13-11、研究所1
目を開けると、辺りは真っ暗で、虫の声が聞こえた。
私は土の上に倒れているようで、視界には夜の木々が見える。
私は側に生えていた木にしがみついて立ち上がった。
目が闇に慣れてくると、ここは昔に通っていた女学院だと分かる。
月が雲に隠れているので見えにくいが、木々の奥には泉、そして寄宿舎の灯りが少しだけ見えた。
……永劫の闇を抜けたんだ。多分ママのおかげ。隼人まっしぐらのママの思いは何よりも強い。
「……でもゴメン、隼人の所にはいかないし!」
想像のママがふてくされる気がして、私は苦笑した。
私は久々の現世、そして学院の夜の庭を走った。
私の心の中で別の意識が動揺しているのが取れる。レーンとユウは私の中にいるらしい。
『大丈夫。ここは私が通っていた学院だから、敵はいないし怖いこともないよ。サーのいるところもちゃんと知ってるから安心して』
私は二人を安心させようとするが、二人の緊張はほぐれなかった。
私は旧礼拝堂を抜けて、かつて通っていた地下室への扉を開けた。
……この世界ではあれから何年経っているのだろう? 昔登録した指紋認証や瞳孔認証は使えるんだろうか?
私はあちらこちらにある、サーへの会合を阻む扉を指紋と目で開けていく。しかし、行けるのはシスターと勉強したデータ保管室までで、サーがいるであろう研究室への扉は開けられなかった。
そこで私は昔の事を思い出した。
「電話……」
書庫のジーンは、困った時は扉についている電話を使えと言っていた。でも番号が思い出せない。
「同じ建物の中だもん、内線番号だよね……」
私は受話器をとって考えるが、カードの裏にメモしたジーンの番号は思い出せなかった。
「信、助けて」
日本語でそう呟くと、受話器の向こうで息を飲むような音がした。すると、夜間モードで最低限しか灯されていなかった廊下の灯りが一斉についた。
防犯カメラが静かに動き、私を映す。
受話器から一言だけ声が聞こえた。
「誘導するからついておいで」
「……えっ」
私が横を向くと、重い扉がガシャリと音をたてて開いた。
私は奥に進み、階段を下りてさらに地下に行く。経路は複雑だが、迷うたびに計器が光って導いてくれた。
もう何回階段を下りただろうか?
重いドアを苦労して開けて入ると、沢山のモニターが並んでいた。
モニターには、防犯カメラっぽいもの、心電図っぽいものやよくわからない画像がうつっていた。
暗いモニター室の奥に大きなガラス窓が見える。その奥にサーはいた。
その部屋は、教室くらいの比較的広い部屋で、あたり一面を機械と計器が埋め尽くしている。
その中央にノートサイズの窓がついた、六角柱の育成ポットのようなものがあり、まわり一面に伸びる沢山のコードで繋がれていた。
その部屋への扉はあるが、開かなかった。
扉には鍵穴が無く、英数字が表示されているタッチパネルがついている。触れてみると、パスワードを入れろと表示された。
私は三回あてずっぽうに数字をいれるが、ドアは開かなかった。それ以上は試すことは出来ないようで、画面からパスワードの入力表示も消えた。
私はガラス越しにサーを見る。
『エディ、私ここに来たよ、扉を開けて』
私の心の中でエディの声が聴こえた。
『フレイ、ここまで来てくれて本当にありがとう。二人は来られるね、もっと近くに来て』
「あっ……」
レーンとユウが壁を抜けてサーの所に行く。
置いていかれた私は壁を叩いた。
すると、上の方から人の足音が聞こえてきた。足音はこっちに向かってくる。
扉から入って来たのは、白衣を着た大人が四人で、そのなかには信とアリスがいた。
