2-2、学院
幸が目を開けると、見たことのない天井が見えた。
まだ寝ぼけているのか、体が妙に重い。
私がため息をついてなんとか起き上がると、そこは本当に知らない場所だった。
壁は教会のような石造りで、窓際にはオイルヒーターが置いてある。ベッドは周囲に数台並んでいるようだ。ベッド脇にはカーテンがかけられていて、個別に仕切られていた。今はカーテンが全て開けられていて、部屋には誰もいないようだ。
「……病院?」
私はベッドから下りようとして、靴がない事に気が付いた。靴はいったい何処で脱いだのだろう。というか、飛行機に乗ってからここまでの記憶が一切無い。服装は飛行機に乗った時と同じ、厚手の黒いワンピースと黒タイツだ。
……荷物は? コートは? 四体のジャバウオックは?
ベッドのまわりを見るが、靴とバッグは見つからなかった。でもスカートのポケットにロザリオケースが入っていたので、少しだけ安心した。
……ママのロザリオが無事でよかった。
私がロザリオケースを触っていると、部屋の扉が勢いよく開いた。
「おっ、何だ、起きてるじゃーん!」
入ってきたのは、紺のワンピースに白い大きな襟をつけた、私くらいの年の少女だった。彼女は灰色の髪の毛をハーフアップにしている。
話す言語は英語なので、どうやら私は無事にイギリスに辿り着けたようだ。
彼女は両手にトレイを持っていて、私が寝ていたベッド脇のデーブルにガシャリと置いた。
「はじめましてー。英語わかるよね? ボクはミレノア・ヤンソン。コウのルームメイトになる予定のこの学院の生徒だよ! ミレイって呼んで!」
よろしくといって手をだすミレイに、私はとりあえず握手をした。
……ルームメイトというならば、ここはアリスの言っていた学院なんだろう。寄宿舎付き。アリスは意識のない私を、空港からここに連れてきたのか。それは大変だっただろうなぁ。
私はアリスを探すが、この部屋にはいなかった。
「これ今日の夕飯ね。毎日ささやかなもんしか食えないからその辺は慣れてね」
ミレイはベット脇に置いたトレイを指した。どうやらこれは私の夕飯らしい。
……まだスープが舐められる程度しか胃が受け付けないんだけど、どうしたらいいんだろう?
私はミレイが持ってきた夕飯とミレイを交互に見て固まった。するとミレイは頬を膨らませて、私の前で仁王立ちする。
「お嬢様の口には合わないんじゃないかと思ったがそうだったな。でも慣れるしかない。残すと怒られる!」
ミレイはトレイからカップに入ったスープを持って私にすすめるが、私はガンとして口を開かなかった。
「食欲無くてもスープはいけるだろ? 飲まないと礼拝堂の掃除させられるぞ?」
ミレイがどうすすめても私が口を開けないので、ミレイはベッドに上がって私の足の上に乗り、スプーンを無理矢理私の口に突っ込もうとした。
「ひぃ! 吐いちゃう、吐いちゃうの、やめて!」
私が必死でミレイに訴えると、ミレイの体がふわりと浮いて、ベット脇に移動された。
見ると、背の高いシスターがミレイの脇に手を入れ、ミレイを抱っこしている。どうやらこのシスターがミレイを私の上からどかしたようだ。
シスターは床の上にミレイを置くと、ヒラヒラと両手を動かして形を作った。ミレイも同じように手を動かしたので、手話なのかな? と、私はふたりを見ていた。
手話による話し合いが終わったようで、シスターがベッドの脇の椅子を指すと、ミレイは渋々そこに移動する。ミレイは手話の内容を私に説明してくれた。
「コウ、シスターはご飯を食べなさいと言っている。ちなみにこのシスターはしゃべらないから」
私は手話を話せないので、シスターと通訳してくれるミレイを交互に見ていた。シスターはまた手を動かす。
「吐くってなんだ? 固形物が無理? スープも飲み物も無理なのか? と、こいつがいった」
……こいつって、ミレイの口調はどこか乱暴だなぁ
「飲み物は少しなら飲めます。でも、とても時間がかかるのでここに置いていってください」
私がそう言うとシスターはニッコリと微笑んだ。髪の毛は完全にシスターケープに覆われて見えないが、アジア系の顔立で目鼻立ちがしっかりしている。
瞳の色は青、細い眉と長い睫毛が印象的で、日本にいればモテそうなキレイな顔だなーと、私はボーッとシスターを見ていた。
シスターはにこやかにほほ笑み、カップにスプーンを入れて私に渡した。脇からミレイが補足する。
「飲めって、これくらい飲めないとここでは生きていけないぞ」
「……うう」
私は仕方なくスプーンに少しだけスープをすくってペロリとなめた。人に見られているので緊張して味は全然わからなかった。
シスターはまたミレイに手話を送る。
「もっと飲めと」
無理だと首を横に振った。そんな私を見て、ミレイはため息をついて立ち上がる。ミレイがまたベッドに乗って、スプーンを無理矢理私の口に押し込むので、私は必死で抵抗した。
「おいお前、飲まないと退学になるぞ?」
「んーっ!」
目に涙を浮かべて抵抗する私を見て、シスターも近寄って来た。
……ふたりがかりで飲まされたら抗えない、洗面器、いや、バケツどこ?
