2-8、書庫
幸が目を覚ますと、そこは真っ暗な中に緑や青の小さなライトが光っている不思議な部屋だった。
私は歯医者さんの椅子みたいなものから恐る恐る下りる。すると足元のライトが点灯し、部屋の中が少し見えた。
その部屋には計器が沢山並んでいて、ブーンという耳なりのような低い音が聞こえてくる。その部屋の脇には、ここに来たとき肩に掛けていたショールがあった。
「そうだ……アリスがなんか測定するって……」
寝る前につけられていた測定具は外されていたのですぐには思い出せなかった。
「何でアリスは私の検査をしたがるのか……特に変わったことのないふつーの人間なのに」
私はつぶやきつつ、ドアを開けて廊下を覗いた。
「アリスさーん……ドクター……」
小声で呼んでみるけど、人の姿はなかった。
「困ったな。今は何時だろう? 課題も残ってるし、明日の準備もしてないよ……」
私が寝ていた部屋に戻るべきか悩んでいたら、廊下の先で足元を照らすライトがついた。
「……?」
私が光るライトに近付くと、またひとつ先のライトがついた。
廊下のフットライトは私を誘導するように点灯し、私がたどり着くと消える形で道を指し示す。私は光を追いかけて奥に、奥にと歩いていった。
……何処に続いているんだろう
光に導かれるまま私は幾度か階段を下り、行き着いた先にはドアがあった。
ドアの横にはカードリーダーらしきものがあり、私は何も持っていないので困っていたら、ピーと音が鳴り、ガシャリと鍵が開けられた。
……中にいる人が開けてくれた?
「ハロー?」
私が扉を開けて中を覗くと、中に人影は見えず、部屋は薄暗かった。
その部屋は図書館のように、一面に移動棚が立ち並んでいるようだ。覗くと、棚に並べられているのは本ではなくファイルだ。
私は落ちている書類を踏まないように気を付けて、奥の灯りに向かって行く。その部屋には本や書類、ファイルが山になって積み重ねられ、所々崩れていた。
最奥には大きな机があり、数台のモニターが並んでいて、机にジーンさんが伏して寝ていた。私は彼が書いているノートを覗く。
「英国史……英語……勉強かな?」
部屋は別に寒くはなかったが、私はなんとなく、寝ている彼にショールをかけた。
私は彼のまわりに積んである書類を取ってみる。そこには手書きであちらの文字が書いてあって、別の色で所々英語が書き入れてあった。これはどうやら翻訳中のようだ。
『セダンの王は自ら結晶に戻ったので、それ以降セダンの王は民から選出されるようになった』
だと、王と結晶、(注釈があり神の魔法結晶と書いてある)、それと民から選出。だけが英語になっていた。
「結晶がすべてを構成していて、燃料や魔法にも使われるから、その辺を説明しにくいんだなぁ……」
私は他の書類を見てみると、北の国のファリナの王族の系図があった。前にインターネットで見た全国地図や、国別の詳細なものもある。
「この人、ここであの世界の情報を見てるからあっちに詳しいのか……やっぱりこの人が、あのサイトを作ったのかなぁ?」
私が夢中になってあっちの国の書類を読んでいると、寝ていた彼がビクッと動いた。
『……カ、行くな、……が行った所でなんに…』
ジーンさんが突然うなされはじめたので、私は驚いて背中を揺すった。
『ジーンさん、それ夢ですよ、起きて……』
私がむこうの言葉で言うと、彼はガバッと起き上がり、私を引き寄せ抱きしめた。
『……!』
彼は私の頬に顔を寄せ泣いているようで、振りほどくには気が引ける。私はしばらくじっとして、彼の様子を伺っていた。
泣いている彼の手が私の背中にまわり、私の頭の後ろを触った時、彼の動きがピタリと止まった。
ジーンは私の肩を押して身を離した。そして椅子を引いて距離を取り、困った顔をして私を見ている。部屋が暗いので確認できないけど多分顔が赤い。
「すみません、こんなところに人がいるとか思っていなくて……」
ジーンがすごく気まずそうに言うので私は笑った。
「誰かと間違えましたか? 彼女さんとか?」
私が聞くと、彼は少しだけ頷いた。
あー、彼女さんいるんだー、まあ大人だしいるよねー、うんうん、と、頭では理解するけど、なんだか少し胸が痛い。
……彼女さんいるなら、この人は近寄ったらいけない人だ。カップルの邪魔をするととても怖いからね、ママがそうだったから、これは絶対。
