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39、外枠から触れてくるもの

スミマセン一万文字越えてマシタ

 

 リノリウムの床と薄いクリーム色の壁。清潔な室内。そこに昏昏と眠り続ける日本人の少女がいる。

 定期的に動く生命維持装置の音だけが、静かな室内を満たしていた。

 私はそっと少女の額に触れる。

 それはあたたかく、血が通っていて、少女が生きているのだと実感できた。



 あの日、血の匂いが満ちた学校で、私は仲間と一緒にこの少女を探した。

 遥か過去に自分が犯した罪を贖う為に。

 過去を変えることは未来をも変える。ほんの少しのことでも、全てが泡に帰すかもしれない。しかし過去にこの少女の死は確定していなかった。だとしたら、まだ助けられる可能性はある。


 私は過去に起こった事を思い出し、忠実に再現する必要があった。ここには私のほか、誰もそれを実行できる人間がいなかったから。

 条件は、当日に我々の姿が彼らに見られてはならないこと。

 あの日、あの時刻、あの学校には、三人以外誰もいなかった。という記憶を忠実に再現しないと今を確定できない。

 


 我々は夕方、三名の女子生徒の為に救急車を中学校に呼んだ。通報をした中年女性は現地の方で、学生と共に病院に行き、三名を無事に保護者に渡したようだ。残った仲間内四名は学校に残り、防犯カメラの位置を確認し、それに映らないように闇に潜んだ。


 双竜を見送り、扉が閉じる前に、この少女を確保し、用意した車に運び込んだ。篠崎幸は校庭に倒れているが、彼女は特に手当ての必要は無いのは知っていた。


 銃声をききつけたからか、パトカーのサイレンが近付いて来る。篠崎幸は彼らに任せたほうが無難だろう。


 問題は目の前にいる髪が長い女生徒だ。

 自分の血を糧に、黒竜が体を再生してくれたので、彼女の身体に傷は無い。しかし顔は蒼白で、ひどい貧血状態なのだろうと思われる。

 我々はあらかじめ用意していた血液を彼女に輸血した。


 本来ならヘリを使っても病院に運びたいが、目立つ行動は出来ないので、医療設備を積んだワゴン車に運び、容態が安定するまで企業の関連施設に隔離した。


 そして今に至る。



「ぐっもーにーん」


 我々の仲間の一人である、ブロンドの眼鏡の女性が室内に入ってくる。ドクターの免許を持っている彼女は、習慣になっている黒髪の少女の容態を確認した。


「ふむ。意識は戻らないけれど、彼女の容態は安定しているようね。そろそろ移動出来るかも、っていうか私、帰りたい」


 私は部屋の隅で淹れていたコーヒーを彼女に差し出した。彼女はそれを一口飲むと、苦さに顔をしかめた。


「うええ……コーヒーってなんでこんなに苦いのかしら……酸っぱくて焦げ臭いしキライよ、もう、紅茶にしてよー」


 女性はヒールの音を鳴らして棚に行き、カップにミルクと砂糖を大量にぶちこむ。彼女は隅の椅子に座って、しばらく甘いコーヒーをなめながら、「まず……」と、顔をしかめていた。

