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消えた幼馴染みを探しに異世界転移します  作者: dome
十四章(最終章)
170/185

14-1、幸(日本)


 ヴーンと空調の音が鳴り響いている。

 重い目蓋をゆっくりと開くと、私の側には男性がいた。

 その人は椅子に座って、ウトウトと居眠りをしている。

 男性の年は三十代後半くらいか、肩幅が広く、がっしりとした体つきで、頭髪は白髪混じりの角刈り。服は年期のはいったスーツを着て、その顔には無精ヒゲが生えていた。


 私は周りを見た。

 私の左腕には点滴がついている。周囲を見ると、ベットの周りはカーテンで仕切られていた。

 カーテンの隙間から見る景色は、病院の大部屋らしいが、他の人の声はしない。

 私が寝ているベットの頭の所には、漢字で「篠崎幸」と書いてあるので、おそらくここは日本だと思う。


 ……だからこの人がいるのか。


 私は点滴が外れないように気を付けて、その男性を揺り起こした。


「おじさん、羽間のおじさん……」


 呼び掛けると、羽間信の父親は、はっと目を覚ました。


「コウちゃんおはよう、長く寝ていたね」

「おじさん教えて? ここはどこ?」

「新横浜の病院だよ」

「え……」


 日本の家の近くの病院では無かった。なんでそんな所で私は寝ているのだろう?

 うーんと頭を悩ませてみるが、さっぱりわからない。

 それどころか、寝る前は何年で何月何日だった? そんなあたりまえのことさえも知らない。それに、イギリスにいた私はどうして日本にいるのだろう?


「おじさん、ありがとう……」


 私は考える事をやめて、ベッドに寄り掛かり、深く息を吐いた。

 おじさんの膝には灰色のコートがある。今はコートを着るような季節なんだろう。


「私……どうして病院にいるの?」

「コウちゃんは、今までどこにいたか覚えているかい?」


 聞かれて、私はうーんと考えた。

 信のパパの事はしっかりと覚えている。だってイギリスの学校に行くときに駅まで見送りに来てくれたから。優しい人。大好き。


「おじさんと別れてからずっと、イギリスの女学院に通っていたの……そこで友達が色々教えてくれて……夏至のお祭りとかがあって、山で花輪をつくったのよ、そして……あれ?」


 ……夏至祭からの後の記憶が全く無かった。


 おじさんは腕を組んでうーんと唸った。


「それは転校してから最初の夏かい? 夏は二回過ぎているけど」

「さ、最初の……お祭りです……。寮のある学校で、年末や春休みはサンタ叔父さんと一緒で……夏至に山に登って、ミレイとキャンプファイヤーを見て……」


 ひとつひとつ指を折りながら、転校してからの事を順に辿っていくが、やはり最初の夏至から後の記憶がごっそりと抜け落ちている。


「その夏至から後は、誰と、どこにいたの?」


 私は呆然として、首を横に振った。

 そこから先は何も思い出せない。記憶にぽっかりと穴が開いていて、ただ、そこには空虚と喪失感だけがあった。


「わからない、なにも思い出せない……」


 私は両手で顔を覆って、首を振りながら声を殺して泣いた。


 おじさんは私が泣き止むまで側にいてくれてた。

 日が傾くと、おじさんは「面会時間終了」と看護師さんに声を掛けられて、慌てて出ていった。

 羽間のおじさんは私に病院の事を説明し、おじさんの連絡先を告げて家に帰った。


 私はそのメモを見る。

 メモには筆圧の強い角ばった筆跡で、おじさんのケータイの番号とメールアドレスが書いてあった。

 私はタバコの匂いのするメモを胸に当てて、そっと目を閉じた。


 おじさんが言うには、私は昔住んでいた洋館の庭で倒れていたらしい。

 前に洋館の持ち主だった、藤野さんが発見して、私を病院に連れていってくれたという。

 私は呼び掛けても目を覚まさなかったらしく、覚ましたら覚ましたで記憶が抜け落ちていた。


 私が病院にいるのは、何やら流産していたとかで、処置を受けたのと、三日ほど目を覚まさなかったからのようだ。


 ……流産?


 その言葉を聞いても私にはピンとこなかった。腹部の違和感と出血は重い生理だと思ったら違うらしい。

 この夏に、私は誰か男の人と子どもを作り、失った? なにそれ?


