28、最終日
久々に見たフレイの夢から醒めると、なんだかくすぐったい。
私の頬にやわらかくあたたかい手が触れている気がした。くすぐったかったので、避けて寝返りをうつと、それが口の中を舐めたので、私は驚いて目を覚ました。
「えっ? 何、今の信?」
私はやみくもに顔の前で手を動かす。やわらかい毛が手にあたり、アレクが舐めたのだと気がついた。
『アレク……』
……補給か。
私は体を起こすと、黒猫をそっと抱きしめた。
……うーっ、ドキドキする。多分昨日のキスのせいだ。アレクには私の考えている事が筒抜けるのに、この動悸は恥ずかしい。
私が猫を床に置いて、ゴロリと布団に寝転がると、ソファーにいた信と目があった。
……そうか、昨日はリビングにお布団敷いて寝たんだった。
私を見る信の目がメチャクチャ冷たい。これ、説教が来るパターンだ。
「お前な……」
朝から怒られるのは回避したいので、私はアハハと笑って「オハヨー」と話をそらす。
「信、ママはどこ?」
信は指をキッチンに向けた。ママは朝から隼人と通話中みたいだ。
私はリビングの床に敷いていた布団を片付けてシャワーを浴びた。パンとプリンとオレンジジュースを持ってリビングに戻ると、信が新聞を読んでいた。
「君はおっさんみたいだねぇ」
そう言って私は信の隣に座った。猫も私の足元で丸くなる。
「家だとパソコンで見るけどね、この家は誰も読まないのに三社も新聞とってるからな」
「ママは販売の人を断れないんだよ。しょーがない、お金は隼人が払うし、新聞社は儲かるし困る人はいない」
新聞の配達員さんは朝日観賞の時に屋根からよく見るけれど、毎日ご苦労様です。
「あっ! また朝日見るの忘れた。最近うっかりが多いなー」
「朝から人の事を痴漢呼ばわりしたりとかな」
「う……」
信は新聞から視線を外さずに言う。
「言っとくけどな、キスしてくんのは大概お前からだからな?」
私は土下座したい気持ちで、信に頭を下げた。
「ゴメンね……もうしないよ……お詫びにプリン食べる?」
「もう歯をみがいたから」
「とりつくしまなし」
昨日の公園での失態をなんとか償いたいけど、信は話を聞いてくれる感じじゃないな……どう言えば許してくれるのか。
「毎度毎度好き勝手やって、ごめんね」
「謝らなくていい。好きな人にキスされて、怒る男は多分いない」
「……うわあ……そ、それは、はじめて言われた……」
「そうだっけ?」
私はうんうんと首を縦に振る。
信は昨日ママには言っていたけど、私に向かって好きだと言った事は無い。
「信はママや菊子さんみたいな美人が好きなのかと思ってた……」
「菊子は断ってるし、ママは既婚者で、あの通り隼人さんに夢中だ」
げせぬ。と唸る私の額を、信は指ではじいた。
「別に今まで通りでいいよ。幸が何と言おうが俺は幸の側を離れるつもりはないから」
「それは、危険なんだけどな……」
ううーと悩む私の頭を信はポンポンとはたいた。
「しかし竜ってすごいな、朝に猫に顔を踏まれたんだが、この口治った……」
「えっ? アレクは君にもキスをしたの?」
私が驚いて言うと、猫が返事をした。
『否、現在サーが半覚醒している。サーにリンクすることで、その男の成体ナンバーを取得した』
『サーは起きているのかぁ……。ってアレっ? サーってこの世界にいる人なの?』
『いる』
『そ、そうなの……』
異世界の神様がこの世界にもいるらしい。私が驚いていると信が聞いてくる。
「猫は何て言った?」
「あのね、サーというあの世界の神様ってこっちの世界にいるんだって。今半分だけ起きているからあっちの世界のように情報を得られるみたい」
「情報ってどんな? サーの本名とか現在地とか?」
気分は通訳者だ。私はアレクを見る。
『アレク、サーの現在地は分かる?』
『この島にはいないようだ。距離はかなり離れている』
「日本にはいないんだって」
信はうーんと考える。
「俺は幸の言う髪の長い男がサーだと思っていた。日本にはいないというなら、違うんだな」
私は池の髪の長い人を思い出してエヘヘと笑う。
