2-3、泉
幸は夜中に目が覚めて、暗い中辺りを見回した。
また見たことの無い部屋だった。一階の角部屋なのか、窓が二面についている。
少し離れた場所にはもう一つベッドがおいてあって、そこには私と同じくらいの年の少女がすうすうと安らかな寝息をたてていた。
「……ここどこ?」
私は状況が分からず、窓から外を見る。
窓の外は暗い木々に覆われていて、まるで森の中にいるようだった。
――オイデ
私は何かに呼ばれたような気がして、窓を開けて外を見るが何もない。私は窓枠を乗り越え外に出た。
……あっちだ
もう十一月で外は寒いはずなのに、私は全く寒さを感じなかった。ただひとつ、私の心に中にある光を追って闇のなかをひたすら前に進む。
暗い森は突然開けて、目の前に鏡のように月を映す泉が見えた。私はその水面を見て、アレクが出てきた池を思い出した。
……前に、日本の家の近くの池のような場所に彼がいた。それは長い茶髪の、白い杖を持った青年だ。
彼は夢の世界の言葉を話し、沼にあの世界への扉を出現させた。そして、そこから出てきた双竜が、ママを殺して信と菊子さんを連れていってしまった。
『……フレイ?』
背後から突然声を掛けられて、私は驚いて振り向いた。するとあの日と同じように、髪の長い青年がいた。青年は驚いた顔で私を見ていた。
私はフレイと呼ばれた事にとまどいつつ、違うと首を横に振った。すると青年は着ていた上着を脱いで、私の肩に掛けた。
……おじさんのタバコの臭いがする……やはりこの人は、扉を開けたあの人だ
私は上着をかけてくれるその人の腕をガシッとつかんだ。そして、日本語でも英語でもない、あちらの言葉で聞いた。
『あのっ、あなた前に扉を開けていましたよね? 日本で、サーの世界にいくあの扉を! 私のあの世界に行きたいんです、もう一度扉を開けてもらえないでしょうか?』
青年は驚いて私を見ていたが、少し屈んで私を抱き上げた。私は突然持ち上げられた事に驚いて、その人の肩につかまる。
知らない人に突然こんなことをされたら怖いし逃げるが、不思議な事に嫌だとは思えなかった。
『軽い……あなたはこのところ食事を疎かにしていますね?』
私はその人の首に腕を回してコクンと頷いた。
『少なくとも健康でないと扉はくぐれないし、あっちについても死んでしまう……』
『でも行かなきゃ……』
私がそう言うと、彼は無理だと首を横に振った。私はその人の頭に抱きついて涙を流した。
『だめなんです、何度食べようとしても喉から下を食べ物が通らない……彼らの糧を思い出して、校庭の血の臭いが、レアナの白い目が、爪が頭に焼き付いて離れないの……』
声を押し殺して泣く私の背中を、彼はポンポンと優しく叩いた。その大きな手はどこか羽間のおじさんを思い出させる。
青年は私を庭の隅にあったベンチに座らせた。
『寒くはないの?』
そう聞かれて私ははじめて自分がどんな格好をしているのかを見た。
記憶にある最後に着ていた服は、黒いワンピースと厚めの黒タイツだが、両方とも脱いで寝ていたようで、膝丈の薄いキャミソールとパンツしか着ていなかった。足なんて裸足だ。
「ひっ!」
……なにこれ? 服はいつ脱いだんだっけ?
私は真っ赤になって、借りた上着を胸の前で固くあわせた。その人は恥ずかしがっている私に背を向けて、泉の淵に立った。
『……あちらの世界の糧は人を選ぶんだ。この世界の人間全てががあの世界の糧になれるわけではない。しかも、血の持ち主が望まないと血を糧として使えない』
『……?』
私が首を傾げると、その人は悩んで言う。
『君は竜に無理矢理血を取られたことがあるか?』
そう言われて私は思う。
アレクは存在が消えかけても私を傷つける事はなかった。学校でレアナに血をあげたときは、うっかりふたりの安否を祈っていた。
『じゃあ菊子さんは? ママは?』
……糧としてじゃなく、単に殺されただけなの? 私に復讐するために?