 女性は飲みかけのカップを、部屋の隅に置いた


「……実は私、あなたの言う事を全然信じてなかったのよねぇ」

「わかります。実際体験しなければ私も信じられませんでした」

「あの子の夢は面白いと思うし、あの子を研究するのは楽しいけど、まさか現実世界に絡んでくるとは思えなかった、認識が甘かったわ……」


 女性はそういって立ち上がり、持っていたカップの中身を流しに飲ませた。ボタボタと落ちて流しに跳ねる甘苦い茶色い液体を凝視し、彼女の口元は緩む。


「数値で計算できない事って存在するのね……」


 不気味に笑う上司を横目に、私は流しに行く。そこには女史の真っ赤な口紅がついたカップが放置してあったので、サッと洗い、逆さに伏せた。


「では交代しますね。もう一つ、確定するために行って来ます……」


 女性は持っていたタブレットから目を離さず、興味なさげに片手を上げた。私は上着を着て車の鍵を取る。そのまま慣れない車に乗って、懐かしい町に向かった。


 残された病室には、生命維持装置の音だけが定期的に鳴っている。一人になった女性はぽつりとつぶやいた。


「私もそろそろエディに会いたいわぁ……」




 ◇◇


「さむい……」


 外に出ると、外気が露出した頬に冷たく刺さる。

 篠崎幸は一人、病院の会計で支払いを終えると、袋に入れた着替えを持って外に出た。


 父親は私の退院を待たずにイギリスに帰ってしまった。まあ、隼人なんてそんなもんだ。

 隼人はエレンママにしか関心がない。私に父と呼べる人はおらず、家族はママと信だけだった。


「はぁ……」


 私は露出した手が冷えて、自分の息をかけてあたためた。

 一人というのはなんて寒いんだろう。

 まわりはみんなつきそう人がいて、話をしながら歩いている。一人で退院する子どもなんて私だけだ。


 私は見知らぬ道をとぼとぼと歩いて、イギリスにいる父親に言われていたホテルに向かう。


 あの日のことは、おぼろげにしか覚えていない。警察の人に聞かれるので思い出そうとするが、警鐘が鳴るように動悸が激しくなり、立っているのが辛くなる。


 そこから先は思い出してはいけない

 そこから先は考えてはいけない



 私は無気力に、足を左右互い違いに動かしてひたすらに道を進んだ。


 ……世界はこんなに味気ないものだっただろうか? こんなに色のないものだっただろうか?


 人の声はガラス越しのようにくもって聞こえ、すべてが緩慢で、何の意味もなく、時間だけがたらたらと私の脇を流れていった。



 私が病院から出ようとすると、門の陰から一人の男性が現れた。彼の持つ色の無い花が私の顔にぶつかって、花びらがはらりと歩道に散る。


「間に合ってよかった。退院おめでとう。幸ちゃん」


 無精ひげの生えた中年の男は、ぼさぼさの髪を手でなでつけて、歯を見せて笑った。


「羽間のおじさん……」

「おや、今日は父親はいないんだね?」


 無気力にうなずいて、私はうつむいた。おじさんは困ったように笑う。


「せっかく来たんだから送るよ、徒歩だけど。そのかわりにこれを持ってくれな。オッサンが花を持っているのは恥ずかしくて……」


 おじさんは小さなブーケを私の腕に押しつけて、私の荷物をもった。そして私の衣服が薄着なのを見て、長いマフラーを私の首にぐるぐると巻いた。

 私はおじさんの広い背中を見ながらついて行く。おじさんは何度も振り返って、私の歩く速度に合わせてくれた。


「幸ちゃん、夜寝てないんだって? お父さんに聞いたよ……」


 私は花に顔を埋めて無言でそれを肯定した。

 あの日から、夢をみる事が怖くて眠れない。夜も昼も同じ、時間は緩慢に意味もなくすぎていく。


「道ばたでも寝てしまうような子だったのにな……」


 おじさんは空をみて寂しそうにつぶやいた。


「幸ちゃんはこれからどうするんだい? 父親の家に住むのかい?」

「いえ、たぶん……父親の親戚のとこにいきます。ばーさまが静岡に……」


 私は四才までは母方の祖父の家にいた。そこにはママはいたけど隼人は見たことがなかった。なので、ママが死んだからと言って、隼人と暮らすなんて想像さえもつかない。


「そうか……」


 おじさんは何かを察したようにうなずいた。



 街のどこからか、合唱が風に乗って聞こえてきた。おじさんはその歌をなぞり、鼻歌でメロディを追う。


「教会か……」


 おじさんは歌が聞こえてくる建物を、どこか遠くをみるような目で見ていた。


「思い出すな、エレンさんはクリスチャンでさ、幼稚園もそれ系で、自分の息子の部屋にも聖書とかおいてあったな。無宗教な俺はやめてくれーって思ったけど、こう……歌だけはすんなりイイと思ったよ。」


