25、父帰る
カチャカチャと、静かな家に食事をする音が響いた。
信が交差点で何者かに襲われてから、信は篠崎家には来ていない。ママと私、二人で夕食を食べていたら、ママは寂しそうに言った。
「(シン、来ないネ)」
「(信はまたゲームをしているみたい、ゲームが好きだから、すぐに食べるの忘れるよ)」
私が答えると、ママは寂しそうに笑った。
私は夕飯の後片付けをしながら、弁当箱に夕飯の残り物をつめた。元々私もママも揚げ物は苦手だが、信が好きだから篠崎家の夕飯にはよく出される。その信がいないと食べきれないのだ。
ママがお風呂に入っているのを横目に見て、私は二階のベランダに出る。木を登ろうと手すりに上ると、猫がトトッと背中に乗ってきた。
『夜にアレの部屋に行くのは止めろ』
『ひゃっ!』
私は驚いて手すりからベランダの内側に落ちる。猫はひらりと手すりに飛び乗り、しりもちをつく私を手すりの上から冷ややかな目で見ていた。
『……痛い』
『フレイは学習能力が低い。求愛された相手の寝所へは行くな』
私は赤くなって黒猫を捕まえた。
『きゅ、求愛って、そんなんじゃないでしょ? 信が私を見てるのはいつものことだし、私だっていつも信を見ているもの。愛の告白をされたわけじゃないよ?』
『された。一の王と同じ顛末になると予測する。食料は朝に渡せ』
『一の王ってフレイを殺した人よ? 信が私を殺すとでも?』
信はそんなことしないし、と、猫に顔を近付けてにらむ。猫も顔をそらさずに、真っ直ぐに私を見た。
『一の王、覚えてないのか?』
『最初に作られた人でしょ? だから名前が一の王だし』
猫は黙ってじっと私の顔を見ていたが、ふいと横を向いた。
『削除、成程……』
『……?』
ベランダでアレクと話をしていたら、信の部屋の窓がガラリと開いた。
「……お前ら何でそんな所で話してんの?」
私は素早く木をつたって、信の窓に近付き、背負っていたリュックを投げ渡した。
「信がうちにご飯を食べにこないから、ママが寂しいって。あとご飯作る余裕は無いかと思って、差し入れ」
信はリュックを受け取って、中の弁当箱を取りだし、空のリュックを私に投げ返した。私はヒョイヒョイと慣れた手つきで木をつたい、もといたベランダに着地する。
「朝に顔を出すから、ママによろしく言っといて」
私は「うん」と笑って手を振った。
信は手を軽く上げると、苦笑して窓を閉めた。
猫は手すりから、信の部屋の窓をじっと見ていた。
『フレイはあの人間が好きなのか?』
『好きだよ。君もママも好きだけど。それが何?』
『……幼体なのか、それとも罪深い程に鈍いのか、きっと、後者なのだろうな』
『それは悪口だね? 今私を鈍いと言ったね?』
『事実』
私は猫を抱き上げて部屋に戻る。そして電気をつけずにベッドに腰かけた。
『どうするフレイ? 今回この世界に空く穴は大きい。恐らく二人を通す事は出来るだろう。あの男を連れていくか?』
『信を連れていけるの?』
一緒に行けるのは素敵だ。信とあの世界を旅してみたい。
『フレイが望めば。ただ、何らかの通行料をとられる』
『通行料?』
『代償とも言う。扉を開けるための糧と、通過時の代償がどういった形で出るかは予測できない。私は闇に囚われて、自力では抜け出せなかった』
それを聞いて、私は猫をぎゅっと抱きしめた。
『だったらダメ。信もママも危険があるなら回避する。関係ない人に迷惑はかけられない』
『なら決別を』
『……うっ』
私は部屋の窓から信の部屋の窓を見た。
信が家に来なくて寂しいのはママだけじゃない。私だって信に会いたいし、側でずっと見ていたい。
窓越しでは全然足りない。
もっと近くにいないと気がすまない。
これを恋と呼ぶのかは全然分からない。ただひとつ確かな事は、信がいないと私は生きていく意味も気力も無くなることだ。
「うう……」
窓辺にへたりこんで泣いていると、猫が涙をなめる。
『恋しいなら行け、止めない』
