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17、糧

 

 林から出てきたあの日から、幸の様子がおかしい。

 夢を見なくなったので、俺を夜に呼びつける事が無くなるのは当然だが、それだけではなく、リビングで宿題する時でさえ俺は幸に避けられるようになった。

 しかも、朝に屋根に上がるのもここのところサボっている。今まで幸は、病気と雨の時以外は毎日朝日を見ていたのに。


 俺は朝練の、校外外周を走りながら考えていた。


 ……俺、何か幸に怒られる事をしたかな?

 

 しかし俺に心当たりは無く、好きな幸に避けられていると言う事実のみが、心に重くのしかかった。



 手がかりは黒猫だ。

 あの日、PC室に幸が連れてきた猫が現れた時から、幸の様子がおかしくなった。


 ……猫、黒猫

 

 俺は走りながら学校周辺の街を見ていたら、いつかママと歩いていた長髪の男が見えた。

 その男は紺の半袖シャツとジーパン、頭には帽子を被っている。そいつは髪が長い以外は特徴のない普通の日本人だ。

 その男はコンビニに入っていったので、俺の視界から消えた。



 日中も幸はボーッとしていて、放課後はダッシュで教室を出ていく。それを見た吉田がニヤついて俺のほうに寄ってきた。

 

「信くーん、なになに? 幸ちゃんと喧嘩中?」


 俺は吉田のニヤケ顔がムカつくので、なるべく見ないようにした。

 

「そんなもんしてないって、第一あいつが人と喧嘩する筈ないだろう」

「幸ちゃんは喧嘩しないの?」

「しない、そもそもあいつは人を否定しない。何言っても肯定しかしない」

「そんな人いないっしょ、俺、よく幸ちゃんにやだと言われるよ?」

「……」

「何かを借りたり、おかずはくれるんだけどね。信の顔に落書きしてとかはしてくれない」


 俺は教室での幸と吉田のやり取りを思い出して吹き出した。

 

「本当だ、幸でも怒るときあったわ。吉田は幸を拒否らせる稀有な人材だ」


 ……なるほどね……、幸は自分が危害を被ることは気にしないが、他人への危害は気にするんだった。だとしたら、今回の幸の単独行動は幸が何かに怒っているんじゃない。他人に迷惑が及ぶ何かが起きているのだろう。


 ……帰ったら無理にでも聞き出す

 

 俺は強く決心して、部活へ向かった。



 ◇◇


 一方、幸は真っ直ぐに帰宅せず、うろうろと歩き回っていた。

 街の公園や建物の隙間など、狭いところを見てまわる。本当はあの林にも行きたかったが、あの日の恐怖が体に染み付いて、どうしても足が向かなかった。


『アレク……どこ?』


 アレクセイの名前を呼びつつ路地を探し歩いていると、建物の影から出てきた人にぶつかった。私は転びそうになり、その男性にしがみついた。

 

『す、すみません』

「……ん?」


 顔を上げると、その人は警察の制服を着ていたので、私の顔から血の気が引く。

 

「あっ、ごめんなさい、よそ見してました」


 ……あっちの言葉であやまってしまった。

 

 私は焦って、ペコリと頭を下げて詫びる。すると私の後ろ側から、名前を呼ばれた。

 

「コウちゃん?」


 振り向くと、そこには背広を腕に引っかけた、体格の良い中年男性が立っていた。

 