『白竜の事情は分からない。ただ白竜は人の心を支配することに長けている。しかもそのふたりとは話せないから聞きようがないな……』
私はその人をじっとみた。
日本で見たときと同じく、緩く波打つ長い前髪を顔の両脇にたらし、残りを背中でひとつに結んでいる。モスグリーンの上着の下は、くすんだ色のセーターとスラックスを着ていて、地味な服装だと思った。
……この人、羽間のおじさんというより信に似ている。信が私よりも年上だったら、きっとこんな感じだろう。
『あの……信は、あの世界に落ちた男の子は生きていますか? 怪我をしていたけど大丈夫だったのですか?』
私が聞くと、その人は微笑んで頷いた。
『あなたはどうしてそんなにあの世界に詳しいのですか? もしかして、貴方がサーラジーンなのですか?』
その人は月を背に立ち、じっと私を見ていた。
『君は、そう思うの?』
その顔を見ていると、私はなんだか涙が出てくる。
『……ごめんなさい、違うと思います』
うつむいてそう言うと、目から涙がこぼれた。彼は私の頭をポンと撫でる。
『おいで……』
その人が手を広げるので、私は手を伸ばしたが、子どものように抱き上げられそうになったので、あわてて手を引っこめた。
『あの、私歩けます。もう戻ります』
『裸足で?』
『あっ……』
私は青くなって、顔を伏せた。
『大丈夫です、靴はなくてもなんとかなります。ありがとうございます』
青年は何も言わずに私をかかえ上げた。私は恥ずかしくてしにそうな気持ちで、その人の肩につかまった。
その人からはおじさんがよく吸っているタバコと、知らないシャンプーの匂い、そして少しだけ消毒液の匂いがした。この人の側にいると、なんだか安心して涙が出てくる。
……何故だろう? 前にもこの人に運んでもらった事がある気がする。
その人は寄宿舎まで連れていってくれた。私が出てきた部屋の窓から、私を中に入れると、窓辺に肘をついて微笑む。
『次にあちらと近づくのは来年の夏だ、場所はさっきの泉だよ。君はそれまでに体力をつけないといけない』
『体力……?』
『あっちはサバイバル能力を問われるからね、ハーフマラソンを完走するくらいを目標に』
『ひぇ、無理です、今までだってろくに運動したことないのに……』
私が窓辺で話していると、背後から物音が聞こえた。
「だれ? こんな夜中に……」
「……!」
私は驚いて声のした方を見た。そこには灰色の髪の少女が眠そうな目をこすって私を見ていた。
「うるさくしてごめんなさい」
私が英語で謝ると、その子はまたベッドにもぐった。
私が再び窓辺を見たときにはもうあの人の姿はなかった。私は窓に近寄って窓を閉めた。
……そう言えば、ずっと異世界の言葉で話していたなぁ。あの人はなんで夢の言葉が話せるんだろう? サーじゃないと言っていたけど、じゃあ誰? どうして学院にいるの? どうして九月に日本に、あの街にいたの?
心から邪念を払い、耳を澄ますと、あの人はまだ近くにいる気がする。寄宿舎にいるわけではなく、少し遠いけど、この学院にいるようだ。
私は今まで信のいる方向が分かると思っていたが、同じセンサーにさっきの人もかかったので認識を改めた。信を探す勘のようなものは、どうやらあの世界に関連する人にかかるみたい。
「あっ……」
私は思わず声を出してしまい、自分の口をぱたんとふさいだ。
……あの人の名前、聞き忘れた。
私は明るくなって行く空をみながら、ふぅとため息をつく。そして寒さに肩を震わせ、何か着るものを探したが、見当たらなかった。
私は彼に借りた上着を着た。そして部屋にあったオイルヒーターの側に座り、ルームメイトが目を覚ますのを待つことにした。
不思議な場所、不思議な人たち。アリスをはじめとして、ここの人たちは私よりも夢の中の世界に詳しいようだ。
「なら、信と菊子さんを助けるのに、協力してくれたらいいな……」
私は木々の隙間から見える朝日を見て、これから何をするべきか考えていた。
絵では髪が長いですが、この時点の幸の髪の長さは肩に触れるくらいです