「コウ……」
私が知っている信よりもずっと背の高い信が私に駆け寄り、私の肩を抱いた。
この人は書庫のジーンさんだろうが、髪型も眉毛も信そのもので、前みたいに髪を伸ばしていなかった。
『私、サーに呼ばれて来たの。世界を引き継がなくてはいけないみたい』
私は無意識に異世界の言葉で言ったが、白衣の信は『そうか』と頷いて、私をその胸に引寄せた。
アリスは手元のパットを見ながら「覚醒しているけど別段異常は無いわ」と呟く。
「子ども?」「どうやってここまで」「どこの言葉だ?」「フレイ?」「まさか」
他の研究員もいたが、彼らは状況が分からずにうろたえていた。アリスは信に捕まえられている私に英語で言う。
「ゴメンねーミスコウ、彼の存在は人道的にヤバイから秘匿されているのー、コウでも部屋には入れられないわ」
誤魔化すように笑うアリスに、私は聞く。
「彼はエディですか? ビルから転落して体を失った、六才の男の子ですか?」
「昔はそうだったかもしれないけど、彼は私より年上なの。子どもではないわね」
白衣の信は異世界の言葉で聞く。
『この中に、レーンとユウがいるのか?』
『そうなの、彼らしか中に入れなかったの』
アリスはボイスレコーダーを胸ポケットから取り出して信に向けた。録音中なのだろう、赤いランプが付いていた。
「ジーン、その言葉後で絶対に解析してやる」
「そんなことをしなくても、後で訳しますよ」
ジーンと呼ばれた信は、私を背中から抱きしめたまま溜め息をついた。
彼の服からタバコの匂いがする。信の顔が近すぎて、髪に信の息がかかる。しかも、信は私の頭を撫でている。
……何故公衆の面前でハグされて頭を撫でられているのだろう?
他の研究員が「侵入者?」とか「確保」とか言っているので、確保されているのかな? と首を傾げた。
隣でアリスが舌打ちをする。
「……イチャつきやがって、この日照り男が」
「捕まえていないと逃げそうだから、仕方がない」
私は話を聞いて苦笑した。
……野性動物扱いだった。
信はスッと立ち上がり顔を手で覆った。そのまま二、三度瞬いて伸びをする。
信は私に向かって手を伸ばし、部屋から外に出ようとした。
『な、何? 何処に行くの? まだ中に二人が……』
『話しは既に終わった。ユウはここに置いていく。俺達にはもうひとつすることがあるらしい』
私は耳を疑った。
『レーン?』
レーンと呼ばれた男はニヤリと笑う。
『あっちで散々憑依してたから、楽に入れた』
『ええ-……』
信は振り返り、部屋にいる研究員に言う。
「すみません、彼女にやって欲しい事があるので、山の病院に行ってきます」
研究員は行ってこいと手を振るが、アリスはふてくされていた。
「絶対サボりだ。彼女としけこむつもりだ……」
「違いますよ、大事なエディの頼み事です、眠り姫を起こして来ます」
「……あ、分かった、準備しとく」
アリスはパッと真顔に戻りスマホを取り出す。
信は扉に向かい、白衣を脱いで腕にかけ、私の手を引いて外に出た。
信は私の肩をつかんだままエレベーターで地上に出る。そして駐車場に行き、車のドアを開けて、私を助手席に座らせた。
『車とか……すごく久しぶり……』
信は私にシートベルトをかけながら少し笑う。
『あっちは竜が車代りだからね』
車についているモニターで時刻を見たら夜の八時だった。時計がすっごく懐かしくて、そっと手で表面を撫でる。
車内は信の父親が吸っているタバコの臭いがした。
気になって灰皿を開けてみると、灰皿にはタバコの吸殻と消臭剤がぎっしりと詰まっていた。これは吸いすぎなのでは無いだろうか?