「信のパパ! ひさしぶり!」


 私はワッと喜んで、羽間のおじさんに抱きついた。


「しばらく見ない間に大きくなったなぁ」

「おじさんもお腹おおきくなった!」


 ポヨポヨだけどがっしりしてるお腹に顔を埋めて、グリグリと額をつける。羽間のおじさんは、笑って私の頭を撫でた。

 私はこの人のぶっきらぼうな所や、ゴツゴツした大きな手が大好きだった。


「おじさん、今日はヒバンなの? お夕飯うちで食べる? 私なんでも作るよ!」

「いや、純然たる仕事中だよ、町の平和を守るための見回り中だ。あと今日も帰れないかな」


 ……おじさんこんなに近くにいるのに、信の顔を見てあげないんだね。


「おじさんがお家にいないと、信は夜寝ないでゲームするのよ?」

「コウちゃんから言ってやってよ、夜は寝ないとネット回線解約するって」

「ネットカイセンカイヤク……わかった!」


 知らない言葉だったので、私は何度か呟いて言葉を覚えた。おじさんは周囲を見て、私の飛び出てきた路地を見た。


「細い路地から出てきたけど、通学路を外れたら学校に怒られるよ、学校は保険とかなんとかうるさいから」


 にこやかに話をしていたお隣のおじさんが、突然お仕事モードになるので、私は慌てておじさんから離れた。


「あっ! あの、探しものをしててつい……」

「何を落としたの?」

「猫」

「猫を飼い始めたの?」


 私は素直に頷いた。


「署に届けを出しとく? 保護したら教えてくれるよ?」


 私はブンブンと顔を横に振った。人には見えない猫をお巡りさんに探して貰うのは無理だ。私はおじさんの背後に回って、その広い背中を押した。


「私は大丈夫だから、おじさん早くお仕事片付けておうちに帰ってね! 信はおじさんいないと寂しそうだよ」

「信がそう言ってた? 最近家に帰るとうざがられるんだけどなー」

「信はおじさんのこと大好きだから、うざいとかいわないよ」

「そうかなぁ……?」

「そうだよ!」


 信のパパは柔道をやっているせいか体格が良く、筋肉質なので、私が押したくらいではびくともしない。私は押すのは諦めて、おじさんの背中に抱きついた。おじさんは笑って、後ろ手で私のリュックをポンポンと叩いた。


「コウちゃん今一人かい? なるべく信と帰ってやってよ」

「し、信は部活……」


 もしかして、私が信の事を避けてるの、おじさんにバレてる? 信が告げ口した?


「いやねぇ、最近ここいらで物騒な事件がみられるから、学生も集団で登下校して欲しいなーと思って」

「じけん……」


 事件と聞くと、池での双竜の殺しあいを思い出して、背筋が冷え寒けが走る。

 私の様子がおかしい事を察してか、おじさんは私の頭に手を乗せて顔を見た。


「大丈夫だよ、街はおじさんが見ているからね。コウちゃんは早くお家に帰りなさい」

「わかった、おじさんお仕事お疲れ様です」


 私はぴっと敬礼して、一目散に逃げた。羽間とその同僚の巡査はその後ろ姿を見ていた。

 

「羽間さん、隠し子いたんですか?」

「あれは家のお隣のお子さんだ」

「隣の女の子は抱きついて来ませんよ! じゃああれですかね、羽間さんに惚れてるとか」


 それを聞いて、羽間はしょうもな、と鼻で笑う。


「息子の嫁だよ。スキンシップが多いのは、見た通り外人だからかねー」

「はー……包容が挨拶の国の子どもなんですね。俺がやったら始末書モノです。いいなー」

「アホ言ってないで、次に行くぞ」


 羽間が一人で歩き出すので、幸の後ろ姿を見ていた警官は、急いで羽間を追いかけた。

 

「かわいい子ですねぇ、うちの子に似てる」

「……お前子どもいたっけ? 隠し子?」

「やだなー、そんなんいるはず無いですよ、彼女もいないのに」

「じゃあ、何に似てるって?」


 同僚は「あー……」と迷ってシブシブ言う。

 

