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12-15、育成室


 一年を締めくくる最後の日は、各地で冬越しの祭りが行われる。

 ファリナ城でも祭りに乗じて祝賀会が行われるので、城は人で溢れていた。


 幸がいなくなると冬が来ると言われていたが、ファリナは元から雪に埋もれていたので、民は平年通りに過ごしていた。

 そして幸が消えた日から、世界に少しずつ子どもが生まれるようになっていた。

 ファリナの守護竜は、命の光が分配される度に幸の心を感じた。


 ……見ているんだ。あいつはずっと俺たちを。姿が見えないだけで、いつも俺たちを守っている。


 ファリナの守護竜、水竜は、全長七メートルはある巨大な蛇のような竜だ。

 水竜は棲みかから出るときはいつも幼体に変じていた。

 前任は人間の姿をしていたようだが、メグミクのいない今、人の姿に変化する気は無かった。


 チビ竜はフワフワと廊下を飛んで行き、執務室で書類を見ているファリナ王に言う。


『おい、胸騒ぎがするから聖地を見てきていい? 夜の式典には間に合うようにするよ』


 ファリナ王は「行ってこい」と水竜を送り出した。



 ファリナ城地下にある湖から、水竜は聖地に繋がる重い扉を開けた。ここは前任が毎日のように通っていた道だ。

 前任の目的は、可愛そうな魂を慰めに行くためだったが、今聖地はもぬけの殻だ、あいつは何処にいるのか……。

 水竜はため息をつきながら扉をくぐったら、フツーにあいつがいた。



◇◇


「あれ? セレム、何してるの?」


 セレムは脱力してヘナヘナと地面に落ちる。私は慌てて落ちるセレムをキャッチした。すると、セレムは私の腕のなかで頭を上げて怒鳴った。


『何やってるの? じゃ、なーい! お前が消えて、こっちはどんだけ心配したと思ってる? 何で元気だと一報しなかった? 俺だけじゃない、あそこにいた全員が心配してんだぞ?』

「ごめんなさい、私からは見えていたから、連絡するとか考えても見なかった」

『あー、心配して損した。んで何? お前を閉じ込めてた奴はいまどこいんの?』


 二年ぶりなのに、セレムの俺様っぷりはあいかわらずだ。セレムは常にこの調子なので、普段はうるさいが非常時には心強い。


「ここにいる……具合悪いみたい」


 どれどれ。と、セレムは育生室に行く。

 育生室の中央にはレーンが横たわり、そのまわりに双竜と火竜がいた。

 水竜はレーンの真上に飛び、顔を覗き込んで言う。


『単なる魔力切れだ。いつもみたいに血を飲ませればいいのでは?』

「信はこの世界の人じゃないけど、私の結晶から魔力を使えるの?」

『あー……そっか。なら、異世界人は魔力をどうやって補填するんだ?』

「えっ、魔力とか無いし分からないよ」

『ならいつも通りでいいんじゃね?』


 私は真顔で聞き返す。


「いつも通りとは?」


 水竜が黙ったので、私は困ってアレク見た。アレクはふいと目をそらした。

 下を見ると、赤いおかっぱ頭の幼児が目を輝かせて私を見ている。その隣には白竜もいて、床に膝をついて私を見ていた。


 ……こ、これは……もしかして、この子たちの前でレーンにキスをしなければならないのだろうか?


 羞恥に震えていると、チビセレムがレーンの枕元に下り、私を見上げてニヤニヤしていた。


『大丈夫、ここお前ら以外竜しかいないから』

「その辺察するなら出ていってくれないかな?」

『コウが狼狽するのが楽しいから見ていてやる』

『ワレも』『ワタシも興味しかない』

「うう……」


 口を付けるのを竜たちに見られるのは嫌だが、それしか起こす手段が思い付かないのだから仕方がない。


 ……これは人命救助だ。やましい気持ちなどない!