『信は今、何才なの?』
『体は二十一年目』
『心は?』
『三十年は越えているかと』
私は十年後の自分を想像してみたが無理だった。
……あの、満月の校庭から少なくとも十六年、信の時はそんなに経過しているんだ。
私はその長さを思うと涙が出そうだったので、ぐっとこらえて前を見た。
車はしばらく山道を登ったのちに病棟についた。
信はドアを開けて、私のシートベルトを外した。そのまま信に手を引かれて、私たちは裏口から病棟に入った。
入口で信は身分証を見せてエレベーターに乗る。
「幸、ここでは俺の事ジーンと呼んで。あと人前では英語徹底」
「Yes I am」
信はナースセンターに挨拶をして、奥の個室に入った。そこには菊子さんが体に器機をつけて寝かされていた。
信は辺りに人がいないのを確認してレーンと変わる。レーンは腕捲りをして寝ている少女に近寄った。
『コウもエレノア妃もセダンの姫もこいつも皆黒髪なのな? お前の趣味なのか?』
『レーン、私たちの祖国は全員黒髪、黒目しかいないのよ。島国なの』
『……そんな国があるのか』
レーンは少し驚いて、そして菊子さんに向き合った。
『サーが、この女の年令を巻き戻せと言った。どれくらい巻き戻せばいい?』
『私と接点なくなるのは一年生の三月くらいかな』
レーンはしばし黙って、信の指示を待った。
『……了解』
レーンは頷いて、ジーンの手荷物から銀色のケースを出した。そのなかには血液パックが入っていた。
『あーこれ見たことある。懐かしい』
レーンは苦笑して、青い魔方陣を展開し、血を結晶に変えた。
レーンは菊子さんの額に触れて、むぅと唸る。
『どうしたの? 難しい?』
私が聞くと、レーンは素直に頷いた。
『この世界はあらゆることが重い。息をするのも辛いくらいだ。この糧での巻き戻しは無理かもしれない』
『わわわ……レーンが弱音を吐くなんて。待って、サーに聞いてみる』
私が慌てて目を閉じると、クイと手を引っ張られた。私は転びそうになり、レーンに寄りかかる。
レーンは私の手をつかんで、頬に寄せた。
『待って、サーに頼るのは最終手段。ひとまずやってみる。体は巻き戻らないかもしれないけど、ユウがなんとかしてくれるかも……』
『ユウくんが? サーの所にいるから、橋渡しをしてくれるのかな?』
『うん、そんな感じ。ユウは凄いよ。この世界で魔法を使うために、仮の樹木を構築してくれている』
『……そんなことが出来るんだ。ユウくんは本当に天才』
雪の中見つけたユウの姿を思い出すと、鼻がツンとした。
我が子の成長を喜ぶ親のように、私はユウの成長が微笑ましく、また頼もしかった。
『ユウくんの体も探さなきゃね。ユウくんのママはきっと探してる……』
レーンは菊子さんの寝ているベッドに座った。
私は魔力を流すイメージでレーンの両肩に手をあてる。レーンは菊子さんの額に手をあてて、目を閉じた。
『……いくよ』
レーンは息を吸うと、暗い病室に青い魔方陣を描いた。病室の床に光の線が走り、次々と数字が描かれて行く。ユウだけではなく、レーンもまた天才なのだと、私は頼もしく思った。
……レーンがいてくれて、協力してくれて、本当に良かった。
レーンはしばらく菊子さんの額に触れていたが、首を横に振って目を閉じた。
『体は無理だ。記憶だけ巻き戻す』
『うん、菊子さんが目を覚ますのが目的だから、それで十分だよ。ありがとう……』
レーンは私の顔をチラリと見て、信のような朗らかな笑顔を見せた。
『……解錠』
レーンがそう呟くと、レーンが手から青い魔方陣を展開した。
青い光が菊子さんの頭部を包んだ。
しばらくすると光が弱まり、足元の魔方陣も薄れて消えていった。
青い光が消えた後、部屋には計器の定期的な音だけが鳴り響いていた。
私は息を潜めて菊子さんを見ていると、菊子さんの目蓋が少し動いた。
「……あっ」
その時点で信はナースコールを押して、私の肩を抱いて部屋を飛び出した。
「えっ、何で?」
「幸、しゃべらないで、走って」
信はそのまま、速足で階段から外に出て車に乗る。車は少し走って、公園の駐車場に止まった。
「ここにおりるの?」
