14-14、信のパパが来た
私の髪がまた背中にかかるくらい長くなった頃、ジーンは日本にいる父親を自宅に呼んだ。
ジーンが修士課程に入った為に、いまだに私とジーンは結婚していない。
しかし専門学校を卒業した後私は、ジーンのアパートに押し掛け女房状態で居座っていた。
ジーンが学校に行っている間は暇なので、私は学校の先輩が働いている料理教室で働いている。
でも今日は羽間のおじさんが家に来る日。私は仕事を早退して、いそいそと家に帰った。
すると既にジーンの車が見え、家に入ると羽間のおじさんがいた。
「おじさん!」
私は走って羽間のおじさんに抱きついた。おじさんはよろけつつも、私を支えて笑った。
「元気そうだねぇ、コウちゃん。今働いているんだって? こいつに聞いたよ」
「はい! 今日は先生がお土産くれましたよ。後で出しますね」
私は持って帰ったホールケーキを切り分ける。ジーンは私の隣に並んでコーヒーを淹れた。
大きくなった息子の姿を見て、羽間のおじさんはため息をついた。
「……ここに来る間に話は聞いたが、お前が幸ちゃんよりも五才も年上というのが信じられん」
「体の年齢差は三才かな? 時間のずれがあるから、正確には分からないけれど」
私はハイ!と、手を上に伸ばす。
「帰ってきた直後は彼が信だって知りませんでした。すごく大きかったし、隼人の部下だと思っていたので! 信がおじさんと電話をした日に信だって教えてくれたの」
「信、コウちゃんには話してやれば良かったのに」
私に向かって、申し訳なさそうに言う父親を見て、ジーンはため息をついた。
「幸自身が記憶がなかったから、こっちから言うことは出来なかったよ。下手したらまた寝込まれるし」
「寝込む?」
「すみません、私辛いことがあると寝ちゃうみたい」
「馬鹿が。何辛い目に合わしてんだ」
羽間が息子をにらむので、私は父子の間に入り、視線を遮った。
「おじさん、一番大変だったのは信だから、私は寝ぼけてただけで、信はずっと頑張ってたよ、今も学校頑張ってるよ!」
おじさんは私と信を交互に見て、ボリボリと頭をかいた。
「しかし、何で幸ちゃんが働いているのに、お前はまだ学校に行っているんだ?」
「司書になろうと思ったら、予想外に難しかったんだよ。まあ学費は自前でなんとかなるから安心して」
信がコーヒーをテーブルに並べるので、私はケーキを出した。
タルト生地にアーモンドクリームを敷いて焼き、その上にカスタードクリームとフルーツを並べた、先生お得意のフルーツタルトだ。
おじさんはケーキの写真を撮って、嬉しそうに食べてくれた。
私も大きく切り分けたタルトをパクリと食べる。
「君は、なんで図書館に勤めようと思ったの?」
ジーンは返事をせずに、タルトのフルーツ部分だけを黙々と食べていた。彼は酸っぱいものと甘いものは一緒に食べたく無いらしい。というか、多分酸っぱいもの苦手なハズ。
ジーンが黙っているので、羽間はスマホを出して写真を開き、私に渡した。
「元から公務員志願だったよ、こいつ。警察以外で」
「わあ、懐かしい。この壁の落書き、おじさんがくれたときにすぐに消されちゃったの。こんなだったのねー」
「……やめてそれ」
ジーンは私の手からスマホを奪って、父親に返した。
「単に、残業がなさそうで固い職業に就きたかっただけ。警察と病院関係は絶対に嫌だというのは変わりない」
「なんで? 警察かっこいいじゃん、お巡りさん好きよ。大切なお仕事よね?」
「……親父殆ど家にいなかったよ、子どもながらにあれはないなーと思った」
子どもの苦情に羽間は笑った。
「すまんなーお前に甘えて殆ど家に帰らなかった。今思えばお前の事をちゃんと見ていたら良かった、後で何度も後悔したよ……」
「おじさん、ごめんね……。信は私のせいでこんな目にあったの」