 おじさんは昔を思い出して、歩きながら、ぽつり、ぽつりと昔を語る。


「幼稚園の集まりとかで歌うだろ? 子どもの声の合唱。あれとかなんか感極まるものがあって、周りのお母さん方にまじって、本気で涙ぐんでたよ」


 私の頭の中でも、慣れ親しんだ教会の小さなパイプオルガンの音が流れた。私が目をつむると、小さな信が頭に桜の花びらをつけたまま走っていく姿が見える。


 笑って信をおいかける私、それを見守るエレンママ。

 そして後ろにいる信のパパ。

 片方ずつそろった親は、まるでほんとのパパとママみたいだった。


 少しずつかけた、いびつな私たち……その形はゆがんでいたとしても、私はしあわせだった。フレイと違って、私には今まで孤独など感じたことは一度たりともなかった。


 ……それは、ママと信がいたからだ。


「ずっと、ママと信が私を守っていたんだ……」


 失くしてから大切なものに気が付いても遅い、もう二度とママには会えないし、信だってどうなったか分からない。


 寒い……


 私の肩が小刻みにふるえ出した。

 弱った足が重力に耐えきれず、私は地面に崩れるように手を付いた。死んでいた、いや、わざと封じていた気持ちが、歌によって奮い起こされた。

 私は地面に伏せて、自分の拳を何度も歩道に叩きつけた。


『神様が、私から信を、ママを奪った! 私が全てを捧げなかったから、サーは信をつれていってしまった!』


 ……私のせいだ! 全部、私が巻き込んだ!


 瞼の裏に焼き付いたママの亡骸……信と菊子さんの血、その臭い。そしてレアナの白い瞳、爪、唇。赤い……


「――イヤァァァァ!!」

「幸ちゃん!」


 突然大声で叫ぶ私に驚いて、先を歩いていたおじさんが駆け寄ってくる。そのまま私は歩道にふせて、頭を抱えて泣き続けた。


「アアア!」


 今まで蓋をしていた気持ちが、想いが、荒波のように押し寄せて、私の心を真っ黒に染め上げた。私は首を振って、全てを否定する。


 ――許せない


 私から全てを奪ったサーを、レアナを

 そして、何も出来なかった、私が一番許せない!


 声は枯れて、やがて嗚咽に変わった。

 冷たい地面から顔を上げると、信に似た目が心配そうに私を見ていた。おじさんは泣きわめく私の肩を抱いて、ずっと背中を撫でてくれていた。


「大丈夫、大丈夫だから……」


 おじさんからはどこか信に似た臭いと、たばことコーヒーの臭いがする。

 信は、自分の親は臭いといってた。あんまり風呂にはいらないって。コーヒーとお菓子とたばこしか口にしないから、さらに臭いって。

 でも今は、その臭いが心地よく思う。おじさんがとても大きく、あたたかく思える。


  ……父親が隼人じゃなかったらよかった。この人がパパだったらよかった


 私はそんな事を思いながら、少しずつ気持ちが落ち着いていくのを感じた。

 正気に戻って周りを見ると、通行人が数人私たちを見ていた。そりゃそうだ。道端で子どもが泣いていたら私だって何事かと見てしまう。


 通行人の中には、警察に通報しようとしている人もいて、おじさんはお仕事モードでテキパキと対応していた。


「ごめんなさい……私……」

「何が、花のこと?」

「……あっ!」


 私が足元を見ると、花束は私に踏まれて散り散りになっていた。私はあわてて花を拾うが折れた茎は元には戻らなかった。

 赤くなったり青くなったりする私を笑いながら、おじさんは花を拾ってゴミ箱に捨てた。そして私に向かってにこりと笑う。

 

「荷物が減ってよかった」


 私はどこか信に似たその笑顔を見て、胸が痛くてまた泣いた。

 おじさんは私の手を引いて、私が泊まる予定のホテルまで送ってくれた。




 おじさんに送って貰った駅の近くの大きなホテルのロビーで、私はメモを握って立ち尽くした。

 私が手続きに困っているのだろうと察して、おじさんはチェックインの手続きをしてくれる。予約はされていたようで、おじさんは受け取ったカードキーを私に渡した。


「広いなぁ……こんな所に一人で泊まるの?」

「隼人はひとりで何でも出来るから、そーゆーこと考えないの……でも一人なのはここも病院と大差ないです……」


 私が借りていたマフラーを返すと、おじさんはソファーに私を座らせてどこかに消えた。


 ザワザワと、ロビーを行き交う人の声がどこか遠くから聞こえてくる。

 私は何もする気が起きず、埋もれるようにソファーに座っていた。


 ……おじさんのおかげで、信の事を思い出した。しかし信は白竜に捕まえられて、サーの世界に行ってしまった。そして菊子さんに関しては全く分からない。


 菊子さんを剣道部の部室に閉じ込めた事は覚えている。しかしその後の記憶に菊子さんはおらず、どうして校庭に菊子さんの血が落ちていたのかもさっぱり分からない。


 ……フレイが私の体を使っていたのかな? だから、記憶が飛び飛び?


