13-9、再会
長い夢から醒めた私は、とりあえず体を洗った。
お風呂上がりに私室のタンスを開くと、服がぎっちり詰まっている。どれもこれも、夢で見覚えのあるものだ。
……どうりで毎回違う格好をしていたわけだ。
私はその中から比較的フレイが着そうなものを選ぶ。白く長い、肩の出たワンピース。髪は乱れなく綺麗にとかしつけ、ピアス以外のアクセサリーは付けない。レアナの口紅を借りて、眉毛をちょっと足したらちっちゃいフレイの完成だ!
私はシーツを腕に巻いて、腰の部分をたるませる。そのままシーツを引きずって、城のエントランスまで行った。
……これで黙って微笑めば、私かフレイか分からないはず。
アレクが私とフレイを見分けられるのかどうか、試してみようと思ったら、エントランスに転移魔方陣が敷かれた。
転移陣から現れたのは見知らぬ人だった。
その青年は、すらっとした細い体型をしていて、年齢は十代後半にみえる。
柔らかそうな茶髪が印象的で、信が普段着てるような無地のシャツと紺のズボンを着ていた。
性別は多分男性。細いから違うかもしれないけど。
「コウ!」
その人は階段を駆け上がり、真っ直ぐにこっちに向かって来る。
「……だれ?」
私が聞くと、その人はプッと吹き出した。
「見覚えない? 火竜には本体に近いと太鼓判を押してくれたけど」
「レーン?」
茶髪の男性はこくりと頷いた。
私は「わぁ!」と言ってレーンに駆け寄る。そしてレーンの腕をつかんで、まじまじとその顔を覗いた。
幽霊の時には無かった目鼻もちゃんとある。印象的な大きな目と、信と比べてやや小さなハシバミ色の瞳がクルクルと動いて、表情が豊かだ。
「ちゃんと体に入れたんだね、良かったね」
「コウこそ、長く寝ていたな。おはよう」
「もう夜だけど、おはよう!」
私は満面の笑顔で答えた。
レーンは私の額に軽くキスをする。そして、まわりを見回して小声で言った。
「……あの、殺意マンは何処に行った? お前一人でふらついてるのか?」
「酷い名前をつけたね、なんか今いないよ」
私はパッと離れて、両手に巻いたシーツを持ち上げてくるりと回る。
「見て、アレクをだまそうとこんな服着たんだけど、黙っていてもすぐに私だとわかる?」
レーンはキョトンとした。
「何?」
「フレイに見えないかなって」
……思うほど似てないのか、この姿は。この前聖地に出たときを参考にしたというのに。
レーンはハハハと笑う。
「フレイなんてここ数百年も見てないから、わからないよ」
「あ、そうか。レーンは会ってないのかー」
「会いたいけどね」
寂しそうに目を伏せるレーンを見て、私は決意した。
私はその場で立ち止まって、胸の前で手を握り下を向く。
そのまま心を無にして、奥底に沈んでいる人を呼んだ。
◇◇
ーー呼ばれた。
水の底で眠っていた意識を取り戻し、ひとつひとつコウの体に繋げていく。
こうして目を閉じていても分かる。
目の前にいるのは、ずっとずっと会いたかった子だ。
その子は私が足を止めたのを気が付いて、ゆっくりと近付いて来た。
顔のすぐ側で、彼の息づかいを感じる。
私はゆっくりと目を開けた。
大きく開かれた私の目に、フワフワの柔らかそうな髪の毛と、白目の多い、細身の青年が映った。
「……えっ」
レーンは私の豹変っぶりを感じてか、戸惑ってのけ反った。
その動きがとても大げさだったので、失礼だけど笑ってしまった。
