2、(幸)中学校
――幸は夢を見ていた。
それは昔からよく見る夢で、夢のなかの私はとても髪の長い女性の幽霊だった。
世界は同じなのに、時代はいつもまちまちで、人が殆どいない太古の時代もあれば、都市が出来て、沢山の人で繁栄している国の夢を見る時もあった。
その人は幽霊なのに成長していた。私が夢を見るたびに、その女性の視界に入る、自分の手や足の長さが違っていた。
それは時代の流れとある程度一致していて、太古は子どもで、七百年代位には二十才くらいの女性に思えた。
その人はいつも東の神殿と呼ばれる、大きな樹木のある地下のドームにいた。
彼女はそこから外には出られなかったが、神殿にある『遠見の球』という、大きな水晶球から、いつも外の世界を眺めていた。
そんな幽霊の私を見に来てくれるのが、全長七メートルちょいある蛇のような竜だ。竜は『セシル』という名前で、北の国の守護竜をしているという。
セシルの体は白く美しい鱗で覆われていて、ドームにある疑似太陽の光を受けて、キラキラと虹色に輝いていた。鼻先に光る白い角と、虹色に光る背びれが美しい竜で、私は彼女がとても好きだった。
彼女は私を『フレイ』と呼び、頻繁に様子を見に来てくれた。
私は彼女の語るその世界の話が大好きだった。彼女の視点で見る北の国はとても美しくて、彼女が仕えている王様も凛々しくて格好良かった。
夢の中の私は、地下神殿から、永遠とも思われる長い時間をかけて、その世界を見守っていた。
◇◇◇
「……ん」
目を覚ますと、そこは教室で、授業中のようだった。
私の居眠りは病気だということで、学校で容認されていた。しかし寝ている生徒がいるのは、生徒からも先生からもよく思われてはいないようで、その時もヒソヒソと陰口を叩かれた。
嘲笑を聞き慌てて隣を見る。どうやら今は英語の時間のようだ。私は教科書とノートを出して、黒板の板書きを急いでノートに写した。
すると教師が私の名前を呼んだ。
「Miss Sinozaki,You must read the textbook.(篠崎さん、教科書を読みなさい)」
「えっ、どこ? 何ページ?」
寝ていた生徒の指名に「ざまあ」「寝ていたからだ」と教室でクスクスと笑い声が聞こえてくる。
ページ数が分からず困っていたら、後ろから信が「四十八ページの五行目、Originallyから」と教えてくれる。
私は席を立って、その箇所を早口で読んだ。
「Originally,food stamps were made of paper.These days,many states have started to use electronic cards as food stamps……」
「早すぎる。聞き取れない」
……しまった。
信の独り言が耳に入って、頭から血の気が引く。
普段から聞き取りにくいと信から言われる私のリーディングなのに、声までも小さかったらしい。
「Oh……sorry,I speak slowly again(すみません、もっとゆっくり読みます)」
「篠崎さんはもういいから、同じところを佐久間さん、読んでください」
……再チャレンジも出来ずに終わった。授業中に指されることなんて滅多に無いのに。英語は唯一点が取れる教科なのにー。また信にイヤミ言われるー。
私はがっかりして席に座った。代わりに委員長が同じ箇所を読む。委員長の読み方は、単語のひとつひとつがはっきりとしていて、文字がとても分かりやすかった。
英語で午前中の授業は終わったので、私は廊下で手を洗い、配布される牛乳を貰って自分の席でお弁当を広げた。
まわりは席を動かしたり、グループでお昼を食べているが、私には関係の無いことだ。このクラスで食事を共にするような生徒はいないし、さっきまで見ていた夢の私を思うと、ひとりでいることはなんでもない。
自分の席でいつものようにサンドイッチを食べていると、前の席の男子が椅子に反対向きに座って、じっと私を見ていた。
……えっ? なんか見られてる?
前の席は誰だっけ? 信は後ろ、委員長の菊子さんは隣に座っていたことは覚えているけど、前は誰か分からない。
顔を上げて誰なのかを確認するのも怖くて、私は顔を髪の毛で隠して、ひとり黙々とサンドイッチを食べていた。
「コウちゃんパンなんだねー、俺もパン、お揃い」
「ヒッ!」
……しゃべったぁ!? 前の人、明らかに私の名前を呼んだ、これは返事をしないとダメかな?