「サーが目の前にいたらさすがに分かると思うよ? その点あの人は信や信のパパに似ていた、サーじゃない」
「結局その男はその後会えなかったな。色々聞きたいことがあったんだが」
「何を聞くの?」
「あの人口分布とかを掲載していたサイトを作りましたか? って」
「あれはサーが作ってるんじゃないの? 凄く詳しかったよ?」
信は腕を組んで考えていた。
「異世界の内容は詳しくても、ソースコードが若いってゆーか、素人臭い感じなんだよな……フォントとか画像埋め込みだったし、急場凌ぎ感溢れるというか」
……このソースは調味料じゃないよね、うん、専門用語は分かりません。
私は食べ終わった皿を食洗機に入れて戻ってくる。
「赤い口紅のお客様と、長い黒髪のお客様。あと池の男の人はわからないまま終わりそうだねぇ」
「いや、ピリオドを打つのは早すぎるだろ。髪の長い男は発見次第追求する」
「平和にね、目の見えない人なんだし」
「いや、そいつ目は見えてるよ。杖を持たずにコンビニに入るのを見たことがある」
信は首を傾げたまま何かを考えていたので、私はその隙に一通り準備を終えて、キッチンにいるママに挨拶をした。
するとママはタブレットを私に向けた。タブレットの画面からイギリスにいる父親が手を振っている。
「(お早うコウ、お前はいつまでたっても育たないなー小学生みたいじゃないか)」
私は何も答えずにタブレットをママに返した。
「ハヤトキライ!」
大声で言うと、向こうに聞こえたようで、ケタケタと楽しげな笑い声が聞こえてきた。ママはタブレットを置いて、私に近付きそっと抱きしめた。
「ママ?」
私がどうしたのか様子を伺うと、ママは笑って「フアンテイデス」と言う。私はママの背中に垂れるふわふわの髪を揺すってママにハグした。
「ママ、遅れるからもう学校に行ってくるね。今は便利な道具があるから、いつでも隼人にあえるね、良かったねぇ……」
「…………」
ママが私をハグしたまま何も言わないので、私はどうしようか困っていた。
「幸、もう出るよ」
信がキッチンに顔を出したので、ママは私から手を離し、信にもハグをした。
「ママ、私学校休もうか? なんか心配……」
私がそう言うと、タブレットから隼人の声が聞こえてきた。
「義務教育中でお邪魔なお子様は速やかに学校に行け」
「……はいはい、じゃあ行ってきます」
私はママにタブレットを持たして、手を振って家を出ていった。
空はからりと晴れて、風が秋風を運んでくる。私と信は緩く長い坂道を並んで歩いていた。
「ママの様子が明らかにおかしかったな」
「隼人に会いたい病じゃないの? ママは隼人大好きだからなぁ……」
「それがな、隼人さんが二週間向こうに来いと言うのを、ママは断っていたんだ」
「ん? ママは隼人の言うこと断らないでしょ」
信はうーんと唸る。
「そのやりとり、俺の目の前でやったからな。ママは日本語でキッパリと断っていたよ」
「……それは信じがたい、ママは隼人まっしぐらなのに」
「まあ、ママは家の中だし、常時通話可能っぽいから大丈夫か、危ないのはこっちだ……」
信は考え事をしながら歩いているようで、私より少し早い。私は猫もいるし、いつものスピードで歩いていたら、信が私から離れているのに気がついて戻ってきた。
信は真剣な顔で私を見る。
「幸が俺を避けていた理由は何? 知ってることを全部話して?」
「あー……うーんとねぇ」
私は言うべきか悩んで、打ち明ける事にした。
「今回あの世界とこの世界をつなぐ扉は比較的大きいんだって、だから君も通れるかもしれないと言うこと」
「その理由では避けないだろう」
「異界渡りは危険が伴うって。扉を開ける糧と、通行料みたいなものを取られるんだって。アレクは出られなくて三百年くらい真っ暗な所に閉じ込められていたの。そーゆー危険が……あるらしい……です」
話を聞く信の顔が段々険しくなったので、私の足は止まった。
「コウ……」
「ほらね、怒ると思った。だから言えなかったんだよ……」
静かに怒る信が怖すぎて、私は後退り坂を上る。信は逃がすかと、私の手をつかんで引いた。