「ダメよ、レーン、コウちゃんにキスしたら」
「……フレイ?」
私は何も言わず、レーンに向かって腕を伸ばす。
レーンは少し屈んで、されるがままにじっとしてくれた。
……思った通り、レーンの髪の毛はフワフワだわ。
よしよしと何度か頭を撫でて、レーンとの長い日々の記憶がよみがえり、私はうつむいた。
想いと共に、涙が溢れて地面を濡らす。
レーンは驚いて私の顔を覗き、心配そうな顔を見せた。
「ああ、やっと……、やっとレーンの髪の毛に触れたわ。ずっと、ずっと触りたかったの……」
そう言って、私はシーツで顔を隠してしばらく泣いていた。
レーンは距離をとったまま、戸惑い気味に言う。
「フレイの竜の体を壊してごめん、ずっとそれを言いたかった」
「私も、貴方を試すような事をしてごめんなさい」
「試す?」
私は顔を上げ、涙を拭って笑顔を見せた。
「レーンが、自分の意思で体を手にいれるかどうかずっと見ていたの。やっと入ってくれた……間に合って良かった」
「あっ……それか」
「そう、それ大事よ」
昔見たときは、油断をすると消えてしまいそうなほどにか弱い存在だったのに、目の前のレーンはとてもしっかりして見える。
私はそれがとても誇らしく思えて、レーンに微笑んだ。
「レーンは、ここで生きていく決心はついた?」
「決心はついていない、未だにフレイとコウが生きていく道を選びたいと思うよ」
「それは無理よ……」
私がそう言うと、レーンは顔を歪めた。
「ではレーンに聞くわ。私とコウちゃんならどっちに生きていて欲しい?」
「それは……コウだ。彼女には信がいるし、彼女がフレイの責任を背負うのは違う気がする」
……正解。
「……フレイ?」
レーンの心の成長が目に見えて、それがとても嬉しい。
誇らしく思っているのに、レーンは叱られる前の子どものような、不安そうな顔を見せた。
「涙が出るのはね、貴方が大きくなったなと思って、嬉しくて……」
「そうかな?」
誉められて照れるレーンの頭を、私はそっと撫でた。
「守りたいものが出来たのね? だから強くなったのね」
「強く見える? 俺としては変わり無いけど」
「……見えるわ。とても頼もしい」
……ずっと、私のあとばかり付いてきていたのに、もう私がいなくても大丈夫。そして、その成長がとても眩しい。
死に行く私に対して、生を謳歌するように笑うレーンはとても綺麗。
私は微笑んでレーンを見つめていた。
「わかった。見分ける方々」
「フレイは母親視点なんだ、だから緊張するし」
「するし?」
「気軽に手を出せない」
私は苦虫を噛み潰したような顔をして、レーンの胸を拳でコツンと叩く。
「キミは全く……コウちゃんはシンくんが好きだとわかってるのに、手を出したらダメよ……」
「ほらね、おかんっぽい。年寄り臭いというか」
「もう、男の子は産んだことないわよ」
……アレクセイもレーンも私を年寄り扱いするのだから……いえ、真実年寄りでもうすぐ死んでしまうけど、取り敢えず不満を顕にしておきましょう。
私はレーンの胸をコツコツと、ドアノックするように叩く。レーンは笑っていた。
私はレーンの肩に額をつけるように、寄り掛かった。
「……相思相愛なのに手を出したらいけないわ」
「ならフレイなら独り身だからいいのか?」
「体がコウちゃんなんだからダメに決まっています」
「あ、しまった、No.7と8をくっつけなきゃ良かった。」