 私は信と菊子さんを探したかったが、どこをどう探せばよいのかを、全く思い付かなかった。



 ロビーのソファーに座ってじっとしていると、おじさんが戻ってきた。

 おじさんは自販機に飲み物を買いに行ったようで、私にはあたたかいミルクティーをくれた。私は蓋を開けずに両手で握って、冷えた手をあたためていた。


 蓋のついたコーヒーを飲むおじさんの隣で、私は緊張していた。

 病院で警察の人に何度も事件の事を聴かれたけど、私は何も答えなかった。

 でもおじさんは信のパパだ。あの日何があって、信はいまどこにいるのかを、ちゃんと話さなければいけない。


 ……でも、それを知ることで、おじさんを巻き込んでしまう、もしまた向こうの世界の住人が来たら、おじさんは危ない目にあうかもしれない。


 レアナの白い爪を思い出して、私は身を震わせた。


「ホントはね、退院祝いだけじゃなくてさ……ちょっと幸ちゃんにお願いがあって来たんだ……」


 お願いと聞いて、私は顔を上げた。


「信はどこかで生きているんじゃないかな? 何か知らない?」


 言おうと思っていた事を聴かれて、私はビクッと震えた。


「これを見て欲しいんだ」


 おじさんは左手でコートのポケットから一枚の紙を取り出した。覗き込むと、その薄い紙にはパソコンで書いたようなテキストが印刷されていた。


「信の部屋のパソコンに入っていたやつを、同僚が印刷してくれたんだ」


`これをオヤジが見る可能性は薄いけど

 ちょっとだけ言わせてください


 今までありがとう

 そして、ごめんなさい

 俺の事はもう忘れてください


 体に気をつけて

 仕事、無理をしないでください´


「信の手紙……最後の日に書いたの……?」


 ママが殺された夜、信はおじさん宛にメッセージを書いていたのかと思うと、それが遺書のように思えて、私は泣いた。


「いや違うんだ。この文章の最終更新日は、あの事件の後日らしい」

「えっ……?」

「誰かが家に忍び込み、これを書いていったか、テキストファイルを置いていったかだ」


 信は向こうにいるのでこれを書ける筈はない。だとしたら田中くんが来て置いたとか? あれ? 信のお友達は林くんだっけ?


「俺はよく知らないんだが、あいつのパソコンはパスワードをいれないと開かんらしい。しかも家の鍵は全部閉まっていて、どこからも不法侵入した形跡はない。他人の指紋も出て無い。信のパソコンからは、信と幸ちゃんと、友人の指紋しかでてこなかったし、最後にドアやパソコンを触ったのは信本人だと検察が言っていた」


 おじさんはそこまで一息に言うと、フゥと息を吐く。


「……これを打った人間は、ウチの鍵をもっていて、なおかつ信のパソコンのパスワードを知っている」


 私は呆然として、おじさんをみた。


「それって、信が打ったってこと……? あの事件のあとで?」

「そうとしか考えられないだろう?」


 ……信が、この世界で生きているの? あっちにいるんじゃないの?


 私は理解できずに、缶を握りしめてうつむいた。


「……パソコン」


 そうだ、あの事件の時、私は会いたい人がいた。それは池のそばにいた、白い杖をついた髪の長い日本人の男性だ。

 あの人は血であの世界の扉を開けていた。

 信はあの人が向こうの世界のサイトを作ったのだろうと疑っていた。

 あの人に会えればまた扉を開けて貰えるかもしれない。


 ……でも、どうやってあの人を捜すの? 名前もしらないのに


 私が悶々と考えていると、おじさんの携帯がなった。どうやらメールが来たようで、おじさんは無言で携帯を操作をしていた。

 おじさんは私に携帯を向けて写真を見せた。そこには白衣を来た、大人の外人さんが並んでいる、会社で撮影したような写真だった。


「今、幸ちゃんのお父さんからメールが来たよ、この写真のこの女性をここに迎えにやらせるから、写真で顔を見とけって」

「……なんで隼人がおじさんにメールを?」

「先日メアドを聞かれたからかな? 今日みたいなことを考慮していたのだと思うよ? 今日幸ちゃんに会うことも君のパパに伝えてあったしね」


 ママが死んでから、隼人とは一度も会っていないのに、信のパパに伝言を頼むなんて、あの人は本当に私の親なんだろうか?