「取り合えず血は無しで行ってみます」

『がんばれー』


 セレムの心ない応援が気にさわるが、聞かなかったことにした。

 私はベッドに腰かけて、レーンの顔を両手で押さえた。そして、目を閉じてその口にキスをした。


「…………」


 私としては精一杯(五秒くらい)やっていたが、反応が無かったので一端顔を離した。やはり血がないと意味がないのか?

 血を流すなら、皆に逃げてもらわなきゃいけないな。と、レーンの顔を覗き込んだら、レーンの目はうっすらと開いていた。


 レーンは眠そうな瞳でじっと私を見ていた。

 私の長い髪がレーンの顔に垂れるので、私は髪を耳にかけて言う。


「……あのね、レーン」


 説明する間もなく、レーンは私の頭をつかんで引き寄せ、口を開いて重ねた。


「んーっ」


 頭にぶら下がるレーンの体重のせいで、逃げようにも逃げ出せず、私はレーンとしばらくキスをしていた。やっと顔が離れた時、レーンはむくりと起き上がり唇をなめた。


「ずいぶん髪が伸びたな……ホント、フレイみたいだ……」

「えっ? 毎日会ってたのに?」


 レーンは何を言っているのだろう? と、私はレーンの顔を覗き込んだ。

 太い眉毛。黒い瞳を覆う長い睫毛。その表情はいつも笑っているようで、静かに私を見ていた。


「もしかして……信?」

「はい」

「……ひぇ」


 至近距離で呼び掛けたら、信はもう一度私に顔を近付けて来た。私は思わず顔を避けて、信の顔を両手で挟み、バチンと信の頬を叩いて逃げた。



◇◇


 俺は目覚めて、重い体を引きずるように起こす。ただそれだけで、視界が歪んでめまいがした。


 ……これ、明らかに貧血。


 俺はズキズキと痛む頭を抱えた。

 竜の体では無いので、幸のキスは何の効力も無かった。


 ……まあ、快く目は覚めたけど。


 ふと気がついてまわり見ると、火竜、水竜、白竜が呆然として俺を見ていた。


 ……幸さん、よくこの顔ぶれの前で俺にキスなんてしてきたな。


 俺は心のなかでうろたえつつも、顔には出さずに静かに息を吐いた。

 二度三度深呼吸をすると、心が落ち着いてくる。

 俺は竜たちの視線が自分に向いている事を感じて、どうしたものかと苦笑した。


「……竜の皆さんは、この後の事を知っていますか?」

『知ってる』

「開示されたから」

『前任に聞いた』


 上から火竜、白竜、水竜。やはり女神の予定通りに事は進んでいるらしい。

 俺はゆっくりと体をずらし、ベッドの端に腰掛けた。すると白竜が目の前に立つ。


「レーンはどこ? 今あなたたち、見分けがつかない」

「もちろんレーンもこの体の中にいますよ、でも、幸にはそれを言わないでください、混乱させてしまうんで」

「無事なのね?」

「……はい」


 今まで邪悪の化身でしか無かった白竜が、懸命にレーンを心配している事に、俺は違和感を覚える。レーンの記憶では、白竜は一番親しい部下なので、当然と言えば当然か。


『一時撤収だな……』


 火竜の呼び掛けで、集まっていた竜達はわらわらと持ち場に戻っていく。白竜はどこかに行ってしまった黒竜を探してから帰ると告げて育成室を出ていった。


 ……さて、黒竜は主を俺に渡してくれるかな?