 信のパパは、イギリスにいる私の父親に連絡を取った。

 隼人……私の父親が言うには、私は十五の夏至ではなく、ここ数日の間に消えたらしい。

 夏休み前までは寮から学校に通っていて、夏休みは恋人と過ごすと言うので自由にさせていたと言う。その相手から、私が消えたと隼人の元に連絡が来て、ここ数日探していた。


 ……なにそれ、誰の話?


 私はおじさんに説明された事が、なにひとつとして理解できなかった。



 私の通っていたイギリスの学校は、寄宿舎のついた女子学校で、教員も女性しかいなかった。その環境で、どうやったら恋人が出来るのかを教えてほしい。

 休みを過ごす相手がルームメイトのミレイなら分かる。隼人の家に帰るのが嫌で、夏休みの間はミレイの家に置いて貰うとかありそう。

 でも違う。私のお腹には赤ちゃんがいたんだ。だとしたら相手は確実に男性だ。


 学院の休暇を一緒に過ごす男性といえば、ママの兄であるニコラスおじさんしか思い当たらない。そしてそのおじさんと赤ちゃんを作るとか、絶対に無いと思う。


 私はハーッと息を吐いて、ベッドに寝転がった。

 途切れ途切れの記憶を繋いで、欠落した記憶を思い出そうとするが、やはりここ一年の事は何も思い出せなかった。



 イギリスより前、中学校の事は何となく覚えている。

 中二の夏の終わりにママが何者かに殺されて、隣に住んでいた信と、同じクラスの女子が行方不明になった。

 その時の事を覚えていると言っても、新聞や羽間のおじさんから聞いた事が殆どで、詳細は思い出せていない。


 私は自分の胸に手を当てた。

 ずっと誰かと一緒にいた気がするのに、その人が誰なのかさえも全く分からない。

 それは信とは違う、生まれてからずっと一緒だった誰かの事だ。


 私は自分の記憶の大部分が消えている気がして、震えが止まらなかった。


 私が覚えている最後の記憶はイギリスの女学院だ。

 ミレイという年下のルームメイトに食べ物を食べさせて楽しく暮らしていた。

 裏庭にある古い礼拝堂が地下に通じていた。その女学院の地下室で、私は毎日勉強するために誰かと会っていた。それは髪の毛の長い年上の男の人だ。

 顔もぼんやりとしか思い出せないが、私はその人のことが好きだった。


 そんな事があったような気がするが、そこで何を学んだのか、地下に何があったのか、詳細までは思い出せなかった。



 空白の二年間は何も思い出せないまま、退院する事になった。

 私の退院に合わせて隼人が日本に来るらしい。退院の日、羽間のおじさんと私は一階ロビーに向かい合わせに座り、隼人を待っていた。


 私は発見されたとき、一切の荷物を持っていなかったと言う。持ち物は身に付けている服とビタミン剤だけで、財布やケータイ、パスポートなどの最低限必要なものも全く持っていなかったらしい。


 裸足なのに、足の裏も汚れていなかったとかで、羽間のおじさんは、車で昔住んでいた家に置いていかれたのだろうと言う。

 流産か堕胎かは分からないけれど、血を流していた私を放置したのは誰?

