14-4、猫様
叔父さんの養子のジーン、なんと彼は私の幼馴染みの信だった。
「信と付き合う事になった」と、叔に報告すると、何故か隼人が口を出して来て、ジーンは自分の家に帰された。
隼人が言うには、「結婚前の娘と恋人が同じ屋根の下に住んではいけない」らしい。恋人と聞くとにやけてしまうが、隼人のお陰でジーンに会える確率がぐっと減った。
……あのアパートに押し掛けようかな?
そうは思っても、行ったときに車移動だった為に何処に家があるのか全く分からなかった。
叔父さんは昼間は家に居ないので、私は殆ど一人で家にいることになる。ひとり黙々ととテキストを埋めながら、「もうだめだ」とテキストを投げだし、ソファに寝転がった。
「寂しい寂しい。こんなのソラマナと変わらない。私にも車があれは遠くに行けるのに」
……ん? ソラマナって何?
自分がつぶやいた言葉がよくわからなかったので、スマホにメモをした。
´異世界´´ソラマナ´´セレム´´アレク´´ファリナ´´聖地´´ミク´
「謎用語がたまってきた」
これはたまにジーンがポロリと漏らす言葉だ。ミクは検索したらインターネット上の何かのキャラクターのようだった。
「アレクはもう少し長い名前だった気がする」
スマホの検索ツールを開いて、音声入力のボタンを押した。
「レーン」
……そうだ、アレクセイレーンと言ってた。闇の中の光って意味だなあ。レーンは闇だ。
検索結果を見ていたら、スマホが何かをダウンロードし始めた。これはあれだ、よくあるやつ。あぷりけーしょんの更新ってやつだ。
ダウンロード中はスマホの動作がぐっと遅くなる。私は検索するのを止めて、スマホを脇に立て、テキストに励むことにした。
テキスト埋め作業も一時間経過し、勉強に飽きてスマホをつけたら、スマホの中に猫がいた。
「……あれっ?」
見間違えたかと、二度見する。
猫はアニメっぽい平坦な絵柄だったが、スマホの画面の中で動いたり、耳をかいたりしていた。
「……か、かわいい」
何かのアプリの一種なのだろうか?
そっと画面の猫をつついてみる。すると、触れた箇所に水滴が落ちたようなエフェクトが出て、猫がニャンと鳴いた。
……声、かわいい!
「ごはんあげたりできないのかな? 動物育成ゲームとかかな?」
猫のまわりを見たが、特殊なボタンは無く、お世話はできないようだった。
でも、画面の隅を触ると猫が歩いてくる。
他のアプリのアイコンを飛び越えたりしてとてもかわいい。
私は時間を忘れて、長い間その猫を見ていた。
最近寝る前にはジーンと通話するのを日課にしていた。画面に相手側がうつるので、今日こなしたテキストを見せたり、ニュースの話とかを延々としていた。
「今日、猫のアプリ落としたの。今度見てね」
「……ふーん」
ジーンは興味なさそうだった。そんなアプリは他にも一杯あるのだろう。
スマホは毎日何かをダウンロードしていた。私はスマホ初心者なので、そーゆーものかと放置していた。
暇があれば猫を眺めること三日目、なんと猫が喋り始めた。
『暇そうだな』
「しゃべったぁ!」
英語でも、日本語でもない言語だった。猫に吹き出しが出る形で読める。私はその言葉を知っているので、返事を打とうとしたが入力キーにその言語が無かった。
『その文字を入力することが出来ないわ』
私はスマホに話しかける。自分でもどうかと思うが、猫は返事をした。
『……わかった。何かを考える』
そういって、猫は画面の外に消えた。
「現代科学すごい。猫しゃべる!」
私は最新機器に感心して、スマホを大事にすることにした。
直接ジーンに会えたとき、その話をしたが、その時猫が画面にいなかったので、話は広がらなかった。
三日くらい経ったとき、スマホはまた何かをダウンロードしていた。私は期待しつつ、ダウンロードが終わるのを待った。
ダウンロードの名称が表示されない時は、必ずその猫関連なのだ。
……今度は何が追加されるんだろ? 楽しみ!