 俺は腕を組んで首を傾げた。



◇◇


 信から逃げ出した幸は、世界樹のドームまで走り、息が切れてへたりこんでいた。


「レーンだと思ってたら信だった……意味不明」


 そんな、世界樹の下で膝を抱える主人を、黒竜は遠くから見ていた。


 長年深遠に閉じ込められていた黒竜には、サーやフレイの目的や意図が殆ど開示されていなかった。しかし、レーンがNo.7の体に入った時点で、新たな情報が樹木に開示された。

 その情報には、幸と信両名の帰還と、世界の上書き保存についての方法が提示されていた。


 この世界の仕組み上、犠牲無く保存は出来ない。失ってしまったサーラジーンの結晶は戻らないからだ。

 その代替となるものや、信と幸が失うものとその結果予測を見て、黒竜は躊躇った。


 ……この先彼女は深く傷つく事になるだろう。でも、命さえ助かればいいのか?


 異界から外に出てから、黒竜はその事をずっと考えていたが、答えは出なかった。


 ……今あの二人を異世界に帰せば、彼女は泣かなくて済む。この世界はゆっくり終息していくだろうが、あちらの世界には何も影響は無い。


 黒竜は幸に近寄り、その小さな人に話し掛けた。


「……コウ、ニホンに帰るなら今だ。今ならあの男も一緒に越えられる。ここがその境界線だ。どうする? 帰るか?」

「えっ、だって、レーンは? この世界はどうなるの?」

「現状維持でゆっくり滅びる、問題は無い」


 幸は眉を寄せて立ち上がり、黒竜の袖をつかむ。


「問題あるよ、今から子どもが増えるし、シェンだってママになる。世界が力を失ったら皆悲しむよ」

「四の王はまだこの世界にいない」

「じゃあ貴方が、白竜が、守護竜が、守るべき世界が無くなるからダメ」

「この世界とコウだったら、コウだろう」

「……えっ」


 幸は目を丸くして驚いた。そんな幸を黒竜は引き寄せて抱きしめた。


「アレク、大丈夫? 何か変だよ?」


 幸は顔を上げて黒竜を見ようとするが、非力なので抜け出せない。すると幸は、黒竜の背中をあやすように撫でた。


「えーっと、今帰れと言うのは、サーラジーンや樹木からの命令?」

「…………」

「答えなさいアレクセイ、これは命令です」

「私の、独断による」


 幸はほっと息を吐いて、黒竜の腹に抱き付いた。


「神の御使いである守護竜が、独断で大事な事を決めたらダメでしょ、三百年越しの皆の計画まるつぶれだよ」

「…………」

「ファリナの湖で結晶になったから、壊れたところは治ってるはずなのにね、樹木の無い所で私が側にいたから、また壊れちゃったのかな……」


 幸は黒竜の胸に顔を付けた。

 そして、目を閉じて魔力の巡る音を聞いている。


 こうして頭に触れていると、主人が考えていることがつぶさに分かる。

 幸は今、様子がおかしい黒竜をひどく案じていた。

 常にそうだ。この人は今自分が置かれている状況を理解せず、ひたすらに他人に情けをかける。


 ……どうしたら、何と伝えればこの人に自分の身を第一に考えてくれるようになるのだろうか?


 日頃から無口で表情が無いとNo.5に指摘されていたが、それは表現すべき事が分からない故の逃げだった。

 ずっと言葉から逃げていた故に、こんな時に何を伝えれば良いのかが分からない。


「ねえ、アレク……私……私と皆だったら、皆のほうが大切」


 ……知っている。そこを変えたい、それにはどうしたら良いか?