ジーンは黙って立ち上がり、部屋の灯りをつけた。明るくなった部屋を私は興味深く見回した。
「ここは何の部屋ですか? 資料室ですか?」
「ここは書庫と呼ばれています。データ保管庫ですね」
「データ?」
「サーの世界の情報はデータとしてここに残されています。人口や地形、天候、主要人物等々……何か見てみますか?」
ジーンが椅子に座ってキーボードを操作すると、中央のモニターに世界地図が表示された。彼は立ち上がり、私を椅子に座らせた。
「どこか気になる国や都市はありますか?」
「ファリナ! ここ!」
私はモニターの地図の北を指す。
「時代はいつくらいが良いですか?」
「セシル……水竜がいるときならいつでも」
「水竜は太古から交代していませんね。最新を参照してみましょうか」
ジーンがマウスを操作すると、北の国、ファリナのデータが英語で表示される。そこには夢で何度も見た名前や地名が記されていた。
「水竜も王様もまだ現役みたいですね。三百年生きているってどんな人何だろう……」
「水竜自体は千年生きていますがね」
「すごいなー、千年かー……」
虹色に光る白い鱗、ヒラヒラと揺れる美しいヒレ、巨大な体をくねらせ水中を自在に泳ぐあの美しい竜がいる世界があると知って、私は期待に胸を高鳴らせた。
高い山に囲まれたファリナの城下町や、お城の間取り図、セシルが寝ている地底湖など、地図を見ているだけでも楽しい。
私が夢中になって画面を見ていたら、机にカップが置かれた。
「どうぞ」
振り向くとジーンは自分のカップを持って飲み物を飲んでいた。
ジーンがいれてくれたのは、あたたかいミルクティーだった。市販の缶のお茶やアリスのいれたお茶は甘すぎて私は苦手だが、これは丁度よい甘さでおいしい。
「あったかい……ありがとうございます」
私はお砂糖無しかちょびっとだけど、信はお砂糖ニ杯だったなー、アリスは三杯、だとしたら、この味はジーンさんの好きな味なのかな? それとも彼女さん……?
「ジーンさんの恋人ってどんな人ですか?」
「……っ!」
質問が意外だったのか、ジーンは飲み物を吹き出した。彼がこぼしたあとを、私はその辺にあったティッシユで拭く。ジーンは机から汚れた書類をまとめて手に持った。
「そこ、気になります?」
私がうんうんと頷くので、ジーンは書類を脇に置いて、書架の踏み台に座り、ポツポツと話した。
「年は私より少し年下で、髪の毛が長い人ですよ」
「へぇ……どのくらいの長さですか?」
私が聞くと、ジーンは自分の腿辺りに手を当てる。
「すごい長さですね! フレイ程ではないけど」
「先程は背中に髪が無かったので人違いだと気がつきました。すみません……」
謝るジーンに、私は「お気になさらず」と手を振った。
「男の人ってやっぱ、髪が長い女の人が好きですか?」
「えーっと……また困る事を。誰かが言ってましたか? 隼人さんとか?」
「隼人の趣味とかどーでもいいです」
ジーンはうーんと困ったように笑う。
「私個人の好みで言うと、長い方が女性らしいと思いますね」
「女性らしいのか……髪の毛長いの面倒臭いのにスゴいなー、彼女さん根性あるなー」
私の呟きを聞いて、ジーンはクスクス笑っていた。その顔を見て、私はここに来た日の事を思い出した。
「じゃあ、来たときのスープの件は無かったことにしますね」
「スープ?」
ジーンはしばらく止まっていたが、「ああ、あれか」、と手を打つ。
「すみません、薬を飲んでほしかったのでつい……」
「えっ?」
「ドクターからいいつかっていたのです。貴方が学院に来たら就寝時間を学院にあわせるように飲ませろと。ドクターは時差を考慮していたのかと」
私はポカンと口を開けた。
「全然気がつきませんでした。そんな理由があったのかぁ……」
「事後報告になって申し訳ありません」
「薬を渡してくれたらよかったのに」
「食後服用ですからねぇ……」
「あー……いや、でもやっぱり問題があるようなーないようなー?」
私が首を傾げていると、ジーンは笑った。
「これをつきつめると卵か先か、鶏が先かという難題にぶちあたりますよ」
「……は?」
いや、私としてはかなりショックな事件だったけど、この人にとっては、すぐに忘れちゃうような、なんてことない事なのか。彼女がいる人ってすごいな! 大人だな!