「人形っすね、これくらいの大きさなんですが、目が緑であんな顔してます。髪は長いですけど」


 手を顔から腰くらいまで縦に広げて、大きさを説明するが、羽間には人形のサイズなどどうでもよかった。


「お前はそんな趣味があるのか」

「一人寂しい我が家で迎えてくれる子は貴重ですよ! 羽間さんは息子さんいるから分からないでしょうがね」

「家なんて滅多に帰らんわ。なんでもいいから誘拐とかすんなよ、お前の報告書とか書きたくないからな」


 そう言って羽間は一人歩き出す。巡査は羽間を追った。


「本当にかわいいですから! あっ、写真見ます? そしたら似てるの分かりますって」

「いいからとっとと聞き込みしてこい。俺はあっちへ行く」


 羽間は同僚から逃げるように早足で手近な店に入った。



 ◇◇


 キッチンで午後のティータイムをしているママの横で、幸はテーブルに夕飯の材料を並べていた。

 ママはタブレットをつけて、遠くにいる隼人が起床するのを待ちわびている。


「(どうしてこんなに早く夕食を作るの?)」


 ママに聞かれたので、私は「(宿題があるから)」と、英語で答えた。

 

 あたためてよそうだけならママでもできるから、チキンフリカッセとサラダ! サラダは一人分に分けてラップをかけて冷蔵庫に収納。これでOK! 

 自分の夕飯はサンドイッチでいいやとパンを薄くスライスしていたら、信が帰ってきた。


「すみません、幸います?」


 ママにドアを開けてもらうまで外にいた信は、玄関に入ると走ってキッチンに来た。私は慌てて戸棚とキッチン用の椅子の影に隠れる。信は私に気がつかず二階に上がっていった。


 ……な、何か探されてる?

 

 私はドキドキしながら身を潜めていて、左の人差し指を切っている事に気がついた。


 ……いきなり帰ってきたから、指切った。

 

 私は指から流れる血を見て思い出した。

 池のそばにいた、盲目の人の左の手のひらが切れて、血が流れていたこと。アレクが、銀の水が無いから糧が必要だと言っていたこと。


 ……もしかして、アレクは糧がなくて姿が消えているのかもしれない。

 

 ……そして、その糧とは……。


 私は血が流れる人差し指を、何もない所につき出した。私の手から、ゆっくりと血が流れて玉となり下に落ちる。

 血は、床にたどり着く前に消えた。

 目の前の、何もなかった空間が波打つように揺れて、黒い霧が滲み出てきた。

 

『アレク、姿を見せて』


 私がそう言うと、黒い霧は猫の形になり、私の前に小さな黒猫が現れた。私は傷ついた左手をアレクに伸ばすと、アレクはその指をなめて傷を癒した。

 

『アレク……ゴメンね、キミが消えていた事に気が付かなかった……』


 猫をそっと抱きしめる。猫は私の涙をなめた。



 しばらく泣いた後で顔を上げると、信とママが呆れ顔で私を見ていた。

 

「何でそんなところに座り込んで泣いているんだ?」


 顔を上げると、信が困った顔をして私を見ていた。私は猫を腕に、のそりと起き上がってキッチンから出ていく。


「(パンに血が)」


 ママが言うので、信はまな板の上のパンを確認して、出ていく私の肩を引いた。

 

「コウ? 手を切った? 大丈夫か?」

「……大丈夫、何ともない」

「ならこっちを向いて左手を見せろ」


 私は頑なに振り向かずに、左手だけを信に出した。信は手に傷がないのを確認して、私の手を離す。


「シャワー浴びてくる……」


 私はそう言ってその場を逃げた。

 エレンママは状況が分からず首を傾げる。

 

「ケンカ、した、ますか?」


 ママのおかしな日本語を聞いて、信は泣きそうに顔を歪めて、「分からない」と首を横に振った。


◇◇


 幸は猫を抱いて自分の部屋に入るとクーラーをつけて、念入りに部屋の鍵を閉めた。勿論、窓も、カーテンも。全部閉めたのを確認すると、一息ついて猫をベッドの上に置いた。


『ゴメンねアレク、君が消えてしまっていたのにちっとも気が付かなかった……』


 猫は黙ったまま一度だけ瞬きをした。私はベッドに上がり、猫の前に正座をした。

 