 本来なら警察に調べて貰うような事件らしいが、娘が傷つくからと言い、隼人がそれを望まなかった。


 おじさんは昔に警察をしていた時のつてで、少し調べたらしいが、私がどうやって日本に来たのかとか、誰に運ばれたのかの足取りはさっぱりつかめなかったと言う。


 私は目の前に座っているおじさんを見ていた。

 おじさんは白いワイシャツに、折り目の取れた紺のスラックスを履いて、紺のジャケットを羽織っている。

 体型は昔よりお腹が出た気がする。もう柔道はしていないのかもしれない。


 私は足元に置いた手荷物を見る。そこにはここ最近着ていた着替えが入っていた。

 入院している間に必要な生活品や、パジャマや下着は発見した藤野さんが買ってきてくれた。

 退院日には、その藤野さんが元着ていた服を洗っておいてくれたらしく、それを着た。着替える時に、自分の体に違和感があった。


 前はミレイのほうが胸があった気がするのに、今は記憶のミレイくらいはある。体重はあまり変わりがないが、身長が少し伸びていた。

 私は常に胸が無いのを気にしていたが、二年経つとそれなりに大きくなっていた。なんかすごい。


 私は鏡に映る自分を見た。

 ここに来たとき着ていたらしい服は、若草色のAラインのワンピースだった。裾に刺繍が入っている。それとレースのカーディガンを着ていたらしい。

 ワンピースにタグは無く、縫い目からみて手作りだろう。カーディガンの花編みもママの好きな模様だ。さらに刺繍はママが好きな四つ葉のクローバーの模様だった。


 ……エレンママは、大きくなった私の服も作っていたのかな。


 私が手持ち無沙汰に服の刺繍を指でなぞっていると、信のパパと目が合った。


「幸ちゃん、信の事は覚えているかい?」


 私はコクリと頷いた。信は十四才で消えてしまったおじさんの子どもだ。幼稚園からずっと一緒にいたから忘れられるはずもない。


「実はね、信と一緒に消えた女の子がイギリスで見つかったんだ。幸ちゃんの学校のほうだよ」

「……佐久間、菊子さん?」


 おじさんは頷いた。


「じゃあ、信は? 信は見つかりましたか?」


 その言葉を聞いて、おじさんは目を閉じてフゥと息を吐く。そしてゆっくりと首を横に振った。

 その顔を見て、信は見つかっていないのだと察した。私はなにも言えずにうなだれた。

 病院のロビーの呼び出し音や人のざわめく声が聞こえる。

 私とおじさんの沈黙を破るかのように、背後から声を掛けられた。


「フレイ」


 その言葉を聞いて、私はハッと顔を上げる。振り向くと、そこには隼人がいて、ニヤニヤと笑っていた。


「ばーさんそっくりだな。ずいぶんでかくなった」

「……隼人」


 私は何かを思い出せそうだったが、大嫌いな父親の笑顔を見て、その何かを忘れてしまった。


 隼人は私に紙袋を押し付けて、真っ直ぐに羽間のおじさんの所に行く。おじさんは立ち上がってペコリと頭を下げた。

 そのまま二人が立ち話をするのを、私は一人椅子に座って聞いていた。二人の話から欠けた記憶の事は出てこなかった。


 私は手持無沙汰になり、隼人が押し付けた袋を見る。中からは古い形のモスグリーンのコートが出てきた。隼人が気がついて、「それエレンの」と言い、手で着ろと指示する。

 冬に叔父さんと湖に行った時に着たコートより大きくて、今の私にピッタリだった。

 他にはパスポートや財布の入ったハンドバッグも入っていた。これは新品で、私の見たことのないものだった。


 隼人はおじさんに、私の面倒を見てもらったことのお礼を告げて、封筒を渡していた。それは多分、私の入院費や着替え等の諸経費だろう。謝礼も含めて。

 おじさんは中身を見て驚き、封筒を隼人に返すが、隼人は無理に押し付けていた。


 私はおじさんの隣に立って、そっと手に触れた。


「おじさんはここのところずっと、お仕事をお休みしたりしてここに来てくれていたでしょう? おじさん本当のパパみたいだったよ。だからお金は隼人のお詫びが入っていると思うの。多分だけどね」