「ふふっ、くっつけて貰って良かったわ」
レーンは腰に手を当てて、ふぅ。と息を吐いた。
「直接会ってみるとわかるな」
「なあに?」
「ずっとフレイを追いかけて来たけれど、それは恋ではなかったなーと」
……ええ、ホントに。
私が同意して笑うと、レーンも声を出して笑った。
「ね、コウちゃん達に比べると、私達は同郷の域を越えていなかったわね」
「俺としては母親だったよ、フレイは。雛鳥みたいに必死に追いかけてた。ユウを見てそう思ったよ」
「フフッ」
レーンは私を頭の上から爪先まで、まじまじと見る。
「しかし、フレイとコウは同じ人ではないのか? 明らかに違うのだが、何故生体ナンバーが同じなのか?」
「私がコウちゃんの体にお邪魔しているだけだからよ、ナンバーゼロは元からコウちゃんのモノなの」
「……またややこしいことを」
レーンはしばらく黙って、私に聞いた。
「俺の体はないんだよね? だからワザワザ、コウとシンを連れてきたんだよね?」
「そうね、向こうでサーと探したのだけど、レーンの体はどこにも見つからなかった」
「……だよね」
不安そうなレーンの声を聞いて、私は心配になった。
「レーンは元の世界に還りたい? 私やエディと一緒に来る?」
「えっ……」
その言葉を聞いて、レーンは動きを止めた。
「一緒にと言っても、生きてじゃないわ。魂をどちらの世界に置くかという話なのだけど」
「……なにそれ。要領を得ないな」
「しょうがないのよ。死語の世界の事なんて行ってみなければ分からないのだもの。未知の領域なのよ。まあ、還りたければ早めに教えてね」
「かなり大事な話なのに、曖昧でいい加減だなぁ……理解していないからそうなるのか」
私はコウちゃんがするように頬を膨らませた。
「みんなして私をバカにするんだから……」
「いえ、尊敬のほうが多いですよ」
「あなたのその天秤から、愚弄を全部こぼしなさい」
私は腕を組んでレーンに背中を向けた。
するとレーンは背中から私を抱きしめた。耳元にスウと、レーンが息を吸う音が聞こえる。
「……ああ、あたたかい。そして柔らかい。信はコウをくれないかなー?」
「そんなこと言ったら怒って世界破壊しちゃうわよ。彼が要なんだから」
レーンはキョトンとした。
「コウでなくて、シンが要なのか?」
「そうよ、裁定者という名前は伊達じゃないの。今サーの代行をしてるのはシンくんですからね。引き継ぎのないまま世界を切り離されたらそこで終わりよ」
「シンは何人いるんだ?」
率直な問いに、私は笑った。
「一人よ。でも、彼は苦労性なのね。かわいそう」
「フレイがそう仕向けているのだろ?」
「あら、私そんな細かい配置できないわ。頭よくないのよ。多分サーではなく、もっと上位の神の采配だと思ってる」
「神の……」
「サーに世界をくれた人ね。あなたにもきっと、コウちゃんみたいな存在と出会えるわ。生きているのだもの。絶対よ。保証する……」
そう言って、私はレーンの胸に頭をもたれて目を閉じる。
この体を借りるのは大変だが、出ていくのはとても容易だ。眠るだけで済む。
私の意識が底に沈む代わりに、水中の泡が上に向かうように、コウの意識が浮上した。
「フレイ……?」
「んー」
私は目を覚まして、腕に掛けられていたシーツで目をこすった。
「コウか、おはよう」
「……おはよー」
……何でレーンが目の前にいる。何で?
