13-10、ユウの願い
――僕に会いに来て。過去でも夢の世界でもない、本当の僕に。
私はサーとの約束を思い出した。
サーに直接会うには、イギリスに行かないといけない。そしてその方法は全く分からない。
……困ったときは生き字引。歩く魔道書カウズ!
私は黒竜にお願いして、西の学舎の扉を開けて貰った。
薄暗い地下の転移扉から西の塔に移動した私は、螺旋階段を上りながら考える。
……私がここに来ているから、帰る方法もあるだろう。問題は糧だ。
私はレーンに貰ったケースに入っている、血の花を見る。
転移の糧には守護竜ひとり分の結晶がいるらしい。
信を戻そうと自分の血を集めていたが、それもエディの夢を見ている時に使ってしまったと聞く。
……いざとなったら、髪とか指とかを切るしかないかな?
「……上る時は考え事をするな」
「ごめんなさい」
アレクに怒られました。
私は頻繁に倒れるし転ぶから、しょうがないね。反抗したら抱っこされちゃうし。
私は転ばないように、前を見据えて一歩一歩階段を上った。
今日はおでかけなので、洋服もかわいいのを選んだ。
四つ葉のクローバーのワンポイント刺繍の深緑のワンピースに、花編みのカーディガンを着ている。
中学時代は拒否していた、裾がフワリと広がるスカートも、今の私なら難なく着られる。私も大人になったものだ。
フフーンと鼻唄を歌いつつ歩いていると、廊下の先に人影が見えた。
フワフワの茶髪にほっそりとした体つきの青年はレーンだ。
私はレーンに駆け寄り、背中をトンと押した。
「レーン! おはよ!」
「コウ、どうした? 信から俺に乗り換える気になったか?」
「ならないよ! 信は今ファリナに行っているだけだからね! そーじゃなくて、レーンは向こうへの帰りかたって知ってる?」
上機嫌で笑っていたレーンが、一瞬真顔になる。
「知っているぞ、帰りたくなったのか?」
「ううん、そうじゃなくて、サーが会いに来いって言ったの。引き継ぎが必要なんだって、夢でも過去でもなく、直接来いって」
「そうか」
レーンは目を閉じて深い溜め息をついた。
レーンは私から離れて窓辺に移動し、陽の光を背にして薄く笑う。
「お前らをこっちから帰すには、膨大な魔力がいる。その量にして竜一つ分程度だ」
「……それね、竜ひとり分の血ってどれくらいだろう? 400ccくらいは抜いても死なないと思うんだけど!」
確か献血ってそれくらいの量だった筈だ。頑張ればいける。
「コウはここのところ寝っぱなしだったから、血を抜いても大丈夫とは思えない。最悪二度と目を覚まさないだろう」
「怖いこと言わないでよ! 一パック分くらい平気でしょ?」
「いや、ムリだね」
……却下された。なら次点で髪とか腕とか、言える雰囲気ではないな。
「以前は通行料を魔女の森から回収するつもりだったが、もう使ってしまったからな、何処から持ってくるか悩みものだな」
考えはじめたレーンの横顔を見ながら、私は髪を引き抜いてみる。
それを使えるかアレクに聞こうとしたら、アレクは私を押し退けて、レーンの前に立った。
「それなら、私を使えばいい、もう用済みだ」
「……なっ、ダメだよアレク、絶対にイヤ!」
私がその腕にすがって言う。
アレクは、私の腕を振り払った。
「コウ、契約解除だ。そうすれば忌憚なく帰れる」
「そ、そんな理由なら絶対に解除しない!」
私はうろたえてレーンの腕を引いた。
「レーン、他に手段はないの?」
「力のある方から引っ張って貰えれば無償で行ける。たまにサー……じゃなくてアイツから結晶が送られて来ることがあるから、あれを貰えばいいかも」
結晶が送られて来る?
書庫の人がレーンに血を渡したって事かな?
「あっちのジーンさんは、レーンに結晶ををくれたの?」
「うん、何度か青い結晶をもらったよ。この体の血液だと思う。ずいぶんな量だった。当時はあれで命を繋ぐことができた」
「青い結晶……」
私は学院の泉で、白衣のジーンさんが撒いていた血液を思いだした。そうか、あれは大人の信の血だったのか……。
私は空を見上げる。
修道院から入る、エディが寝ている地下施設にいるジーンに連絡を取るにはどうしたらいいのだろう。手紙? 地上に巨大絵でも書く? ああ、こんなときメールや電話が使えたらいいのに。
「……こっちの世界に異常があれば見てくれるかな?」
「コウ、どうした? 無い知能を使ったってろくなことにならんぞ?」
考えている頭をガシッと掴まれて、左右に揺らされた。
私はレーンの手を払って、レーンをにらみつけた。
「今考えていたのに!」
「何を?」
「今サーは寝ていて、コンタクトが取れないから、大きな信に連絡をとりたいの!」
私は考えながら、廊下をうろうろする。
「彼が言う、マーキングされている人達が有り得ない時間に集まっていたら、異常だと思ってこっちを見ないかしら?」
「誰がその、マーキングをされているんだ?」
「守護竜と各王族」
「最近はいつも集まっている気がするがなぁ?」
「うっ」
レーンは私の手を引いて、ギュッと抱きしめた。
「コウに危害が及べば気が付くかな?」
「……危害?」
私は寒気を感じて、レーンの手を振り払い、アレクの後ろに隠れる。
「そんなんなら、セダンで君に襲われたときに連れ戻すでしょ」
「サー代行が本当に信ならば、信の体で襲った所で気にらないとか……既存事項だとスルーするとかありえないか?」
「ん? もっと簡単に言って?」
レーンは笑って言う。