「いや、話をしたいだけ」
信はエンジンを切って、シートにもたれかかり、深く溜め息をついた。
信が寝ているように動かなくなったので、私は不安になってその顔を覗く。
「菊子さん、目を開けそうだったよ」
「ならそれでいい、俺はもう彼女とは関わらない」
「え……」
「菊子の外傷は無いから、目を覚ませば日本に返せる。そして途中の記憶のないまま日本で生きればいい」
「だって、菊子さんあなたが好きなのに」
「それは中学の、しかもずっと前の話だ。それに菊子自身の記憶も消えたから、俺の事なんて知りもしない。もう赤の他人だよ」
私が納得出来ずにふくれていると、信がその頭を小突いた。
「エディはこの事件で被害者が出たことをとても気にしていた。それが一人でも助けられたんだ、喜ばしい事なんだよ、だからふくれるな」
私は返事をせずに黙っていると、信はもう一度私を小突く。
「後はお前だけなんだよ? エディの被害者リストに乗るなよ」
「被害者は他にいるの?」
信は私の耳に触れて、ママの石を撫でた。前に見たときはかなり濃い緑の石だったが、今は白濁して、色が薄れている。
「エレンママ」
「………」
私は黙って車のシートに沈むようにもたれこんた。
エレンママの事を思い出すとどうしても涙が出る。
私は涙を隠すように、手で顔を隠した。
「まだ向こうは、何も変わっていないもん、すること一杯だから戻らなきゃ……」
「後はユウとレーンが何とかするだろ」
私はがばっと起き上がり、信を指した。
「あなたがまだ向こうにいるの!」
信は少し驚いて、チッと舌打ちした。その不機嫌な様子は、まるでレーンのよう。
「何でそんな機嫌悪いの? こっちの信は久々に私に会ったのでしょう?」
……今は何年の何月なのだろう。私がアスラに行ったのは夏至だったけど。
私は窓から外を見た。窓の外からは季節が分からなかったので、秋か春か微妙なところ?
「……これからあの世界はどうなるの? 信はこっちに帰していいのね?」
「未来の事を幸に言うことは出来ない。幸がその話を聞いたとは言っていなかったから、事項がずれる」
「なにそれ」
「今を確定するために、幸の未来を変えることは無いということ」
「わかんないよ、ちゃんと教えてよ」
私が信の袖を引っ張ると、信は怒鳴った。
「死ぬほど考えてるよ、どうしたら幸がここに戻って来るのかを、ずっと!」
温厚な信が声を荒げるので、私は驚いて目を瞬いた。
「ご、ごめんね……」
私の謝る声は信に届かず、信は手で顔を覆って押し黙った。
車内に気まずい空気が漂う。
……また泣かせてしまった。
滅多に泣かない信が、異界でもこっちでも泣いている。どれだけ私は彼を悲しませているのだろうと思うと、私もなんだか泣けてくる。
その沈黙を破って、信がポツリと言う。
「幸がレーンを連れてきたから、必要な情報は俺の中からレーンが持っていくだろ? レーンは結末を知る事になる。幸はレーンに助けて貰え。俺はこちらで出来る限りの事をして、帰ってくる幸を拾い上げるから」
信は右手を私に向かって伸ばす。私はその手を両手で包んだ。
自分の知っている信の手とは違って、大きくてゴツゴツしていてビックリした。
顔を上げると、頬骨や輪郭が伸びて、大人びた顔の信が見えた。
前は髪の毛が長かったのに、今では信くらいに短い。やはり髪を伸ばしていたのは変装だったんだ。
十四才の信よりも、顔の縦幅が伸びて、顔に凹凸が出来ている。
口元には少し無精髭が見えて、信のパパを思い出した。
信の目の下には隈があって、頬もこけていて、とても疲れているように見えた。
「……なんか、最近私は君を泣かせてばかりいるね、ゴメンね」
「謝るくらいなら、早く帰って来てくれ…」
「うん……」
私は小さく頷いた。
すると、信が顔を近付けて来たので、私は目を閉じて顔を傾け……た所で信のスマホが鳴った。
画面にはアリスと名前が表示されていた。信は上体を起こして画面に触れる。
「アンタこんなときに公園で何してんのよ?」
「話をしていました。何の用ですか?」
「アンタの妹が目を覚ましたわ。アンタそこから逃げたわね」