案の定、ダウンロードが終わると画面に猫が現れた。指でつつくとニャンと鳴く。
猫は何かの箱をくわえていたので、その箱をタップすると文字入力エリアが出てきた。しかもあの異国の文字だ。
『何か聞きたい事はあるか?』
猫が文字で言うので、人差し指でポツポツと打ち込んだ。
『君は生きているの?』
『生きている。死ぬ予定はないな』
……変な回答!
見かけはカワイイのに、口調はぶっきらぼうて、笑いがこみあげる。
フフッと息を吐いて思う。なんか久々に笑った気がする。最近は勉強とスマホ閲覧しかしていないので、笑う機会は無かった。
悲しくはないのに、目から勝手に涙がこぼれた。
『また寂しいのか?』
「あはは、ゲームに心配されちゃった」
涙を拭って『平気』と打つ。
『平気には見えない』
「見えないって何? 泣いたのがばれているの?」
……チャットじゃないの? こっちが猫さんを見ているように、向こうも私の姿が見えているの?
私は不思議に思って、文字でその事を聞いた。
『泣いてるのがわかるの?』
『なんとなく』
イエスでもノーでもない答えきたこれ。携帯電話って不思議。
『君は変な猫だね』
苦笑しつつ返事を打つと、猫は「ニャン」と鳴いて消えた。
私のスマホに住み着いた猫さん。
その猫は数学が得意なようで、数式を入力すると解き方を教えてくれる。私は感心して猫の言うとおりに数式を解いた。
猫とおしゃべり出来ることに興奮して、夜スマホ越しにジーンに言うと、ジーンは特に驚かなかった。
「あれか、チュートリアルやヘルプを解説してくれるイルカ的なやつ」
しゃべる猫は、古くからあるパソコンの機能の一種のようだ。私は「へー」と言いながら、画面にうつるジーンを見ていた。
ジーンはこっちを見ずに、論文のようなものをパソコンに打ち込んでいる。
「私、前にも君の事をこうして見ていた気がする……前もテレビ電話みたいなのやってたのかな?」
「そんな時もあったよ」
「ふーん」
スマホを手に取ったときは、はじめて触った気がしたから、その電話はスマホとは別の形なんだろう。ママのパットかもしれない。
……手軽にお話出来るのは便利だけど、やっぱり直接会いたい。髪の毛もふりたい。
私はスマホを手に取って、ベッドに寝転がってジーンの声を聞きながら目を閉じた。
「今日は海だねー、島も何も見えない、青くて綺麗な海」
猫はたまに、風景の写真をくれる。
それはとても小さいサイズの画像だったが、猫の解説つきで写真を見ると、世界旅行をしているみたいで楽しかった。
『シロと共に七不思議とやらを探したけど、ひとつも発見できなかったよ』
シロというのは、猫のペットらしい。猫がペットを飼っているのって、なんだか変。
『そう言えば名前つけて無かったね、希望はある?』
私は名前をつけるのが好きだったので、色々考えていたら、猫が自分でレーンだと言った。異国語でレーンは闇。黒猫だからぴったりだ。
『私はコウだよ、よろしくね』
猫は『知ってる』と吹き出しを出して、画面の外に消えた。
今日はおじさんの帰宅が遅いと言うので、私は外出することにした。
ジーンさんちの住所のメモを持って、バスに乗って町に行く。ジーンの家のまわりには店がなかったので、缶詰めとかの腐りにくい食品を買った。
買い出しの次は目的地。と思っていたら、乗るバスを間違えて、見知らぬ田舎に下ろされる。
帰りのバスまで一時間くらい間がある。ヤバい。
私はどうしようか悩んでスマホを見た。
『迷ったのか?』
『うん、乗り物まちがえた』
猫は目を閉じて止まっていたが、スマホの地図のアプリが開く。
猫は現在地を割り出して、経路を提示してくれた。なんて有能な猫さん!
