22、記録媒体
……なんかくすぐったいな
私は不思議に思って、そっと目を開けた。
昨夜は雨戸を閉めて寝ていたので、部屋の中は暗く、常夜灯のオレンジ色の光が室内をうっすらと照らしていた。
その闇の中、小さな舌が私の頬をペロリとなめた。
『アレクセイ!』
私は起き上がって黒猫を捕まえた。猫は私の顔の前でニャンと鳴いた。
『よかった、完全に消えたかと思っていたよ!』
私はほーっと息を吐いて、子猫をそっと抱きしめた。
『昼にレアナを見たよ、襲われたけどアレクがいなかったから、完全に消えたかと思ってた』
『……両方同時に消滅する。逆に補給も共有する』
……えっと、アレクとレアナは一蓮托生だから、消えるときは一緒だし、ごはんも共有出来るってことね。
私の心を読んだアレクが微かに頷くので、多分合ってる。
『お弁当の時にアレクは消滅しかけていたのね……これからはもっと早めに血をあげるようにする』
猫は黙ったまま黒い瞳でじっと私をみている。
『君は不調さえも言わないことが判明した。なので会話を三回無視したら血を飲ませます、いいね?』
『……』
『無視一回目』
『……こんな短時間で計上するな』
『カウントはゼロに戻りました』
猫は咳をするように息を吐いた。もしかしたら笑ったのかもしれない。
……黒竜が笑うなんて数百年に一度?
私はもう一度笑うかもしれないと、顔を近づけてじぃっと猫を見た。すると猫は顔を上げて、私の口をペロリとなめた。
……あれ、今のは何だ?
私は目をパチパチさせて首を傾げていると、もう一度なめられた。私が驚いた隙に、猫は私の腕から飛び下りる。猫はベットの上に座って目を閉じた。
『……考えた』
『な、何を?』
『傷の修復には魔力を使う。魔力の補填は口からでいい』
……回復魔法には魔力がいるから、血の補給をするときにカッターで切るのは無駄? みたいなことかな? 補給は口? 口って今の?
私はしばらく固まっていた。そしてハッと顔を上げて、手を交差させてバッテンを作る。
『キスはダメ、指から!』
『体を損傷すると痛みが来るので不快。血のほうが魔力が多いが、多量の魔力補填はNo.5にも行き渡る、迷惑』
『長文!』
……フレイ、アレクが長文をしゃべりましたよ!
私は全然関係ない所に感動していたが、よく考えたら文句はたくさん言う竜なのかもしれない。
『レアナに行き渡らないように君が摂取する量を調整しなさい、私のほうの傷は勝手に治るから魔法は使わなくていいよ』
猫は目を半分だけ開けるという不機嫌顔で言った。
『痛みは不快、しかもNo.5を呼び寄せる』
『それでも血がいいです、はい……』
『理は通っている、説明しろ』
気持ち猫の尻尾が太く見える。もしかして不機嫌をとおりこして怒らせてしまったのかもしれない。
傷はいいけど、キスは避けたいこの乙女心を、なんと説明しようかおろおろしていたら、猫はため息をついた。
『寝ているときに取る。血は非常時にしか流すな』
『それ、何の解決にもなってない!』
私が慌てると、猫は廊下の扉を開けて出ていった。私はなめられた口を触って、動揺する気持ちのままに部屋をうろうろ歩き回る。
「相手は猫だ、いや、そもそもが竜だ。人じゃない。猫や犬に口をなめられる。あるある。子猫はかわいい、竜はもっとかわいいから、ありだ、うん、あり」
私は無理矢理自分を納得させた。
「あ、何でアレクが昨日いなかったのか聞き忘れた」
糧はレアナと共有出来るのなら、屋上のレアナに血をあげた時にはアレクも復活してたよね? でもレアナとの追いかけっこの時にいなかったのは、なんでだろ?