「それは、前に話した通り、部下に担当を変えてください。俺や幸に接触させて、また巻き込みたくないので」
「じゃあ他所にやって勝手に返しちゃうわよ、眠り姫」
「ハイ、宜しくお願いします」
信はボタンを押してスマホを置いた。
「……そうだ、アリスに位置情報とられてた」
「いちじょーほー?」
「これ」
そう言って、信はスマホを指す。
「樹木のマーキングみたいなものだよ、これのせいで、上司に居場所がバレてしまう」
「こんな時間までお仕事してるなんて、大変なのね」
私が心配して肩に手を置いたら、またスマホが鳴る。信は音に応じず、嫌そうな顔でスマホを凝視していた。
「早くでで、怒られるよ」
私はスマホを信に押し付ける。
「……はい、何ですか? 早く帰ってこいですか?」
「いや、今サーは安定してるからご飯でも食べてきていいよ、って、その辺店無いけどね」
「………」
「出来れば血液と体温、身長体重と尿も貰ってきて」
「そんな事言えるか」
通話を聞いていた私が言う。
「あ、いいよ、アリスのそのパターンよくあるから慣れてる」
信はしばらく私を見ていたが、通話に戻った。
「分かりました、善処します。何かあったら教えて下さい」
そう言って信は通話を切った。
信は上を向いて腕で目を隠した。
「……メシだ」
「なあに?」
「夕飯、食べたいものはある?」
私は笑って言った。
「何でもいいよ」
車は閑静な住宅街を走っていた。
アリスが言った通り、ここは郊外なので食事出来る場所などなく、血液採取もあるからと、信のアパートに行くことになった。
アパートと言っても、二階付きで、一階は段ボールと本で埋もれている。
「わー、レーンの部屋っぽい。本体のせいだったのか、この書類散乱部屋は……」
「すまん、段ボール開ける暇なくて、積み上がる一方だ」
信は手早く体温を測って血液を取った。尿は自分でやれと容器を渡された。
床は書類に埋め尽くされているのに、キッチンやトイレは綺麗にしている。そこがとても信らしくて、私は笑った。
部屋はベッドの上しか空いている場所が無かったので、私はそこに座る。
「99Fか、体温高いな……」
「それって華氏? 生理前は七度くらいいくよ?」
「ふーん……」
信は採取したものをもって、隣の部屋に行った。
私はキョロキョロと部屋を見渡し、ベッド脇に散乱する書類を手に取る。そこにはぎっしりと英語が書き連ねてあった。
「英国史の年表とかもある……勉強?」
「大学行きながら研究所に行って、さらに資格や運転免許をとらされてた。この辺全部それ関連」
部屋から出てきた信は、小さな巾着袋を持っていた。私に渡すので、中を見ると、見覚えのある錠剤が入っていた。
「いい加減、前のは無くなってるかと思って」
信は巾着を私のワンピースのポケットに押し込む。
「……ああ……なんか栄養あるもの取らないと……なんかあったっけ……」
信はどこかフラフラしていて、眠そうな目をしていた。私は信をベットに突き飛ばす。
「うげっ」
信は変な声をあげてベッドに倒れた。
起き上がろうとする信の上に覆い被さり、全身で信を押さえつける。
「眠いときは寝るの。アリスさんの電話きたら起こすから、寝てていいよ……」
「……んなわけには」
うつ伏せの信がまだ起き上がろうとするので、私は体を張って押さえ込んだ。体重をかけて押し付けて、五分もすると寝息が聞こえた。
「きみは、疲れすぎではないのかな?」
目の下には隈がある。肌も髪もパサパサで頬も痩けていて、異世界にいた私よりも栄養が足りていなさそう。
私は信の顔を見て、その頭を撫でた。
「信に栄養のあるものを食べさせねば!」
私は立ち上がり、キッチンを軽く片付けながら物色する。
ここで調理をしている痕跡は無く、殆ど飲み物を入れるために使っているようだ。
「何か食べられるものあるかなー?」
戸棚を漁るが食料はほぼ無かった。戸棚からパスタ、サーディンの缶詰め、しなびた玉ねぎ発見。てきとーに合わせてサーディンのパスタ完成。
出来上がったものを、信の寝顔を見つつ食べてたら、信は目を覚ました。
「ゴメンね、勝手に食べてた」
『いや、俺レーンね。腹が減ったので勝手に動いてる』
