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2-4、学院生活

 

 まだ薄暗い中、ベッドと机が二つずつ並んだ狭い部屋に、目覚まし時計のベルの音が鳴り響く。

 ルームメイトの少女はううとうめいて、目覚まし時計に一撃を入れて黙らせた。

 私はその少女が起きるのを待っていたが、布団に潜ったまま動かないので、私は彼女に近づいてその顔を覗いた。


「おはよ……」

 

 私が声を掛けると、その子は、アッシュブロンドの髪を手でわしわしとかきながら、目を開けずに「もう朝かよ……」とうめいた。その子は覗いている私の首に手を回して、頬にキスをした。


「おはよ、マム。早起きだな」


 私は訂正すべきなのか悩んで固まっていた。その子は目を開けると驚いてのけ反り、口をパクパクと動かしていた。


「……ごめん、間違えた、そいや昨日からルームメイトがいたっけ……」

「気にしないで」


 その子は勢いを付けてベッドから飛び降りて、部屋の隅のクロゼットを開けた。そして中から長いモップとハンドモップを取り出した。


「おはよー、コウ。朝は掃除だよ! 六時半にシスターがチェックしに来るからね! 見えるところだけを手早くきれいにしよう」


 その子はモップを私に渡すと、そのまま私の姿を上から下まで見た。


「また変な服を着てるな、ずいぶんでかい……」

「服がどこにあるか分からなくて……あの、お名前は? あとここはどこ?」


 名前を聞かれた女の子ははーっとため息をついた。


「ここはロンドン郊外の学院。そこの寄宿舎だよ。ボクの名前はミレノア・ヤンソン。ミレイでいい」


 ミレイと名乗る少女は、私側のタンスを漁って制服一式を出した。


「これがシャツで、制服の下に着るといい。制服はこれで、襟や袖は外せるので頻繁に洗うように。タイツは黒か紺、夏はストッキング可だ。あと靴も指定」


 私は貰ったシャツを着て、さらに制服を頭から被った。制服はストンとした膝下丈の紺色のワンピースで、少しだけ袖がふくらんでいた。襟と袖口は白く、取り外しが出来るらしい。

 

 私は一式身にまとい、外に行くのはちょっと寒いかな。と思っていたら、ミレイが紺のカーディガンを貸してくれた。


「あり……」

「礼より先に掃除だ。ルール違反は面倒なことになる」


 ミレイが手早く机を拭くので、私もつられて床を掃き清めてモップをかけた。私がモップを四角いバケツに浸して、足で絞っているとミレイと目が合う。


「お嬢様と聞いてたけど掃除慣れてんな」

「人違いじゃない? 私、お嬢様じゃないよ?」

「ふーん」


 ミレイは掃除用具を手早くしまって、散らかしていた衣服も片付けてベッドに座った。するとどこからかベルが鳴った。


「コウも早く座れ! こっちじゃない、コウのベッド!」

「はい!」


 私はミレイの言うようにベッドに座る。しばらくすると部屋のドアが開いて、年配のシスターが顔を出した。

 ミレイはシスターに朝の挨拶をして、跪き朝のお祈りをする。私もミレイを真似て跪いて目を閉じた。

 

「毎日綺麗で結構なことね」


 シスターは丸眼鏡をくいと上げて私を見る。


「貴方が新入生のミスシノザキね、新入生は同室の子に色々教えてもらってね、食事を食べたら職員室にいらしてください」


 私が会釈をすると、シスターは出ていった。ミレイはやれやれと立ち上がる。


「あのシスター怒るとめっちゃ怖いからな。ルール違反は無しな。具合の悪いのは別だけど……」


 そこまで言うと、ミレイは私の顔をじろじろと見た。

 

「夜泣いていたか? 目が赤いな。食事まで冷やすか……。ちなみに飯は食えるのか? 昨夜は無理そうだったけど」

「……昨日?」


 私はミレイが渡してくれた塗れハンカチを目に当てる。そして昨夜と聞いてアレを思い出した。


 ……そういえば昨夜、シスターに口移しでスープを飲まされた?


