15、夕闇に現れたモノ
注意!グロい戦闘シーンあります
アレクの治癒魔法は傷だけでなく、重く動けなかった体もスッキリと軽くなった。私は剥がした絆創膏を同じ場所に貼り直して、保険医に礼を告げて教室に戻る。
保健室から出た私は、黒猫をどうしようか悩み、ひとまず外の植木の影にいて貰うことにした。私はそのまま授業に戻り、放課後になると教室を飛び出し猫を探した。
『ニャ』
探すまでもなく、猫は自分から出てきてくれた。私は黒猫を胸に抱いて、校舎に戻った。
……君は、皆からも見えないの? 私だけ?
私はそれがどうしても知りたくて、猫を腕に抱いて下校時の校内を歩いた。
放課後の下駄箱は部活に行く生徒や、帰宅する生徒でごった返している。しかしその生徒たちは誰も猫に気が付かなかった。
「あれ? 幸ちゃん帰ったんじゃないの? 忘れ物?」
前方から吉田くんが駆け寄ってきたので、私は猫を吉田くんに差し出した。突然両手を差し出された吉田くんは、首を傾げて私の手を握る。
「ひぇっ」
吉田くんの手が猫を突き抜けて私の右手をつかんでいるようにみえる。
私が驚いて手を離すと、猫は私の靴の上にずり落ちて、廊下に転がった。
『わああ、ゴメン』
私は猫を慌てて拾い上げ、吉田くんからダッシュで逃げた。
……見えてない、完全に見えてない!
残るは信だ、信にも見えなければ竜は私にしか見えないという事になる。
私は自分のカンに頼り、渡り廊下を走り抜けて、PC部屋にたどり着いた。
部屋は文芸部の活動中らしく、数人の女生徒がいた。
パソコンの利用はしないので、私は使用ノートは無視して奥に進む。奥の机には、信がドライバーを手にして腕をこまねいていた。
「信……」
私が名前を呼ぶと、信は私を二度見した。信は手招をしたので、私は猫を抱っこしたまま信のいる机に向かう。
信は私が近付くと、端の席に私を押し込み、自分の体で隠した。
「……コウ、お前なんで学校に猫を連れてきてんの?」
「へ?」
私はキョトンとして、さっき吉田くんにしたように、猫を信の前に差し出した。信は怪訝な顔をして黒猫を見ていたが、猫が動いて信の鼻先を爪で引っ掻いた。
「……コラッ!」
私は慌てて猫を引き戻してギュッと抱いた。信は黙って鼻先を触っていたが、指先についた血を見てため息をついた。
「信、ゴメン、保健室行く?」
「かすり傷だから行かないが、どうしたその猫は」
私は隅に座って、猫を抱いてうつむいていた。
「信に話したいことがあるの……」
「後にしてくれ。俺はSDカードを救出したい」
そのまま信は私を無視して、パソコンの電源ケーブルを抜こうとケーブルを辿る。
「幸、そこどいて……えっ?」
私は隅っこに座り込んで、グスグスと泣いていた。しばらく呆然とした信は、驚いて、泣いている私の前に膝をついた。
「具合わるい? 帰るか?」
そう信が言うので、私は首を振って立ち上がり、猫とリュックを手にダッシュで部屋を飛び出した。
信はしばらくパソコンと幸の出ていった扉を見ていたが、「くそっ!」と悪態をついて鞄を持ち、幸を追い掛けた。
◇◇
私は何故自分が泣いているのか分からないまま、必死で通学路を走っていた。
夢の頻度が増して、通学するのがつらくなって来た時に、突然夢から解放されて、池から異世界の住人が出てきた。
夢の住人、アレクセイと会えて、嬉しい気持ちと、理解できない事に巻き込まれている怖さに襲われ、私の心は整理がつかず、ぐしゃぐしゃだった。
『ニャ』
胸に抱いている、黒猫の姿をしているアレクセイが小さな声で鳴いた。
朝はあんなに重かった私の体が、とても軽くなっている。これはきっと、アレクの魔法のおかげだよね。怪我も治せるし、アレクはとてもかわいい。
私は走るのをやめて、ゆっくりとスピードと落として、胸に抱いている黒猫をみた。
黒いビロードのような手触りで、瞳も黒く、白目だけが三日月のように白く見える。
この子は誰にも見えなかったのに、信には見えていた。しかも引っ掻いていた。それは信もアレクに触れると言うことだ。
……見える人と見えない人の違いって何?
信が見えると知って私は驚いたけど、よく考えたらアレクの事を信になんと説明したらいいのか皆目見当もつかなかった。
夢の中の人が現実に出てきた。
池から出てきた。
見える人と見えない人がいる。
変身する。
治癒魔法を使う。
こんなこと、誰に相談したらいいんだろう?