『アレク、あなたに聞きたいことが沢山あるの、人の姿になれますか?』


 アレクは少しだけ頷いて、霧状に変化して人の姿に戻った。


「……あは」


 自分のベッドの上に座るアレクセイが、あまりにも非日常な光景にに見えて、私は笑ってしまった。

 

 ……自分の部屋に、長身の全身黒ずくめのイケメン男性がいらっしゃる


 私は正気を取り戻そうと、自分の頬をピシャリと叩いた。すると、アレクの顔が一瞬歪んだ。

 

『……あれ?』


 私はもう一度頬を叩くと、やはり同じタイミングでアレクセイは片方の目を閉じた。私はよろよろとアレクに近寄って、その頬に触れた。

 

『アレクセイ……まさか、貴方達は、私の痛みが分かるの……?』


 アレクは黙ったまま私を見て、一度だけ頷いた。


 ……だから、保健室で膝を治せとうるさかったのか。私がケガしてると、アレクも痛いんだ。

 

 私はアレクの肩に頭をつけて、ハハ……と、力無く笑う。


『フレイも同様の力があった。幽体のフレイはその思いを竜に伝播していた』


 ……だから幽霊なのに、竜とおしゃべり出来たのか。

 

『ゴメンね、痛い思いをさせて……』

『問題ない、傷から糧を得た』


 糧と聞いて私はアレクの顔を見上げた。

 

『かてって何?』

『魔力。竜に死の概念はないが、糧が尽きると結晶化する。この世界では結晶に戻らず、存在が希薄になる』

『向こうでは、サーの結晶から出来た銀の水で動いていたよね? こちらでは、血が必要なの?』


 アレクはしばらく黙っていたが、微かに頷いた。私は無表情のまま頷くアレクを見て、深いため息をついた。

 

『わかった、定期的に血を渡す。量とタイミングはアレクが指示してね? でも二人きりの時だけね』


 アレクはじっと私を見ていた。




「(コウちゃんお風呂場入らないの?)」

「……ひっ!」


 ママが突然扉を叩くので、私は慌ててアレクに布団をかけた。


 ……ご飯とお風呂をすませてくる。この部屋から出ないで、ここで寝ててね


 私は心の中でアレクにそう言うと、着替えを持って自室を出た。部屋の外に信が立っていたので、私は信から目をそらして横をすり抜ける。すると信が私の腕をつかまえた。


「……何で俺の顔を見ない? 俺お前に何かしたか?」

「何もない、信には関係ない」


 関係無いと言われて、信はぎゅっと目を閉じた。そして、ゆっくり目を開けて私を見る。


「関係なくても話して欲しいよ、お前何か悩んでいるだろ? それはさっきの猫の事か?」

「……う、うん」

「ママに飼っていいか聞こうか?」

「ダメ、やめて……」


 私の言葉に、信は驚いて顔をこわばらせた。


 思えば私は今まで信の言うことに逆らったことは無かった。信はいつだって正しかったし、この国や街の慣習に詳しかった。なのにいきなり反抗したら驚くよね。


「何がダメ? 黙って飼う気か?」

「あ、うー、えっとね……。あの子病気みたいだから、ちゃんと調べてから……」

「嘘をつくな」

「だよねー嘘はバレるよねー……じゃあ……今は問題あるから、調べて安全を確認してから、これは本当だよ」

「問題って何だよ?」

「うるさいなー」


 ダメだ、言葉で信に勝てる気がしない。

 食い下がる信の手を振り払って、私は一気に階段を下りた。私は足をとめて信に言う。

 

「いつか、あ、後で話すから、今はお風呂だからまた後で!」


 信は振り払われた手を見てため息をついた。

 

「自分の下着さえも隠さない幸に、ついに隠し事が……」


 信は壁によりかかり、幸が走り去った階段を見ていた。


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