14-12、墓参り
カエデが色づく季節になると、皆で昔おじいさまの家があった地方に行く。
今はもうおじいさまの家は売却してしまったのだが、親族のお墓が動かせずにいる。なので、秋には毎年親族でお墓参りに集まるらしい。
その親族の集まりとは別に、隼人と叔父と私とジーンの四人だけで、ママのお墓参りをしようということになった。
その地方には大きな湖があり、丘の上には古いお城が建っている。そこは雨の多い、のんびりとした田舎町だった。
その町にはおじさんや隼人の知り合いが沢山いるようで、行く先々で声をかけられていた。
立ち話をする叔父や隼人を放置して、私はジーンと手を繋いで湖を見てまわる。
広い湖は湖面がキラキラと光り、爽やかな風が吹いていた。
「ママはこんな綺麗なところで生まれて、そして今はここで眠っているのね……」
「そうだね」
綺麗な景色を信と見て歩くなんて、初めてかもしれない。
私は写真を撮る観光客に紛れて、湖とジーンの写真をスマホで撮影した。
「そういえばレーンが寂しがっていたよ、もうずっと幸と話していないって」
「……うっ!」
……レーンに襲われた映像を見てから、私はずっと猫様を避けている。猫様もそれを気付いているようで、こうしてスマホを触っていても、呼び掛けないと出てこない。
「幸はレーンと喧嘩でもしたの?」
「してない。そもそも話をしていない」
私の様子がおかしいと感じたのか、それとも話をするためか、ジーンはベンチに私を座らせた。
ジーンは水筒を私に渡す。私は水筒の紅茶を一口飲んで息を吐いた。
「どうした? 何があった?」
私はじっとジーンを見る。
「君は、私がレーンとお話しても何とも思わないの?」
「何だって?」
私は上気した自分の頬を手で押さえた。
「だってレーンって、フレイのこと好きでしょう? 私も何度もそーゆー接触あったみたいだし、私と一緒に暮らしていたっぽいよ? そーゆー人と私がお話するのは、問題があるかなーって」
「俺が、焼きもちを焼くと思った?」
「うん。だって、ママは隼人と私が一緒にいると嫌みたいなの。だから私、隼人に近寄らないようにしているの」
それを聞いてジーンは吹き出した。
「幸が隼人さんを嫌う理由ってそれなの?」
「笑わないで。真剣に聞いているのよ?」
ジーンはしばらく笑っていたが、私がお茶をついで渡すので、喉をうるおして一息ついた。
ジーンはどこか遠くを見つめるように、湖面を見ている。
「レーンと俺の関係は複雑なんだよ。彼は向こうに置いてきた俺自身だから、彼が幸に気を向ける気持ちも分かるし、幸と仲良くされると嫌な面もある」
「置いてきた俺自身?」
ジーンは頷く。
「幸みたいに忘れられれば良かったんだけどね。彼が三百年フレイを求めてさ迷ったりとか、誰も自分を認識してくれない寂しさを共感してしまったから、彼を思うと切ないよ」
「レーンは強がりで泣き虫だからね」
ジーンは考え込んで私に聞く。
「その幸の言う、レーンが泣いた記憶って俺には無いし、映像にも無いんだけど、どこで彼は泣いたの?」
「えっ?」
「最初にセダンで会った時とか、結晶を取りに来たときも泣いてたよ?」
ジーンは苦笑する。
「セダンの会合でレーンが覚えているのは別の事だしなぁ……そして結晶の時はあれか、エレノア妃の部屋か……なら確認しようがないな」
「置いていかれた時とか、フレイが死ぬときを思い出すと泣いちゃうみたい」
「……幸が耳まで赤い」
そう言ってジーンは私の頬を触る。
「ひゃっ。だ、だってレーンって泣くとキスしてくるんだもん」
……いや、泣いている子にキスをしたのは私かもしれないけれど。
それを聞いてジーンは頭を抱えた。
「エレノア妃の部屋で……」
「ちょっ、ジト目止めて、何もなかったし!」
私はジーンの手を引いた。
「キス関連の事だけ思い出す幸さんえろい」
「もう、なんて言い方! 他にも少しは思い出したよ?」
「何を?」
「白いヘビを胸に入れるととても冷たいとか、君は髪の毛固いけどNo.7は柔らかかったとか……」
「やっぱ感覚絡みだね」
……それ以外に思い出すって何だろう? 会話や見た目かな? でも私は触ったり、匂いとかのほうが覚えているんだよなぁ?