「今の俺と寝たら信は怒りそう」
「………!」
私は開いた口が塞がらなかった。レーンは笑って両手を広げる。
「おいで、減るもんじゃないから問題無い」
「問題しかないよ! レーンのバカ!」
アレクの目の前で、よくそんな事を言うもんだと呆れ返る。
私はアレクの後ろから、レーンにべーっと舌を出した。
「聞いて損した、行こう、アレク!」
私はアレクの手を引いて塔を登った。
向こうに行く方法を真剣に考えているのに、レーンがそれを楽しむかのように、からかってくる事に私は腹をたてていた。
怒りにまかせて、ドスドスと踏みしめるように階段を上ると、先を歩いていたアレクセイが、階段の上で立ち止まった。
私は黒い背の高い人を見て、鼻の奥がツンと痛んだ。
「……契約を切ろう、アレク」
アレクは黙って頷いた。
私は、アレクが差しのべる手をつかんで塔の屋上に出る扉を開ける。外はおだやかな優しい風が吹いていた。
春のあたたかな日差しが西の大地を照らし、眼下には整然と並ぶ西の学舎の街並みが広がっている。
私はアレクセイの手をギュッと握った。
「アレク、異界でレーンから私を守ってくれてありがとう、アレクのお陰で私は元気に過ごせて、また信に会えた」
見上げると、いつも無表情なアレクの顔が、少しだけ笑っているように見える。気のせいかもしれないけれど。
「私がサーの寝ている世界に戻ったら、二度とここに来られるか分からないし、引き継ぎとかで、どうなっちゃうのか分からないからね。そんなことに大切なアレクを巻き込んだらダメだ……」
「好きにしろ」
そう言って、アレクは床に膝をついた。
アレクが座ってくれたことで顔が近付く。
「ど、どうすれば契約を切れるの?」
「……さあ?」
困り果てるふたりに、空から声が降ってきた。
『ボク分かるよ!』
塔の外側からユウがふわりと浮かんでこっちに来た。そしてアレクの隣に立つ。
『今、黒竜の行動プログラムにコウの名前が入っているんだ。彼はコウの命令で行動するように定義されているってこと。この名前を消せばいいだけ』
「……は?」
私は、こちらの言葉で流暢に説明をする子どもを見て呆然とした。この子は本当に雪の日に見つけたちいさなユウくんなんだろうか?
「消せばいいと言うが、サーが書き込んだものを書き換えられるのか?」
ユウは頷く。
『より強い強制力を持つ者が書き換えればいい』
「サーより力のある者がいるか?」
「ユウ、そんなんだったら、レーンが書き換えられるでしょ」
ユウは空に浮かんでうーんと考える。
『コウは所詮お客さんだからね、魔力が強くても、名義に(仮)がついてしまう。そこが狙い目』
ユウは私の目の高さに浮いて、無邪気に笑って言った。
『ねえコウ、黒竜をボクに頂戴』
「えっ?」
私は少し呆然としてから、驚いた。
「えええええ?」
私は困惑しながら浮遊しているユウを見上げる。
「ユウは体がないから契約することは出来ない」
『体あるよー。出られないだけ』
「そ、そんなん、私がゲストであるというなら、ユウだってゲストじゃない?」
ユウはぷーっと頬を膨らませる。その姿は私に良く似ていた。
ユウは空に向かって真っ直ぐに手を伸ばした。
『エディ、ボクをこの世界の一員にして!』
ユウがそうお願いすると、空が一瞬キラリと瞬いた気がした。
この懐かしい感覚は……。
「サー!」
私は空を見上げると、そこに一筋の光りが覗く。その光りは空に昇るエレベーターのように、まっすぐに塔の上におりてきた。
西の塔の上に、ゆっくりと大きな青い魔方陣が描かれていく。その向こうに、信の気配を感じた。
私はエディの言葉を思い出した。
『光に向かって歩いて。そして、僕を迎えに来て』
空から伸びる光の中に手を入れてみると、上に引っ張られる感じがしてあわてて手を引っ込めた。
多分全身をこの光の中にいれたら、上に行けそうだ。
塔の屋上の扉から、レーンが私を見ていた。
レーンは光に向かって歩こうとする私に走り寄り、私に向かって手を伸ばした。
「コウ!」
「レーン、来て! あなたが必要なの」
私とユウはレーンに手を伸ばす。
ユウの手はレーンの体を通り抜けて、レーンの魂ごと引き上げた。
レーンはユウに引っ張られて、私の体の中に入った。
私は自分の胸に手をあてて目を閉じる。
「……大丈夫? レーン、なんか一緒にいる気がしないけど」
フレイと比較すると、レーンの存在が感じられなくて、私は不安になった。なのに私の中から、ちゃんとレーンの思いが届く。
……ちゃんといる。ユウに捕まえられているからコウと混じらないみたいだ。
「何それ……」
……ほら、早くしないと柱が消えるぞ。
「あっ、やばっ!」
私が慌てて光の柱に踏みいると、そのまま空に引っ張られる感覚に襲われる。私は校庭や泉で見た永劫の闇を思い出して、不安に襲われた。
……No worries.Everything is going to be fine.
私の脳裏に懐かしい顔が浮かぶ。
ふわふわの金色の巻き毛を、うしろでひとつに縛っているのはエレンママだ。ママは優しい笑顔で私を見ていた。
……ここにくるのは大変だけど、隼人の所に行くなら迷わないわ。安心して。
私が思い出すママの姿が、いかにもママらしくて笑ってしまう。
……ママは隼人命だからね。
私は涙を流しながら、何度も頷いた。そして、ママに背中を押されるようにして、暗い長い道を渡った。
――その日、私と、二つの魂は、世界を越えた。