『歩いて一時間くらいだな』
『じゃあ歩く』
お礼を打ち込んで歩きだす。
季節はもう春なので、木々は新芽を出し、道端には冬を耐えた球根が花を咲かせていた。
所々で立ち止まり、スマホを見ると、猫が話しかけてくる。
『元気か?』
『元気。散歩楽しい』
『この前は泣いていたな』
『暇してただけ。もう平気。春から学校だから、暇では無くなるし』
『学校?』
『同じ年頃の人が集まって勉強するところ』
『体はどこも欠けてないか?元気なのか?』
『それ二度目だ。元気だよ』
少し歩いては立ち止まり、返事を打つ事を繰り返して進む。
最近引きこもっていたので、散歩一時間はこたえるが、ナビもしてくれる心配性の猫がいたので心強かった。
ジーンの家につく頃には、スマホの電池が無くなって、画面が真っ暗になっていた。
今日は大学が休みだと聞いていたので、予告なしにドアをたたく。ダメもとで待っていたら、返事があった。よかった、家にいてくれて。
「お届け物です」
インターホンに言うと、慌てるような音が聞こえて、ドアが開いた。
ピンピンと跳ねる剛毛か懐かしい。大人になった信が出てきた。
「どうやって来たの? バス?」
「歩いてきたよ!」
スゴいでしょう、と胸を張る、その仕草が子どもっぽかったのか、ジーンに頭を撫でられた。
「予告なしで来てごめんね、忙しかったら帰るよ」
「いい、大丈夫。入って」
ジーンが手招くので私は彼の家に上がった。
ここに来るのは二度目だと思う。
前に一度来たときとは違って、書類と段ボールは片付けられていた。紙が散乱しているのはテーブルの上だけだ。
テーブルの上の書類を見ると、毎日お馴染みになった猫の言葉だったので、チョイチョイとミス修正。
「結構間違ってる」
私はその書類を直しまくった。
キッチンからお茶を持ってきたジーンが、書類を覗く。
『言葉は覚えているのか……』
……あれ、スマホの猫さんの言葉だ。ジーンさんも知っているのか。
『日常してたことは体が覚えてるみたい?』
……そうだ、猫と言えば。
「そうだ。スマホを充電させてください」
電池の切れたスマホを見せると、ジーンはクレイドルにスマホを置いた。
ふたりで部屋の掃除をして、お昼にサンドイッチを食べた。食パンのじゃなくバケットのやつ。
かぶっと豪快に食べるには径が大きすぎるので、隅っこからかじっていたら、ジーンが「リスのようだと」笑う。
好きな人と一緒にいるだけで、ご飯が百倍美味しく感じる不思議。
食後に寛いでいたときに私は聞いた。
「ねえ、君はレーンって知ってる?」
「アレクセイレーン? それともサーラレーン?」
……レーンは二人いるらしい。そしどちらも聞き覚えがある、不思議。
「黒猫のレーンはアレクなのかしら?」
「黒猫を君はアレクと呼んでいたよ」
「うーん、これなの」
私は充電してたスマホを持ってきて、ジーンに見せる。画面に猫は出ていなかったが、ジーンの顔色が変わった。
「これ、幸が自分で作ったの? フォントと入力エリア」
「スマホの機能でしょ? ダウンロード出来たよ」
「まさか」
ジーンは焦って自分のスマホで検索する。何も出なかったようで、私のスマホを手に取った。
「まさかって、信は前にそーゆーサイトを見たって言ってたじゃない」
「あのサイトを作ったのは俺だ。扉と繋げたのはエディだけど、もう完全に削除しているからアーカイブにも残ってないよ」
……あーかいぶってなんだろね?
「なんだこれ……」
ジーンは驚きながら、私のスマホを触る。アプリ一覧や、履歴など、そして画像フォルダも勝手に開いてたので、私は悲鳴をあげて、スマホを奪い取った。
「見たらダメ!」
「なんで」
「君の写真とかあるから」
「俺の写真なら問題ないだろう」
ジーンが手を伸ばすので、私はおとなしくスマホを渡した。
……うわー、まじまじと見てる……信のパパに小さな信の写真をいっぱい貰ったし、サンタ叔父さんからはセカンダリースクールや高校っぽいスクールの制服写真を貰ったのでスマホに入れてた。それを本人に見られるのはかなり恥ずかしい。
「……ごめん」
申し訳なさに反省しつつ謝ると、ジーンは優しい顔で笑った。
「幸には写真を見せる約束だったから大丈夫。むしろ俺の手元には残って無いから、助かるよ」
ジーンは苦笑して、軽くキスをする。周りに人がいないとキスしていいらしい。
……二人きりだし抱きついてもいいかな?