私は残りをフライパンでさっと温めなおしてレーンに持っていく。そのまま二人でベッドに並んでモソモソとパスタを食べた。
レーンは興味津々でその辺の書類を見ていた。
『フレイが、信は苦労性だと言っていたが、ここに来てよく分かった』
『器用だからね、やれば何でもできるからやっちゃうんだろうねー』
『生きていくの辛そうだな』
『本当にね……ん』
私がレーンを見ると、レーンは長いパスタと格闘していた。フォークですくいきれなくて、パスタがポロポロ服についている。
『あ、レーン、麺類食べたこと無かったか、こぼれてるこぼれてる』
私は服をタオルで拭いて、こぼれたパスタをつまんで捨てる。
『コウみたいにうまく取れないなこれ』
『こうだよー』
私はフォークでくるりと巻いてレーンに食べさせた。
レーンは咀嚼しながら「成程」と言う。
そして、突然顔を手で覆って項垂れた。
「うわぁ……気がついたら俺の部屋で、幸とレーンが新婚みたいにイチャついている……」
「ご飯食べてただけだよ?」
信は不機嫌そうに眉を寄せた。
「普通は食べさせたりしないだろう……」
「これは、レーンが人の体に慣れてないからだよ。君も知っている筈なんだけど……」
信は少し考えて、自分の皿のパスタをフォークに巻いて私に向ける。私は何の躊躇もせずそれを食べた。
「ちょい塩味足りなかったかなー」
口をモグモグと動かしながら私はつぶやく。信はその様子をじっと見ていた。
「真面目にこの状況が日常なんだね、君たち」
「異界で毎日自給自足してたから……」
私は信の顔を覗いて聞く。
「やめたほうがいい?」
「いや、うらやましいだけだからほっとけ」
「信も食べさせてほしいの?」
「いや、別に……」
私は笑顔でフォークを信に差し出す。
「はい、あーんして……」
信は差し出された私の手をどかして、私にキスをした。
「……いきなりするからこぼれたよ」
私が片付けている合間に、信は立ち上がって、隅にある椅子を発掘して座った。そのまま手で顔を覆った。
「よく考えたらスマホで位置情報割れてるんだから、家にいるのもバレる。研究所に戻ったら絶体アリスにからかわれるな……」
「やましいことないから堂々としていればいい」
「独り暮らしの男のベッドの上でそれを言うコウさん剛胆……」
私はキョトンとした。
「ご飯食べただけだよ? ベッドの上なのは、他に生息地がないからしかたがない」
「襲われたりとか考えないの?」
私は素直に頷いた。
「信は私が嫌がることをしないでしょ?」
「一応男なんで、下心はあるんですよ?」
「知ってるよ? 信の下心とやらはレーンが最初にやらかしてくれたからねー」
「すまん」
「信は謝らなくていい。レーンは謝れ」
私がそう言うと、信はハハハと笑った。
「それより部屋掃除して、足の踏み場ないよー」
「時間無いんだよ、コウさん片付けて」
「もー」
文句いいつつも私は書類を整理し始める。
枕元にはプリントアウトされた、ボヤけた緑の画像が何枚かあった。
「何の画像?」
私が広げて見ると、信が素早くそれを取り上げた。
「見てたのに」
不満そうな私に、信はニッコリと笑う。
「知らないほうがいいこともあるんですよ?」
「木の画像の何が問題なの?」
私は取り返そうとするが、身長差で届かない。
私は諦めて足元の書類を見た。
本の間に、緑の画像の残りが挟まっている。私はそれを手に取った。
ボヤけてはいるが、見覚えのある風景だった。
「……これ、聖地?」
本を開くと他にも画像が出てきた。
それは解像度の荒い、聖地にいるフレイや黒猫の画像だった。
信は私の背後からその本ごと取り上げる。
私はゆっくり振り向き、信を見た。
「サーの見ている夢は、映像化されている」
「え……」
私は呆然として信を見続ける。
「フレイの時代に、アレクは猫に変身してなかったよね、じゃあそれはフレイじゃなくて私なの?」
信は黙って苦笑した。
「もっと見せて。私の写真なんでしょ?」
信をにらんで真っ直ぐに手を出すと、信は諦めて画像を渡した。それには、聖地や塔にいる皆や私の姿が写されていた。
「……これは、盗撮!」