 私が耳まで赤くして、呆然としていると、くいっと髪の毛を引っ張られた。私は何事かと振り返る。ミレイは手にブラシを持って立っていた。


「えっと、髪の毛、自分でとけるよ?」

「やらせろよ、お前みたいな真っ直ぐな髪の毛、触ったことないんだ」


 そう言うミレイの髪は細く、くるくると巻いていた。カーラー等は見当たらないので、天然パーマなのかもしれない。


「……ありがとう」


 私がお礼を言うと、ミレイは私をベッドに座らせて、丁寧にブラシをいれてくれた。


「ほう。真っ直ぐだとすぐとかしおわるな。ドライヤー不要とはいいなぁ」


 私は窓にうつるミレイを見るが、寝癖がついていてセットが大変そうだった。


「ありがとう、もういいよ。ミレイは自分のをしたほうが」

「ほいほーい」


 ミレイは私から離れて、壁にかかった鏡の前でドライヤーを手に髪と格闘をしていた。


「あの……昨日のしゃべれないシスターは?」

「あいつは見習いだから滅多にいない。レアな奴に会えてラッキーだったな」

「レアって……あの人が口移しでスープを飲ませてきたのはここではよくあることなの?」

「無いよ、あるはずない」


 ミレイはそう言うと、吹き出した後、腹を抱えて笑っていた。私はためらってそれ以上は聞けなかった。


「あいつの名前はシスターマグノリア。今度あったら呼んでやるとイイ」

「マグノリア……木蓮ね」


 私は復唱して名前を覚えた。


「飯いこう、朝飯。固形が無理ならスープだけで、後で保健室に行ってなんとかしよう。とりあえずルールだけは覚えて」


 ミレイが手を引いてくれるので、私は黙ってついていった。食堂は広くて清潔で、沢山の女生徒がいた。ミレイは誰にも話しかけずに手際よく朝食を集め、私にはスープを取った。

 ミレイはそのスープにパンを崩して浸した。


「どう? 風邪の時やるやつだけど……」


 ミレイがおずおずと差し出すので、私は会釈してそのカップを貰った。

 コンソメスープは殆ど味がしなかったが、少しずつ口に入れたら吐かずに食べることができた。私がスープをのむ間に、ミレイはおかわりまでしていた。誰かが物を食べているのは久しぶりに見た気がする。


 ……自分に足りなかったのは、栄養じゃなくて人だったのかもしれない。


 ママが死んだあの日まで、私は毎日ママと信と食事をとっていた。

 私のつくったものをおいしそうに食べるふたりを見ていた時がいちばんしあわせだった。


 ここでミレイの優しさに触れて、涙が込み上げてきたが、塗れハンカチで目をおさえてなんとか耐えた。



 食後にミレイと職員室に行くと、シスターからここの心得やミサの説明を聞いた。帰りには大量の教科書を貰う。ノートや筆記用具はミレイが用意してくれたと聞いたので、部屋に帰る間に私はお礼を言った。


「金は貰ってるから気にしないで。ちゃっかり手数料上乗せしてるから、お礼を言うのはこっちだよ」

「ううん、教科書も持って貰ってるし、お礼はいわせて」


 私は教科書をかかえたまま、ペコリと頭を下げて礼をした。するとミレイは何それウケると言って、しばらく日本式のお辞儀の真似をしていた。


「しっかし、まさか理事の姪が入学するなんてシスター達も思って無かっただろうな。今まで姪がいることさえ知らなかったみたいだし」

「……姪?」


 ミレイは部屋に教科書を置いて、「知らないのか?」と私を見た。


 部屋に戻るとミレイは学校のパンフレットを取り出し、掲載されている理事長の顔写真を見せる。そこにはふくよかな金髪碧眼の男性の写真が乗っていた。


「ニコラスおじさん……?」


 前はそんなに太っていなかったが、年を取ってお腹が出てきたらしい。

 叔父さんはエレンママのお兄さんで、お祖父様の家に住んでいたときに見た。私も四才までそこにいたので、なんとなく顔は覚えている。なによりも、叔父さんはエレンママに良く似ている。


 ミレイはニヤッと笑う。


「試験無かっただろ? ここに入るの。本来ならそれなりにレベルの高い学力と、それにまさるお高い学費がかかるみたいだよ」

「へぇ……高いんだ……日本の学校は無料だったからお金かかるとは知らなかった。ちなみに、おいくらくらい?」


 私が聞くが、ミレイは笑って首を傾げた。

 