『迷惑だからダメだよ』
それ以上猫は何も言わずに、月明かりの下、涙を流す私を見ていた。
明かりも付けずにいた部屋の壁が一瞬光った。光と同時に、エンジンの音と車のドアを開け閉めする音が夜空に響く。
私は涙を拭いて立ち上がり、窓から外を覗いた。
「車!」
『くるまとは?』
『人間の乗り物だよ! 多分おじさんが帰って来たんだ』
外を見て首を傾げる猫を、私は捕まえてフフフと笑った。
◇◇
俺は学校から家に帰ると、真っ先にノートPCを立ち上げてメールを見た。受信ボックスには親からの返信は無く、俺はため息をついてノートを閉じた。
俺は宿題を片付け、明日の準備をし、ワイシャツと体操着を洗濯機に入れてスイッチを入れた。ゴトゴトと動く洗濯機に頭を押し付ける。
「あぁぁ……」
そのまま振動に揺れる自分の声をぼーっと聞いていた。
……何であんなことをしてしまったのだろう。
一応中学生の男なので、常々幸に対して思う所はあったが、態度はもちろん表情さえも、自分で完全に制御が出来ていると思っていた。幸が自分に興味を持たない限りは何もするつもりはなかったし、好きだと伝えることさえも控えていた。
「……はて、俺は何と言った? 好きだとか、そーゆーことを言ったっけ?」
俺は階段の上での事を思い出そうとして、またガツンと洗濯機に頭をぶつけた。
「だめだ、感触しか覚えてない……」
幸の口に触れたのだってほんの一瞬だ。これではボケたあいつのことだから、顔がぶつかったとか言いそうだ。
「いや、絶対何事もなくスルーされる。それが幸さん、キスが挨拶の国から来た人……」
俺は脱水中のゴトゴトと揺れる洗濯機に、理不尽な頭突きを繰り返していた。揺れが止まったら、厚めの服とタオルだけを乾燥機にいれて、シャツと体操着はハンガーに掛けて部屋に干した。両方とも水を吸わない生地だから朝には乾いている。
その足で台所に行き、お湯を注ぐだけのカレーと麦茶を出して自室に持っていった。そしてノートパソコンをつけた。メールはやはりきていない。俺は適当に話題の動画を見つつ食事をする。
「……つまんな」
本来のならこれが俺の当たり前の食事風景になるはずだが、隣の家のおかげで贅沢が身に付いて味気なく思う。
食材が、というよりも、幸がいない。
こっちの話を聞いて一喜一憂し、何食べてもニコニコしてる幸がいる風景は、何てしあわせなんだろうと思う。
「昼の件で、隣から追い出される可能性大……」
俺はインスタントカレーを置いて、机に突っ伏した。
「……見ているだけで良かった。別にどうなりたいとか思ってはいなかった」
そう思って気が付く。この言葉、菊子にも言われた。俺と菊子は似ているのか?
俺が独りグダグダしていたら、窓の外から話し声が聞こえた。
……コウ?
文句を言いに来たんじゃ? と身構えて窓を開けると、幸はベランダに立ち上がっておーいと手を振った。
幸は猿のように木を伝い、背負っていたリュックを投げて、また来るように言ってくれた。
その幸を見ても、昼の事を許してくれたのか、それとも無かった事にされたのかは分からなかった。
「無かった事にしたんだな……」
俺は苦笑して、幸から貰った弁当箱を開けて、エビフライをつまみ食いした。思いっきり頬張ったので口の傷が痛んだが、特に気にならなかった。
「感動的にうまい……」
俺はそのまま階段を下りて、台所の入口に立って弁当箱を抱きしめていた。また来いと幸本人から言われたことが嬉しい。泣きそうだ。
「許された……セーフ……」
「何が?」
「うわぁぁぁ!」
家には誰もいないと思っていたのに、突然話しかけられて心底驚いた。振り返ると親父がニヤケ顔で立っていた。
「親父、久しぶり」
「ただいま」と言って手を広げる親を、俺は呆れて見ていた。
「何だ、お前は抱きつかんのか。久々なのになぁ……」
「何才だと思ってんだよ?」
親父はポリポリと頭をかく。
「嫁ちゃんは熱烈歓迎だったんだけどな、息子はつれないなー」
