13-3、迷子
二人での聖地暮らしが始まり、もう少しくっついていられるのかと思いきや、双竜の介入で信と私はほぼ別々に過ごすことになった。
信は毎日白竜を連れて西の学舎に通うようになり、帰ってきたら倒れるように眠りについた。
私は黒竜と行動を共にしていたので、二人が顔を合わせても、手を握る隙さえ無かった。
「はぁ……」
異界から運び込んだ食糧を片付けながら私は溜め息をつく。
「聖地なら外に出られるかと思いきや、異界と変わりなかった……ここ人いない……」
重いものはアレクが持ってくれるので、私はひたすら棚に物を仕舞い続けていた。
私はじっと青年の姿のアレクを見る。
「アレクは神殿入口って解錠できる?」
「可能」
「じゃあ開けて」
「嫌だ」
……なんか最近お願いを拒否されるようになったな。
私がしょんぼりしていると、アレクが言う。
「目的は?」
「地上を散歩したいの。前来たときウサギとかいたし」
「今は冬、動物は冬眠、寒い」
「……ダメかぁ」
散歩もダメかと、意気消沈して神殿内を掃き清めてまわる。
三歩掃いては溜め息をついていたら、アレクが根を上げて、「人のいないところ限定で散歩していい」と言う。
なんかもう、黒竜の主人というよりも、アレクに育てられている気さえしてくる。
……フレイにもこんな世話焼きなのかなー? 今度フレイの真似してみようかな?
私がそう考えているうちに外への扉が開いた。
私は喜んで、フレイの防寒具を勝手に拝借し外に出た。
「外だー!」
外に出たとたんに駆け出して雪にはまり転ぶ。
アレクは何も言わず、雪から私を掘り出した。
「コウは人を殺すなと言うが、コウ次第だ。コウに危害が及ばなければ戦う必要ない。主の行動に不備が無いといい」
「……はい、ごめんなさい」
外に出ていきなりの長文お説教です。この飼い主うるさいな。
……っていうか、アレク雪踏んでないな。雪から少し浮いてるし。器用だな。
私が雪を踏み固めながらアレクを見ていると、何処からか悲鳴が聞こえた。アレクが警戒して声の方に向く。
「誰かいるのー?」
私は声のする方に歩いて行くが、一歩一歩新雪にはまってしまい、後ろを歩いていたアレクのほうが先に行ってしまった。
私は雪のなか、アレクの黒い服を追う。アレクが立ち止まっているので、そこに何かあるのだろう。
雪を踏み分けて進むと、大木の下の雪が薄い所で、小さな男の子が一人、しくしくと泣いていた。
アレクは黙ってその子どもを見ている。
最近は命の光の運用も正常化しているので、子どもがいてもおかしくはないが、その子どもは幼稚園児くらいに見える。
私が銀の盆を操作してから生まれた子どもなら、まだ乳児のはずだ。
……自治区だから、出産調整が銀の盆からの振り分けじゃない可能性もあるのかな?
私はその子どもの側に行き、顔を覗き込んだ。
その子は幼稚園にいそうな背丈で、黒髪で、瞳の色は私のママと同じ色だった。
顔立ちは整っていて、肌は白く、国籍不明な感じはどことなく隼人に似ている。
「どうしたの? 親とはぐれたの? 迷子?」
私はその子を抱き上げようと手を伸ばすが、手はその子どもを貫通し、触れる事は出来なかった。
「……!」
私はこの感覚に覚えがあった。
これは、体がない幽体、つまり昔のフレイやレーンの状況だった。
「……異世界からの、新しい迷子ですか?」
私はサーに聞くように空に向かって訊ねたが、風は何も答えなかった。
私はその子を誘導して神殿に戻った。
子どもは最初は緊張してキョロキョロしていたが、話し掛けているうちに自然と笑顔が出るようになった。
その子は世界樹のあるドームが気に入って、機嫌よくドーム内を駆け回った。
その子どもは私をちゃんと認識し、走っては振り返り、何処かに行ったと思えば戻ってきて、あどけない顔で私に笑いかけた。
「か、かわいいね、アレク……」
思わずその子を抱きしめたい欲求に駆られるが、手は虚しく空を切るだけだ。
この感じは、フレイの夢で見た覚えがある。
黒竜も同じように感じたのか、ポツリとつぶやいた。