レーンの硬い髪、三の姫のフワフワ髪はたまに熱い。火竜のおかっぱ幼児の髪も煌々と燃える熱い部分がある、とか覚えている。
でも、ひとりだけ触った感じが思い出せない子がいるのだ。あの子は誰?
「でもね、どうしても思い出せない事があるの」
「何を? 年越しの祭りは思い出した?」
笑って言うジーンに、私の顔が赤くなって燃えあがる。
「そ、それは。う、うん……」
顔を伏せて恥ずかしがる私の背中を、ジーンはポンポンと叩く。
「そのあとの事なの……」
「何?」
「異界の普段の生活と、異界から帰ってきた後の事があまり思い出せないの」
ジーンは私にその名前を言った。
「アレクセイ・レーン」
……その子は分かる。スマホの猫様みたいな黒猫で、変身が得意なイイ子。
私か頷いたので、ジーンはもう一人の名前を口に出す。
「ユウ……」
その名前を聞いただけで、心臓がドクドクと鳴り、耳鳴りがした。
その子を思い出してはいけないと、頭の中で警鐘が鳴る。冷や汗が吹き出す。思い出したいのに、私にはそれがとても怖い。
私は震える手でジーンの手を握った。
「……私、その子を裏切った? とても酷いことをした……?」
ジーンは私の手を取り、ジーンの顔にあてて首を横に振る。
「していないよ。ユウとアレクセイは二人であの世界の中心にいる。彼らはあの世界を守っているんだよ」
「じゃあ何で私、こんなに苦しいの?」
ポロポロと涙を流す私をジーンは引き寄せて、抱きしめた。
「幸が、あの二人を愛しているから」
そのまま私は黙って、しばらく泣いていた。
◇◇
のどかな観光地に、楽しげに笑う人々が目の前を通りすぎて行く。
俺は泣いている幸を人目から隠すように、上着を頭から被せていた。
幸は突然立ち上がり、隅っこで鼻をかんだ後、ハンカチで顔を隠したまま戻ってきた。
「目が赤いと絶対隼人にバカにされる! 私、顔洗ってくる!」
幸はトイレに向かって走っていく。
幸が去ってから暫くして、ニコラス様と隼人さんが話を終えて俺に近付いてきた。
「おい小僧、娘いないぞ」
「……顔を洗ってくるそうですよ?」
「こんな人が多いのに、あの方向音痴がどこいった?」
俺はスマホを取り出して、幸に電話をかける。すると少し離れた所で電話をとる幸の後ろ姿が見えた。
『ごめん、買い物してた』
電話に向かって話す幸に近寄り、幸の頭に手を置く。
幸の頭には、さっきまで何も被っていなかったのに、今は白い帽子が乗っている。
つばで顔が見えないので、その顔を覗くと、目がまだ赤かった。幸はつばを引いて顔を隠した。
「涙とまらないから帽子で隠すことにした」
「幸が泣いたって誰も馬鹿にしないから、泣きたいときは泣くといいよ」
「隼人は絶対に馬鹿にするからね!」
俺はハハハと笑った。
◇◇
私たちは一旦ホテルに行った。
このホテルは冬季休暇の時に叔父さんと泊まった場所で、部屋も前と同じ部屋を開けて貰った。
部屋で喪に服し、エレンママが眠っている親族の墓地に四人は徒歩で向かう。
その墓地は、広い敷地に鉄の柵を張り巡らしている。門をくぐると、中は公園のように整備されていた。
少し傾斜のついている坂道を、四人と神父様と並んで歩く。
親戚が集まっていた、おじいさまのお墓参りとは違って、今日の参列者は隼人と叔父さん、私とジーンの四人、あとは神父様だ。
一同は、ママの名前が刻んである白い墓石の前に並んだ。神父様が聖書を読み、お祈りを捧げて、讃美歌を歌う。その長いお説教を聞きながら私は周囲を見た。
この閑静な墓地からは、おじいさまがかつて住んでいたお屋敷が遠くに見える。
ママのお墓の周りには親戚の名前が入っている墓石が並んでいる。
私の耳についていたというママの石は、先日隼人が一人で来てお墓に埋めてもらったと聞いた。
私はママの墓石に触れ、心のなかでエレンママに話しかけた。
……ママはあっちで、私とずっと一緒にいたの? 向こうの世界は楽しかった? それともやっぱり隼人に会いたかった?
ひとり心の中で話し掛けるが、返事は無かった。
……ママは、どうして私達を守ることを選んだの?