「ボクは学費免除組だから知らないよ」

「そうなの?」

「皆知ってる事だけど他言無用で」

「わかった」


 素直に頷く私を見て、ミレイは「話が早くて助かる」と、少年のように歯を見せて笑う。


「こういった集団行動を強制される場所で、特殊枠はハブられる原因だしね。ボクはスキップだし特に目をつけられてる」

「スキップ? ミレイは年下なの?」


 私が驚くと、ミレイは笑って「十二だよ」と言う。日本なら小学六年生だ。

 私はミレイの胸部を見てがっくりと肩を落とした。ミレイは私より身長が高く、胸もしっかりある。しかもまだ発展途上な雰囲気さえある。ミレイはそんな私の頭を撫でて「食べりゃでかくなるよ」と慰めた。



 授業とクラスメイトへの挨拶は何事も無く済んだ。日本では浮いていた私の容姿もここだと普通に受け入れられた。

 しかし私は特にここで友達を作るつもりもなかったので、今まで通り目立たないように、静かに過ごした。



 午後の授業も終わり、放課後にミレイと廊下を歩いていると、突然、背中に何かを入れられた。


「ひっ……!」


 何か分からないけど背中がチクチクゴツゴツする。

 制服は切り替えのないワンピースで、結構体にフィットしていたので、異物を出すのに苦労すると思ったが、最近痩せたのでストンと床に落ちた。

 ミレイはそれを拾って私に見せる。


「なにこれ?」

「その子は行方不明のジャバウオック」

「なんだそりゃ」


 そういえば、私はアリスに連れられて飛行機に乗ったんだった。アリスは今どうしているんだろう?


 私は振り返り、柱の影に金髪の人影を見つけて追いかけた。


「おい、どこいくんだよ?」


 ミレイが慌てて駆け寄ってくる。

 角を曲がると金髪の人はいなくなっていた。私はアリスの本に出てくるウサギにからかわれた気分で呆けていると、背後から「わっ!」と言って、人が飛び出てきた。

 

「キャアア!」


 そこには、白衣を着たアリスが両手を上げて、襲いかかる熊のように立っていた。アリスは私の肩に手をまわし、こめかみにげんこつをめり込ませる。


「いたたた……」

「こんの、神出鬼没娘めー、よくも飛行機に置いていったわねぇ……」

「ふかこーりょくです……置いていったつもりは毛ほども……」


 元から目付きが鋭いアリスの脅しはとても怖い。私は震えて謝罪を繰り返した。


「あの、私……」「ねぇあなた」

 ふたりで声を合わせて同じことを聞いた。

「「どうやってここに来たの?」」


 私が分からないと首を振るのを見て、アリスは後ろにいるミレイを見た。


「ドクター、彼女は書庫に現れたみたいだよ」

「んー、その報告なら私も受けたわ。問題はどうやってなのよ? ねえ、どうやって飛んでいる飛行機からここまで靴とパスポートを置き去りにして来られたの? 説明して?」


 アリスは私の肩に手を当ててガタガタ揺すりながら聞く。そんなアリスの糾弾に私は目を白黒させた。


「まあいいわ。貴方はしばらく毎日保健室に来て頂戴。時間は授業が全て終わった直後ね。来なかったらミレイの小遣いを一ポンドずつ減らす」

「とんだとばっちりだ、それは抗議する!」


 突然話を振られて、しかも減給の話で、ミレイはプンスカ怒っていた。


 ……ミレイのお小遣いとドクターにどんな関係が?