「嫁って、母さんの事?」
「いや、コウちゃん」
そのまま洗面所に行く父を俺は追いかけた。
「どうせ洗濯たまってるんだろ? いま脱いで洗濯にだして。風呂はボタン押すだけだからいつでも入って」
そう言って俺は、親が羽織っている薄手の上着を脱がせる。脱ぐときに裏返ったので袖を引っ張り出すと、袖と襟が汚くて俺はうめいた。
「ふだん女性しか見てないからギャップすごいな。親父臭ぇ……ヤニくっさ……」
それでも俺は親が帰ってきてくれたことが嬉しくて、あれこれと世話を焼いた。
幸に貰った弁当を親父に出すと、喜んで食べていた。俺は親の隣で食べかけのカレーを食べる。
「あー、久々に家庭料理を食べたわ……ごちそうさん」
「お粗末様です。って作ったのコウだけど」
「いい嫁を貰ったなー」
「嫁言うな。付き合ってさえもないのに」
そう言うと、親父は残念そうな顔をした。
「幸ちゃんだけなんだよなー女子でなついてくれるの。署の女はきっついからなー、タバコ吸うと睨まれる」
「それは親父の衛生面に問題がある気がする……」
俺は父親の湯飲みにお茶をついで思い出した。
「そうだ、メール読んでない? 俺、何回か出したけど」
「ん? ちゃんと見てなかったな。で、何て?」
「今でもいいから見てよ……ここいらで何かあったのかと聞いたんだよ」
親父はスマホをチラッと見て、食卓においてあった菓子を開けた。
「何だろうなー……」
「俺が聞いてんの、それを!」
親父はスマホを取り出して、自動音声のように棒読みをする。
「本日、南区で通行人に怪我をさせる事件が数件ありました。登下校の際は集団で……」
「それ、学校のプリントと同じ内容!」
「市の防犯メールだからな-」
俺は空になった湯呑みにお茶を継ぎ足す。
「昨日じゃなくて、もっと前にコンビニ前で幸に会ったみたいじゃん、 あれは? 浮浪者が怪我をしたって聞いたよ?」
「……よく知ってんなーお前、そうそう浮浪者」
「何で親父がこの地域に?」
「家の方だったから志願した。彼は酔って寝ていたみたいだけど、転んだのでは説明のつかない傷があったからかな。まあ命に別状はなかった、ご家族も無事に見つかって一件落着」
「ふーん、それと今回の通り魔との関連性は?」
親は目を細めつつ、チョコをつまんでお茶を飲む。
「無いと思うなーってか、学校から聞いてないか? 通り魔の着ていた服が、お前の学校の制服だったこと」
「……えっ?」
……道理で朝から教師が慌てていた筈だ。
「ウチの学校の生徒がやったの? 男? 女?」
「制服は女子のものだって。制服の目撃情報があるのに、不思議な事に誰も顔を見ていないんだ。髪の毛が長かったらしいから、それに目がいったんだろうなぁ……」
……制服で、顔の見えない女。
俺は寒気がして、口の傷を押さえた。
もしかして、交差点の女が隣町で人を襲った?
「お前、その絆創膏どうした?」
「え、ああこれ? 棚の角にぶつけて切った」
「ふーん、気を付けろよ」
そう言って親父が席を立つので、俺は食器を片付けて、弁当箱を洗い水切りに裏返した。親は風呂場から戻ってきて、俺のいる台所に顔を覗かせた。
「信、しばらく幸ちゃんと一緒に通学しろよ」
「えっ、何で?」
「その通り魔の被害者が髪の長い若い女だから。幸ちゃんは髪短いけど念のためにな」
「髪型に共通点があるの? どんな髪型?」
「こう、長い真っ直ぐの黒髪を、縛らずに流している感じ。被害者は二人だけど、二人とも長かった」
「分かった、気を付ける」
「あ、不審者がいても何もするなよ? 逃げてから、安全圏で通報な?」
「……了解」
犯人がウチの学校の生徒かもしれない。何でこんな重大なことを教師は言わないんだろうと思う。てか、被害者と加害者の特徴が似てるのか気になる。
……菊子がやったんじゃないのか?
という考えが頭を離れない。
まさかそんな、でも……?
俺はボーッと考えながら、円に近くなっていく月を見上げていた。