私はしばらく墓石に触れていたが、ママの行動に対する答えはなにも得られなかった。
そうしているうちにお墓参りも終わって、一行は墓地を出る。神父様と別れ、四人はホテルに向かうなだらかな坂道を上っていた。
私はボーッとしながら歩いていたので、男性達から遅れていた。私が遅れていることに気がついたジーンがあわてて戻ってくる。
そんなジーンの脇を、他の家族連れが通りすぎて行った。
その中から、幼稚園くらいの少年が親から離れて、私の足元を駆け抜けていく。
「Wait, where are you going?」
子どもを呼ぶ、母親の声が聞こえた。
……you
その黒髪のこどもは、親をからかうように笑って、私のまわりをくるくると回る。
その姿を見て、私は明確に思い出した。
向こうの世界に、自分がユウと名付けた男の子の幽霊がいたことを。
彼は何度も自分に話しかけてきた。
竜達も、私のことをユウのママだと認識していた。
墨で塗り潰したような記憶の壁にヒビが入り、ポロポロと破片が落ちる。壁が砕けるたびに、過去の記憶が露になって行く。
そこに隠されていた、ユウやアレクと過ごした日々の欠片が現れ、光を帯びて心に沈んだ。
思い出したのはサーの夢の世界だけではない。自分の体から千切れていく、小さな命を、その痛みを思い出した。
――どうして、どうして私は彼らを忘れていたんだろう?
薄れていく視界の片隅に、黒いスーツを着た男性の手が見えた。
◇◇
ジーンは幸にまとわりつく子どもを親御さんのほうに誘導した。
笑う子どもに手を振って、背後にいる幸を見ると、幸はフラフラとして今にも倒れそうだった。
「……コウ!」
俺が駆け寄るよりも早く、隼人さんが駆け寄り幸を支えた。幸は隼人さんにもたれけかり、そのまま意識をうしなった。
隼人さんと俺が幸を病院に連れていくが、特に外傷も異常も無く、旅の疲れだろうと点滴を打って貰っていた。
一行は旅を切り上げて一旦家に戻るが、その日を境に、幸は起き上がれなくなり、毎日殆ど寝て過ごした。
幸はたまに目を覚ますので、俺は話しかけるが、俺を認識しているかどうかもわからないほど朦朧としていて、まるでファリナで寝込んでいた日のようだった。
『……またコウは倒れたのか』
幸のスマホからレーンが話しかけてくる。
『コウは、そっちの事を思い出すと倒れるみたいですね。レーンはコウをいじめすぎたんじゃないかな?』
『反省も謝罪もしたつもりなんだがなぁ』
俺はしょんぼりする黒猫の様子がかわいく見えて、画面を撫でた。
ニコラス様は昼間は家にいないので、比較的時間に余裕がある俺が幸の事を見ることになった。
俺は作業中のレポートを持ち込み、幸のベットの脇に座って、幸の様子を見ていた。
「なんだか昔に戻ったな……コウ……」
昔から幸はよく倒れていた。
食事中でも突然眠るし、道端でさえ寝落ちする。異世界に渡ってからは頻繁に倒れていた。
原因はフレイに取り憑かれていたからだと思う。
俺は、フレイの夢を見ていた時の幸を思い出して、ふぅと息を吐いた。
ある日俺が幸の部屋に入ると、幸はベットに寝たまま、まっすぐに俺を見ていた。
寝ぼけ顔でなく、ぱっちりと目を開けている。
『……ジーンさん、お務め無いの? セレムはまだ聖地?』
……このジーンは、英国国籍の俺じゃないだろう。セレムと俺がいるなら、ファリナにいたときか。
俺は幸の頭をなでて笑顔を向ける。
『セレムがいるから、大丈夫だよ』
『そう……』
幸は安心したように息を吐いて、また眠った。その安らかな寝顔を見て、俺はフゥと息を吐いた。
「寝ぼけているのか、それともまた夢を見返しているのか……」
墓地で見た黒髪の男の子が、幸の記憶の扉を開けたのだろうとは予測がつく。
自分とユウの繋がりは殆ど無かったので、今の幸の気持ちには共感出来ない。
自分にとってユウは聖地に迷い込んだ子どもの幽霊でしかない。
しかし幸とユウは、体で繋がっていたのだ。たとえ後からそれを知ったとしても、そのダメージはよほどのものだろう。
その後も幸は自分の過去を夢で見続けていた。
『やめてレーン、アレクに酷いことしないで』
幸がうなされて手を伸ばす度に、俺はその手を取って幸を揺り起こした。
「夢だ、幸、それは夢」
「……あああ」
幸は俺にしがみついて泣いた。
一月くらいそんな状況が続いていたので、俺も疲労と寝不足で倒れた。
俺が気が付いたときは病院のベットの上で、腕に点滴がついていた。
運ばれたのは菊子がいた病院らしく、顔見知りの看護師が様子を見に来る。
「貴方はいつも疲れているわね。点滴が終わったら帰ってもいいわよ」
「すみません、ありがとうございます」
俺は看護師に礼を言って、ゆっくりとたれる点滴をイライラしながら見ていた。
……何時間こうしていた?