「俺の危険とか、そーゆう問題じゃない、幸自身がもうヤバい。何でそれでお前が行かなきゃ行けないんだよ?」
「ほら、フレイが町を砂漠にしちゃったからだよ……向こうに助けたい子どもがいるとか……そんな感じ?」
私が冷や汗をかいて笑うと、信ははーっと大きくため息をついた。
「もういい、やめろ。お前はフレイじゃない、篠崎幸だ。フレイの罪をお前が背負うことはない」
「でも……」「でもじゃない」
信は私の言葉を遮って、手をぐいっと引っ張った。
「俺達の住む世界はここで、戦場は学校だ。扉を開けて竜を帰して、秋から受験勉強、もう幸は昼間寝ないんだから全日制の高校に行くよ、その為にこの件は今日で終わらせる」
「……うわ、その明日はちょっとやだなぁ」
「日本史と古文、数学も真面目にやらせるから」
「……ぐえ」
私は明日からの勉強宣言に臆して何も言わなくなった。信は私の手を引いて、私を学校まで連れて行った。
……行かないなんて選択肢を私が選んでいいのかな? この世界に来るのはかなり遠くて危険な道のりらしいのに、わざわざ来てくれたアレクを手ぶらで追い返していいの?
私が口に出さずに考えていたら、腕の中にいるアレクが口を開いた。
『私はNo.5とは違って、フレイの手伝いをしろと命じられている。フレイが我々の帰還を望むならそれに従うまで』
『アレク……』
アレクがフレイのことだけを見てきた年月を思って、私はいたたまれなくなった。
……私はフレイじゃないから、コウだからといって、この子達を無下にしてもいいの?
私は遥か彼方にいるらしいサーラジーンを思って、空に問いかけるが返事は無かった。
◇◇
……幸が俺をここに置いていこうとしている。
今日は扉が開く最終日だというのに、幸は隙あらば俺から逃げようとしている。
話を聞くと、白竜が危険だからだけではなく、異世界渡りそのものに危険があるようだった。
……キャンセルだ、キャンセル。扉が開いたら猫とあの化け物を叩き込んで閉めてやる。
燃えるような憤りにまかせて、幸の手をグイグイ引いて歩いていたら、途中合流した吉田に手を繋いでいる事を指摘された。
「シンちゃーん、あんたら目立ってるよー」
いつもの調子でヘラッと笑う吉田に、俺は眉を寄せて言う。
「いいんだよ、引っ張らないとこいつ学校サボるから」
「ゴメンね吉田くん、信は今怒ってるの。こうなったら何言っても機嫌なおらないよ……」
吉田は二人に合流して、楽しそうに俺の顔を覗く。
「あー、スマホを学校に持ってきてよければなー、機嫌が悪いレアなシンちゃんを録画したのに」
「吉田……」
俺が呆れて吉田の方を向くので、その隙に幸は手を振り払って、全力で前に向かって走った。
「ああっ、吉田が絡んでくるから逃げられた」
「信、もう校門前だし俺らの行く先は同じじゃん? 追いかけなくてもいいって、肩の力抜きなさいよ」
「……うっ」
俺はしばらく吉田の顔を見て、フーッと息を穿いた。
「俺キレてた? なんかおかしかった?」
吉田はポンポン俺の肩を叩いて前に進ませる。
「まあ、自然体でいきましょー、力入れすぎると何事もうまくいかないよ? 人間万事塞翁が馬よ。お気楽に波に乗ろうぜ」
そう言って笑う吉田を見て俺は笑った。
「いかなる時にも自然体ってすげー難しい。お前のそーゆーところだけはすごいと思う」
「だけって、俺ほどネットとアニメに詳しい中学生はいませんよ? 俺のいいとこちゃんと見てあげて!」
吉田がえへんと胸を張るので、俺は失笑した。
「はいはい、また面白いのあったら教えて」
「まかせろー」
吉田と話していると、さっきまでピリピリしていた自分が馬鹿らしくなってきた。俺はこの日常を取り戻すために今日を乗りきろうと決意した。
俺と吉田が教室に入ると、クラスメイトが一斉にこっちを見た。
俺は何かの勘違いかと思ったが、視線は俺に付きまとい、ヒソヒソと話し合う声が耳に障った。
先に行った幸を見ると、机に寝るように顔を伏せ、生徒を完全に遮断していた。
……何かあったか?