「彼女さんに怒られますよ?」
「これで焼きもちを焼いてくれるのならいいんですがね。焼かないんですよ、あの人。今度会えたら言ってみましょう」
「ダメだよ! 怒るよ!」
怒ったママを思い出して、私は青くなるが、ジーンは逆に笑っていた。
「貴方なら怒ります?」
「……うーん? わかんない、ママなら絶対に口を聞いてくれなくなる」
私は菊子さんが教室で信とキスしていたのを思い出した。あのとき私はどう思ったのか。
「……怒らない、かもしれない」
私が小声で言うのを、ジーンは黙って聞いていた。
「でも悲しくなるよ? その人の一番じゃなくなったなーと、遠慮して、その人から離れるかもしれない……」
言葉にするとなんだか悲しくなってきて、私は鼻をすすった。ジーンは立ち上がり、私の頭に手を置いて、子どもをあやすように笑う。
「分かりました。では無かったことにしてください。他言無用でお願いします。特にアリスと隼人さん」
「人の事をからかってくる人達ですね……要注意人物」
私はうーんと悩んで、腕を組んだ。
「ちなみに、彼女さんはどこにおられるのですか? ここの職員さんですか?」
ジーンは困ったような顔をして、モニターを指差した。私は指の先を見るが特に何もない。
「彼女はこの世界に行ったっきり戻ってきていませんね。最後に見たのは聖地です」
「えっ……」
……信以外にこの地に行った人がいるんだ。
私は画面から目を離して、ジーンの顔を見た。彼は真剣な眼差しでモニターを見ている。その顔は息子を探す信のパパに似ていた。
「ここから見える、かの地の情報は多いですよ。書庫の操作を教えるから、時間のあるときに見に来るといい」
「えっ? ここに来るのあんなに大変だったのに……鍵とかカードとか」
古い礼拝堂からの道は何重もの鉄の扉に阻まれている。それはカードキーだけではなく、顔や指紋なども必要な感じだった。
心配する私に、ジーンは胸ポケットから写真付きのカードを出して、私に見せる。そのカードにはジーンさんの名前と顔写真がのっていた。
「これがあれば入れます。アリスに言えばカードを発行してもらえるから、彼女に聞いてみてください」
「……わかしました、では」
私は頷いて椅子から立ち上がり、彼に手を伸ばした。
「……なんで握手?」
ジーンは私の手を取り握るので、私は手を引き抜いてカップを指す。
「握手じゃなくて、カップ洗います、それも」
「それは自分で……あ、いいや、じゃあこっちに来て」
私は彼について行き、廊下の隅にある給湯室に入った。
「ここで飲み物が飲めるからご自由に。トイレはあっちにあるけど、男女兼用なので鍵はしっかりかけてください」
案内された給湯室は汚く、たくさんの使用済みカップが積んであった。案内したジーンは苦笑する。
「すみません、他の人は洗わないので清掃業者が入るまでは毎日こんな状態です。使い捨てカップにすればいいのですが、話はすすみませんねー」
私は袖をまくって、ぱぱっとカップを洗う。ジーンは呆気にとられていたが、私の手からスポンジを奪った。
「後で私がするので、放置でいいですよ」
「放置すると茶渋が残るし、水滴ついてると水垢つきますよ? 食器にカビとかはえたら嫌じゃないですか?」
「……手伝うよ」
ジーンは私が洗ったカップを拭いていった。
私はふきんの煮沸消毒までして、やり遂げたと胸を張る。
「流しが綺麗だとうれしい」
「……随分手慣れていますね」
「私、ハウスワークなら役立てますよ。勉強も運動もさっぱりですがねー。書庫に来たらこれやっていいですか?」