「……うん、全くわからん」
私は時計を見て、日の出までまだ十分に時間があったので寝直した。
◇◇
「頬治ってるな」
昨夜「来るな」と言ったのに、信はうちの朝の食卓に座っていた。やはりこの異常事態を信じて貰うのは難しい。
竜がいることを理解して貰おうにも、アレクは不在だ。アレクいたのに、ちゃんと捕まえておけば良かった。
着替えた時に知ったのだけど、私の頬、指、足の傷は全て治っていた。多分アレクが治してくれたのだろう、夜中にほっぺをざりってされたとき。
私は「みてみて」と右足を信の前に出す。
「明け方にアレクが部屋に来て、治してくれたみたい、ね、竜って本当にいるのよ!」
「竜がいるかどうかは置いておいて、足は結構酷かったのに、そこは驚いた……」
そう言って、信が私の足を触るので、私は少し赤くなり、急いで靴下をはいた。回復魔法の痕跡で竜を信じて貰うのはムリだった。やはり本体がいないと。
どうしたら夢の住人の存在を信じて貰えるのかが悩ましい。信は朝刊を読みつつ、のんきにコーヒーを飲んでいる。
「まあ、ママに傷を見られなくて良かったな。女の子に怪我とか、ママを驚かせる所だった」
信はそう呟きながら、リビングのソファーで隼人と通話してるママを見ている。もしかして、タブレットを触りたいのかもしれない。信はそーゆー機械とかが好きな人だし。
「飽きないなあ、エレンママ、ずっとタブレットを触ってるよな……」
「ママは隼人好きなのに滅多に会えなかったからね。それが顔見てお話出来るんだから、夢中になるのはしょうがないよ」
朝はノーメイクで髪の毛も後ろにひとつに縛っているママが、綺麗にヘアメイクして、淡い口紅も差している。ただでさえ美人なのに、隼人と話しているだけで五割増しでキラキラだ。
「女の人って恋すると綺麗になるっていうけど、本当だねぇ……ママが朝からまぶしいよ……」
「向こうは真夜中だろうに、隼人さん寝てる間はどーすんだろ?」
「ママなら寝顔も飽きずにずっと見てられるよ、ママが隼人の睡眠妨害するわけない」
「それは……すげーな……」
キッチンから、リビングにいるママを見ている私に、信はよそ見をせず食事をしろと促す。私はパンをちぎって何もつけずに食べていた。
「なんでママはイギリスに行かないんだろう? ここに住む意味あるか?」
信にそう言われて私はキョトンとした。
「そんなこと今まで考えたことも無かったよ、君は見てるところが違うねぇ」
「今度ママに聞いてみるか、その辺の単語調べて予習をしてこよう……」
信は通学鞄から手帳を出してメモをとる。そのメモを鞄にしまって、チャックを閉めた。
「ところでコウ、猫はどこに?」
「いないの、昨日から外出癖がついたみたいなの。だから家に帰るまで他人ごっこしようね。招かない限りは家に入れないみたいだけど、うっかりもあるからね、家も危険だと思ったらまた考えるよ」
「幸の考えとか不安しか無いんだが?」
「ちゃんと相談するから……」
私は食事を終えて、立ち上がって信の顔を覗いてウインクをする。
「もし、信といるときにレアナがいたらなにかしら合図を送るから、信はいつも見ているものしか見ないで。白い女とか白い鳥とか、教室にいるはずのない白いものを見たらだめだよ。白いのがいても、見えていないふりをしてね」
「……また、難しい事を言うな」
そう告げると、私は洗面台に向かった。残された信は、コーヒを飲んでむすっとしていた。
「まあ、実際見てみないと手の打ちようがないけどね……」
信がぼやいている間に私は準備をすませ、行ってきますと家を出ていった。信もママに挨拶をして、私がかろうじて見える程度に距離をあけて通学した。
◇◇
太陽がうらめしい程まぶしい。
昨夜幸が変な事を言うので、気になって眠れなかった。俺ははるか遠い幸の背中をみながら、あくびを噛み殺していた。
――夢の中から竜が現れた。
最近様子がおかしかった幸が突然そんなことを言い出した。
確かに最近の幸は迷子になったり、怪我をしたりと変な点が多い。しかし竜とか言われても微塵も信じられない。
幸の話で俺が考えた仮説はこれだ。
「幸は突然夢を見なくなったのではなく、現実世界でも夢を見るようになった」。これが一番しっくりくる。というか、これしか理解したくない。
俺は学校へ向かう長い坂道を下りながら、夢遊病のようになった場合の幸の介護の事を考えていた。
「幸ちゃんおはよー、昨日ダイジョブだった?」
教室についたとたん、幸の前の席の吉田が幸に声を掛けた。幸はヘラっと笑って対応する。
「昨日はごめんねー、怖い夢見ちゃって寝ぼけてたー」
「なになに? どんな夢?」
「壁からね、髪の長いおばけが這い出てきて、追いかけられて、みんな死んじゃうの、吉田くん怪我ない? ダイジョブ?」
「ダイジョブだよー」
幸から少し遅れて席についた俺は、二人の気の抜けたやりとりを見てケッとふてくされる。
……吉田が安全だと判明したからか、幸の話しかけるなオーラが消えてるし。
理由を知っていても、仲良く話す二人を見ているのはイライラする。吉田はちゃんと前を向けと。早く担任が来ればいいのに。
俺が吉田を呪っていると、幸の隣の菊子が俺を見てクスクス笑っていた。先日菊子に幸が好きなことを言ってしまったので、吉田に嫉妬をする今の気持ちが見透かされた気がした。俺は気まずくて窓の外を見た。
校庭のど真ん中に小さな黒猫がいた。黒猫は座ってなぜか真上を向いている。サイズ的に幸の言う竜だと思うが、確信は持てなかった。
「外に誰かいるの?」
菊子は席を立ち外を見る。
「どこ? 鳥?」
そう言って菊子は俺の肩に手をかけて、俺越しに窓の外を見ている。長い黒髪が俺の肩にかかり、花のような匂いがした。くっそ、この美人距離感おかしいだろ!
