14-3、早朝
歩道の脇に立つ長い鉄柵を辿りながら、私は散歩をしていた。
辺りはまだ薄暗く、霧も出ていて少し怖い。
朝方は冷えるので、ニットのワンピースの上にコートを着て、さらに厚手のショールを肩に掛けた。
私は公園まわりの道をあてもなく歩いていた。
しばらく歩いていたらスマホがポンと鳴った。
……こんな明け方に誰が?
立ち止まり、スマホを見ると、メッセージの送信者はジーンだった。
゛外にいるの?゛
゛西の公園にいます。散歩してます゛
゛すぐ行く゛
……えっ、ここに来るの?
何て返信しようかと悩んでいたら、ジーンはすぐに現れた。
もしかして、家から送ったのではなく捜索中にメッセージを送っていたのかな?
彼は走って来たようで、息を切らしていた。
「まだ暗いし人がいないから、危ないよ」
「すみません、目が覚めてしまって」
私は腕から下がるショールを揺らして笑う。
そのまま薄暗い公園を、二人で並んで歩いた。
「ジーンさんが早起きをされるなんて珍しいですね、いつも夜更かしをされているのに」
「実はまだ寝ていないよ」
笑って徹夜を告げるジーンに、私は開いた口が塞がらなかった。
私はジーンの手をがしっとつかんだ。
「戻ろう、君は寝なければ」
「授業、午後に一限しかないから大丈夫」
「大学って暇なの?」
「課題さえこなしていればね」
私はジーンを見た。確かにこの人なら速やかに課題をクリアしそうだ。おまけにバイトまでこなしそう。
「君は器用でいいなあ。何でも出来そう……」
「よく、苦労性と言われるよ」
ジーンはそう言って、優しく微笑んだ。
その顔を見ていると鼻の奥がツンとして、胸がきしむ。
……この人は、どれだけの苦労をして、今ここに立っているんだろう?
ジーンを見ていると泣きたくなるので、誤魔化すためにスマホを見る。時刻はまだ五時半だ。日の出鑑賞には早すぎる。
私は回れ右をして、ジーンの手を引いた。
「家に戻ります、早すぎた」
「……まだ日の出を見る習慣があるの?」
私は一瞬時が止まった気がした。
二人の足元を風が吹き抜け、サワサワと風が木の葉を揺らす。
私は口を開けたまま、ジーンの顔を見ていた。
……この人は何でそれを知っているんだろう?
ジーンは私に手を差し出して、優しく笑う。
「どうせなら少し話そう」
私はその手を握って肩に寄り添った。
この人がいると安心する。いつも側にいて欲しいと思う。
……自分の、この人への絶対的信頼はどこから来るのだろう?
私は自問自答したが、答えは出なかった。
冬の凍りそうな寒さは緩み、雨上がりの公園は球根の芽が出ている。私はジーンの手のあたたかさを感じて、腕にそっと寄り添った。
シーンはその辺のベンチに座る。私はショールを広げて、自分と彼の肩にかけた。
「ありがとう。実は昨日の返事をしようと思って」
「……ひぃっ」
……そういえば先日部屋を出ていくとき告白っぽいことをした。きっとあの返事だ!
「あ、ああー! あれ、いいです、聞かなかったことに!」
私が手と首をぶんぶん振って言うので、ジーンは苦笑する。
「冗談だったとか?」
「……いえ、あの、私はそーゆーこという資格がないとゆーか……」
「ライセンス? 車とか?」
「全然違います! あの、私には人を好きになる資格が無いんです」
下を向いていると、泣きそうな気持ちになる。私はへこたれそうな気持ちを払い、勇気を振り絞って言った。
「私、ここ二年くらいの記憶が無くて、その間に赤ちゃんを流産したみたいなんです。私は人を殺してしまったのです。だから、恋愛とかする資格がないんです」
泣かずに言えた。自分で自分を誉めたい。
私が顔を上げると、ジーンは私を抱きしめた。肩にかけていたショールがハラリと地面に落ちる。
「ジーンさん?」
私は戸惑って、ジーンの顔を見ようとするが、髪の毛しか見えなかった。
ジーンは私を抱きしめて、絞り出すように言う。
「……ごめん、君をそんな目にあわせてごめん」
ジーンの声はかすれていてよく聞こえないので、私は耳を澄ませた。
「幸が自分で思い出すまで言わないでいようと思っていたけど、それを重荷に思っているなら別だ」
そこまで言うと、ジーンは体を離して、真っ直ぐに私を見た。
「その子どもの父親は、俺だ」
「……え?」
「多分君の記憶の欠如は、フレイとユウの喪失から来ていると思う。その、ユウが俺達の子どもの名前だ」
私は困惑した。フレイって、おばあさん?