 返事が出来ずにいると、幸は黒竜の顔を見上げてニッと笑った。


「大丈夫だよ、サーが見てるもの。サーは全てを知っていて、皆幸せになりました。っていう終わりを知っているのよ、もうちょっとでしょ? 最後までがんばろ?」


 ……笑うな、理解してくれ、ここから逃げろ。


 そう思うが、伝えるべき言葉は音にならなかった。おそらく規制されているのだろう。ここが世界樹の真下故に、規制は厳しい。


「分かってるよ、これから起こること」

「…………」

「レーンの為に、私のこの体の魔力を使って世界の魔力補填をするんでしょ?」


 幸はそこまで言うと、一歩後ろに下がって腕を組んだ。


「多分ここまで待たされたのは、レーンに人の心を学ばせる為だったのよ。信はとても真面目で思いやりのある優しい頑固な人だから、レーンの先生にピッタリ」


 幸は黒竜に背中を向けて、ブツブツと呟きながらその辺を歩いた。


「生徒が学んだから授業は終わり。信はお家に帰して、私は君たちをずっと見ているの。ね、こうでしょ?」

「……違う」

「違う? いや、これしかないでしょ? これで学園の書庫のジーンさん生存ルートだし」

「コウは全然理解していない」

「なんでー?」


 主の言葉を否定し続けていたら、幸は目を丸くしてこっちを見た。

 不思議なものを見ている表情で近付いて来る。

 幸は私の前髪を指でどかした。


「君はどうして泣いているの? 守護竜は泣かないのよ?」


 何故と聞かれても理解出来る筈はない。

 涙は眼球を覆うためだけにある体液だが、それが必要以上に排出されている。

 黒竜の涙は目から溢れ、主人の頬を濡らして霧に変わった。


「……君は一度、ちゃんと治して貰おう、うん」


 幸は背伸びをして黒竜の頬をペロリとなめる。黒竜は驚いて瞬いた。


「ほらね、人の姿で顔をなめられるとビックリするでしょ?」

「……っ」


 黒竜は強く幸を抱きしめた。


「うわ……アレ……くるし、離して」


 竜の力で締め付けられたので、息が出来なくて幸の気は遠くなった。

 幸と同調している自分の意識も遠くなるが、手を緩める気は無かった。


「うわー苦しい。死ぬわこれ……」


 いつの間に側にいたのか、白竜が黒竜の頭をつかんで幸から引き剥がす。幸はよろけて地面に尻餅をついた。


「はーい、相方さん、……私今、今生で一番じゃないかと言うほどに冷静なの。むしろ、アンタどれだけ頭いかれてんの? ここは異界じゃなくて聖地よ? こーんな樹木の強制力強いところで何やってんの? アンタがそのチビを圧死させたら意味無いから撤収ー」


 双竜の足元に赤い魔方陣が描かれる。

 白竜に連れられて転移する双竜に、幸は小さく手を振った。



◇◇


 二人が視界から消えて、私はヘナリと地面に座った。


「……まさかの、アレクに殺されかけた」


 いや、アレクとしては殺すつもりは無かっただろうけど、レアナには伝播した圧迫の苦しさが、アレクには伝わっていなかった? 本当にアレクは一度火竜に体を診て貰ったほうがいいかもしれない。


 私はプルプルと震える自分の手をじっと見つめた。


「……レアナがいてくれて良かったって、はじめて思ったかも」


 私は樹木に向かって、レアナに感謝の祈りをした。



 誰もいなくなった世界樹のドームに、サーの光が虹色の葉を照らし、足元には木漏れ日が揺れていた。

 私はのそりと起き上がり、スカートを叩く。


「信にご飯と飲み物をあげないといけない。あと、ビンタしてごめんねも言わないと……」


 信の事を思うと、さっきのキスを思い出して頭がゆで上がる。

 アレクはレアナがどこかに連れていってしまったので、レーンのいうところの、神の御使いなる防波堤が現状無い。

 いや、セレムもフィローも残ってるかもしれないし、と、私は世界樹のあるドームをひとり歩いた。


 ここを出たら信がいる。そう思うだけで顔がゆるむ。

 それはなんて素敵な事なのだろう。

 これが二年も隔離された効果なのか。もう、ダダッと走って信に飛び付きい程うれしい。


「いやいやいや、落ち着こう……」


 サーが見ているかもしれないと思うと、背筋がピンと立つ気がする。


「もう中学生じゃない。頑張ろう、十八の私」


 私は心に区切りをつけて、聖地の樹木の部屋を出ていった。


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