昨日振った人だと言うのに、何ときめいているのかと、俺が反省していたら、幸と目があった。
幸は一瞬振り向いてすぐに前を向いた。
前に幸から、「信はよく委員長を見ている」と指摘された事を思い出す。俺は浮気を見られた旦那のような気持ちで、幸の背中に向かって目を閉じた。
……エレンママも委員長も美人だからつい見てしまうんです。それは好き嫌いとは別だから! 男の悲しいさがなので……スミマセン!
俺は少し反省して、菊子に笑いかけた。
「校庭に黒猫がいたようにみえたけど、逃げたみたいでもういなくなった」
「ふーん」
幸向けに、見えたのは黒だ、白ではないとアピールしておいた。
菊子は興味を失い席に戻る。俺はふぅと息を吐いた。
……先日委員長は振ったと思うんだけど、態度が毛ほどもかわらないのはすごいな。
もし自分が幸に振られたらと考えると、いつものようにあの家に入る自俺は無かった。多分寂しさをまぎらわせるために、自宅に引きこもってゲームばっかりしちゃうかもしれない。
昨夜はヤバかった、密室で至近距離で見つめられて、しかも俺の顔を触ってくるから、うっかり「俺の事をどう思っているのか」と聞くところだった。そんなことは聞くまでもなく、「恋愛意識はありません」という返事が来て、俺は篠崎家に行けなくなるところだった。
……昨夜うっかり告白しなくてセーフ。
俺は息をそっと息を吐き出した。
俺は自宅に帰ると、ノートパソコンを立ち上げた。先日町で幸と俺の父親が会った件について、何の事件なのかと、父に問い合わせのメールをだしていたが、返事は来ていなかった。
「……子どもからのメールくらい見てくれよ」
俺は口に出してみるが、公務中に電話するような緊急性もないと、家のパソコンでメールの返事を待っていた。
こんなときスマホやタブレットがあれば、どこででもメールを確認できていいのに! と、俺は思うが、費用面で親が頷いてくれるとは思えなかった。
「……高校入ったらバイトしよ」
俺は次の日も、家のパソコンのメールを確認したが、父親からの返事は無かったのでもう諦めた。
地域で事件が起こってないかを地元ニュースや街の掲示板などで確認するが何も見当たらない。親父の仕事は地元とは関係のない事だったのかも。
「直接行くか」
俺は財布を持って外に出る。
前に幸が言っていた、親父がいたらしいコンビニに行ってみた。レジにいたのは若いアルバイトで話かけるのをためらった。
そのまま雑誌を見ていると、見知った店長が品を出していたのでダメもとで聞いてみた。
「すみません、先日ここに警察の人が来ませんでした?」
店長は俺をチラリと見て、作業の手を止めずに言った。
「この前うちの前に浮浪者が倒れていてね、その件で来たよ。君はあの浮浪者の知り合いかい?」
「いいえ、違います。ちなみにその人は亡くなったのですか?」
「いや、酔っぱらって寝ちゃって、怪我をして救急車ではこばれたよ。知り合いだったら警察に聞くといい」
「いえ、すみません。ありがとうございました」
俺はお礼を言って、炭酸飲料を買ってコンビニを出た。一応何かあったっぽいが、事件性は薄そうだ。じゃあ何で他所の管轄から親父が来たのだろう? 俺は首を傾げつつ、コンビニの前でジュースを飲みながら、町を過ぎ行く車を見ていた。
◇◇
「ねー菊子って羽間と仲いい?」
放課後、菊子は剣道部が休みなので、同じクラスの友人がいる文芸部に遊びに来ていた。
文芸部の友人の市原は、秋にある文化祭の部誌の作成中らしく、PC室と印刷室を行ったり来たりしている。私は印刷されたページを折って重ねるのを手伝っていた。
「羽間くんとは席は隣だけど、普通にクラスメイトよ」
突然振られた質問に、私は無表情のまま答える。市原はホッチキスを手に私をつついた。
「念願の同じ班でしょ? 菊子があの班に入るの見てたよ。狙ってたよね、あれ」
私はまとめたページを市原に渡す。受け取った市原はすぐにホッチキスで止めた。
「同じ班になったのは偶然です。単に班分けのとき呆けていただけだもの」
市原は私の言葉を全く聞かずに一人でしゃべっていた。
「いくら羽間がいるからって、吉田と篠崎のいる班とかよく入るなーって思った。吉田はオタクだし、篠崎はマジもんの電波だよ」