抱きつこうかと構えてジーンを見るが、ジーンの目は私ではなくスマホに釘付けなので諦めた。
画面を覗くと、ジーンはなんてことのない山や湖や海の写真を開いて驚いていた。
「これ綺麗でしょう、猫アプリがくれるの」
「アプリ?」
「スマホのヘルプ的な猫?」
……出てこい、猫さん。
ジーンの横から、手を伸ばして画面をつつくが、猫は現れなかった。
「気紛れなの。たまにしか出てこない」
ジーン顔を上げて私を見た。その顔は真剣そのものだ。
「猫の名前は?」
「レーン。猫が自分で言ってた」
その名前を聞くと、ジーンは立ち上がり、パソコンの前に座った。なんかスマホとパソコンを繋いでいる。聞くと、スマホの中身をパソコンにコピーするらしい。
「何かダメなことしちゃった? それ、ウイルスってやつ?」
パソコンと睨み合っているジーンに話しかけるが、こたえてくれないので、それ以上聞くのを諦めた。
画面を見るジーンの顔は、小学生のように生き生きしていて、かわいい。
……こうなったらダメだ。彼はもう動かない。
中学生の頃に自宅のパソコンと睨み合っている羽間信を思い出し、ため息をついた。
暇潰しに、ジーンの本棚から適当に本を借りて、ベッドで読むことにする。しかし徒歩一時間とランチの満腹感があいまって、気付いたら眠っていた。
「――幸、幸起きて」
肩をゆすられて、私は目を覚ました。
「ごめん、猫に夢中になっていて幸のこと忘れてた」
「えっ……」
時計を見たら夜の八時を過ぎていた、これは叔父さんに怒られる。
「送りたいけど、ごめん、今猛烈に眠い。実は昨日から寝てないんだ……だからタクシーを呼ぶね」
「まってヤダ、今日、何も話してない」
……貴重な一日を寝て過ごしてしまった!
タクシーを呼ぼうとするジーンのスマホを奪う。
「ヤダ、帰らない」
「……マジもう倒れそうに眠いんだけど……寝落ち寸前」
「君は寝たらいいし!」
「そーゆーわけには」
ジーンはスマホを取り返そうとするが、ところどころ動きが止まる。これは寝ている。
眠そうなジーンを肩にのせたまま移動し、ベットに向けてエイヤッ! と、転がした。
「Rock-a-bye, baby, thy cradle……」
ジーンが起き上がらないよう覆い被さり、子守唄を歌いながら、頭を撫でる。ジーンはすぐに静かになった。
「君らは本当に寝ないで作業するなー」
……男の子ってそーゆーものなのかな?
私はクスクス笑って気がついた。
君らの「ら」って誰だ? 吉田くんとか? いや、複数の男子がが寝ないで作業しているのを見ていた。一人は信で、もう一人はおかっぱの男の子だ。それは茶髪で猫っ毛の吉田くんではない。
ジーンが寝たので、叔父さんに連絡をとろうとスマホを持ったら猫がいた。
いてほしいときにはいないのに、呼んでもないのに現れる。猫さんめ。
『君は異質な猫なんだね、ジーンが驚いて調べてたよ』
と打つと、猫は『神だからな』と答える。
……猫じゃなくて神様だった!
『イエスさまのお父さん? それともヤオヨロズのほう?』
『両方違う、この世界の神ってことだ』
『へんなの!』
――猫が神様の世界なんて素敵!