ジーンは笑って頷いた。彼の笑顔を見ると、私はなんだか嬉しくなる。
「お掃除もしますよー。ご用あればなんでも」
「貴方をメイド扱いすると面倒なことになりますから、しなくていいですよ」
お役に立ちたいのに断られてしまった。でも、するなと言われても、汚れ物が目に入れば洗いたい。他にする人はいない感じ、こっそりやっちゃおう。
キョロキョロと掃除をする算段をつけている私を、ジーンは給湯室から私を追い出した。
「まだ見ていたのに、漂白剤があるかどうか知りたかったのに……」
「掃除はいいですから、それよりドクターの測定終わりました? 寄宿に戻ります?」
「いえ、起きたらアリスさんいなくて……」
「じゃあどうやって書庫まで来たのですか?」
私はたたっと廊下を走り、廊下の隅に設置してあるライトを指差した。
「真っ暗の中、これが一つずつついたんです。それを追いかけました」
「Oh……」
ジーンは足を早めて、私の肩を抱き先を急がせた。そして私が寝かされていた部屋の扉を開けて声を上げる。
「ドクター? どこにいます?」
するとモニター室の前で寝ていたアリスが眼鏡をずらして、目をこすりながら出てきた。
「あー、寝てたわ。なんかあった?」
「今、彼が起きていませんか? 彼女が誘導されて書庫まで来たようなのですが……」
「えー、あ……」
手元の端末を見ていたアリスの目が、かっと開いた。
「おきてたー! 一時間前、十二分間……」
アリスははっと翻り、私の寝ていた椅子に走り、椅子をバンバン叩いて肩をおとした。
「そうだった。すぐに計器取ったんだ……」
アリスは部屋にいた私に飛び付いて、なにかを探すように体を叩く。
「ライトで誘導って、エディはどうやってこいつを見てるのー? GPSついてんのー? どこどこー?」
「ひーっ!」
私は必死すぎるアリスが怖くて、床にしゃがみこんだ。
「ドクター、そんなものついてませんから」
ジーンは私からアリスを離して、私に逃げろと顔で合図をする。私はそれを見て、ドアに向かって走った。
ジーンも後を追いかけ、私に「待っていて」と言い、また部屋に戻る。
「ドクター、彼女が書庫に入れるよう手配してください。エディのしたいことは多分それかと。あと寄宿まで送って来ますね。半刻ほど抜けます」
「半刻休憩にしておく。カードも了解」
アリスはドアを飛び出て下の階に走っていった。
ジーンはロッカーからシスターケープを出してきて、歩きながら被る。少し先の通路で待っている私を見つけて走って来た。
「カラコンは入れないんですか?」
「夜だからいいでしょう」
……今コンタクトを入れていないと言うことは、黒がジーンさんの本来の目の色なんだね
ジーンは私のショールを広げて、ぐるぐると体に巻き付けた。
「急ぎます、長話しをしすぎました。夜が開けそうだ……」
旧礼拝堂から外に出ると、外はすでに薄明かるくなっていた。私はわーいと言って駆け出した。
「シスター、東どっちですかー?」
私が手を振るので、シスターは東の方向を指差した。私が立ち止まって朝日を見る姿を、シスターはしばらく見つめていた。
陽が姿を全て出すと、私は深く息を吐いて涙を流した。
「日の出がお好きなのですか?」
「好きです、前は毎日見てました」
「急ぎましょう、他のシスターが起きる時間です」
ジーンは鍵を出して、寄宿裏口のドアを開け、私をいれると外から鍵を閉めた。
私は窓から外を覗いて、外にいるシスターに深々とお辞儀をする。シスターは私を見て笑い、そっと手を振った。