 

「隼人はすぐに人を利用する……こんなこと自分で伝えればいいのに」


 私は写真を覗いてうーんと唸った。該当の女性はママと同じ金髪だが、眼鏡をかけていて、少し怖そうな雰囲気だった。

 

「顔って、こんな集合写真じゃ小さくて何がなんだか……あっ」


 私は写真の端に写っている人を見て息を飲んだ。私の様子が変わったので、おじさんも写真を覗く。私の指差す黒髪の青年を見て、おじさんは画像を拡大した。

 

「こいつ甥っ子に似てるなー。しかし髪が長い。男の癖に」

「甥っ子さんですか? この人はどこにいますか?」 

「いや、甥っ子はもうオッサンでね、昔はこんな容姿だったけど、今は太って全然似ていないよ」

「そうですか……」


 沼の人の情報かと思ったのに、違った。

 私はしょんぼりとして携帯をおじさんに返した。


「幸ちゃんはこの人に会いたいの?」

「はい、私この人と、最近会った気がするんです……よく覚えてはいないんですけど……」


 あの人の事を思い出そうとすると、血のついた左手や、暗い沼を思い出す。そして沼といえば校庭に現れた漆黒の闇色の扉、周囲を覆う青い花……そして、血にまみれた校庭の土……。


「……ヒッ」


 私の顔色が蒼白で、手が震えていたので、おじさんはそれ以上聞くのはやめて話を変えた。


「幸ちゃん、ここでは夕飯も一人だろ? おじさんとどこか食べに行くかい?」

「ごめんなさい、あの……私ご飯は今……」


 食べてももどしてしまうので、私はここの所ずっと点滴で飲食を補っていた。

 おじさんは私の顔を見て、おでこに手を当てた。


「幸ちゃんは事件から立ち直れて無いんだよ。犯罪や、怖い目に合った人はみんなそうだよ。体に怪我が無くても、心が怪我をしてるんだ。今度おじさんと心の病院に行こうか」

「いえっ、おじさんは忙しい人だからいいです! 自分でなんとかします!」


 それを聞くとおじさんは苦笑する。


「実は今ね、おじさん暇なんだよ。ちょっと今警察休んでるんだ」

「えっ、どうして? 私のせい?」


 おじさんは笑って私の頭を撫でる。


「コウちゃんのせいじゃないよ、信がいなくなったから、上司が気を遣ってくれただけ」

「……私のせいだ」


 そう言うと、私は顔を手で覆って泣いた。

 おじさんは「大丈夫」と言って、私の肩を抱いて頭を撫でた。私はおじさんにしがみついてしばらく泣いていた。すると背後から突然話しかけられた。


「いーけないんだ、こんなおじさまとデートとかー」


 おじさんはげふっとむせて、私から身を離した。

 振り返ると、モスグリーンのコートを着て、大きなトランクを持った金髪の女性がいた。

 その女性は長い髪を三つ編みにして、頭の後ろでくるりとまとめあげていた。赤いフレームの眼鏡の奥から覗くきつそうな青い目と、真っ赤な口紅が印象的だ。


 おじさんはさっと立ち上がり、警察手帳を出そうとして、所持して無いことに気が付いた。おじさんは苦し紛れに免許証を見せる。女性はそれをしげしげと見た。

 

「あら、隼人のお隣さん……はね、ま、ひろし? 隼人が言ってたわ、噂のヤードね、ふーん、人は見かけによらないわー」

「いえ、ハザマカンジです。貴方は篠崎さんの迎えの人ですね。日本語が通じて良かった」

「語学は得意なのよ。十か国はいける」


 女性は得意気に胸を張り、おじさんにウインクすると、さっと私の隣に座った。

 

『はじめまして、私はアリス。隼人の部下ね。貴方を捕獲しに来たの』


 アリスと名乗る女性が突然英語で言ったので、私もそれに合わせた。

 

『はじめまして、コウです。よろしくお願いします』


 よろしくと言って、私は首を傾げる。

 

 ……この人今捕獲って言った? 聞き間違えた?