民に崇められ、祀られる猫さまとかカワイイ。私も崇めたい。
「あー、そうだ、おじさんに連絡しないと……」
今はジーンの家にいること、徹夜明けで寝ていることを電話で伝える。あと明日帰るとも。
おじさんは苦笑いをしていたが、「隼人には伏せておくよ」と言って許してくれた。
「やった、うれしい」
喜びもつかの間、空腹でお腹が鳴ったので、持ち込んだ食料品を出して、簡単に調理をする。
温めただけの缶のスープ、それとハムとチーズを挟んだパンをパパッと食べて、寝ているジーンを気がすむまで見ていた。
ジーンの横に寝転んでスマホを触る。ついでに寝顔撮影。便利な板だ。
『……そいつ、寝てるの?』
『寝てるよー。寝ないで君のことを調べていたみたい、君たちはよく似ている』
猫は黙って耳を掻いていた。
『君は変なゲームだね。生きてるみたいに喋る』
『死んではないからなぁ……あと、ゲームではない。No.3の簡易端末がそっちに介入するのに使えただけだ』
『ゲームじゃないの? 君は本当に生きていて、私とお話しているの?』
『そうだな』
……ゲームじゃないとか。メッセージアプリだったのか!
驚いて、まじまじと猫さまを見る。
猫は立ち止まり、「・・・・」と考え中の吹き出しをだしながら、その場に座った。猫は私を見るように、顔を上げた。
『……お前、俺のことを、覚えていないのか?』
『うん』
がっかりしたのか、猫はがっくりと肩を落とした。
『またか、またなのか……お前は本当に忘れやすいな』
『ご、ごめんね? 黒猫と一緒にいたことはなんとなく思い出せるんだけど』
『黒猫じゃない』
『いや、猫にしか見えないよ?』
猫は首を傾げた。
『異世界だと見え方がかわるのかもしれん』
……異世界。ここでミレイが言っていたワードが来た。この猫は、私が以前いたところから話しかけてきているの? しかも、神様(自称)
『君は人間なの? 猫じゃなくて?』
『魂だけはヒトで、体は竜だ』
『竜なの? ドラゴン? 火は吐ける?』
『火竜じゃないから、口からは吐かないさ。形はヒトの形をしているよ』
『へぇー、へぇー、ドラゴンなんだー』
……竜の体の猫さんなんてカッコいい!
『竜好きなのは、お前もそうだったんたな』
猫が呆れてニャーンと鳴く。鳴き声はちゃんと音が出る。猫、かわいい。
『私達友達だった?』
『いや、敵だったよ。少なくともお前はそう思っていた筈だ』
敵というと、隼人の顔しか浮かばない。
『君は意地悪な竜なの?』
『意地悪しまくったな。よく泣かせてた』
『えー』
『覚えてないか? お前毎日食い物を作ってたぞ?』
『鶏さばいたりとか?』
『やってたな。手下にやらせばいいのに、泣きながらやってた』
一つ記憶が繋がった。鶏解体はこの猫神様といたときの事だ。そして猫様は竜! 竜とお話出来るなんて、素敵だ!
竜と話せるのがうれしくて、ニヤついてしまう。私も竜を信仰したい。
『どれくらいの期間貴方といたの?』
『二年くらいかな? お前はそいつから引き離すと泣くから苦労したよ』
……そいつ。と言われて私はジーンを見る。すやすや寝ていて寝顔がかわいい。
´失われた二年間の全てを、私は黒猫と食べ物を作ってすごしていた。´
私はメモに書いて首をかしげる。
二年? たったそれだけなの? ママが死んでからもう四年くらい経過している気がするのに……。
『あ…』
『どうした?』
『そう言えば着替えがなかった』
『……着替え』
猫は考えるように、画面をうろつく。
『その家に夜の色の大きな紙の袋がある。それに入っていた記憶がある』
『なにそれ』
思わず人様宅を見渡すが、そんな袋は見当たらない。玄関そばの押し入れのような扉を勝手に開けたら、前通っていた女学院のエンブレムがついている紺色の紙袋があった。