「子どもって流産だよ? 生まれてないよ?」
ジーンはつらそうに眉を寄せ私を見ていた。その顔を見ると、冗談では無さそうだ。
私は赤くなってろたえた。
「……あ、あれかな? 貴方のお家に行った時に何かあった? 隼人は私が夏休みから消えたって言ってるのね、その間一緒にいたとか?」
「ジーンになってからじゃないよ、俺の名前が羽間信だった時の話だ」
「信……?」
その名前を聞くと、私の目から涙が流れた。
「は、羽間信は、中二で死んだって……警察の人が」
「他人の言うことを信じるな。羽間信は、十四で異世界に飛ばされて、その五年前からここでジーンと名を変えて生きている。俺が羽間信だよ」
「中二の五年前? 九才のとき? 何でそんな昔の話を?」
「混乱するだろ? それは理解しないでいいよ、簡単に言うと、俺は十四才から八年間異世界にいて、その後の八年間をここで過ごしてきた。時間遡行者なんだ」
私は混乱して首を振る。
「十六年間? ジーンさん、今二十一才って…」
「竜の体にいたときは年を取れなかったんだよ。そしてよりにもよって、あの事件より五年も前に帰された。しかも日本じゃなくて、サーの所に。これは全部サーとレーンという二人の魔法使いの仕業だ」
「……サー、サーラジーン、サーラレーン」
「サーはここではエディと呼ばれているけどね」
私はわけがわからなくて困惑した。
「信が何を言っているのか全然分からない……あっ、今はジーンさんか……」
「どっちでもいいよ。俺の名前は多いし全て似た名前だ」
混乱する私の頭を、ジーンは優しく撫でた。
辺りが薄明るくなって、日の出間近になる頃に、私のスマホがポンと鳴った。
「なんか来た……」
私がスマホを見ると、日勤明けの信のお父さんがメッセージを送って来ていた。
゛幸ちゃん元気か? 時差がわからないけどこれを君にあげるよ゛
羽間のおじさんから画像が送られてきた。
「なんだろう?」
私が画像を押すと、大きく表示される。それは壁みたいな所に青いクレヨンで書いてある、子どもの落書きだった。
゛ボクは大きくなったらけーさつ以外のこーむいんになってこうとけっこんします゛
「これ……」
私は、黙ってその画像をジーンに見せた。すると、ジーンの顔が見る間に真っ赤になった。
ジーンは私のスマホを取り上げて画像を消した。
「酷い、返して!」
私がスマホを取り戻そうと飛びかかるが逃げられる。ジーンはそのまま通話ボタンを押して歩く。
『幸ちゃん?』
ジーンは、通話に出た人に日本語で言った。
『ふざけんな親父、今後、コウにこれを送ったら二度と連絡しないからな』
そして、通話を切る。
その後何度も向こうから通話が来たが、ジーンは全て無視していた。
私はジーンの腕をつかんで聞く。
「ねえ、君が信だって、私の側にいるって、おじさんに言っていいの?」
「ダメだよ」
私は困ってジーンを見る。
「じゃあ、どうするのよ……」
「思い付かない。でも信という名前は出さないで」
私はスマホを取り上げて、通話ボタンを押した。
おじさんはすぐに出てくれたので、事情を私が知っている範囲で説明した。
今の人は親戚の養子の人で、同じ叔父さんの家で暮らしている。今は散歩で外にいて、養子になったいきさつは知らない……。
私も状況を理解していないので、うまく伝わらずおじさんも困惑していた。
「……貸して」
ジーンは私からスマホを取り上げた。
『親父、今まで黙っててごめん、俺だよ。信じられないと思うけど、今俺は二十一才で英国国籍があり、イギリスの大学に通っている。元気だ。卒業して落ち着いたらここに親父を呼ぶから、航空券も送るから、それまで警察関係者には何も言わないでくれ。頼むよ』
ジーンはスマホを私に返す。私はわけが分からないままおじさんと話し、事情が分かり次第メールをすると言って、通話を切った。
「……分けが分からなすぎて緊張した。汗びっしょり」
スマホをポケットにしまって、ハンカチで顔を拭いた。
ジーンはバツが悪そうな顔をして立ち尽くしていたので、私はその背中をポンポンと叩いた。
「大丈夫だよ、おじさんは信に不利益が生じることを絶対にしないよ」
ジーンは、途方に暮れた顔で私を見た。
夜が色を失って、辺りはほんのり明るくなってきた。
朝早くから忙しく飛び回る鳥の声がきこえる。
そろそろ町は目を覚ます頃だろうか、私は夜の終わりの空気を胸いっぱい吸い込んだ。
「私は信の事が大好きだよ」
私は朝日を背に、笑って両手を広げる。
ジーンは私の体を抱きしめて、私の髪に顔を埋めた。そして、私の耳の側で言う。
「幸に初めて会った時、俺の家の庭に君が現れた時から俺は幸がずっと好きだった……」
私は、昔から知っている信の匂いを、温かさを感じて涙を流した。
「幸にはフレイの宿命が定められていたから、いつも大変な事ばかり起こって、何度も絶望したけれど、旅の終わりに幸がいると思えたから生きてこられた」
「信……」
私はジーンの胸に顔を埋めて泣いていた。ジーンは私の前髪を耳にかけて、その耳の側で言う。
「さっきの、壁の落書きの二番煎じになるけど言うよ?」
「うん」
「俺はここで大学を出たら、幸を養えるように頑張る。だから幸も学校を出たら俺と一緒に暮らして欲しい」
「……」
私は返事が出来ずにいた。
ジーンは体を少し離して、不安げに私の顔を見る。
「ダメか……?」
私は涙を流しながら笑う。
「結婚するのはいいんだけど、私は次の学校に受かる自信がないよ……」
ジーンは思わず吹き出した。そして私をまた抱きしめ、髪に顔を寄せる。
「大丈夫、手取り足取り教えるから」
「うわぁ……その言い方……なんかやらしい」
ジーンは笑って、私の頬にキスをする。
「そのくらいは頑張らないと」
「……ちゃんとキスしてくれたら頑張れるかも」
ジーンは笑って、私の唇にキスをした。
いつの間にか辺りは日が昇っていて、金色の朝陽が二人の輪郭を縁取っていた。
※本編は多分ここまでで
これから先は蛇足にあたります
(後はダラダラとした日常シーンのみ)