 

「おふたりは姉妹とか、親戚とかそういった間柄ですか?」


  私が聞くと、アリスは「赤の他人」と言う。ミレイは苦笑して説明してくれた。


「ボク苦学生だから、シスター達からの頼まれ事を聞いてバイトしてんだ。昨夜のヤツとかさ。アリスもそのたぐい」

「そ、そうなんだ……」


 ミレイと話をしている途中なのに、アリスは有無を言わさず私を引きずり、私を保健室に連れて行く。私はそこで残り三体のジャバウオックを貰い、コートと手荷物と靴を貰った。


「コウ、お前裸足でここに来たのか?」

「そうみたい」


 呆れるミレイに、私は困って笑う。

 アリスはそこで私の身長や体重を計り、ついでに血圧計測や血まで取られた。元から貧血が出ていた私は目が回り、しばらく横になる羽目になった。


「どうせ寝てるなら点滴いれる?」

「頑張ってご飯食べます」

「じゃあこれかなー?」


 アリスはパックに入ったプルーンのジュースを投げ寄越した。ジュースはミレイの分もあったので、ふたりで並んで飲んだらなんとか飲めた。

 

 その後夕方になるまで検査の連続でアリスは私を離してくれず、部屋に帰る頃には私はヨロヨロになっていた。


「……すっげー量のサプリ」


 ミレイはアリスがくれたサフリメントの容器とジャバウオックを机に並べて、何かツボにはまったのか一人でゲラゲラ笑っていた。


 私はミレイからシャワールームやランドリールームの説明を受けてメモをとった。それを確認して部屋のどこかに張り付けておこうと、物色をしていると、ハンガーにかけたモスグリーンの上着が目に入った。

 私は彼の上着を持ってミレイに聞いてみる。


「あの、こーゆーのはどこで洗うの? 家ではクリーニングに出していたのだけど……」

「ああ、朝それ着ていたな。どこに落ちてたのそんなの?」


 ミレイは上着を取り、洗濯タグを見る。

 

「……煙草くせぇ。不良がこの学校にいるのか?」


 私は服を取り返して、きれいに形を整えてハンガーにかけた。ミレイはそれをしげしげとみる。


「別に洗わなくていいんじゃ? 特に汚れてないし」

「借りたのに洗わず返していいの?」


 そう言って私は気が付いた。そういえばあの人の名前も、どこにいけば会えるのかも全く分からない。

 ミレイなら知っているかもと話を振るが、ミレイはうーんと唸って悩んでいた。


「この学院に来る男は業者の人と理事長しかいないよ、たまに警備とか工事とかで見ることもあるが、基本女しかいないからな……」

「その人、明け方に庭にいたの」

「それは不審者としか言いようがないな。お前何かされなかったか?」


 私はブンブンと首を横に振った。

 彼は上着を着せてここに送ってくれただけだ。そして彼が異国の言葉を話していたことはミレイには説明できない。


「明日も保健室行くならアリスに聞いてみれば? アリスは自由に外に出られるからな」

「うん……」


 私はとりあえず布で簡単に汚れを拭き取る事にした。

 私はベッドの上で、トントンと、濡れたハンカチで上着の裾を叩いていた。あまり汚れていなかったので作業はすぐに終わる。

 私は綺麗に拭いた上着の上に寝転がった。

 

 ……おじさんの吸っている煙草の匂いと、病院の匂いがする。後もう一つのこの匂いは何だろう?


 その匂いを突き止めてやろうと記憶を探っていたが、不思議と意識が遠くなり私は眠りについた。



 ◇◇


「ねぇコウその服だけど……」


 歯磨きを終えたミレイが声を掛けたとき、幸はコートを抱きしめて、すうすうと眠りについていた。


「お前、眠れないと聞いていたのに……」


 ミレイは幸の体の下から上着を抜くと、幸に毛布をかけてやった。

 ミレイは上着のポケットをあさり、胸の内側に入っていたカードを取り出した。それは顔写真と所属がついた身分証明のカードだった。


「あんのバカ。素で夜中にうろついてたんかぃ……」


 ミレイは他のポケットを漁って中身を回収し廊下に出た。そして通路に数台並んでいる電話から彼の番号を押した。


「ミスターナーさん。アホなシスターさん、お前のカードをアリスのポストに預けるからかわいいミレイさんにお礼を沢山振り込むように」


 ミレイは留守電にメッセージをいれると電話を切った。そして移動し、職員用のポストからアリスの名前を見つけてカードを投函した。


「ふふっ……」


 ミレイは今後貰えるお小遣いを皮算用してニヤリと笑う。


「あいつがアリスに頭を下げてカードを貰ってる姿を想像すると笑える……」


 ミレイはスキップしながら寄宿舎への角を曲がり、自室に向かった。

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