「幸とエレンママは百パーセント被害者だから。生きるか死ぬかの問題だったからね?」
ジーンは不機嫌そうに言った。
いつも人当たりのよい性格なのに、実の父親の前だと、ぶっきらぼうな感じになるのが面白い。
「じゃあ、あの事件の加害者は誰だったんだ?」
「こんなの信じるか? 加害者は死者だ。ずっと前に死んだ幸の祖母と、検体した子どもの霊がおこした事件だよ」
「まさか」
「そのまさかが起きたのがこの事件だ。だから親父には説明しようが無かったし、敵が銃の効かない化け物だったので、警察もあてには出来なかった」
「まあ、エレンさんの最期の映像を見て、あれが事実なら俺達に出来ることは無いと思っていたよ、真相は予想を遥かに超えて意味不明の域だ」
映像と聞いて私は一人の女性を思い出す。
「おじさん。佐久間菊子さんはどうしているの? 日本にいるのよね?」
おじさんは優しい目をして私を見た。
「佐久間八段の娘さんは、戻ってからも元気でやっているよ。確か高校の剣道の全国大会で優勝したと同僚が言っていた。えらく美人なんだと。彼女は警察官になるかもしれないなぁ……」
警察と聞いて、ジーンは複雑な顔をした。
「佐久間に実態を教えてやってよ親父、忙しい職業だって……」
「剣道やっていきたいなら警察は適しているよ、仕事と両立して剣道や柔道やってるヤツ多いし」
「……で、親父は今は運動していないと」
ジーンは呆れ顔をして父親のお腹を揉んだ。
「お前を探していたからな、その時間を取るには辞めるしか無かったんだよ」
「……うっ……ゴメン」
親を責めていたジーンの顔が曇ったので、羽間はニヤリと笑い、息子の頭をワシャッとかき乱した。ジーンは泣きそうな顔をして笑う。
……彼がこんな顔をするのは珍しい。
信が素顔を見せるときはあまり無いので、私は微笑ましく父子を見ていた。
ジーンはケーキのフルーツを全て食べ終えた後、フゥとため息をついた。
「異世界、時間遡行、犯人は幽霊と死体。こんな話を信じてくれる人はいないし、これからも誰にも話す気はない。親父も忘れてくれ」
「言わない方がいい。頭がおかしいと認識される」
「だよね」
ジーンは顔をクシャッと歪めて笑った。
羽間は甘いコーヒーで喉を潤すと、話を続けた。
「で、幸ちゃんの子どもの親はお前?」
「……えっ!」
私はびっくりしておじさんを見た。
「何で親父がその事を……?」
羽間はうーんとうなって、無精髭の生えた顎を触る。
「俺が保護者代理で幸ちゃんを病院に連れていったからね……。その時に医者に聞いた」
ジーンは頭を抱えて深いため息をついた。
「……結論から言って、幸は俺の子どもを流産した」
「流産したコウちゃんを、あの家に置いていったのもお前なのか?」
羽間のおじさんは静かだが怒っているようなので、私は「違う」と信を弁護して、おじさんの腕を揺すった。
「エディ……あの世界の神様は、時間や空間を越えることが出来るの。私がユウくんとお別れした日に、私は日本に、信は五年前のイギリスに飛ばされたの。信は何もしてないし、私が何処に飛ばされるかは分からなかったの。あの日、信はこっちにいただろうし、私を助けに来ることは出来なかったの」
「時間と空間を越える?」
「そう、ワープとか、テレポートみたいなやつ」
「……うわぁ」
私の真剣な顔を見て、羽間は頭を抱えた。
「親父、理解できないようだけど説明だけしておくよ。俺と幸が向こうの世界に呼ばれたのは、こっちの世界の人間を一人生け贄に差し出す為だった。本来は幸が生け贄になるはずだったのが、俺が妨害したために、主犯の二人が幸の子どもを身代わりにする方法を考えて実行した」
……生け贄って、言われてみると確かにそうだ。あの地の魔力供給には私の血や体が必要だった。