私は夏の日差しに熱されたアスファルトの上をとぼとぼと歩いていて、相談出来る人を一人だけ思い付いた。
「……あの目の見えない髪の長い人なら教えてくれるかもしれない」
私は通学路をそれて、昨日足を踏み入れた公園に向かった。今日は信がいるという察知が無かったが、彼が何か手がかりを落としているかもしれないし。
私は人気のない林道に入り、池を目指して奥に進んだ。
◇◇
一方信のほうは幸を探して、町を走り回っていた。
幸のとろくさい足と体力ならすぐに追い付くとたかをくくっていたが、家に着いても幸の姿は見当たらなかった。
……見落とした? 追い越したとか?
俺は念のために自宅と幸の家の中を確認した。ベルを押しても返答は無い。鍵を開けて玄関を覗くが、幸の靴は無かった。
「そうだ、GPS!」
俺は誰もいない篠崎家に入り、ママのタブレットを探すが、タブレットはおろかママさえもいなかった。
「くそっ」
俺は自宅に帰り、鞄を置いて、鍵と財布を持って外に飛び出した。
……ママでも幸でもどちらでもいい。早く見つかってくれ
俺は二人がいる可能性がある場所を片っ端から覗いていく。教会、スーパー、八百屋、幸の家に前に住んでいた藤野さんの家、公園と町内一週してもどちらにも会えなかった。
「公園の草影に倒れてんのかな」
俺は呟きながらまた学校に戻って行った。
◇◇
信が自分を探しているとは思っていない幸は、ガサガサと草を踏み分け、昨日見た池を探していた。
近所だからと大丈夫と思っていたが、ここは結構広い場所で、似たような木が生えていてすぐに方向を見失う。
「昨日は信の方向が分かってたから、迷わなかったんだけどな……」
道なき道を迷うこと数十分、歩き疲れた私は、ばてて座り込んだ。
「鞄重い~! 家においてくれば良かった」
私は腕の中の子猫をつついた。すると子猫は真顔で私に話し掛けた。
『疲労、空腹、高温、渇きが見られる。寝床に戻った方がいい』
『しゃべった!』
……猫の姿でも喋れるんだねぇ。
私はまじまじと腕の中の子猫を見る。猫は口を開けずに喋った。
『……直接発言しているわけではない』
『えっ?』
発言していないと言われてもよく分からなかった。耳で聞いているような気がする。
『必要はない。それより引き返せ』
……言葉を口から出すか、そうじゃないのかを考える必要は無い? かな?
じっと猫の顔を見ると、こくりと頷いた。
猫アレクは見た目すごくかわいいのに、言うことは真逆で、かわいさの欠片もない、あと言葉が足りない。誰か通訳してほしい。
『君は、私の体調がわかるのかな?』
指で額を撫でると、猫は目を細めてニャンと肯定した。
『だから傷にもうるさいのか……』
日はすこしずつ陰り、視界も悪くなってきた。どこからかカラスの鳴き声が聞こえる。私はブルッと震えて、腕の中の子猫を抱きしめた。
『アレク、君は、どうしてこの世界にいるの? あの世界は本当にあるの?』
『………』
猫は答えずにじっと私を見ていた。暗い場所で真っ黒な体に真っ黒な瞳だと、もう白目部分しか見えない。
『何をしに来たの? 目的はあるの?』
『………』
……無口と言うレベルではないなあ。
私は苦笑して、猫の額を指でつついた。
私はアレクとの会話は諦めて、疲れた足をひたすら動かし先に進むと、突然猫が答えた。
『フレイの約束を助けるためにサーが私を送り出した』
『約束? フレイは誰かと約束したの?』
猫はまた押し黙った。そういえば夢の中でも頻繁に会話が途切れていたね。そんなときフレイはアレクが動き出すのをじっと待っていた。
私はフレイの真似をして、猫が目を開けるのをじっと待ってみた。猫はブルッと顔を振ると、黒い瞳で私を見た。
『検索できない。ここには樹木が無い。サーの存在も確認できない……ここは一体?』
そう呟く猫の姿が一瞬消えた気がして、私は自分の目をこすった。消えたのは気のせいだったようで、猫はちゃんといて、私の腕の中で丸くなって目を閉じた。
「……あ、池あった」
寝ている猫を抱いて、ぼーっと歩いていたら、昨日来た池にたどり着いた。
昨日は夢うつつでちゃんとみていなかったが、池のまわりには古い小屋や倒れた灯籠などがあり、とても不気味な所だった。
「ここ怖い、早く帰ろう」
私は寝ている猫をベンチに置いて、盲目の人がいたベンチ付近を調べた。そこには昨日の人もいなければ、手掛かりになるようなものも何もなかった。
……いないことは分かっていたけど、手がかり一つないとは思ってなかった。
『何を探している?』
『えっと、昨日の人……ひっ』
話し相手は猫だと思って顔を上げると、全身真っ黒な長身の男が立っていた。私は驚いて尻餅をつく。
『あ、そうか……君はアレクか……アレクセイレーン……』
あたりが暗いとアレクの顔だけ白く浮かんで見えるので怖い。不機嫌顔なのも怖い。
私は重いリュックを下ろして、しりもちをついたお尻をはたきながら起き上がる。
アレクはじっと池を見ていた。
『……?』
私がアレクの視線をおいかけると、池の中央が白く光っているように見える。
……なんだろう、あの光……?
