16、夕闇2
日は落ちて、外灯が道を照らしていた。
放課後に町を走り回っていた信は、道で藤野さんと立ち話をしていたエレンママを捕まえて、GPSを立ち上げ幸を探した。
幸は町外れの林にいるようなので、ママと二人でそれが指し示す場所に行った。矢印は林の中を指していたが、林に踏みいる前に、幸が道に飛び出してきたので捕まえた。
幸は道に出たところで力尽きたのか、ガードレールに寄りかかり座り込んでいた。近寄ると、夢を見ているように虚ろな目をしていて、制服は土や葉で汚れている。
「コウ、コウ、お前大丈夫か? 林で寝ていたのか?」
幸の頬をペチペチと叩いて聞くと、幸は顔を上げてふにゃっと力なく笑った。
「あは、信だ……ホンモノ……」
幸はそのまま気を失った。
幸の鞄をママに持ってもらい、俺は幸を背負って家に帰った。背負った幸をソファーに転がそうとして、うっかり幸の頭をソファーのへりにぶつけてしまった。
「あっ、すまん」
思わず謝ると、幸は頭を押さえて丸くなっていた。
「幸、目が覚めたか?」
幸はゆっくりと顔を上げて、じっと俺を見ていた。幸が寝ぼけているのは毎度の事なので、俺はいつものように話し掛けた。
「どうした? ここはお前の家で、今は夜の七時半だ、ちなみにお前の名前はシノザキコウだ」
「……うぁ」
幸はうめいて、大きな目からポロポロと涙を流して泣き出した。
俺は幸の隣に座り、幸に向かって手を広げる。幸は俺に抱きついて、俺の胸に顔を擦り付けてわぁわぁと泣いた。
「どうした? また悪夢を見たのか?」
泣いている幸の頭を撫でると、幸は首を振る。
「じゃあ猫関係か? 捨てにいっていたとか?」
猫と聞くと、幸の動きが止まった。幸は泣くのをやめて、ヒックヒックと肩を震わせながら、すがるような目で俺を見た。
「猫どこ……?」
「猫はお前が学校で抱いていただろ?」
そう言うと、幸はソファーから下りて猫を探し始めた。ソファーの下やカーテンの裏を必死になって探している。
道で倒れて気を失ったかと思えば、突然猫を探し始めたので俺は呆れて幸を見た。
「お前さ、朝すっころんで膝怪我していただろ? そんなに這い回って痛くないのか?」
「あっ……!」
幸は何かに気がついたように床に座り、ペリペリと膝の絆創膏を剥がし始めた。俺も怖いもの見たさで傷を覗くと、傷は完全に治っていて綺麗になっていた。
幸は床にペタりと座り、迷子のような目で俺を見る。俺は幸の前に膝をつけて聞いた。
「幸は朝に転んで、怪我をして保健室に行ったよな? すぐに治るような怪我だったのか?」
幸は黙ったまま首を横に振った。
「猫が……」
また猫か、と俺は呆れるが、話は最後まで聞くことにした。
「猫が治してくれたの」
「……は?」
幸があまりに荒唐無稽な事を言うので、俺はキョトンとした。
「私、林を歩いていたよね? 林を抜けたら信がいて、安心して寝ちゃったけど、その時黒い猫がいなかった? 私ずっとその子といたの」
「学校にいた猫だな? なんであんな林に入っていたんだ? 猫がそこに入っていっちゃったのか?」
「……」
状況を聞いて確認しているのに、所々で幸が黙る。何をどう聞いたらいいのか困っていたら、ママがキッチンから顔を出して「夕餉ジャ」と手まねいた。
◇◇
悪夢のような池の殺戮劇から一転して、幸は平和であたたかな食卓にいた。目の前にはママと信がいて、いつものように談笑している。
夕飯は藤野さんが作ってくれたらしいおにぎりと筑前煮と肉団子だった。私は怖い思いをしたので食欲なんて無いと思ったが、一口食べたら空腹だったことを体が思い出したようで、夢中でおにぎりを食べた。
「おいしい……」
こうして家で、ママと信と一緒にご飯を食べてると、さっき見たことが全部夢の中の事のように思えてくる。
……目の悪い人がいた池で、アレクとレアナが殺しあっていた。あれは一体何だったんだろう。本当に起きた事なの? それともまた、フレイの夢なの? そして二人はどこに行っちゃったの?