「コウちゃん……」


 おじさんが泣きそうに見えたので、私はおじさんの大きなお腹に抱きついた。


「ありがとう、信のパパ……」


 おじさんは何も言わずに私の頭を撫でてくれた。

 私は隼人に聞こえないように、おじさんの耳に顔を寄せて言う。


「佐久間さんがイギリスにいたと言ったでしょ? だから信もそこにいる気がする。あっちに行ったら信を探して来るから、おじさんはここで待っていてね」


 おじさんは封筒を持って呆然としていたが、クシャリと顔を歪めて笑った。


「娘がお世話になって、ありがとうございました。娘はこっちで面倒見ますので、これで失礼します」


 隼人はそう言って、私の手を引っ張って歩きだした。


「おじさんまた連絡するねーありがとー」


 私は大きな声で言って、信のパパに手を振った。



 隼人は私の手を引いて早足で歩く。病院前にタクシーを待たせていたのか、タクシーに私を押し込んだ。

 二人になったとたん、隼人の言語は英語に変わった。


「なんで日本なんだよ、遠いだろう。探す方の身にもなれ」


 ……あれっ? 隼人は私を探していたの? いや、隼人が私の心配をする筈は無いな。多分日本に呼びつけられた事が面倒だったんだろう。


「は、隼人……。隼人はおじさんに電話で、私に恋人がいたと言ったでしょ? それって誰のこと?」


 隼人はじっと私を見ていた。


「お前、自分に恋人がいた記憶があるか?」

「無い」

「最後に覚えている事は何だ?」

「えっと、夏至に山に登って、夜にキャンプファイヤーをしたの。そこから後は全然分からない……」

「そうか」


 隼人はそれ以降は何も言わず、窓の外を見ていた。

 私は次に隼人が口を開くのを待っていたが、しびれを切らして隼人の袖を引く。


「私、最近まで学校に行ってたって本当? そして今年の夏休みに恋人の家で過ごしてたって……」

「いや、適当に言った。警察のお世話になるのは勘弁してほしかったので、民事不介入のラインを攻めたというか……」


 その言葉を聞いて、私は呆気に取られてパチパチと瞬きをする。


「全部、嘘なの?」


 隼人は振り向いてニヤッと笑った。


「お前は十五才の夏至の三日前から消えてたよ。お前が探さんでいいというから探さなかった。よって答えはお前しかしらないな」


 私はポカンと口を開けた。


「なにそれ……」

「お前が俺の会社に来て言ったんだ。私は消えるけど探さないでと。覚えて無いのか?」


 隼人の会社に行った記憶はある。でも、ママの事とお弁当の話をした記憶しかない。


 私はガックリと項垂れた。

 ここ二年間の情報が欲しくて、父親に助けを求めたら、軽く払われた。


 ……私の心の真ん中に、ポッカリと開いた真っ暗な穴を埋めることが出来るのは、私しかいないんだ。


 目頭が熱くなって来たので、私はそれ以上父親と話をするのを諦めた。

 まあ昔からそうだった。隼人はママの恋人で夫ではあるが、私とは関係が無い人だ。

 私は隼人が怖い。理由は分からないけど、一緒にいたくはない。話もしたくない。


 二人とも黙ってしまったせいか、タクシーの運転手さんがラジオをつけた。最近の日本の歌を聞きながら、私はビルの間の灰色の空を見ていた。


 タクシーがついた所は空港だった。

 出国ゲートで、隼人がパスポートを出したところで、私はようやく口をひらいた。


「何処にいくの?」


 隼人は搭乗手続きをしながら言う。


「家」

「誰の家?」

「ニコラス様の家」


 ……おじさんの家だった、よかった。隼人の家じゃ無かった。


 隼人はロンドンの職場の側に部屋を借りて住んでいたが、都会だし、部屋も狭くて好きでは無かった。それに、隼人と一緒に住むのがそもそも嫌だ。毎日顔を合わせるとか無い。


 ……早くこの人と別れたい。怖い。


 私は毛布を膝にかけて、飛行機の中でも書類を広げている隼人を見ていた。


 ……なんでこの人は暇があれば仕事をしてるんだろう。そんなに仕事が好きなのか。


 隼人は男性にしては背が低いが、目鼻立ちが整っていて、ほぼ左右対称の顔立ちのとても綺麗な人だ。

 ダンスが趣味なので、細身だが綺麗に筋肉がついていて、首が長くて、姿勢や動作がとても美しい。


 ……隼人はしゃべらなければいいのにな。


 じっと見ていたら、隼人が独り言を言うように話す。


「お前、静かになったな。前は信が、信がってうるさかったのに」


 私は黙って隼人から目をそらした。