「レーンのようだな、まるで」
「うん、昔に戻ったみたいだねぇ」
その子はとにかく私のあとをつけ回した。
自分の名前さえも言わなかったが、唯一喋れる言葉が「はーわーゆー」だったので、私はユウと呼ぶことにした。
「ユー、君の名前はユウ、言ってみて?」
私が話しかけると嬉しそうにユーユー言う。
ユーくんはくりくりした目で私を見て、『はーわーゆー』と言うので、私も英語で返す。
「I'm fine. And you?(元気です、あなたは?)」
『I'm good.(とてもいいよ)』
ユーはそう答えて笑った。
私はユーが英語圏の子なのかと推測し、ためしに聞いてみる。
「What is your name?(お名前は?)」
『I'm you(私はあなたです)』
……ユー(二人称)が定着してしまったようです。まあ優とか悠とか日本でも見かける名前だしいいよね。幽霊のユウ君だ。漢字は幽じゃなくて、優しいほうの優君にしよう。
◇◇
「なんだこいつ」
塔から戻ってきたレーンも、ユウに興味を示した。
ユウはレーンを気にせず樹木のまわりを探索している。
「英語を理解する時点で異世界人確定ですね。すぐに帰り道が見つかるといいのですが」
「あ、信だ、おかえりー」
走って信に近寄ると、信は「ただいま」と言って、私の頭をぽんぽんと叩いた。
夕飯は世界樹のドームでいただく事にした。
私はドームにバスケットを持ち込み、遠見の球の台座の上に水筒とパンと、冷凍していた野菜煮込みをあたためたのを出して並べた。
水筒は日本製なので、魔法を使わなくても中身はアツアツだ。
「ありがとう」
信はコップを受け取って、私の足下にいる黒猫を見た。
信とアレクはしばらく見つめあっていたが、信が先に目をそらして、紅茶をグビッと飲んだ。
「あれ、これはリンゴ味?」
「そうそれ、リンゴの皮と芯を入れたお茶なの。甘い香りがおいしいでしょ!」
この世界にはあまり紅茶の種類は無い。フレーバーティなんてもちろん無いので、私はアップルティーを自作した。
フィローの栽培してくれたカモミールもリンゴ風味だけど、やはり果物のリンゴとハーブでは味が違う。
目の前で美味しそうにご飯を食べる信を、私はしあわせを噛みしめつつ見ていた。
信は食べながら猫に話し掛ける。
「白竜は異界に返るのに、黒竜は帰らなくていいんですか?」
猫はチラリと信を見て、フイと横を向いた。
アレクは無口だからこれはいつもの反応だ。
……信が気を悪くしないといいけど。
私は猫を抱き上げて膝の上に置く。
「レアナは異界に私室があるんだけど、この子はジーンさんみたいに夜うろついてるの。巣を作らない竜もいるのよ」
「まあNo.7も私室は無かったけどね……」
それを聞いて、私は信を見る。
「信は夜に寝ないでどこにいたの?」
「朝まで自治区をうろついていることが多かったな。自治区は夜眠らない人が多いからね」
「あんな物騒なところにいたの……」
私が自治区に入った時は、捕まって奴隷として売り飛ばされた。No.7も働き盛りの健康な若者に見える。信は売られなかったんだろうか?
「ファリナ王に会うまでは、自治区の元締めにお世話になっていたから、そんなに危険な目にはあわなかったよ。壁も作ったし、ファリナ王の助力で教会も出来た。最近では自警団も出来たらしいよ、自治区の治安はかなりましになっている」
壁を作ったって言った?
自治区の壁って、町を覆っている高い壁の事? だとしたらなんかスゴいな。
「信はずっとそんなことをしてきたのね。どーりでいつも忙しそうだなわけだ」
「自治区は法律がないから、日本の使えそうなシステムを持ってきているだけだよ。大したことはしていない」
「それって政治だし! おおごとだよー」
「まあ、子どもの体に戻っちゃったので、もう自治区の人に会うわけにも行かないんだけど」
そう言って笑う信に子どもっぽさは無かった。
信と私は同い年だったが、信の精神年齢が高すぎる。もう学生って感じじゃない。
……これはもう、書庫のジーンさんだ。