私はボーッとしてお茶を飲んでいたら、ママが和菓子を出してくれた。それは小さな大福で、雪うさぎのように装飾されていた。
「甘い、おいしい……」
私が笑顔で一口サイズの大福を取ると、ママも笑っていた。
「It's made in フジノサン(藤野さん作よ)」
「藤野さんはすごいよね、何でも作るよね。ミソとかヨーグルトとかピクルスとか。しかもおいしい」
「ママに家事全般を教えてくれる貴重な老婦人だね」
信も大福を食べながら、手についた粉を落としていた。
藤野さんとは前にこの洋館に住んでいた老婦人で、旦那さんが体調を崩したので、この家は売って、介護を受けやすい坂の下に引っ越したらしい。
藤野さんは「端正込めて世話をしている庭が気になる」といって、頻繁に訪れてくれる。
藤野さんの手入れは庭だけにとどまらず、掃除も洗濯もお料理も何でも教えてくれた。
「藤野さん好き。一見怖いけどとても優しい」
「ママの好きな映画の人みたいだよな」
「メリーポピンズ! スーパー家庭教師ね」
私がその名前を言うと、ママは笑って映画の歌を歌ってくれた。ママの歌はとても上手くて素敵なので、私はしあわせな気持ちでママの歌を聞いていた。
夕食後にシャワーを浴びて、汚れた制服を綺麗にして寝る準備をしていたら、信が木をつたってやって来て、窓を叩いた。
「どうしたの?」
私が窓を開けて聞くと、信はじっと私を見ていた。
「今日は様子がおかしかったから、大丈夫なのか確認しに来た」
それを聞いて私は眉を下げて力なく笑う。
「だいじょーふだよ……」
「大丈夫だというなら、何があったか話してみろ。猫はどこで拾った?」
何か口調がキツい、信は何か怒ってる?
「学校だよ、保健室で見たの」
「猫が部屋のなかに入ってきたのか?」
「うん」
「放課後林にいた理由は?」
……盲目の人に会いたくて。
って、信に言っても平気なことかな? 見知らぬ青年を探してたとか、言ったら怒られない?
しかし黙っていると余計に怒られそうだ。信に怒られない理由は……あ、そうだ。
「猫が話をするの」
「は?」
「間違えた、そもそも猫じゃないの、あの子は……」
私はそこで、レアナの言葉を思い出した。
――お前の大切なものを全て消し去って、お前を殺す
脳裏にレアナの真っ白な眼球と、血にまみれたドレスが浮かぶ。私は恐怖におびえて、口を開けたまま何も言えなくなった。
……レアナは私の大切なものを消すと言った。彼らの事を話したら、信を、ママを巻き込んでしまうかもしれない。
私が何も説明をしないので、信はため息をついた。
「大丈夫じゃないな、猫一匹で、お前がここまでおかしくなるとは思っていなかった」
そう言って信は私の頭に手を置く。
「猫は、今度見つけたらママに言いな? 一軒家でアレルギー持ちもいないし、ちゃんと飼えばいい。餌とか病院とか手伝える事があったら手伝うから、今日は安心して寝ろよ」
私は黙ったまま頷いた。
信は満足したのか、窓から自分の家に帰って行った。
寝ないと信がまた来るかもしれないので、私は消灯してベッドに横になった。
体は疲れているのに、恐怖と不安が心を占めて、眠れる気がしない。こんなときこそ、フレイが助けてくれたらいいのに。と、私は天井をにらんでいた。
……餌、病院
信の言った事を考える。
守護竜は不老不死だから、そもそも病院はいらない筈だ。怪我もすぐに治るし、双竜に関しては霧に変わる事で形状を自由に変えられるみたいだった。
じゃあ、餌か……
二人は糧と呼んでいたけど、意味は同じ。
本来彼らは食糧を食べない。水も飲まない。唯一食べるのは『銀の水』と呼ばれるもので、それはあの世界の命の形状のひとつだ。
生き物が死ぬと、命は銀の水に変わり、銀の水は守護竜に取り込まれることで浄化され、世界樹に戻り、そこからまた新しい命に生まれ変わるのだ。
その生命の循環システムの重要な所にいるのが彼らだ。
でもここには銀の水も、あの世界の根幹を司る樹木もない。アレクは糧が必要だと言っていた。この場合の糧って何?
私は薄く光る三日月を見て、声に出さずに言った。
……サーは、私を恨んでいますか?
その言葉は誰に聞かれることもなく、夜の闇に消えていった。