本当にあった事に驚きながら、袋をベッドに運ぶ。
開けると、制服や着替え、テキストと筆記用具という、寄宿舎に置いていた私物が出てきた。
『制服……あ、ロザリオも』
……シスターが預かっていたんだね。なるほど。
『猫すごいな。マジ神様』
『そいつの記憶から探しただけだがな』
『ネコ神様、ありがとう!』
私は十字を切り、スマホの電源を切って、充電をした。
寝ているジーンの横で着替えるのはどうかと思うので、隣のキッチンに行く。
袋から取り出した衣服を広げ、体に当ててみた。
「制服はさすがに小さいなー。よかった私大きくなった!」
下着ははける。パンツはおろかブラも平気そうだ。当時はタンクトップみたいなやつだったからね。
下着と体操着を出して、勝手にシャワーを借りた。寝巻き代わりの体操着に着替え、ジーンの寝顔を見ていたが、眠くなったので隣に潜って寝た。
目が覚めたとき、隣にジーンが座っていてスマホを見ていた。
画面を覗き込むと、ジーンはニュースを見ていた。
「幸さん、よくそれ見つけたね」
「うん、体操着あったから……」
ジーンは私を見ずに、スマホを操作していた。モノは私の私物だけど、勝手に出したことを怒っているのかもしれない。
私は這って近より、ジーンの視界に入るように、下からジーンの顔見た。
「勝手に出してゴメンね、怒ってる?」
ジーンは咳払いをして、スマホを脇に置いて私を見た。
「怒ってはいないよ、ただ、目のやり場に困っているだけだよ」
「……ん?」
なにそれ? と、辺りを見回す。当たり前だが、この部屋には私とジーンしかいない。
「幸の格好ね、体型が露骨に分かるからね、着替えてきたらどうかな?」
「ひっ!」
そう言われて、慌てて毛布をかぶる。
「これ体操着よ? なんでエッチなことを考えるのかなぁ?」
苦情を言うと、ジーンは困った顔をして笑った。
「夜中その格好で抱きつかれていたからね、さすがに色々考えますよ?」
「抱き……! 知らなかった……ゴメンね……」
素直に謝ると、ジーンは優しく笑った。
ジーンは立ち上がって寝室を出ていく。
「シャワーを浴びてくるから、幸はとっとと洋服を着ること」
「君は私の父親か!」
出ていくジーンにあかんべーと舌をだすが、もしかして、彼は私が起きるまで側で待っていてくれたのかもしれない。起きた時に誰もいないとさみしいもんね、うん、優しい。
ニヤつく顔を押さえ、私は昨日着ていたワンピースを着た。
服の上からポケットに触れる。
昨夜見つけた袋に入っていたロザリオは大切な物だ。
ママのおさがりのウッドビーズのロザリオは、おメダイが綺麗で大切にしていたので見つかってうれしい。
……ここに来て、良かった。
シャワーの水音を聞きつつ、簡単に朝食を並べて、コーヒーを飲みながらジーンを待った。
シャワーから出てきたジーンは、Tシャツにハーフパンツだったので、私はじっと見る。ジーンは髪を拭きつつ、私の視線に驚いた。
「何? 何でガン見?」
「ホントだ。体操着だと体型わかるね……レーンの時と違いすぎる。むないたあつい」
「レーン……」
つぶやくように、レーンの名を呼ぶ彼の声が、少し不安げに揺れた。
なんとなく心配になり、コーヒーを差し出す。ジーンは座ってコーヒーをひとくち飲んだ。
「少しは思い出したの?」
「ううん、ゼンゼン……でもね、二年くらい、毎日こんなだったかもしれないな? って思ったの。私が朝ごはん食べてたら、君が現れてパンを持っていく……」
……そう、そして彼のために、私はパンにジャムを塗るんだ。
「ずっと君だと思ってたよ、レーンって人だったのね。君たちは、よく似ている……」
ジーンの反応が無いので、顔をあげると、ジーンは露骨にムッとしていた。
「あれ? 機嫌悪い? 勝手に泊まったから怒った?」