そう聞いて私はフフッと笑った。
「吉田くんはともかく、篠崎さんは案外普通よ? 起きているとびっくりするほどかわいいし……」
「かわいい? 篠崎が?」
市原が意外な顔をするので私は頷いた。
「だってハーフでしょ? 日本人にはない顔立ちだけど、かといってバタ臭くも無いっていうか、目が大きくて睫長くて、鼻とか口とか小さいし、なんだかお人形さんみたいよ?」
「ふーん、気が付かなかった、へー……」
市原は手を止めて、ニヤニヤと私を見ていた。
「近くで話さないと分からないかもね、彼女いつも下を向いているから」
……だから余計に、笑顔でなつかれるとかわいいのよねぇ。彼女も普段顔を隠しているから、自分だけがそれを知ってるという優越感付き。うん、あざとい。
私は、羽間くんが「かわいいから好きだ」とはっきり言ったのを思い出して、ため息をついた。
うつむいていた顔を上げると、市原はホッチキスをおいて、にやけて私を見ている。
「そんなに好きかね、羽間のことが」
私は上の空で頷いて、慌てて「違う」と否定した。市原は私の肩に手を置いて、うんうんと頷く。
「わかる。わかるよー。羽間優しいもんねぇ。両手塞がってると、ドア開けてくれたりするもん、あれはヤバイ」
「二組の羽間の話?」
市原の声が大きかったので、他のクラスの部員も寄ってくる。
「あいつチビだけど、人あたりいいから好きな子チラホラいるよねー」
「そうそう、六年の時に羽間と仲がいいってだけで篠崎無視されてたし、とばっちり」
「羽間と篠崎って仲いいの? ふたりが話してるの見たことないけど?」
「六年の時まではべったりだったよ、中学になってから別れたんじゃないかな?」
羽間くんと私は地区が違うので、小学校は別だったが、同じ小学校の子から見ると、篠崎さんまわりでひと悶着があったらしい。
私は会話に参加せず、噂話をボーっと聞いていた。
「まあ、ライバルが多いらしい菊子にこれをあげよう」
市原は、バッグからジップのついた小さなビニール袋に入った、小さなプラスチックの板を取り出した。
「何これ?」
受け取ったものの、はじめて見るものだったので私は首を傾げた。
「これ羽間の私物だって。あいつこの前ここでパソコン壊したじゃん? そのとき忘にれたみたい。修理の人が困っていたから預かっといた」
私はしげしげとその小さな板を見る。
「これは何なの?」
「知らない? ゲームやデジカメとかに入ってるやつ、デジタルなデータを保存するカードだよ」
「分かったわ、羽間くんに返せばいいのね」
「預かった日から時間たっちゃったけど、菊子に託すよ」
市原は厄介ばらいをするがごとく、私に袋を押し付けた。
「ねえいっちゃん、これ本当に彼のなの? 間違っていたりはしないの?」
「……ほほう、気になるかい?」
「まあ、学校にヤバイものはもってこないと思うけどねー、確認しますかー? じゃないと誰のかわかんないもんねーフフフ」
市原はそう言って、起動しているパソコンにカードをさし込んだ。私はその手順を見ていたが、市原はデータを開く直前に部員に呼ばれて印刷室に行ってしまった。
置いていかれた私は、マウスを触り、画面に表示されたファイルを開いてみた。
それは、前に公園で見せてもらったノートを清書したようなもので、彼のモノではあったけれど目新しい情報は得られなかった。
私は地図や人口分布図をみてはーっとため息をついた。
……彼は、学校にいるときも篠崎さんの夢の世界の事を考えているんだ。
家も近くて、行き来自由で、彼女は大人しくて従順でかわいいときたら、どこに自分が入り込む余地があるのだろう。
「無いわ……」
みんなは中学に入ってふたりは別れたと言ったけど、羽間くんはいじめを警戒して距離をとっているだけだろう。クラスの副委員長だって、篠崎さんをカバーしやすいからだ。そう考えると彼の頭には篠崎幸しかない。この板がそれを証明している。そこに私の席は全くない。
私は肩を落として深く息を吐き出した。そして友人が戻ってくる前にパソコンからカードを取り出し、ビニールに入れて、スカートのポケットに入れた。
「明日渡そう……それで終わりにして部活と受験がんばろ……」
私は重い足を引きずるように移動し、友人に詫びをいれて先に帰宅した。