「一番人聞きの悪い言葉を選んだな」
「フレイの遠見の球みたいだ。じんけんしんがい」
信は私から画像を取り上げて、ファイルに挟んだ。
「サーがやっているのだから、赦しなさいよ」
「サーはいいよ、でも君が見てるのは恥ずかしいよ」
「幸があっちに渡った時から、問題のある映像は俺が削除してるから大丈夫」
それを聞いて私は青くなった。
「それって、君の目には入るじゃないか……」
「エレノア妃の部屋や異界は見えない」
「……いや、でもお風呂は共同だし、聖地は隔離部屋無いし……あっ!」
私は瞳を忙しなく動かして、プルプルと震えた。
「……聖地の、フレイの寝室は?」
「コウが暗くしていたから何も映ってないよ」
私はじとーっとした目で信を見る。
「音声は? 映像だけなの?」
信は竜の時のジーンのように、何も言わず微笑していた。
私はベッドから飛び下りて靴を履く。外に出ようとする私を、信は捕まえた。
「研究所に行こう。全部削除してやる!」
「無理だ、あの世界のデータは厳重に管理されているしバックアップもある」
私は呆然として信を見た。
「誰が、何のためにそんなもの集めているの?」
「E財団」
「……なにそれ?」
「エディの脳を保存した団体だよ。エディが夢を見始めた頃からずっと、そのデータを保存して、管理する者には給料が出るようになっている」
私はジト目で信を見た。
「誰がそんな事をしてるの?」
「フレイの元旦那さんだな。もう死んでいるけど」
「……え?」
信は私をベッドに座らせて、棚のファイルを開いて見せた。そこには、エディ本人のデータや、私ではなく、フレイの時代の夢の画像が収められていた。
「大学がエディの脳を保存して、エディが夢を見始めたのは偶然だけど、その夢に亡き妻の姿が現れたから、その人が全財産を掛けてエディの夢を守っている」
「ママのパパ、私から見てお城のお祖父様が、フレイの夢を保存しているの?」
信は頷いた。
「先代のターナー伯爵だね。彼はとてもフレイに傾倒していて、三十も年が違うフレイを育てて妻にしたらしいよ」
「三十? フレイが十六才の時、じーさまは四十六? 私と伯父さんが結婚するくらい離れてるのね……」
「まあそれだけだったら単なる歳の差結婚だけどね。伯爵は妻亡き後も忘れられなくて、妻に似ている孫を引き取ろうとしたらしい……」
「まさか、その孫が私なの?」
信は黙って頷いた。
「で、でもママもじーさまも金髪でしょ? ママの子どもがフレイに似るとは限らないじゃん……」
「黒髪は優勢遺伝と言われるけどね、黒い瞳もそうだから、ママと隼人さんの子どもは黒目、黒髪になる可能性が高いね。でもコウの瞳は緑なので、伯爵は幸がフレイに似るように遺伝子を操作したのではと研究所では言われているよ」
私は混乱して言う。
「……私、ママの本当の子どもだよ? 産まれた時の写真とかビデオとかちゃんとあるよ?」
「幸が祖母に似ているだけか、それとも複製なのかはわからない。でも、幸はフレイより背が低いから、クローンでは無いと思うよ」
「うわぁ。とんでもない言葉出てきた。隼人ならそーゆーのも研究してそうで逆に怖くなる」
意地悪な父親を思い出して、私は身を震わせた。そんな私を、信はコツリと叩く。
「父親を悪者のように言うのはやめなさいね」
「……隼人は嫌いなのよ」
「父親を名前呼びやめなさい。幸を心配して、幸がいない間も学院に通っているように取り計らってくれているのだから」
「えっ? 行方不明扱いじゃないの?」
信は頷く。
「こっちは、いつでも幸が帰って来られるように準備をしているよ」
「信……」
「だから、早く帰っておいで」
信が優しく笑うので、私は胸がいっぱいになってその胸に抱きついた。
「ありがとう、ずっと心配ばかりかけてゴメンね、大好きだよ」
すううと、息を吸い込んで気が付く。
胴回り太い。なんか顔にあたる胸が固い。そして煙草の匂い。
……この人、信じゃないわ。
何故か異世界にいた信だと思い込んでいた。
ここは書庫のジーンさんの部屋で、ジーンさんは未来の信で……あれ? 信で合ってるのか、こうして抱き付いていても問題無い?