書庫のジーンさんが、信と別人に見えたのは、見かけだけじゃなくて、魂の経過年数のせいなんだな。先にこの世界に落ちた分、信は私よりずっと多くの年数を生きてきているんだ。
……カッコいいなぁ。
私はボーッと隣にいる信を見ていた。
信は駆け回っているユウくんを見ているので、気兼ねなく観察出来る。
「今はもう眠れるよね?」
「まあそれなりに、幸が側にいればつられて寝ちゃうね」
「つられてって、最近信が寝てるの見たこと無いんだけど?」
「この世界だと三日くらいは寝ないで動けるんだよなぁ……夜はNo.7のリメイクしているし、時間惜しいし……」
「何で信だけそんな忙しいんだろう、私暇なのに」
私はふて腐れて、膝を抱えた。
「塔には一の王がいるから、レーンが幸と彼を会わせるのを反対している」
「何で? 未来の君もアマツチを警戒してるんだよね、アマツチ害無いでしょ、勇気と無邪気が服を着ている感じの人よ?」
「理由は知っているけどね、サーラジーンが禁じているから俺から話すわけにはいかないなぁ」
「信は樹木の拘束無いのだから、話せるでしょう?」
私は信に近寄り、話を聞き出そうと顔を覗くと、信は困ったように笑った。
「……えっちな話しになるけど、それでも聞く?」
「えっ?」
「一の王と、フレイの情事の話……」
「えええ?」
私は驚いて膝の上の猫を見た。猫はふいとそっぽを向いた。
「フレイは竜の体だったでしょ? 変なこと出来ないでしょう?」
「それね……No.7が男の体だったから、フレイが女性でも不思議じゃないよ」
「……ジーンゲイルは男性だったの?」
信が黙って頷くのを見て、私の顔から血の気が引く。
「だから寝室に誘ったら引かれたのか……」
「エレノア妃の部屋は樹木からの制限もサーの監視も無いからね」
「隔離部屋でも平気でしょ? アレクとだって、セレムとだって普通に過ごしていたし……」
信はチラリと私を見て、頭に触れて、長い髪を辿るようにスルリと引いた。
「……な、なに?」
髪を触られただけなのに、何故か心臓が早跳ねた。
私の動揺に呼応したのか、黒猫が立ち上がり信を威嚇した。
信は髪から手を離して、手のひらを見せて無抵抗の動作をした。
「感覚が鈍くて制限されている守護竜の体に、幸さんの感覚は強烈だということ」
「……ひぇ」
「守護竜はどのナンバーもそーゆーよこしまな考えはないけどね、俺もフレイも、元が人間だから、それなりにね」
「信は置いといて、フレイもなの?」
「既婚者で、出産歴あるからなー、幸みたいに無知なわけもなく」
「無知……」
「無垢ともいうね、幸さんの日常で、やましいこと一切無いからなぁ……」
……やましいことってなんだろう? 着替えとかトイレやお風呂はやましいに入らないのかな? 恥ずかしいとやましいの違いってなんだっけ?
「私の日常を見ていたかのように言うのは何故?」
「No.7の体に入ってると、幸の感覚は筒抜けだったからね、妃の部屋以外は常に見守っていたからだよ」
「……えっ、いや、それは」
監視とか盗撮なんじゃ? と私は思うが、自分も異界から遠見の球で毎日見ていた事を思い出すと、何も言い返せなかった。
「幸、隣来て」
「なあに?」
私は猫を置いて立ち上がり、信の隣に移動した。
「座って」
私はストンと信の隣に座る。
信はそのまま黙々とご飯を食べていた。
……なんだったのか。と思いつつも、信と距離が近くてうれしいかも。
にやつきながらパンを食べていたら、猫が私の隣に座った。
私は昔してたように信の肩に寄りかかる。すると信が私の頭をぽんぽんとはたいた。
「なんとなく分かった」
「何?」
「黒竜に怒られないで幸に接触する方法」
「……?」
「幸の感情が普通なら口出してこない」
「はあ……」
信は座り直して私に向き合った。
そのまま黙ってじっと私を見ていた。
……な、なんだろう? 信が私を見るときはたいていお説教前なんだけど、それとは違う気がする。
信は目を合わせたまま顔を近付けてくる。
……こ、これはキスなのでは? まさか、アレクの目の前でするの?