本来なら、皆と仲良くなる前にフレイがレーンを説得して、私の魔力でレーンが神様になれば良かったんだ。そうしたら死ぬのは私だけでよかった。
羽間は考え込む私と信を交互に見て、息子の肩を抱いた。
「……お前、それに協力したと?」
ジーンは黙って頷いた。
「幸を生け贄にしないで済む解決法を聞いたのは、最後の最後だけどね。幸は最後まで何も知らされていなかった。知ると幸は反対して、死ぬ事が分かっていたから……全員がそれを伏せていた」
「お前は、それで良かったのか?」
父親の問いに、ジーンはうなだれて呟くように言う。
「悔いはあるが、それしか方法は無いと思う……俺と幸の間に出来る子どもの中で、産まれてくる力が無い者がいる。そしてその子が、あの世界で生きることを望むのなら、俺は応援する」
「んっ? その子どもは生きているのか?」
驚く羽間に、私は涙を流して頷いた。
「ユウくんは、神様になっちゃったの。とても頭のイイ子だったの……」
羽間は私と息子の顔を交互に見て、頭を抱えた。しばらくそのまま唸って、そして胸元に手を入れてタバコを出す。
「親父。混乱するのは分かるけど、煙草は外で吸ってくれ。幸が嫌がる」
「……お、おう」
羽間はおぼつかない足取りで外に出るので、私は後をついて外に出た。
私は花壇のレンガに腰かけて、煙草を吸う羽間の隣に寄り添った。
「……信の事、黙っててごめんね、おじさん」
羽間は無言で煙を吐く。私がその煙を見ていると、羽間は口をすぼめて丸い煙を出した。
「わぁ」
私は懐かしさに目を輝かせて、その煙に手を伸ばす。煙は私の腕に巻き付いて消えた。
「おじさんの丸い煙好きだったなー」
私が笑うと、羽間は幸の頭を撫でた。
「今もわけわからんが、当時に聞いていたら怒ったな。人の息子を何だと思ってるんだと」
私は、おじさんの顔をじっと見て、聞いた。
「……もし、九才の信がいたあのお家に、十四才の信が現れたらどうする? 信じる?」
「そうか、そーゆーことになるのか……」
煙が変な所に入ったのか、羽間がむせるので、私はおじさんの背中をさすった。
「いや、信じないね。児相にでも連れていって終わっていたよ。当時は家に信がいたからね。そう思うと君の父親はすごいね。その話を信じてあいつをかくまったんだから」
「隼人はなにもしてないです。ママのお兄さんが信を育てただけ」
羽間はふぅと煙を吐く。
「信は君のママと、そのお兄さんが育てたようなものだな。俺は何もしなかったよ」
肩を落として言う信の父親を、私は励ます。
「大丈夫です。信はおじさん大好きですから! 仕事が忙しいけど尊敬してましたよ、いつも」
「でも警察にはなりたくないんだろ?」
「あ、あれはですねー。多分私がよく倒れるからだと思います。少しでも側にいてくれようとしてくれているみたい……」
うん、とても情けない理由だけど、これが正解だと思う。私としては信に会える時間が多いほど嬉しいけど。信には申し訳なさしかない。
「仲良しだよね、二人は」
「はい、私、信が大好きですよ!」
せめて信が笑ってくれるように努力しようと決心しながら言うと、おじさんは優しい笑顔を見せた。
「これからも信をよろしく頼むね」
そう言って信のパパは、大きな手で私の頭を撫でた。
信のパパはその後、隼人や、叔父にも会ってお礼を言っていた。
叔父の家に連れてこられた信の父親に、隼人は深々と頭を下げた。
「こちらこそ、結果的に貴方の息子さんを奪うような形になってすみません。エレンが死んだ後、息子さんを日本に戻すべきか悩みました。しかし彼の意思でこちらに残ることになりました。改めてお詫びします。申し訳ありませんでした」
「いえ、こちらこそお世話になりました。信が消えて七年経ったら、信は戸籍上死んだことに出来ます。もうあいつの居場所はここにしかありません。これからもよろしくお願いします」