恐る恐る顔を上げると、茶髪のヒョロっとした背の高い男子が、菓子パンを食べながら、キラキラした目で私の弁当箱を覗いていた。
目が合うと、男子はニッと歯を見せて笑う。
……そうだ、この人は多分班の人だ、さっきノートに名前を書いた。この人の名前はヨシダタケシ、たしか下の名前で呼べと言った人だ。
心の中でタケシタケシと復唱する。よし、タケシクン覚えた。菓子パン大好きタケシクン。
「玉子焼きおいしそう」
「えっ?」
吉田がそう言って玉子焼きを見つめているので、キュウリにさしていた赤い楊枝を玉子焼きに刺して「どうぞ」と差し出す。
吉田は幸の行動に驚いたが、パカッと口を開けた。私はその口に玉子焼きを押し込んだ。
吉田は何故か目をうるませて、しばらく私を見ていた。
……目を合わせたら次を要求されるかもしれない、怖い。
私はとにかく視線を合わせないぞと下を向き、急いでサンドイッチを食べた。
「吉田、席間違ってるぞ」
教卓に牛乳を取りに行っていた信が戻って来た。信は吉田の椅子を引きずって後ろの席に連れていく。
カラスのように虎視眈々と弁当を見る男子から解放されて、私はハーッと息を吐いた。
……助かった。おかずを全部あげなきゃいけないのかと思った。
息を吐ききって、目だけを動かしてクラスを見る。私を見ている人は誰もいなかった。
自分的には、昼食時に男子生徒か接触してきた事は大事件だったが、クラスメイトはまったく気にせず、友人と楽しく昼食を食べている。
学校で目立つと信に怒られるのだ。今年は同じクラスだし、信には怒られないように注意をしないといけない。
私はドキドキとうるさく鳴る鼓動を押さえて、空の弁当箱を仕舞い鞄に詰めた。
昼休みの生徒がざわめく廊下を抜けて、私は図書室に向かう。
図書室は私語も飲食も禁止をされているので、静かに過ごせる暇潰しスポットだ。日本語の本だけでなく、英語のペーパーブックなどもあって、棚の端から読んでいくのが楽しい。
私は壁際のすみっこに座って、適当に取った本を広げた。本の中で小さなピンク色の豚が、大きなハンマーで杭を打っている。
……デルイクハウタレル。
これは中学生になるころ、信が言い出した慣用句だ。英語では同じ意味の慣用句は無いが、目立つと攻撃されるとか、そんな感じだ。
はじめて聞いたときは、デルクイさんは打たれて可愛そうだな。とか思ったが、今はちゃんと意味を理解している。おそらくだけど。
他の学年に外国籍の生徒は結構いるのに、何故か私の学年には少ない。
そんな理由で、私は只でさえ目立つのに、どこでも寝オチする病気のせいで、クラスでは完全に異物扱いをされているらしい。
……ここは異物ではなく、認識出来ないほど薄くなりたい。そうしたら信に迷惑がかからないからね。
幼稚園の時にこの国に来てから、信は私の指針で理想だ。信はなんでもこなすし、生徒だけでなく大人とも会話出来る。信はおにぎりも作れるし、木登りも壁歩きも上手だし、近所の裏道も網羅しているスゴイ人なのだ。
小さい頃は何でも信の真似をしていたが、大きくなって理解した。私の能力では信と同じことは出来ない。梯子上りも木登りも、落ちて痛い思いをして体で理解した。
なので今じゃ真似をしようなどとおこがましい事は願わず、「信に迷惑がかからないように生きよう」。という消極的な目的に変わっている。
……信になりたい人生だった。
フウと息を吐いて窓を見る。
信が言うには、「寝落ちするから学校に行きたくないという選択肢は無い」、「小・中学校は強制」らしいのだ。
……だったらあと一年と半分だけ、信に手伝って貰って通学して、あとはお家でママと過ごせばいいかな?
寝落ちで迷惑がかかる分、クラスではフレイのように幽霊になろう。私は信にはなれなかったけど、夢の私にならなれる気がする、あと一年半だけ、通学頑張ろう。
私は空行く鳥を見て、唐揚げか竜田か南蛮か……あー、タルタル南蛮もいいなー、ママは何を買ってくるかなー、などと、のんきに夕飯のおかずを考えていた。