光は強さを増し、その池の水面から、泡立つように白い霧が吹き出し、辺りに立ち込めた。
白く光っていた部分、霧の中央に、白い人影のようなものが見える。
霧が薄れてくると、人の姿がはっきりと見えた。その白い人は水面に膝をつけて頭を伏せていたが、ゆっくりと上体を起こして立ち上がる。
白い長い髪が、花が開くようにふわりと周囲に広がった。
『綺麗……』
その人はアレクとは対極で、頭から足の先まで白く、髪の長い、美しい女性の姿をしていた。
アレクは黙ったまま白い女を見ていた。白い女は水面の上に浮かび上がり、波紋もたてずに真っ直ぐ私の方に歩いてくる。
アレクが私の肩に手を置くので、私はアレクの顔を見上げた。アレクは無表情のまま、瞬きもせず女を見ていた。
『あれは、白竜なの? アレクの双子の竜?』
私が聞くと、アレクは少しだけ頷いた。
……あんな姿だったかな?
私は白竜に違和感を覚えた。
黒竜と白竜は双子で、色は違えど双方の姿形は似かよっていた筈だ。
実際目の前にいる二人は、アレクが長身の男性で、レアナはママくらいの身長のグラマーな女性に見える。似ている所はない。
白竜は私から五メートルくらいまで近付くと、突然走り、距離を一気に詰めてきた。
白竜は右手を上げ、私に向かって振り下ろす。彼女の右手の爪は刃物のように鋭利で長く、私が立っていた地面とベンチを切り裂いた。
『……ひっ!』
突然攻撃してきたレアナに、アレクが対応し、私を抱えて横に跳んでいた。轟音をたてて舞う木片を、私はアレクの腕の中から呆然として見ていた。
『……チッ』
攻撃対象に逃げられたレアナは、鋭利な長い爪をペロリと舐めて、少し離れた位置から私とアレクを見ていた。
『No.5、何故フレイを攻撃する?』
アレクが問うが、レアナは何も答えず首を左右に振った。引きずるほどに長いレアナの白髪が波のように揺れる。真っ白なドレス、真っ白な髪、そして真っ白な顔色をした女が薄い唇をニヤリと歪めた。
『サーはその女の死を望んでいる』
……えっ?
私は自分の耳を疑った。
あの、春のお日様ような優しい人が、フレイを殺せと白竜に命じた?
私を抱えていた黒竜が、体を屈めてうめいた。私はアレクの手から地面に下りて、アレクの様子を見る。
アレクは自分の額に触れて、苦しそうに呟いた。
『……サーは私に、フレイを追って連れ帰れと』
私は状況が分からず、双竜を交互に見た。
……どういうことなの? サーが、あの世界の神様が、フレイを殺すために双竜を送ってきたの?