私が身構えたら、そこでアレクが立ち上がった。信はスッと体を引く。
「ほらね」
「……な、なにが!?」
「明らかに危害を加えないという状況なら、判断を幸の感情に任せているんだろう」
「……?」
「その、ピアスから負の感情が漏れたとき?」
私はピアスを指で確認する。
「あ、これかー」
「本当ならサーはそれを外して欲しいだろうな」
信はあぐらをかいて、どこか遠くを見た。
「この世界の全能神。そして、幸と竜の視点からこの世界を見ている人」
「ヒト」
「多分だけどね、幸の視点を一番気に入っている」
「ふーん、なんでだろ」
「幸の視点が一番鮮明だからだと思う」
「それここで君に言われたことがあるねぇ……」
「視界だけじゃないよ、触覚も、味覚も、痛覚までも、幸の世界は鮮明で感度が高い」
「え……」
信は私の頭を撫でた。
触れられたところから、じんわりと熱が染みるような感覚がして、私はギュッと目を閉じた。
「ほら、こんな些細なことで動揺するし」
「……ひぇ」
私の動揺に合わせて黒猫が私の肩に登ってくる。信は両手を軽く上げて、体勢を引いた。
「びっくりするよ、竜の体に入ったら幸にキスしてみなよ。あれ腰が抜ける」
「どこ見て誰と話してるの? しかも何てことを」
信はしれっと言う。
「レーンと」
「ひぇっ」
信は目を閉じて、自分の内側に語りかけるように、信の体を両手で抱きしめた。
「自分の愚鈍な体に入るとしみじみと安心する……幸はよくあれで生きていけるなーと思う」
「生きてるよ、こんな体でごめんねっ」
「それでサーに気に入られているんだから別にいいんじゃないの?」
「あ、そっか、良い所もあるね、良かった……」
「まあそーゆーことで、あれだ。幸が接触したいなら、ピアスメーターを振りきらないよう気をつけて幸からおいで。それなら猫も怒らない」
それは、ドキドキしないように気を付けろということだ。信と一緒にいて動揺せずにいろというのは難しい。
私はムムム……とうなって頭を抱えた。信はグリグリと私の頭を撫でる。
「簡単だよ、中学の時みたいでいいってこと」
「あっ……なるほど?」
私は信の体にもたれかかる。
「こうかな?」
「そうそう」
前はなんの考えもなしに信にくっついていたなー。今思うと、何も考えてなかっただけで、本能で信に触っていたかったんだろうなー。ギューってするの気持ちいいからなぁ……。私もしてることミクさんとあまり違いないや。
私は信に寄り掛かって、背中に信の体温を感じてしあわせをかみしめていた。
「……夜が一番寂しいんだけどなぁ」
私のつぶやく声を聞いて、信は眉を寄せる。
「猫を抱いてねなさい」
「猫は小さくて君とは違うもの、そんなこと言うと、アレクにひとがたになって寝てもらうけどいいの?」
「良くないだろバカコウ」
「バカっていうな、信のバカ!」
私が立ち上がって言うので、猫が転げ落ちる。
猫はくるりと一回転して、着地したときには人の形になっていた。
私は長身の男性を見上げる。
「……アレク?」
なんで? という間もなく、アレクは私を抱えあげる。呆然とする信を横目に、アレクは私を連れて退室した。
「アレク、どうしたの? ご飯とちゅうなんだけど……」
「我が主が愚か故に」
……アレクからもバカと言われた。
私が脱力して落ち込んでいると、アレクは言う。
「レーンがコウに危害を加えないと約束したのはいい。だが、それを逆手に取って挑発するのは愚かなことだ。自分の快楽よりも、身を守ることを優先しろ」
私は眉を寄せて、アレクの首にしがみつく。
「君の言葉は難しいなぁ。しかも快楽ってもーみんなして私をちかんみたいに言うんだから……」
……ああ、アレクあったかい。
抱き上げられたのをいいことに、アレクを抱きついていると、アレクが笑った。
「寂しがり」
「はい、すみません。自覚しています。自覚ついでにしばらく抱きついていていいですか?」
「……お好きに」
アレクは厨房につくまで私を抱えて歩いた。
◇◇
擬似太陽がゆっくりと光を失い、ドームはうす闇に包まれていた。
世界樹の芝生の上で、俺はうなだれていた。
「幸をとられた……」
レーンが俺の中でケタケタ笑う。
(神の采配だ、受け入れるしかない)
「黒竜って格好よすぎません? ずるくないですか?」
(あのデザインはフレイ自らしているから、あれが好みなのだろうな、フレイの)
「……わぁ」
俺はそれを聞いてなおさら落ち込む。
レーンは俺と交代して、自分の膝を抱えた。
「だが、それでは彼女の寂寥を埋められないから、この体に寄ってくるのだろ? 自信持て、シン」
落ち込む相棒を、レーンは元気付けた。
すると、レーンの視界に子どもの足が見える。
レーンが顔を上げると、コウかユウと呼んでいた霊体がレーンを見ていた。
『Are you feeling sad?』
「……なんだって?」
レーンが怪訝そうに言うので交代する。
「Don't worry about me, I'll be fine」
『O.K.』
子どもは頷いて走っていった。
「大丈夫か? ときかれてので、大丈夫だと答えましたよ」
幸を追いかけ、部屋を立ち去る子どもを見て、レーンは思う。
(こんな世界の終わりに現れて、あいつはちゃんと帰れるのだろうか?)
「身元を確認して戻すしか無いでしょうね、サーが起きている時に幸に頼みましょう」
俺はレーンを励まそうと、自分の胸を拳で軽く叩いた。
「レーンは帰る体がないのですから、こっちでちゃんと作りましょうね」
(……はいはい。迷惑かけてすまんな)
幽霊期間が長すぎたせいか、レーンは自分が使いたい体のイメージが出来ていなかった。
案が無いから俺の体と同じで良いと言うのを止めて、幽霊のレーンを知っている守護竜たちにも相談中だ。
レーンが入りたい体、過ごしたい世界を造るために、頑張ろうと、俺は決意した。