固い握手を交わす親を見て、私はジーンの腕に巻き付いて寄りかかる。
「隼人が人に頭を下げるのをはじめてみたよ」
「隼人さん、仕事をしているときはいい人だからね。あの俺様姿勢は幸と俺の前でしかしないから」
「ふーん……へんなの」
「家族だから娘に甘えているのかと思ってた。俺には娘はやらんモードでね」
「えー。だって私隼人と血がつなかってないのよ?」
ジーンは信じられないと、呆れ顔を見せた。
「それは解決してただろう? 隼人さんは幸の父親だって」
「ママと隼人の娘がフレイそっくりって変だもん。やっぱ何かあるのよ……」
二人が話していると、背後から羽間が話に割りいってくる。
「幸ちゃんは篠崎さんの娘だよ。事件の時に調べたし、エレンさんとももちろん親子関係があるよ」
「……えっ」
信のパパから言われると真実味が増す。本当のことのように聞こえる。
「隼人とは赤の他人だと思っていたのに……」
口に手を当ててプルプルと震えていると、隼人が後ろから私を抱きしめた。
「娘でもないのに世話を焼かんだろう、このあほ娘」
そして隼人が頬にキスをするので、私は隼人から逃げようと抵抗して、隼人の顔をつかむ。
「じゃあどうして私はママに似ていないの?」
ずっと思ってきたことを隼人に言うと、隼人はニヤリと口元を歪めて笑う。
「コウ、お前はフレイの娘だ。凍結保存されたフレイの卵子に、俺が精子を提供して、エレンが出産した。これが真相」
「……えっ」
「遺伝子的には、お前はエレンの父親違いの妹にあたるかな?」
「なにそれ……」
「体外受精ってやつですね。どうりで幸とママが似ていないわけだ、幸にはターナー家の血が入ってない」
ジーンが横から話に入ってきてため息をつく。
「なるほど、先代の伯爵は、自分と血が繋がっていないフレイの娘を作りたかったのか。理由を考えるとうすら寒いですね」
「ジジィはそれだけフレイの再生に必死だったんだろ……」
隼人はどこか遠い目をしていた。
「でもまあクローンでなくて良かったです。法には触れていなかった」
「記録には残ってないだけで、じーさんは好き勝手にやらかしてくれたよ。まあ全部墓まで持っていくけど」
私はやっと隼人から解放され、ジーンの後ろからじっと隼人を見た。
「……本当に?」
「何が?」
「隼人は私のパパなの?」
「そうだよ、コウ。どうして違うと思ってた?」
「えっ? だって、会ったらいけないってママが言っていたし、隼人に近付くとママ怒るし……」
それを聞くと、隼人は申し訳ない顔をする。
「エレンは俺が誰と仲良くしても怒るよ。ニコラス様にも、バトラーさえも怒ってた。エレンは俺が誰にも優しくするなと呪うくらいに必死だった。この呪いから除外されてるのは篠崎のばーさまと母のミツコ、妹の昴だけだ」
私はジーンの影から飛び出し、隼人の腕をつかんでその顔を見る。
「本当に?」
混乱する私に、隼人はキスをした。口に。
私は驚いて隼人の口を手で塞いで追撃を阻止する。
「親はマウストゥマウスなんてしないっ!」
「大丈夫、正真正銘の父親だし」
「大丈夫じゃ、ないっ!」
うぐぐと、隼人の手をつかんで抵抗していると、ジーンが背後から私を引き寄せ、隼人から引き剥がした。
隼人はおもちゃをとられたこどものような顔をするが、すぐにいつものニヤケ顔に戻った。
「ほら、コウの勘違いだった」
「ハヤトキライ」
「幸がいつまでもガキっぽいからからかわれるんだよ、フレイみたいにしゃんとしていればいい」
「フレイだって敵だといってたもん!」
「フレイがそんなことを……」
「からかうからだよ! 隼人はいっつもヒトを馬鹿にするから!」
プンスカ怒る私の頭を、ジーンはぐりぐりと撫でた。
「まあいいや、そろそろ出掛けよう」
ジーンは車の鍵を出して、私と父親を乗せて出発した。