 アリスは私を上に向かせて私の顔を触りまくった。


『外傷なし、顔色悪い、隈あり、貧血、やや脱水ぎみ。脈拍早い……はい、あーって言ってみて?』

『えっ?』

『えじゃない、口開けて、あー』

『あー?』


 私が言われるがままに口を開けると、アリスはしげしげと見て、手元の手帳にメモした。アリスはそのメモを閉じると背筋を伸ばしおじさんに向き直った。


「ヤードの方、私はこの子の父親から依頼されたドクターです。彼女を私が勤める学校まで付き添い送ります」

「学校? どこの?」


 私が驚いて聞くと、アリスはトランクからパンフレットを出しておじさんと私に見せた。そこにはイギリスの寮のついている学院について書いてあった。


「イギリスって……私、隼人の家に住むの? 絶対やだ、ムリ……」

「違うわよ。あなたが住むのは寄宿舎。まあ隼人の家から通えないこともないけれど、遠くて面倒よ?」


 私はプルプルと首を振った。隼人の家とかいきたくない。

 アリスは私がずっと握っている缶の紅茶を見る。


『それは何? 飲み物?』

『お茶です。ミルクティー』


 アリスはそれを取ると、プルタブを押して一気に飲んだ。アリスは空になった缶を私に投げ渡すが、缶は受け取れずに床に落ちた。私は慌てて缶を拾う。落ちた缶を見ると、飲み口に赤い口紅がべったりとついていた。私はその口紅の色に見覚えがあった。

 

 ……この人、家に来ているかもしれない。


『あー、甘いーおいしい。あいつコーヒーしか買ってこないし、ファストフードにホットティー無いし、なんなのこの国ー! 日本茶ならわかるわ、日本なんだから、でも何故かコーヒーばっか! ここはアメリカなの? 普通は紅茶でしょー?』


 アリスが早口の英語でまくしたてるので、私はポカンとしてアリスを見ていた。するとおじさんが横から私の手を引いた。


「この人、何と言ってる?」

「あー、日本にはコーヒー屋さんか多いと言ってます。甘い紅茶が好きみたい」


 おじさんはしょーもな……と、肩を落とした。

 私はおじさんから携帯電話を借りて、さっきの写真を出してもらった。私はその写真をアリスに見せる。


『あの、この隅っこの髪の長い若い人はご存じですか?』

『男? なあに、気があるの? 惚れた?』

『違います、この人に聞きたいことがあるの』


 否定する私を見て、アリスはニヤリと笑う。アリスは私の頬を両手で挟んで言った。


『ウサギちゃん、こいつに会わせてあげるから私の言うこと聞いてくれる?』

『……私に出来ることなら?』

『とりあえずは口を開けて、あーん』


 私が首を傾げて口を開けると、アリスはスポイトのようなもので私の口に液体を入れた。数滴だったのでよくわからないが、薄甘く柑橘系の匂いがした。


「それは何ですか? 薬ですか?」


 おじさんはアリスの持っている液体が入った小瓶を指差す。


「単なる経口補水液ね。この子やや脱水してるから。だるいでしょ? 体」

「……はい」

「幸ちゃん、紅茶飲めばよかったのに…」


 おじさんは私に言うが、私は泣きそうな顔をしてうつむいた。


「……ごめんなさい。吐いちゃうから」

「大丈夫、すぐに水くらいのめるようになるから。ダメだったら点滴いれるしねーその辺はまかせて!」


 ウインクするアリスに、私は怯えてうつむいた。おじさんは医者と名乗ったアリスをじろじろと見た。


「あなたは心理療法士なのですか?」

「ん? 専門は脳外科よー。まあその辺気にしないでへーき。ドロブネに乗ったつもりで任せて」

「大船と言ってください、沈みそうだ……」


 苦笑するおじさんに、アリスはニッコリと微笑んだ。


「日本のヤードは、この子のママを殺した犯人に目星はついてるの?」

「……えっ?」


 私は驚いてアリスを見た。

 おじさんは顔色を変えずに「いいえ」と言う。

 

