぽど変な顔をしていたのか、幸はソファーに正座して、俺の頭を撫でた。


「ゴメンゴメン、そんな顔しないで」

「……ん、近いから、離れて」

「家なのに?」

 

 俺は立ち上がり座る場所を変えた。幸は伸ばしていた手を見て、少し不満そうな顔をした。


 ……確かに距離を取るルールは外での話だ。でも、薄着で屈まれると胸どころじゃなく腹まで見える。幸にこれを指摘したらどうなるか予想出来ない、無理。


 俺は気を落ち着けようと、幸がいれたサイダーをグビッと飲んだ。こんなときは六年の集団女子の圧を思い出しただけで心が冷えるのはありがたい。


「……あのとき、俺が幸をかばうようにいつも側にいたら、まわりの女子がよけいにキレて状況が悪化しただろ? だからこうして知らない人のフリを続けているんだし」

「君の知らない人ごっこは、そーゆー理由だったんだね……」

「理解せずにやってたのか……」

「信が言うからね、君の言うことはいつも正しい」


 幸はため息をついて、テーブルの上の空になったグラスを見ていた。残った氷が溶けて、カランと音がなる。


「……六年生か……小学校の終わり……」


 幸は姿勢を変えてソファーの上に膝を立てた。白い細い足が目に入って、俺はドキッとする。幸は膝に頭をつけるように伏せて、じっと、俺を見た。


「きみは、大変だった……?」

「…………」


 俺が黙ったまま頷くのを見て、幸は哀しそうに笑った。


「君には迷惑ばかりかけてるねぇ……」

「……そっ」


 そんなことはないと言って、俺は幸に手を伸ばそうと立ち上がるが、玄関のドアの開く音がしたので手を引っ込めた。


「ただいまでござるー♪」


 玄関からエレンママののんきな声が聞こえた。


「やば、スリッパ!」


 幸はソファーから飛び降りて、慌ててスリッパを取りに行く。しかし玄関でエレンママと鉢合わせて、スリッパと服装の事を怒られていた。




 戻ってきた幸はリビングのドアから顔だけ出して俺に聞いた。


「今日はハンバーグだって、目玉焼きとチーズどっちのっける?」

「目玉焼きがいい」

「はーい、半熟だね!」


 幸はエレンママから買い物袋を受け取りキッチンに消えた。


 小学校低学年の頃から、買い物はママだけど、調理は幸が担当になっていた。調理をエレンママにまかせたら、味がものすごく濃かったり、逆にまったく無かったりする。


 俺はノートをテーブルに置いて、キッチンを覗いた。幸はさっきの格好に一枚チェニックを着せられて、足には靴下とスリッパもはいていた。花柄チェニックはワンピースみたいで、幸によく似合っていた。


「こねるくらいなら手伝うけど?」

「ありがとう、でもそれは三十分くらい後だよー」


 幸はせっせと玉ねぎとニンジンの皮をむいていた。


「まだ作るの早くない? 宿題は……」

「起きているうちに焼ける状態までつくっておきたいの。焼くのは優秀なオーブンがやってくれるし、皿洗いは食洗機だからママでもらくしょー」

「なるほど……」


 俺は皮向き器を奪い、切るのを幸にやらせた。ふたりで並んで野菜を切っていると幸が聞く。


「お弁当のおかずは私とは違う方がいいのね?」

「あ、うん」


 何も考えずに答えて、俺は訂正する。


「ご飯に冷凍食品詰めるだけだから、俺のは自分で何とかする。吉田みたいにパン買っていってもいいし」


 幸はぷう、と頬をふくらます。


「じゃあ、冷凍できるように小さいのも作るし!」

「なんでそこにだわるんだ……」


 俺が首を傾げると、背後からエプロンをつけたママが現れた。


「コウちゃん、たべる、させる、好きよ」


 珍しくママの日本語に英語と時代劇用語が混じらなかったが、内容が意味不明だった。


「これくらいしかお返しできないから、ご飯くらいは作りたいんだよー」


 幸が自ら解説した。なるほど。

 面倒みられているお返しに面倒をみたいと言う。


 幸は材料をとにかく細かくして、炒めたり割ったり混ぜたりしていたが、作業途中で寝てしまった。


「えっ、今日二回目だぞ?」


 俺は慌てて幸を背負ってソファーに転がした。ママは幸の手を拭きながら、心配そうに幸を見ていた。


「Is she the second time of today?  ニカイ?」

「Yes she is、二回目」

「The number of sleeping has increased……」


 ママは、幸が寝てしまう頻度と回数が多くなった事を心配していた。幼稚園の頃は三か月に一度くらいだったのに、次第に頻度が増してきた。ここのところ連日発生している。


 ……このままじゃ通学も無理になるかもな


 俺はため息をつきそうになったが、ママが心配するので、うでまくりして笑う。


「ノープロブレム、ママ、大丈夫」


 俺はそう言って、幸が途中まで手をいれた材料を混ぜるためにキッチンに向かった。

 俺は手に薄いビニール手袋をはめて、並べてあった材料をひたすらまぜ、お団子状態にして皿に並べ、ラップをかけて冷蔵庫に入れておいた。


 そのあとはソファーで寝ている幸の側で、俺は宿題を、ママはテレビをつけながら日本語の勉強をしていた。

 ママは時代劇を見て、「かたじけのう」とか「ござる」とかブツブツ独り言を言っている。

 俺は「その日本語は古い」と言いたかったが、英語で説明できなかったので聞かなかった事にした。



 幸が目覚めて焼いたハンバーグには味がなかった。


「ハハハ、お塩いれわすれたねー、お肉こねるときに入れるんだよー」


 幸がヘニャーっと力なく笑う。


「すまん、気がつかなかった」

「寝ちゃった私が悪いよ、ソースかければへいき。信はありがとうだよ」

「It tastes good. 美味ジャ」


 ママも謎の日本語をつけて味を誉めて、ナイフとフォークで優雅に食べていた。


 ママは見た目も美人だが、立ち姿やこういった食事をする姿など、所作のひとつひとつも美しい。

 俺はママをボーッと見ていたら、幸と目が合ったので、パッと目を反らした。


  ……まあ、そもそもママは食べ物に文句を言ったことは一度も無いけどね!


 俺は目玉焼きの白身からつついて、黄身を後のお楽しみにしようと残した。

 ハンバーグ自体に塩気は無かったが、トマト味のソースがかかっていたので、味に問題は無く美味しかった。


 幸はママに向かって、通学路にいる野良猫や、飼い犬の話をして、楽しそうに笑っていた。


 外はもう日は落ちていて、クーラーを切っても、涼やかな風が室内に入ってくる。

 外の暗さと対比するように明るい室内。そしてあたたかくにぎやかな食卓が目の前にある。


 一緒に食事をして、おいしいと笑える人が側にいる事はどんなにありがたい事なんだろう。


 俺は目の前の光景を見て思う。

 本当なら自分は隣の古い家で、一人カップ麺でも食べているだろう。そんな自分を思うと、二人には感謝しかない。

 彼女達に出来ることがあるのならば返したいし、困っているなら何でもしてやりたいと思う。


 父親が不在の幸の家と、両親がほぼ不在の自分の家が隣になったことに感謝し、俺はごちそうさまと手をあわせた。

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