1、(信)中学校
「ありがとーごさいましたー!」
剣道部の朝練習が終わり、部員一同で礼をする。
俺は先輩に言われて道具を片付けていた。
剣道は礼に始まり礼に終わると言われ、礼儀や掃除、道具の扱いには厳しかった。でもこの背筋が伸びる感じが、真面目な自分に合っていて心地よいと思う。
俺は小学校の頃、クラブは球技を選んでいた。しかし、女こどもだけの家に必要なのは強さだと思って、中学は武道にしようと決めていた。中学には父親がやっていた柔道部は無かったので、全くやったことのない剣道部に入った。
俺が用具室から出ると、入れ違いに女子部員が入ってくる。
「羽間くんおっはよー」
「おはようございます」
女子部の先輩方もにこやかに声をかけてくれるので、俺も笑って挨拶をした。
「きみっていつもニコニコしているのね」
背後からそう聞こえたので振り向くと、同じクラスの女子がいた。その子は汗を拭きながら微笑んでいた。
「佐久間さん、おはよう」
俺が笑うと、彼女もフフッと笑う。
佐久間菊子という名前のこの人は、俺よりも少し背が高い。彼女は長い真っ直ぐな黒髪を、目の上と腰辺りでパッツンと切り揃えた、日本人形のような髪型をしている。
常時脱力ぎみの幸と違って、キリッとした切れ長の目と、太めの眉が形よく揃っている美人さんだ。
佐久間菊子は、同じ学年の男子の間ではとても人気のある女子だ。
朝練は時間がないので体操着だが、午後の練習の剣道着はとても似合っていて、見惚れるくらい綺麗な人。
佐久間は父親も兄も剣道をやっているらしく、初心者の俺とは違いとても強い。団体戦では先鋒だが、もうすぐ部長に選ばれ、大将にもになると言われていた。
性格は俺よりもずっと真面目で、クラスでは学級委員長をしている。まあ俺も副委員長なんだけど。
佐久間菊子は文武両道を地で行く秀才だ。
俺はその女子の事が気になっていた。
それは幸に対する気持ちとは別で、佐久間菊子の容姿が仏壇にある写真に似ているからだと思う。
……いや、死んだ母と女子中学生が似てるっていうのは双方に失礼な気がする。
俺は道具を仕舞うと、思考をリセットしようと、首にかけていたタオルでゴシゴシと顔を拭いた。
「あ、そうだ」
俺は出ようとしていた用具室に向き直る。
「佐久間さん、篠崎幸が数学のプリントに困っていたから、暇があったら見てやってくれないかな」
佐久間は用具室から出てきて、壁まで俺を押して、部員から距離を取った。
「篠崎さん……昨日先生があなたに渡していたプリントね。何故羽間君に渡したのか気になっていたのよ」
小声で話す委員長を見て、俺は言うか言うまいか悩んだ。
「えーっと、篠崎幸がウチのとなりに住んでいるのを先生が知っていたからかな?」
佐久間はきょとんとして瞬いた。
「あなたたち、幼馴染みなの?」
「うん、でもまあ、篠崎はよくいじめられるから、秘密にしておいてくれたら助かる」
佐久間はしばらく考えて、こくりと頷いた。
「分かった。注意しておくわ。もし物損とかがあったら教えてくれる? 対策するから」
……器物損壊のぶっそんか。物理的損害。ノートにイタズラされたり、靴や私物を隠されるやつだな。六年の時に幸がよくやられていた。
委員長みたいな、クラスのリーダー的立ち位置の女子が対策してくれるとか、マジでありがたい。
俺は感心し、佐久間にペコリと頭を下げて体育館を出ていった。
◇◇
男子部員の姿が消えると、用具室の中から女子部員がワラワラと出てきて、みんなして佐久間を冷やかした。
「朝からモテるねー菊子!」
「そ、そんなんじゃないわよ。用事を頼まれただけ」
「いーのいーの、わかってるって。あのこかわいいからね!」
「違うってば、もー」
しばらく女子部員でワイワイと話していたが、予鈴が鳴ったので、全員急いで教室に戻った。
◇◇
俺がクラスに戻ると、後ろの席の吉田が背中にのし掛かってくる。
「シンちゃん、朝からお疲れ!」
吉田は中一の時から付き合っている友達だ。俺よりも背が高く、ひょろ長い体型をしている。色素が薄いのか髪色が茶色い。