幸はどうなった?
誰がここに俺を連れてきた?
点滴の液が落ちきるまでどれくらいかかるのだろう? 俺はポケットにスマホが無いか探したが無かった。
「………フゥ」
時間に抵抗するのを諦めて目を閉じる。すると眠気が訪れて、俺は久々に眠った。
俺が気が付いたとき、廊下から少女達の楽しげな声が聞こえた。
彼女らは俺のいる大部屋の扉から顔を覗かせ病室に入ってくる。
背の高いほう、紺のパーカーにジーンズの銀髪がミレイで、白いワンピースでつばが小さめの帽子をかぶっているのは幸だった。
「コウ……」
俺は幸に手を伸ばす。
幸は俺の手をそっと握り、眉を下げて、にへらと……力なく笑った。
俺のベットに腰かける幸の背中には、髪の毛が無かった。
俺は髪の無くなった幸の背中に触れる。
「幸、髪は……」
「さっき、切ってきた」
腿まであった、フレイのような長い黒髪はばっさりと切られ、白いうなじが露出している。
俺は幸の頭を撫でる。
「こけしみたいになったな……」
それを聞いた幸は、俺の顔を手のひらでペチりと叩いた。
「彼女が髪を切ったらフツウは誉めるの!」
幸が頬をふくらまして言うので、俺は笑った。こけしを見たことの無いミレイが首を傾げる。
「……なんだ、こけしって?」
「日本の郷土人形で、あんまいい意味無いの」
「こいつデリカシー無いからな。隼人を見習えばいいのに」
ミレイの言葉に幸が驚く。
「隼人はデリカシーから一番遠い人間だよ!」
三人は吹き出すが、病室なのでお互い息を潜めて笑った。
空行く鳥が巣に帰っていく様子を俺は見ていた。
ベンチに座る俺の隣には幸がいて、その奥にミレイがいる。
日が暮れる頃に三人は、病院の前でベンチに座ってタクシーを待っていた。
「ミレイまで巻き込んでごめんね」
幸越しにミレイに言うと、ミレイは違うと手を振った。
「ボクはコウが美容院行くのに呼ばれただけだ、お前の心配はしていない」
……うん、素直じゃ無いな。謝罪がダメならこっちか。
「……ミレイ、幸の面倒を見てくれてありがとう」
「ジーンは私の親じゃ無いんだから、私のお礼までしなくていい」
……いやもう、年頃の娘さん、難しい。
待っている間に、ミレイはこけしの画像を検索して、ケタケタと笑っていた。
その横で、幸は紙袋からズルリと切った髪を取り出した。長い、そしてなんか怖い。
「切った髪を持って帰れと渡されたの。これどうしよう?」
「そんだけ長いとウィッグ作れそうだな」
幸はミレイに髪を見せて、いらないと断られていた。幸は困って、袋を俺に渡した。
「……君にあげる」
「いらないよ、夜中動き出しそうで怖いし」
「私、髪の毛に神経通ってないからね! って、これ、なんか言ったことのあるな、どこだっけ?」
……それは、俺の家のベッドの上で言った台詞だ。
さすがにミレイの前で説明をする勇気は無かったので、俺は話題を変える。
「しかしまあ、思いっきり切ったなぁ。おじさん驚くだろうな」
「フレイと間違えなくていいでしょう?」
「元から間違えた事は無いけどね」
「あるよ。学院に来たとき間違えたもの」
「真冬に下着で浮いている人を見たら、誰だって幽霊だと思うよ……」
苦笑して俺が言うと、ミレイは目を輝かせた。
「えっ、コウって浮けるの? 今度やって!」
「エディがやったんだよ。私の能力じゃない」
「つまんなーい。じゃあも消えたりりないんだな」
夏至祭の日に、踊っていたミレイの目の前で幸が消えたらしい。ミレイにとっては忘れられない怪事件だったのだろう。
「わたし、もう二度と消えないの……」
幸が少し疲れた様子で笑うので、ミレイは不安になって幸に抱きついた。幸は微笑んだまま、ミレイの銀髪をよしよしと撫でていた。