「いや、二年もレーンに幸を取られていたのかと思い出しただけだ」
「二年って本当? 隼人は今年の夏休みからいなくなっていたというのよ? 違うよね? 十五の夏至からよね?」
「幸がこの世界から消えたのは十五才の夏至の三日前からだね。夏休みうんぬんの設定は、隼人さんが裏工作をしていただけだよ」
「裏工作?」
首を傾げると、仕草が幼かったのか、ジーンは微笑む。
「そう、この世界で幸は行方不明にはなってない。幸はあの学院に、夏休み前まで通っていた事になっているよ。まあ、書類上だけだけどね」
「そうなの……聞いていなかった」
……説明してくれないと困る事なのに。隼人め。
意地悪な父親の顔を思い浮かべて、ふーっと息を吐いた。
「記憶から消えているのは主に異世界のことよね? でもね、私はもっと時間が経過していると思うの。だって、夏至の時私の髪は肩までしかなかったもの。今は腿まで伸びているわ。さすがに二年でこんなに伸びないわよね?」
ジーンは困ったように笑う。
「学院から砂漠に落ちてから、異界に行くまで二年、異界で二年だから、四年経過しているかな。本来なら、幸さんは十八才です」
「そうよね? 思い違いじゃ無かった!」
良かったと納得し、コーヒーを一口飲むと次の問題に気付く。
「ねぇ、私十八才なのに、セカンダリースクールに行くの? 中学生なの?」
「半年で卒業だけど、まあそうなるね。でも未だにミレイより年下に見えるから問題ないと思うよ?」
……そんなわけがあるかい。
「体が十八なのに、十四のミレイ以下って、冗談よね?」
「アジア人は子どもにみられがちなんだよ、さいわい幸は学力も中身もお子さまだから大丈夫、パレない」
「むー……こどもあつかい……」
むくれる私の頭を、ジーンはポンポンと叩く。
「こっちとしては助かるよ。学院の地下で十五の幸にキスをしたあと、罪悪感が半端なかったので。体の年が少し追い付いてくれてうれしい」
「……わあぁ」
思い出すと頭が沸騰する、地下書庫の話だ。私はカルチャーショックを受けたが、ジーンはジーンで記憶に残っていたらしい。
「二十才のシスターは、十五の教え子に手を出したのね。それははんざいだねぇ……」
「幸さんが抱きついてくるせいです。昨夜だって……」
「ん? 昨夜は普通に寝ただけだよね?」
聞くが、ジーンは黙秘を貫きたいようで、何も教えてくれなかった。
気まずい空気を追い払おうと、話題を変える。
「ねえ? 机の上の翻訳は何を訳しているの?」
「前の職場の残業」
「女学院の隣の研究所ね? そこであの言葉を使っているのね?」
「いや、あれは俺と幸にしか分からない。もう一人知っている人いたけど亡くなった」
「亡くなったの……」
コーヒーのおかわりをジーンのカップに注ぐ。
「あの言葉は英語ベースだから難しくないのにね? ミレイならすぐに理解しそうなのに」
「名詞が先頭につくだけで、後は単語も文法も全てが違うからなぁ……しかもあの文字、形が複雑で他の文字と違いが少ないしわけわからん変化する」
「アルファベットが偉大なのね。単純明快」
朝食を食べ終えた私は、コーヒーにお砂糖をいっぱいいれて、ミルク無しで飲むジーンをじっと見つめていた。
「ご機嫌だなー。朝から猫と遊んでいたの?」
「朝起きた時に君がいて、ご飯を食べるときもいるから嬉しいの」
ジーンは少し照れて、私の頭を撫でる。
これだけで心がポワポワする私は、なんてお手軽なのか。
「毎日こんなだといいのにねー」
同意して欲しかったが、ジーンはそっぽを向いた。心なしか耳が赤い。
「……幸さん朝から俺に試練を与えている」
「試練?」
「こーゆーのは理性がもたないからやめていただきたい」
……突然のお宅訪問の事? それともお泊まり?