シスターはミレイからスープの入ったカップを取り上げて、スープをグビッと一息に飲む。
私は何が起きているのか分からず唖然とシスターを見ていた。シスターは呆ける私の頭をガシッとつかんで、私に直接スープを飲ませた。
「……!」
スープは完全に冷めていたので熱くはなかったが、突然の口移しに私は心底驚いて、真っ赤になってのぼせ上がった。
私はスープをごくりと飲み込んで、呆然とシスターを見ていた。
シスターはニッコリ笑ってカップを差し出し、右手を顎の下から動かし人差し指を立てる。目の前にいるミレイが呆れて言った。
「もう一度やろうかだって? お前また今のやられるぞ……」
「ひいっ!」
私はあせってカップを持ち、吐き気と相談しつつ、ちょびちょびスープを飲んだ。
十分以上がかかったが、なんとか最後まで飲めた。私はホッとして、空のコップを見ていたら、だんだんまぶたが重くなって、意識が遠くなって来た。
「すみません、まだ眠いみたい……ここで寝ていていいですか?」
夢うつつで私が尋ねると、シスターはこくりと頷いた。
シスターは私から空のカップを取り、私をベッドに寝かせた。シスターは私の頭を撫でるように目を閉じさせた。
……お花のいい匂いがする
頭に置かれた手があたたかくて、そのぬくもりが懐かしい気がして、私は気を失うように深い眠りに落ちた。
◇◇
シスターは幸が寝たのを確認して、幸の体を抱き上げた。ミレイは扉を開けてシスターを誘導する。
「怪我でもしてるかと保健室に連れてったが、なんともなかったな。はじめから自室に運んでもらえばよかった」
「……」
廊下を歩く他の生徒に挨拶しながら、ふたりは寮の端の部屋に行く。そこはふたり部屋で、入り口にミレイとコウの名札がついていた。
シスターはベッドに幸を寝かせてミレイに手話で話す。
(着替えは届いてませんか?)
「何、お前着替えさせたいの? 変態なの?」
ミレイの言葉にシスターは肩をすくめた。
「ってゆーか口移しがまずありえん。アリスにいいつけるからな。ハヤトにも」
ミレイが呆れて言うと、口がきけないはずのシスターが口を開いた。
「単に確定事項を踏んだだけなので、上司には言わないでいただけると助かります」
「世の中金だよ?」
「……明日振り込んでおきますよ」
シスターのハスキーボイスに頷いて、ミレイはやった! とほくそ笑む。
「かわいーあんたらのお姫様を見てやるんだからガッといれとけよ? 気前よくな」
ミレイは快活にハハッと笑った。
「すみません、さっきのスープにいれた薬で眠いので仮眠してきます……アリスが帰って来たら適当に機嫌とっておいてください、アリスは空の上に一人置いていかれて、ぶちギレていると思うんで……」
あくびをしながらヨロヨロと立ち去るシスターを、ミレイはニヤニヤと笑って見ていた。
「コウに入れた睡眠薬があいつに効いてるとかまじわらえる。アリス早く帰って来ないかなー話したい。あの後ろ姿……」
ミレイは部屋に戻り、幸と向かい合わせに置いてある自分のベッドに腰かけて、しばらく寝ている幸を見ていた。
「約一年よろしくな、ハヤトの娘」
そう言ってミレイは、寝ている幸に向かってニヤリと笑った。
二章の登場人物です