警戒しつつ、俺はクラスを見回す。すると中央後ろの棚で立ち話をしている女子が俺に声を掛けてきた。
「ねえ、羽間くんと篠崎さんが公園にいたって噂になってるよ、なんかキスしてたって」
「うんうん、それユミからきいたー」
……ユミって誰だよと思いながら、俺は笑顔で答える。
「公園にはいたけど、他は見間違えだと思うよ?」
「ユミは見たって言ってたもん」
「確かに昨日篠崎さんと、公園で班の話をしていたけど、あの公園に人はいなかったよ、道から見たとしても遠いよね? 見間違えでしょ?」
「えーでもー」
俺はきっぱり否定したが、クラスメイトは納得していなかった。
菊子に告白された日に、返事も返さず他の女とキスをしているところを目撃されるとか、とんでもない事だ。菊子ファンに恨み殺される。そして、男に恨まれるのは納得出来るが、女子が怒っているのがワケわからん。
今どーゆー状況になってるんだ?
俺が菊子を振って、なんで女子に恨まれる?
この状況はまずい、六年の再来になりかねんと俺が身震いをしていると、菊子が教室に入ってきて席に座った。
「おはよう委員長、法事おつかれさま」
俺が言うと、菊子は少しだけ俺を見て小声で「おはよう」と言った。
横目でチラリと菊子を見ると、顔色が白く、手が震えていて今にも倒れそうだった。
「委員長具合悪い? 保健室行った方がいいんじゃない?」
俺が言うと、菊子はビクッと驚いて俺を凝視した。
……何? 何か変だ。
顔の黒い女とは違う違和感を菊子から感じて、俺はどうしようか躊躇った。
「結局電波でなく委員長なわけ? 羽間ー」
クラスの男子から野次が飛ぶ。
……俺が二股をかけているようにとられたのか。だから視線が集まるんだな。友達でもないのに他人の恋愛ごとに介入してくるとか、暇人どもめ。
俺が様子をうかがっていると、菊子の友人が立ち上がり、菊子を保健室に連れて行った。
◇◇
授業が始まってすぐに、私がビクッと震え、身を起こした。私は辺りを伺ってキョロキョロしていたが、視線を外に固定させた。
顔はなるべく動かさず、目だけを外に向ける。校庭と校舎の間に植えられている大銀杏の天辺に白い大きな鳥が止まっていた。
私は心の中で猫に話し掛けた。
『……アレク、レアナを見張って。生徒を、人を傷つけないように配慮して』
『戦闘は?』
『自身を守る程度なら、場所はよく選んで』
私は教科書の影でカッターを出して、指を切り、猫に血を与えた。私のまわりが一瞬光ったが、光が見えたのは私だけのようだった。
光が消えると、猫は開いた窓から外に飛び出して行った。
◇◇
菊子は単なる貧血だったようで、二時間目には戻ってきたが、教室の雰囲気は険悪なまま変わらなかった。
昼の休み時間もぶっ通しで机に伏せる幸に、空気が読めない吉田が後ろを向いて、幸の髪の毛にイタズラをしていた。
「吉田、何をしている……」
「これ、ガチャで出てきた。皆で見たアニメのキャラがつけてたやつ、寝てるときがチャンスじゃん?」
吉田はプラスチックの宝石のついたリボンをせっせと幸の髪にくっつけていた。
「やめろ、没収されてしまえそんなもん」
幸は寝たふりをしているだけなので、吉田が頭にさわる度に肩を震わせていた。幸は吉田の隙を見て、パッと立ち上がって教室を出ていった。
多分髪飾りを外しにトイレにでも行ったのだろうが、チラリと見た幸は、頭の両脇に髪が結ばれて、それが走る度に揺れて可愛かった。
「あ、似合っていたのに逃げた」
残念そうな顔をする吉田の足を蹴飛ばす。教室を見ると、他の男子も幸を見ていたようで俺は少しイラッとした。
……起きて前を見ている幸は可愛いだろう、そうだろう。だから見るな。
俺は頬杖をついてふて腐れていた。
それきり幸は教室に戻って来なかった。