「シンはシンのしたいようにすればいいじゃん。私も好き勝手やっているし」
「……コラ」
おでこを指ではじかれた。
「そーゆーのは、ちゃんとした大人になってから言いなさい」
「痛いし、もう子どもじゃないからね!」
「じゅーぶんにお子さまだって、じゃないと体操着で寝ないだろう」
「なによー、ワンピースのままで寝ると皺がつくもの。それとも下着で寝ればよかった?」
「…………」
返事をくれないジーンを押し退けて、私はテーブルを片付けて食器を洗った。デコピンはひどいと思う。
イライラしていたら、ふわりと背中から抱きしめられた。
「コウ……ごめん、泣くな」
イライラを越えて、悔し涙がこぼれていたようだ。泡だらけで拭けない私の顔を、ジーンは袖で雑に拭く。
「……なんか、私だけが君に会いたいみたい。寂しいのは私だけで、君は書類やスマホのほうが大事なのね」
「ごめん、幸に甘えてた。幸がいるときは幸優先にすべきだった」
タオルで手を拭いて、ジーンの方を向いた。
「私はね、一秒でも多く君を見ていたいの。私の願いなんて、それだけだよ」
ジーンは私を抱きしめた。
「俺はそんなシンプルじゃないから、これからどうしたら幸といられるのかとか考えてしまうし、世間体もあるし、隼人さん怖いし、やはり見てるだけでは終わらないから、あんまり俺を信用しないでほしいな」
一番信頼している人から、信用するなと距離を開けられる。理不尽な。
「だから、好きにすればいいし!」
「ダメだっていってんだろこの単細胞」
本日二度目のデコピン。しかもいい音がした。酷い。
「もーっ!」
何故いつもおでこを弾くのか、悪い癖だと、ジーンの手をつかんで歯を立てた。
ジーンは驚いて手を引き剥がし、噛みついた所を見ていた。当たり前だが、血は出ていないし、歯形もつけてない。
ジーンは苦笑し、一歩距離を詰めた。そのまま私の頭に触れ、口で私の口をふさいだ。
昨日した、挨拶のキスとは違う、ちゃんとしたキスだ。触れた部分が熱を持って、思考が溶ける。
子ども扱いされたことも、デコピンをされたことも、どうよくなる……。
「……キス、するの、好きかも……」
「……知ってる、というか、知っていた」
「えっ?」
……昔は常にこんなことをしていたっけ? いや、してない、断固してない、はず。
「何で、君は、私の何を知っているの?」
聞く前に、手を両手で握られ、顔が近付いた。目の前にあるジーンの表情が、真剣そのものなので、息を飲む。
「コウは、ちゃんと前を見てほしい。今俺達の敵は、幸の父親の隼人さんで、彼に文句をつけられないように、俺は大学を出て就職し、幸も義務教育を終了しないといけないんだ。わかるね?」
至極全うな事を告げられる。それはそう、頷くしかない。異論は無しです。
「そこまでやって、ようやくスタートだよ。それから先の生活は俺と幸が二人で作っていかなければなれない。好き勝手するまえに、するべきことをしなければ」
「生活?」
ジーンはうん。と頷いた。
「今はまだ、ロードに家賃とか学費を援助してもらってるからね。援助なく生活するのと、出資してくれたお金もいつかちゃんと返したい」
「……わぁ」
……将来の事をしっかり考えるー、まるでミレイみたい。
「ゴメンね……私何も考えてなくて」
「幸が善意を軸に直感で動くことも、物事を深く考えないことも、人を疑わない事も良く知っているよ」
「バカ」という言葉をオブラードで包むとそーゆー表現になるだろう。さらに頭を撫でるとか子ども扱いだ。ずっと同じ年だったのに、ちょっと離れただけでずいぶん年が引き離されたな。
「……分かった。ワガママ言ってごめんね」
もうちょっとキスをしたい気分だったが、正論で蓋をされた。悔しい。
「じゃあ授業出てくる。それまでここで待っていて? 昼に一度帰ってくるから送ってくよ。途中で昼飯を食べて行こう」
「わーい。ごはんー」
両手を上げて喜ぶ様子が、小学生みたいだとジーンが笑う。ふてくされる私を放置して、ジーンはパッと着替えて出て行った。
「行ってらっしゃい」
「鍵はしっかりかけてね。何かあったらメッセージを送って」
「心配性だなー、お昼までの短時間に何も起きないし!」
頬を膨らませる私に、ジーンは軽くキスをした。私の顔ががニヘラー……っと緩む。
「じゃー、翻訳をやっといてあげるー」
「幸は試験勉強しろよって、持ってきてないのか。じゃあ頼む……まあてきとーでいいよ」
「いってらっしゃい」
私はジーンが見えなくなるまで見送った。
クローゼットの中のコウの私物は、ハヤトに捨てろと言われたので押し入れにつっこんで、そのまま忘れていたもので、やましいことはないはず。
部屋が散らかっていた時代の写真はやましいほう