 行方不明の信の事を隼人に言ってもしょうがない。何か言うとからかってくるし。ここで信の悪口とか聞きたくない。


「あの刑事が、お前は流産したと言っていたよ。藤野さんも心配していた。相手は誰かとか、その辺何も覚えていないのか?」


 私は黙って頷いた。

 隼人は催促したいのか、私の頭をグリグリと撫でた。


「やめて……」


 私は父親の手を払って、頭まで毛布を被った。


「お前なぁ、大事な事だろう? 人の命の問題だからな?」

「知らないものは、知らない……」

「相手を探す気は無いのか?」


 ……子どもがどうやって出来るかも分からないのに、相手とか命とか言われたって訳がわからない。


 私は黙って泣きはじめたので、隼人はそれ以上何も言わなくなった。私は泣きながら眠りについた。



 ヒースロー空港についたら、会社からか迎えが来ていた。

 隼人は荷物を車のトランクに入れているときに、その男性に日本語で「ざまぁ」と言ってニヤリと笑った。

 隼人の顔が、信をからかうときの顔だったので、私の気分は最悪になった。


 ……蹴りたい、この背中。


 昨夜泣きながら寝たせいか、頭がボーッとして目蓋が熱い。これ、絶対に目が腫れている。

 私はハンカチを濡らして目にあてていると、出迎えの男性と目があった。


 その人は中肉中背で瞳は黒く、髪も黒い。ごく一般的な東洋人の青年だ。彼は高そうなスーツを着ていたが、まだ社会人になりたてなのだろうか、服に着られている感が残る。


 ……少し羽間のおじさんににているなー。おじさんよりかは顎がシャープだけど。眉毛とか似てる。


 私はおじさんを思い出してクスリと笑った。

 隼人は電話が来たと、車から離れて声の届かない所に行く。

 私は待っている間暇だったので、父に貰ったバッグを開けてみた。中にはハンカチと財布とコンパクトとパスポートが入っていた。あと謎の四角いもの。


「何これ?」


 取り出して見ていたら、迎えの人が電源をいれてくれた。


「携帯電話ですよ」

「あ、ありがとうございます?」


 お礼を言うも、私の目は点になる。


 ……なんだこの、ボタンの絵が一杯並んでいるだけの機械は。何をどう押したら電話とか使えるんだろう? おじさんにこっち来たことを伝えたいんだけどな。


 私は困って隼人を見るが、隼人は遠くで電話をしていた。私が画面を見ると、後ろから声が聞こえた。


「誰かに連絡しますか? 手伝いますよ」

「あっ……えっと、このアドレスに、日本語で、私が親戚の家に帰った事を伝えたいです」


 その人はアドレスが書いてあるメモを見て、一瞬だけ顔から笑顔が消えた。


「どうしましたか?」


 私が横から画面を覗くので、その人は手元を私に見せる。


「すみません、日本語の切り替えに戸惑って。すぐにメールを打ちますね、見ていてください」


 私はふんふんと頷きながらボタンの押し方を見て、画面のすすませかたとか、戻しかたを教えて貰う。


 ……ママが持ってたタブレットの小さいのみたい。昔の携帯電話とは違うんだなぁ。


 私が感心していると、その人が「あの……」と、困惑ぎみに言う。私は画面を見ていた視線を上げた。


「腕……」

「あっ!」


 私は驚いて身を離した。説明に夢中になって聞いているうちに、その人の腕に巻き付いてた。


「すみません、つい、夢中で」


 私が赤くなって詫びると、その人はニッコリと笑った。何故だろう、その表情は胸に刺さる。見ていると胸の奥がモヤモヤする。


 私は気を取り直して、見よう見まねでメールを打ってみた。


「画面小さくて押しにくい。押し間違える……」

「音声入力も出来ますよ」

「ええっ、そんなすごいことができるの?」

「何か検索してみるといいですよ」


 その人は検索画面を開いて、音声入力モードにする。


「何かどうぞ?」

「ドラゴン。あ、出来た!」


 検索で出てきた画像はかわいくて、見ていると頬が緩む。すると突然スマホが鳴った。


「なんか鳴りました!」

「大丈夫、返信ですよ」


 画面を見ると、おじさんが大丈夫かと心配していた。

 私は返信ボタンを押して、音声入力で「大丈夫ですよ、また連絡しますね」と言って送信した。

 その人がじっと私を見ていたので、聞いてみる。


「私、篠崎幸といいます。あの人の……多分娘です。あなたは?」

「ジーンです。ジーン・ターナー」


 ……日本人かと思ったけどこっちの名前だなぁ。ジーンって、女性の名前の印象がある。ターナーはママの旧姓だから、親戚の人?