吉田はゲームやネットや特撮に詳しくて、俺はよく、吉田の兄が所有しているソフトを貸してもらっていた。
「シーンくーん。数学のプリント見せてー!」
吉田は俺の背中にずしりと体重を乗せる。
「重い吉田。お前が俺に危害を加えている今、なにかを貸すことは絶対にない……」
それを聞くと吉田はぱっと俺から離れる。
「危害を加えないのでプリントを写させてください」
「ハイハイ」
俺はしょうがないなと鞄を開ける。
同じことを幸に頼まれた時は渡さなかったが、吉田はかまわない。それは吉田の成績がどうなっても俺には関係が無いからだ。吉田よ、思考放棄して答えを丸写して、好きなだけ成績を落とすがよい。
「あ……」
そのプリントは筒状に丸められて、しかも折り目がついていた。
……しまった。朝これで幸の頭をしばいたんだ。
「吉田、貸すついでにこれ伸ばしておいて」
俺は丸まったプリントを吉田に投げた。
出欠前の朝のクラスはいつものようにざわついていた。宿題をしたり、昨日のテレビの話をしたりと、担任が来るまでの時間を各自楽しんでいる。
俺は考え事をしているふりをして、顔の前に手を組んで、指の隙間から教室にいるはずの幸を探した。しかし幸の姿は無く、ロッカーや机に鞄が掛かっていなかった。
……休んだ? 何で?
俺は後ろを向いて、吉田に耳打ちする。
「吉田、今日はシノザキコウを見た?」
吉田も面白がって小声で話す。
「見たよー。なんか廊下で寝ていたらしく、保健室に運ばれてた」
「……うわぁ」
……朝っぱらからまた寝る病気が出たのか。それがもし悪夢だったら厄介な事になるな。
俺はすぐにでも様子を見に行きたかったが、担任が入ってきたので諦めた。
◇◇
お隣の同士の幼馴染みの男女。羽間信と篠崎幸が、学校でも仲が良かったのは小学校までだった。
六年生までは登下校も一緒だったが、六年で幸がハブられたときから事情が変わった。
俺は幸をかばったが、「男の影に隠れる女はウザイ」ということで、イジメに拍車がかってしまったのだ。
あのときの、女子の集団心理に俺はほとほと困らされた。
集団女子の怖さを嫌というほどに思い知ったので、中学では目立たないよう、幸とは別行動をしている。
でも登校中に倒れる程に酷くなっているならまた考え直さないといけないかな。
……うわぁ、心配だ。保健室に行きてぇ。そして心行くまで幸の頭をもふりてぇ。
俺は教科書を机にしまいながら、心のなかで幸の事を思うが、態度には一切出さなかった。
出席がとり終わる頃に、佐久間菊子が幸を連れて教室に来た。
「委員長、助かるよ」
担任が佐久間にお礼を言ったので、俺は担任が委員長に幸の面倒を頼んだのだと推測した。
佐久間は寝ぼけている幸を席に座らせて、背負っていた幸の鞄を机の横に掛けた。幸は半分寝ているようでふらふらしていたが、しばらくすると机に突っ伏して寝てしまった。
俺は斜め前にいる幸の寝息に耳を傾けて、悪夢は見ていないようだと、胸を撫で下ろした。
教室がざわめく中、担任が黒板に「席替え&班編成」と書いた。
今日のHRは秋の遠足に向けての班編成らしい。しかもくじ引きではなく自由編成だとか。
担任の掛け声で、クラスメイトが友達同士にまとまり、いくつかのグループに分かれる。俺は吉田の肩を押さえて、ギリギリまで動かないでいてもらった。
――班は三人以上、六人未満。
この流れだと絶対にぼっちになるだろう幸を、余り枠で自然に拾うことができる。
皆がキャアキャアと騒ぐなか、男ふたりでじっとしていたら、案の定、男ふたりと幸は余って先生に呆れられた。
「他にも余ったヤツいるかー?」
先生が呼び掛けると、スッと手が上がった。佐久間菊子は、凛とした顔で手を垂直に上げていた。
「なんで? 委員長友達多いのに」
吉田の言葉に俺は頷いた。
「じゃあ余りは合体な! 仲良くしろよ」
担任がそう言うと、班の代表が黒板前に集められ、席順を決め黒板に名前を書き連ねた。それを見ながらクラスメイトは席を移動をした。
「よろしくね」