信は混乱している私の頭をなでて、軽く額にキスをした。
……うわっ!
意識したらもうダメだ。
頭は熱いし汗は出るし、心臓が、血が、ドクドクと鳴り響く!
緊張に堪えきれずに、ベッドに頭を伏せて顔を隠した。
……寝具がもうジーンさんの匂いだし、っていうかベッド! ここ寝室!
「いきなりどうした? 具合悪い? 大丈夫か?」
心配する信に、私は顔を隠したまま、首だけ縦に振る。
「何でもないの、なんだか混乱してる……」
「何に?」
信は私の横に寝転んで様子を伺う。
「だって……、今の信、なんか大きいから、違う人みたいで緊張してきた……」
「今頃それに気がついたのか……過去には戻れないからこの顔に慣れてよ」
信はそう言って、私の髪をつまんだ。
「ひゃっ」
髪をつままれただけなのに、頭から電気みたいな何かが体を走った。
私はガバッと起き上がって、信の手から髪の毛を引き抜く。
「……コウは髪の毛に神経通ってるの?」
「ちがっ、アレクじゃないんだし通ってないよ、ただちょっとびっくりしただけ!」
信は笑って、ベッドに座る。
「さっきの、やましくないコウさんはどこに行ったんだ」
「多分、場所が悪いんだよ、移動しよう」
私が立ち上がろうとした時、信が私の手を引いた。私はバランスを失ってベッドに倒れ込む。
仰向け姿勢で顔を隣に向けると、信が手で口を隠して笑っていた。
「別に何もしないから、もう少し顔を見せてよ」
「顔赤いからいやなのに、何で引っ張るんだ」
信は私の手を握って笑う。
「添い寝なんて日常茶飯事だっただろう?」
「こんな大きな人と、添い寝したことなはいし……」
……あー、手が大きい。中学の時とぜんぜん違う。
信の手をまじまじと見て、指を絡めてニギニギしてみる。
それだけで頭がポーッとして、しあわせ気分になれる。
……うわー、好きだなぁ。うん、私、この人のこと好きだ。
私はがっちり絡んだ手を引き寄せて、ペタリと私の頬にくっつけた。
「……何してんの?」
「信の補充」
私の行動の意図が読めず、信は困って私を見ていた。私は絡めた手の匂いを嗅いで、パクリと指を噛む。
信は驚いて手を引っ込めた。
「……しばらく会えなくなりそうな感じだから、この手を覚えておこうと思ったの」
「コウは感覚依存すぎるだろう、手とか汚いから口にいれないの」
「……洗って来たらいいの?」
「なんかエロいからダメ」
「ヘンな理由で却下された!」
私はゴロンと仰向けになり、顔を手で隠した。
「向こうではアレクとユウくんがくっついてるからね、君とくっつくチャンスは無いのですよ……」
「それなら手じゃなくていいだろう」
信は私を引き寄せて、ポフポフと頭を撫でる。私は目を閉じて信の胸に顔をくっつけた。
「あー、ダメだこれ、タバコくさくて眠くなる……」
「……ゴメン、コウさん不足でつい」
「車も吸殻いっぱいだったしねー」
「禁煙します、ハイ……」
私は少し距離をあけて、信の顔をじっと見た。
「……ねぇ」
「何?」
「君が私のことを見てた分、いつか君の写真見せてね。十四~二十一才の分、沢山なくちゃダメだよ!」
「困ったな、殆ど残して無いよ。証明写真とかになるな」
「……証明写真」
「パスポートとか?」
私は信の腕を押し退けて、ガバッと起き上がる。
「アリスにお願いしよう。信の盗撮を!」
そのまま玄関に向かう私を、信は追いかける。
「やめてくれ、真面目に困る」
「あの施設、防犯カメラ多いからなんか出てくるに違いない」
玄関前で信は私を捕まえた。
「何か探しておくから、あの女だけはやめて、ミレイとかにしといて」
「ミレイ、会いたい!」
「帰ってきたら何時でも会えるよ」
私は黙って信を見た。そして、口を結んで頷く。
「頑張ろう。もうちょっとだ……」
信は黙って頷いた。