 何故か違和感を感じながらもジーンと覚える。私は手に持っていた四角いものをその人に見せた。


「こーゆーのはお持ちですか?」

「ありますよ」


 ジーンは胸ポケットからスマホを出す。


「アドレス教えてくださいな。これ隼人しか入ってなくて気持ち悪いから是非に」


 ジーンは私のスマホに自分のアドレスを入れて、確認をさせるように画面を向ける。私はその画面を見て、分からないと首を傾げた。


「これで電話出来ます?」


 彼は私のスマホから自分のスマホに通話して、すぐに切った。そのまま私の電話帳を操作している。

 電話が鳴ったとき、ジーンのスマホからは聞いたことのある映画の曲が一瞬流れた。


「オズの魔法使いですか? 古い映画ね」

「ええ、好きなので」

「古いミュージカルが好きなの? 他には? マイフェアレディとか、サウンドオブミュージックとかは知ってる?」

「知ってます、好きですよ」

「わー、私も好き」

「それは良かった」


 ジーンは笑って、私にスマホを返した。私はしばらくover the rainbowをハミングで口ずさんでいた。

 その後もその人からスマホの使い方を聞いていたら、帰ってきた隼人に頭をはたかれた。


「……いたぁ」

「親の前でナンパされんなよ」

「逆なの。私がナンパしていたの」

「なおのこと悪いわ」


 私は親にそっぽを向いて車の後部座席に座る。そして目的地に着くまで、昔ママと見た映画の歌を口ずさんでいた。


 着いた場所はロンドンから少し離れた閑静な住宅街だった。家の前の道は広く、街路樹が整然と並んでいて、鉄柵に囲まれた広い公園も見える。

 叔父さんの家は二階のない一軒家で、広い庭がついていた。庭は少しだけ、私の住んでいた日本のお家の庭に似ていた。

 私は車から荷物をおろしている隼人を手伝いながら聞く。


「ねえ、隼人。叔父さんは昔お城に住んでいたわよね? 私おじいさまと踊った記憶があるの」

「じーさん家は、じーさん亡き後すぐに売却したんだよ、あんなデカイ家はいらんからな」

「えっ、そうなの?」

「何で? 何か気になるか?」

「だって私、最近踊った記憶があるから」

「誰と?」


 隼人が聞くので、私はうーんと考えた。

 覚えているのは胸だ。フワフワのついた長いケープに、白いお髭。背が高いのか顔は視界に入らない。


「……お髭。白い長いお髭のある背の高い人」

「じーさんの髭は長くはなかった。夢だろ? そんなん」

「んん……それにしては匂いも音もはっきりしてる?」


 私は自分の荷物を持って、考えながらフラフラと隼人の後をついていく。


 広間、ダンス……。

 私の頭の中で不思議な音が鳴った。ガラス片がシャラシャラと触れるような音だ。そこで私は誰かと踊った。いい匂いがして、背の高い、長いお髭の……頭に細い王冠をかぶった……あれは誰?


「……!」


 突然背後から伸びてきた手に、肩を捕まれた。目の前に柱が見える。考え事をして歩いていたので、柱に激突しかけていたらしい。

 私はボーッとしたまま振り返り、その人の胸に顔を寄せて匂いをかぐ。

 

「おじさんのタバコの匂いがする……」

「ここの主人ですか? 彼はタバコを吸いませんよ」

「……ひゃっ!」


 顔を上げると、目の前にジーンの顔があって凄く驚いた。

 

「すみません、違う人です! た、助けてくれてありがとうございます!」


 そう言って、私は逃げるように小走りで、叔父さんの家に入った。



 叔父さんの家に入ると、お手伝いさんの案内で、奥の部屋に案内された。そこは八畳程の広さで、壁紙や家具の色など、日本の私の部屋に似ていてなんだか懐かしい感じだ。


「私、ここで暮らすの?」

「そうなるね」


 隼人に聞いたつもりが、返事をくれたのは、背の高くてふくよかな体型のニコラス叔父さんだった。


「前の学院は退学手続きをしたからね。落ち着くまではここにいたらいいよ」


 叔父さんはそう言ってふわりと笑う。

 エレンママのお兄さんはママに似ているので、私はとても好きだった。


「お世話になります」


 私が叔父に言うと、叔父さんはうんうんと頷いた。



 ここまで連れてきてくれたジーンは隼人の部下では無いらしい。まだ大学生で、かなり前に叔父さんの養子になっと言う。

 叔父はずっと独身で独り身だと思っていたので、養子がいたことに私は驚いた。

 彼は叔父の用をいいつかったり、私の引っ越しを手伝ってくれたりと忙しい。


 眉毛の太いアジア系の顔立ち、黒い固そうな髪の毛、背は隼人よりかは高く、サンタ叔父さんよりはずっと低い。中肉中背。

 その人の背中を見ていたら、何故か無性に懐かしくなる。

 懐かしい? いや、ちょっと違う。

 なんていうか、しがみつきたい。そして泣きたい。あの人を見ると胸が痛くて泣きそうになる。


 私がことあるごとにジーンを見ていたので、ジーンが「何かありますか?」と声をかけてきた。私は慌てて首を横に振る。


「じっと見ていてすみません、私、最近の記憶が殆ど無いのですが、貴方にお会いしたことありますよね? 今日以外で」

「前に少しだけ女学院で手伝いを」

「あ、あれっ? シスターマグノリア?」

「はい」


 ……いたいたそんな人。しかし、何でシスターとして学校にいたんだっけ?