私は必死で状況を理解しようとするが、レアナの攻撃に怯え、足が震えて立っているのがやっとだった。
黒竜は私を引き寄せて、小声で言った。
『太い木の根元で伏せて隠れていろ』
黒竜は私の背中を押して、レアナに向かって走る。私は押されて、つんのめるように木にしがみついた。
黒竜は目にも止まらぬ早さで白竜に近付き、白竜の体を手で凪ぎ払った。
黒竜の手は刃物のようにとがっていて、白竜の左肩から腹部までを斜めに大きく切り裂いた。白竜の真っ白な服が赤い血で染まっていく。
黒竜は剣のように変化させた手を、白竜に向けた。
『引け、No.5。私はお前を消すことができる。お前は私に敵わない』
白竜は切られた腹を撫で、さも愉しそうにフフッと笑った。
『私を消したらアンタも消えるわよ? そうしたらどうなると思う? アンタの主人の願いは叶わず、あの世界も消えるわ。ほら、消してみなさいよ! 出来るものならね!』
白竜はケタケタ笑いながら走り、長い爪で黒竜を切り裂いた。黒竜の顔面から肩まで斜めに裂傷が走り、血が吹き出す。
黒竜は傷に躊躇せず白竜を肩で突飛ばし、左手に浮かばせた黒い球体を白竜の腹に埋め込んだ。
黒い球は白竜を貫通し、女の腹部に大穴を開けた。その断面から血が流れ、白竜のドレスを真っ赤に染める。
黒竜は大量の血を流してふらついている白竜の頭をつかんで、白竜を上に持ち上げた。
黒竜はそのまま空いた手を白竜の腹の傷口に入れて、白竜の下半身をもいで地面に捨てた。
『ギャアアア……』
夕暮れの空に、女の絹を引き裂くような悲鳴が響き渡る。
「ああああ……」
目の前で繰り広げられる、双竜の殺し合いに、血に、女の悲鳴に、私は心底怯えて涙を流していた。
……どうして二人が殺し合う必要があるの? サーはどうして二人に相反する命令をしたの? 双子の竜なのに、殺し合わないといけないなんて
『やめてアレク……レアナが死んじゃうよ……』
私はよろけながらアレクに近寄り、その腰にしがみついた。手も足も、血と殺戮を見た恐怖でガタガタ震えている。
レアナの顔は震える私を見て、薄く笑った。
『ああ、素敵。その恐怖、そして哀しみ……なんて無力で馬鹿な女……お前は何時だって震えて泣くことしか出来ない。そのお前の愚行はあの世界を呪ってサーをも傷つけた。今や世界はサーの哀しみで溢れてしまったわ』
『……えっ?』
私はレアナが何を言っているのか理解出来なかった。上半身だけになった白い女は、切断面から血を流しながら私を指した。
『お前はサーを狂わせ、アスラを、セダンを滅ぼした。サーはお前を許さない。お前の大切なものを全て消し去って、お前を殺す』
『煩い』
アレクはそう言って、女の頭を握りつぶした。辺りにはおびただしい血が飛び散り、地面を赤く濡らした。アレクは手を振って、女を捨てるように横に投げた。
『レアナ!』
私が叫んで白竜に駆け寄ろうとするので、アレクが私の胴体に腕を回して肩の上に持ち上げた。
『アレク、レアナが死んじゃう、離して!』
手足をバタバタ動かして、逃げようとする私にアレクが言う。
『我々は肉体の損壊では死なない。しばらく動けなくなるだけだ』
『えっ?』
アレクが地面を指すので私はその先を見る。レアナの体は歪んで白い霧に変わっていた。飛び散った血や下半身も白い霧となり、じわじわと本体に集まっていた。
『我々の体は神を模しているが、臓器も血も見せかけだ、機能していない。行動不能にするには、結晶を再生出来ない程に損傷させる、しかし再生したらまた動く』
『……だからって、こんな……竜同士で戦うなんて』
アレクは私を地面に下ろした。アレクの顔の傷も、あたりに飛び散っていたレアナの血も、いつの間にか消えている。
『No.5、6は不定形だ。完全に消滅しない限りは何度でも再生する』
アメーバ……というより、餅のようになった白竜は、口だけを再生させて何かを呟いていた。
『……どうして……ワタシ達の間に差が生じている? ワタシ達の力は同等の筈なのに』
『知らぬ』
アレクは私を地面に置いて、黙ってレアナを見ていた。
『……この世界は何? どうして体がこんなに重いの? サーは何処?』
困惑して震えるレアナの体は、薄くなって消えかかっている。
アレクの右手が刃物のような形状になるのを見て、またレアナを切り刻むのかと思い、私はアレクにしがみついた。
『もういいよ、アレク、もうレアナはもう動けないよ!』
アレクは手を元の形に戻して、しがみつく私を引きずったまま、レアナの前でしゃがむ。アレクは伏せて、レアナに額を付け、そのまま暫く黙っていた。
『状況を理解した。No.5、この世界には樹木も銀の盆もない。ここに在るためには糧が必要だ。開錠の日までまだ間がある、お前は……』
アレクはそこまで言うと、パタリと地面に倒れた。その隙にレアナは鳥の形になり、空に飛んでいった。
地面に黒い霧が立つので、不思議に思い足元を見ると、アレクの体が黒い霧に変わっていた。
霧は中央に集り、猫のサイズまで縮んだ。
霧が消えた時には、アレクは子猫に変わっていた。
私は眠りこける子猫を抱えて、薄闇の中途方にくれた。