佐久間が俺の前の席に来て、フッと笑った。吉田はニヤついて手を振り、美人の佐久間を歓迎していた。
俺は委員長と二人、寝ている幸の席移動をしながら聞いてみた。
「何で委員長余ったの?」
佐久間はフフッ苦笑う。
「懇意にしているグループが定員オーバーだったのと、朝に君から話を聞いた篠崎さんが寝ているのが気になって、気が付いたらあぶれていたわ」
「うわ、変な事を頼んでゴメン、篠崎には後でプリント写させるからもう気にしないで」
「いえいえ、一日一善が家訓ですから、篠崎さんのでクリアしておくわ」
「なにそれ」
「佐久間家の掟よ、厳しいの、ウチは」
……保健室から幸の移動、今現在の幸の移動と、既にふたつ善行をこなしている気がするんだが、本人が率先してやってくれるのなら任せよう。
幸本体の移動も委員長がやってくれたので、俺は有り難いと委員長を拝んだ。
席順は窓際の後ろから俺、幸、吉田と並び、俺の右横が佐久間になった。はじめは一番目立たない最後尾に幸を置こうかと思ったが、後ろだと何かあっても気がつかないので、俺の前にした。
よく騒ぐ吉田と、よく寝る幸の問題児二人を、委員長、副委員長が監視する体制だ。
佐久間委員長というクラスの人気者が間にいるなら、六年のときのような惨事はおこらない。よかったよかった。
俺は新しい席に座ってフゥと息をはいた。
HRが終わった休み時間に、吉田がノートを丸めてメガホンのようにして幸に話しかけていた。
「篠崎さーん、シノザキサーン、反応無いなぁー、コウちゃーん!」
「……ハッ!」
コウと呼ばれて幸は頭を上げた。そして寝ぼけたままキョロキョロと辺りを見回す。
幸の目の前には吉田がいて、幸の机に肘をつけてニヤニヤと笑っていた。
「コウちゃん、オハヨ」
「……おはよ?」
幸は首を傾げて吉田に返事をする。明らかに、吉田が誰か分かっていない様だったので、俺は助け船を出した。
「おはよう篠崎さん。よく寝ていたね。ここは学校で、一時間目のHRで席替えがあったよ。うちの班は篠崎さん、佐久間菊子さん、あと俺とこの吉田だからよろしくね」
幸は何度も頷きながら、ノートに名前をメモしていた。
「コウちゃん、俺のことはタケシって呼んで? あとあれはシン。あの人はキクコだよ、よろしくね」
幸はしばらくオロオロしていたが、意を決して吉田に話し掛けた。
「ヨシ……タケシくん? あのね」
「ん、なーに?」
「ノートを広げたいから、腕をどかして」
たかが吉田相手に、勇気を振り絞って、必死に話す幸を俺は無表情で見ていた。
……どこの借りてきた猫だよ。
家では短パン姿で屋根に上がり、笑って跳ねて回っている幸は、学校にくると大人しくなる。顔を髪で隠すように下を向いて、オドオドする。
……小学校までは学校でも明るかったのに
まあ幸も六年の時の集団女子を気にしているんだろう。その気持ちはよく分かる。
「篠崎さん、数学のプリントやった? 今日提出だけど」
委員長が幸に声をかけてくれる。しかも朝にお願いした事だ。これはありがたい。
幸は真っ赤になって下を向いた。幸の髪の毛が顔にかかり、顔が完全に見えなくなった。
「少しやったの。でも分からないところがあって……」
「どこ?」
委員長は幸に優しく教えていた。俺も安心して、吉田の席の横に移動した。
「……いいねぇ……和風美人と人形みたいなコウちゃん、かわいいわーお似合いだわー、コウちゃん顔赤いわーもしかして 百合なん?」
俺は足で吉田の椅子をつつく。
「二次元と現実をまぜたらだめだ。それよりお前もワーク埋めとけ。また写すはめになるぞ?」
「頼りにしてますが?」
「ほら広げて、いまやろう」
俺は勉強をする班の女子を横目で見ながら、吉田の勉強を手伝った。
朝渡した数学のプリントが埋まったらしく、幸がニコッと笑って佐久間を見た。
「ありがとー菊子さん」
「どーいたしまして」
佐久間は下の名前呼びに一瞬反応して、ぱっと顔を赤らめたが、すぐに元に戻った。
「いいわーこの班。生きてて良かったー」
吉田は女子二人を見てニヤニヤしていた。
左から、信、幸、エレンママ(上)、佐久間菊子、吉田