「……失礼ですが、貴方、男性ですよね?」


 ジーンは吹き出した。


「いえ、だってあの学院には修道院にお勤めのシスターしかいなくて」

「隣接する研究施設からの派遣もいたのですよ、私だけなぜかシスター扱いでしたね」

「へんなの……他にも男の人がいたのかしら?」

「いえ、私だけでしたよ。今思うと、上司にからかわれていただけなのかもしれません」

「……あの学院にそんなヒドイ人がいたのね」


 私が呟くと、ジーンは苦笑した。

 

「あれは忘れたい過去ですねぇ」


 忘れたい。と聞いて私が思い出したのは、何故かこの人とのキスだった。


 ……あれ? 何で私この人とキスしたことがあるんだ? しかも挨拶じゃなくて、ちゃんとしたヤツだ。寄宿舎暮らしで眠れなくて、スープを飲ませてくれた? いや、スープ関係ない時もあった気がする。なんか書庫とかベッドの上とかで。


 ってことは複数回? もしかして何度もしてる? 古い教会の地下にいた髪の毛の長い人はこの人なのでは? そ、そしてその人を私は好きだった?

 

「ジーンさんは、地下の書庫で私とキスをしたことありますか?」


 私は聞きたいことを頭のなかで再生して、頭をぶんぶん振った。


 ……いやいや、そんなことは聞けない! まちがっていたら明日から顔を合わせられなくなる! この家に住んでる人なのに!


「どうしました?」


 顔色が青くなったり赤くなっているのだろう、本気で心配されてしまった。

 私は顔が見えないように下を向いて、そっと自室に逃げ込む。そして扉越しから彼にお礼を言った。


「手伝ってくれてありがとうございました。私、着替えるのでこれで、すみませんっ!」


 ジーンは暫くその場にいたが、リビングに消えた。

 私は遠ざかる足音を聞いて、ほっと一息ついた。


 しかしまだ動悸が鳴り止まない、顔は上気するし、冷や汗が出るし、心が落ち着かない。なのに、彼の距離が離れると少し寂しい。


「なんでこんなドキドキしているんだろう? 腕に抱きついたり、胸の匂い嗅いだりしたし、もう変態ではないか、私は……」


 ……この気持ちがバレたら、隼人に何言われるか分からない!


 私は扉の前に座り込み、目を閉じて、一生懸命気を落ち着かせた。



 夕方、私は部屋にあった紺のワンピースを着た。

 誰かのお古かと思いきや、思い切りジャストサイズだったのでわざわざ用意してくれたんだろう。しかしなぜ今の私のサイズを知っているんだろう?


 リビングに出るとお手伝いさんが皿を並べていたので、運ぶのを手伝った。

 メニューを見たら、古くからある英国料理で、私はママを思い出した。


 ……そう言えば最近ろくなものを食べて無かった気がする。


 最近は何を食べていたのかな?

 と考えて、頭に浮かぶのは血飛沫をあげる鳥の頭やブニョッとした生あたたかい臓物だ。

 私は首を振って忘れる事にした。


 夕飯には珍しく隼人が食卓についていた。父とご飯を食べるなんて何年ぶりだろう。滅多にない事だ。

 あとは独身のおじさんと、養子のジーンさん。私と隼人の四人御飯。

 私は食べるもの全てが懐かしい気がして、いちいち感動しつつ頂いた。


 ……文明って、素晴らしいね。


「コウは本当に母に似てきましたね」


 おじさんにまで祖母に似ていると言う。おじさんの母親はフレイという人だ。


「爺さんが生きてたら嫁にとられてたな」

「隼人はすぐに人の悪口を言う……」


 独り言のように文句を言うと、隼人と目が合ってしまい、慌てて横を向いた。

 デザートはシンプルにバニラアイスだったが、その味に涙が出た。


「んー! 生クリームが作れなかったから、バニラアイスなんて久々だー」


 ……バニラも入手できなかったしね。


 口に出して気付く。なんで鳥を解体したり、自作で生クリームとか作ろうと思うんだ?

 私、記憶が抜けている期間は牧場にいたの?