状況がさっぱりつかめないが、私はもそもそと、レーンの腕から逃げ出した。
「フレイを泣かせたの?」
「感動の再会だったから、涙くらいあってもおかしくないだろう?」
「お説教されてた気がする?」
「それもあったよ」
「やっぱり」
私はフフッと笑う。素直なレーンはとてもかわいい。
私はレーンと手を繋いで、私が寝ていた間に起きた話を聞きながら歩いた。
厨房に入ったら、お玉を持った信が微妙な顔で私たちを迎えた。
太い眉毛が不機嫌そうに中央に寄っている。
「何だ、不機嫌だな、わざわざ来てやったのに」
信はお玉を置いて、「手」と言う。
「「手?」」
二人で同時に言って、手を握っていた事を思い出した。私はパッと手を離し、信の所に走っておたまをもぎ取る。
「信と間違えちゃった、そいえばあの人レーンだった」
「見た目違うだろ? 間違えようが無いだろ…?」
「なんか、似てるんだよ……」
「あれか、白竜のエレンママ現象」
二人でうんうんと頷きあう。
私は信からお玉を奪い、鍋の中のスープをかきまぜた。
信たちはこのままで、自分用にはパンを入れてパン粥にする。
「お腹すいたー。ご飯食べうよ」
信は皿を出していて気が付いた。
「レーンはもう食事とらないのですか?」
「……あ、竜の体なんだっけ」
レーンはお鍋のなかを覗いた。
「竜よりも、王寄りに設定したから食料で燃料補給も出来るぞ」
「じゃあ皆で食べよう!」
三人で同じ鍋を囲んで、あたたかいスープとパンを食べた。粗末な食事だったが、皆が笑っていたので何倍も美味しく感じた。
私は二週間ぶりの食事と会話を楽しんで、その夜は三人仲良く川の字になって眠りについた。
◇◇
擬似太陽の輝きも消え、世界樹のドームは夜の静けさに満ちていた。
黒竜は久々に主の元を離れ、一人聖地をうろついていた。
長くコウと接していた為か、私の感情制限と、主人の思いを受信する機能は壊れている。
主人の頭には伝播を防ぐ石がついているが、主従契約により魔力の繋がっている私には効果のないものだった。
フレイは私に「もうすぐ消滅する」と言った。
フレイが消えると言うことは、コウも同じだろう。
コウもそれを理解しているようで、一秒でも長くシンと一緒にいることを望んでいる。
異界には敵がいない。
むしろ、私の存在がシンとコウにとっては邪魔なのだ。
私はひとり聖地の世界樹のドームに一人佇んでいた。すると、足元から小さな霊が飛び出した。
『わっ!』
その子どもの霊は、コウがよくやるかくれんぼという遊びをしているようだ。
私は無表情のまま彼を見た。
ユウは反応がないことに不満げに私を見る。
『君は、竜の中で一番表情が乏しいね』
驚きだ、前に見たときは異国言語しか理解していなかった子どもが、もうこちらの言葉を完璧に覚えている。
私は座って、その子どもと視点を合わせた。
「ユウはフレイの側にいなくていいのか?」
『うん、もうジリツしたので』
「じりつ?」
『自分で立つと言うことだよ、黒竜。不勉強だね』
幼い子どもに言語を諭された。
「ユウは聡明だ。フレイよりもサーに似ている」
ユウははしゃいでピョン、と跳ねた。
『サーって知らないけど、エディという人なら知っているよ。この世界をコウチクした人だよ』
「それはサーだ。彼はこの世界で神と呼ばれている」
サーという名前が出て、興味がわいたのか、世界樹の上の方まで飛んでいた、ユウが近付いて来た。
『神様って、何をする人? どんな仕事?』
「世界を構築して、初期のうちは世界が回るように何度も修正をかけていたな、今じゃ何もしていないが」
『タイヘンかな?』
「民は文句が多いから大変だろうな」
『そう……』
ユウが不安そうな顔をしたので、私は気を遣う。
「実行は守護竜がやるから、神は偉そうにふんぞり返っていればいい。現地は現地で勝手にやる」
『……偉そうに』
「お前らを見てやっているのだから感謝しろと、そんな感じでいい」
『そんなんでいいんだ』
パチパチと、大きな緑色の目が瞬いた。
子どもの不安が晴れた様子を見て、私は頷く。
「……むしろ、いてくれるだけでありがたい」
私は膝を抱えて目を閉じた。
ユウが側に寄ってきて、私の頭を撫でた気がした。
『キミは、疲れたの?』
「…………」
『僕が見ててあげるから、寝るといい』
私は黙って目を閉じた。
『ちゃんと感謝してね』
「ああ……」
私は笑った。この魂は器が大きい。
今の主が消えそうな発言ばかりすること、サーのいない世界で生きていく不安が、ユウの側にいると和らぐ気がした。
……私は、また主に巡り会えるだろうか。
聖地の夜は静かに過ぎて行き、私はサーのとなりにいるような気持ちで眠りについた。