「あら、善良な女子生徒を疑ってると思っていたわー」

「……何か、この事でご存じのことがありますか? なら署に提供して頂きたいものです。私は捜査から外されてますので、他のものが相手をしますが……」


 やさしいおじさんが、突然厳格な顔に変わったのを、私は驚いて見ていた。

 アリスは目を細めて笑う。


「事件の日の、篠崎邸の映像があると言ったらどうします?」


 私とおじさんは驚いてアリスを見た。


「そんなものがあるのか? でも何で……」


 アリスは記載のないDVDをバッグから出して、おじさんの前にチラつかせた。

 

「防犯カメラよ。玄関とリビングの窓辺にシノザキハヤトが設置していたの。時期はネットを引いた日からね。なので期間は短いわ」

「……そんなこと、篠崎氏は何も言っていなかったぞ?」

「ハヤトはこのカメラの事を忘れてるんじゃないかしら? ネットを引いてからは奥様とは殆どパソコンで話してらしたし、愛妻家のハヤトにはちょっと見せられないものがうつってるし」


 アリスは私にそのDVDを渡した。


「映像の殆どが、この子とボーイフレンドがイチャついてるだけの退屈なものよ。音声無し。しかも当日は血がカメラにはねて奥様が亡くなった直後から画像が死んでる。でも、何で死んだかはかろうじてわかるわ」

「……血? 亡くなった……?」


 私は震える手でそのDVDを持っていた。アリスは私に抱きついて、私だけに聞こえるように英語で囁いた。

 

『夢の国の住人は映像には写らないわ。写真にも。だから黒髪の少女の疑いは晴れる。これは彼女を助けるものよ』


 アリスは私の手からDVDを引き抜いた。


「ミスコウ、これをヤードに渡してもいいかしら?」

「人に渡す前に私も見たい……」

「最終日の夕方までならいいわよ。私のパソコンで見られるわ。ちなみにこれは複製だから、渡しても減らないわ、映像は後で部屋でね」


 私が頷くのを見て、アリスはおじさんにデータを渡した。


「ついでに私の名刺もどうぞ。ネットを引きに二度ほど篠崎邸に行ったから、指紋が必要なら日本にいるうちに言ってね?」

「ちなみにいつ日本を立たれますか?」

「三日後に出国予定です」


 おじさんは席を立って、アリスに一礼した。


「すみません、すぐに署に戻ります。帰国後も連絡はつきますか?」

「その名刺にメールくだされば。でも日本には二度と来ないわ。この国紅茶を冷遇してるから」


 それを聞くとおじさんは苦笑した。

 おじさんは私に手を振って、電話を掛けながら、急いでホテルから出ていった。残された私はアリスの手から逃げて立ち上がった。


『あなた、何者なんですか? フレイの夢のことを知っているんですか?』

『私? 私はエディの恋人、あなたたちがサーラジーンと呼んでいる人のことよ』

「えっ……」


 私が向こうに行くことを拒んだから、もうサーと接触することは出来ないかと不安に思っていた。なのにサーの関係者が向こうから私に会いに来るなんて。


 でも、赤い口紅のお客様はこの人で間違いないだろう、これでひとつ謎が消えた。


 しかし、アリスは大嫌いな父親、隼人の部下だと言う。隼人はフレイの夢とは無関係だと思っていたのに、なんでここに来て関わって来るの? 夢の世界の事は、私の頭の中だけにあるのかと思っていたのに……。


 私は、どうしていいのかわからずに、ホテルのロビーに立ち尽くした。そんな私を、アリスは悠然と笑って見ていた。

◇◇

ここで日本編は終わりになります

イジメ絡みのグロ長い話にお付き合いくださってありがとうございました


以前は菊子さんも同級生も死んでいましたが、髪の長い男が勝手に動いて救いあげました(ママは無理だった模様)


事件で主人公(女)がズタボロになったので、二章は人並みに動けるようになるための休憩回(16話)ここの冒頭に出てくる「私」とアリスの職場訪問的な話です


幼馴染みと異世界救済出来るかな?というクソ長い話なので気が向いたらまたお付き合いくださればさいわいです




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