 ふと気が付くと、テーブルにいる皆が私を見ていた。私は視線から逃げるように下を向く。


「すみません、先に失礼します」


 私は急いで自室に戻った。


 ……私の抜け落ちた記憶……所々でも思い出せるのは、全部感覚だ。あたたかい、冷たい、柔らかいとか、音とか断片的なもの。


 私は小さな頃から、ずっと誰かと一緒にいた。私の意識の裏側にいた人は、いつも私を守ってくれていた。

 これはおそらく、ずっと一緒にいたその人との記憶が抜け落ちているんだ。そして、毎日していた事は体が覚えている。


 体と聞いて私は人の体温を思い出す。真っ赤でやわらかい肌のあたたかい人に巻き付いて寝ていた気がする。あとは何か冷たい白いヒモみたいな生き物。多分ヘビ。


 ……あたたかいとか、冷たいとかじゃなくて、もっと、場所とか状況とか分からないかな。


 私は自分の記憶を探るが、はやり詳細なことは思い出せなかった。




◇◇


 パタパタと、幸が遠ざかって行く足音が聞こえる。

 食卓に残された男三人は、幸に聞こえないよう小声で話した。


「つまんな。あいつが泣いたりするとこ見たかったのに、いつも通りじゃないか」


 隼人さんは頬杖をついてスマホを見ている。

 叔父のニコラス様は紅茶を飲んでいた。


「あれは完全に忘れているのですか? ジーンの事を? それともフレイでいたことを忘れているのか……」


 幸は俺の親と通話をしているようなので、日常生活や、日本での記憶はありそう。欠けているのはここ数年の事か。


「私の事は学院にいたときだけ覚えているようです」

「切ないね、恋人だったのでしょう?」

「それは……」


 夏休みに恋人がいたなどは隼人さんの設定で、事実では無い。異世界でもジーンと幸は殆ど別の国にいたし、学院では異世界の事を教えていただけだ。恋人期間は幸が異界から出てきて、ほんの数ヶ月の間だけだった。


「どうでしたかね、彼女はもてましたからね」


 特に竜から。と、口に出すと作り話めいていて苦笑してしまう。そのニヤケ顔を隼人さんに見られた。


「まあ、このままの状態が続くなら、晴れて娘はこいつから解放されるじゃないか。聞いたか? 流産したって。あいつ十六だぞ? 何を考えているんだ……」

「……すみません」


 こんな言葉で済む問題では無いのは理解しているが、今は謝罪しか出来ない。

 

 幸の父親である隼人さんに、俺は頭を下げる。

 ニコラス様は、隼人さんを諌めるように手を伸ばし、俺の肩に触れる。


「元からフレイは自分の命と体を投ずるつもりだったからね。エディとフレイはその計画を変えて、コウが無事に戻って来られるように采配したのでしょう。これは子どもたちがどうこうできる話じゃないよ」

『……クソババア』


 隼人さんは日本語で呟き、苛立った表情で顔を横に向けた。


「まあ、このまま幸の記憶が戻らないなら、幸は幸の人生を自由に選べるんだな。それでお前が再任されるのか、高見の見物をしてやるよ」


 一生幸の側にいる覚悟で、親を捨てて日本に戻らなかったのに、幸が他所の男とくっついたらツラい。


 ……俺の人生を台無しにする言葉を的確に選ぶ隼人さんが怖い、怖すぎる。


 落ち込む俺の隣で、ニコラス様は紅茶を飲んで、呑気に笑う。


「ジーン、ハヤトはこれでもとても娘を心配しているのですよ。この態度は親心ですからね」


 隼人さんはニコラス様の言葉に、苦いものを食べたような顔をした。


「幸の出産で、エレンがどれだけ心に傷を負ったと思う? 俺達には一生分からない痛みをあいつらは背負い続けるんだ。俺はジジイを、エディを、フレイを許さない」


 ……もっともだ。子どものいない俺だって、もし子どもがそんな目に遭ったら相手を許さない。


 青ざめ、ずっと頭を下げ続ける俺の頭を、ニコラス様がよしよしと撫でる。


「大丈夫、事情は知っているよ。コウを無事にこの世界に戻してくれてありがとう。ジーンにボクはとても感謝をしているよ」

「……すみません」


 隼人さんはパタンとスマホカバーを閉じて席を立つ。


「……あいつも元気だったし、俺はもう家に帰るよ。幸の検査とかしたかったら予約を取るから言ってくれ。お前らの生活は全面的に支援する。ジーンは幸の社会復帰を手伝ってくれ」

「はい……」


 俺は隼人の車の音が聞こえなくなるまで頭を下げていた。


「隼人が憎んでいるのは、私の父だからね、ジーンの事ではないよ」

「……ありがとうございます、大丈夫です」


 背の高いニコラス様は、ずっと俺の背中をさすっていた。


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