12-13、No.8
『懲りもせずよく来たな、阿呆でよこしまな神よ』
静かな深い森にある泉の中央に、長い髪の幽霊が泉の精がごとく偉そうに立っていた。
異界から、聖地経由で魔女の森に来たレーンは、いの一番でエレノアに馬鹿にされた。
ここに巣くう前任の魔女、エレノアは幽体だ。普段は浮遊魚にのりうつっているようだが、用のあるときだけは生前の形をとるらしい。
エレノアは、フレイと同じ長い黒髪を背中に伸ばし、顔の横は鋭角にザクッと切り落とした髪型をしている。髪型は黒髪の白竜のようだが、顔立ちはシェレン姫に似ていた。
「阿呆とは何だ? 女神の結晶から出来たと言うのに気品が無い、少しは本体を見習え」
エレノアはジト目でレーンを見ていたが、コホンと咳払いをして目を閉じた。そして手を祈るように組んで、目を潤ませレーンを見た。
『レーン……あなたがしっかりしないと、私達とても困るの、大丈夫、あなたなら出来るわ……きっと、この世界を愛せる……』
「……は?」
虚を付かれて呆然とするレーンの姿が可笑しくて、俺は笑いを堪えるのが大変だった。
『どうだ? 似ているであろう? 折しもファリナで体を借りたからな。この、阿呆でうさんくさげな口調もバッチリだ!』
レーンは笑っている俺に聞く。
「……似てた?」
「さあ? コウとは似ていませんね。フレイの方はよく知りません」
似てないと言われて、エレノアはバリバリと頭をかいた。その男らしい仕草にレーンは笑う。
「心からの言葉でないと、意味がから滑りするってことだな」
『……御託はいいからさっさとやれぃ。いい加減お前らの相手も飽きてきたぞ』
エレノアの霊体はため息をついた。
◇◇
半月ほど前、俺は一抹の望みを幸に託して、聖地でレーンを待っていた。それから七日以上経って、ようやくレーンが魔女の森に来た。
「幸の伝言は伝わりませんでしたか?」
「聞いたけど、すぐ来るのもしゃくだから引き延ばしにしていた。」
「ああ、そう……」
「お前に会うよりもコウといたほうが楽しいし」
しれっとノロけるレーンに、俺は苛立ちを覚える。魂が混ざっているはずなのに、レーンは自由奔放に動く。その様子は少しうらやましい。
……幸には確実に嫌がられる態度だけどね。
俺は夏服の上に青いセーターを着た羽間信の背中を見て、自分ってこんなに小さかったかな? と不思議に思う。そして、かつての自分の記憶が想起され、レーンを眩しいと思った。
雪の降り積もる森を歩く時、レーンは体を浮かせて雪を回避する。
俺は一歩一歩雪を踏みレーンを追いかけるが、自分の体が浮いているのを、後ろから不思議な気持ちで見ていた。
ここまで来る道すがら、レーンとこの世界の魔法について話していた。
「魔法の得手不得手は魂と結び付いているから、魔力があっても使えない人もいれば、その逆もいる。要するに、才能があるかないかだ。お前は無いな」
キッパリと魔法の才能が無いと宣言されて、俺は苦笑した。
……魔法なんて使えなくていいから、早く自分の体を取り返したい。
俺は薄暗い森を見上げ、ため息をついた。
◇◇
二人が泉までたどり着くと、エレノア妃は童話の泉の精のように現れた。女の霊体は腰に手を置き胸を張り真っ直ぐに立つ。
『よく来た救世主達よ、我は今からお前らにネタばらしをするぞ!』
可憐な見た目と違って、上からの発言に、二人は真顔になる。
『……無反応か、それもよし。なら情報の開示は無しにして、段取りだけ話そう』
「……はぁ」
レーンが力無く答える。
『まず、神はその男子の体をもっと巻き戻せ』
「は?」
レーンはわけが分からず聞き返す。
『今は時間ギリギリの姿だろうに。もっとちっこくなるのだ。半年くらい」
「…………」
『何だ? それをしないと始まらんぞ』
レーンは隣にいる俺を見た。
「お前の覚えている時間で、なるべくあたたかい服を着ていた時は何年、何月何日何時だ?」
『中一の、一月一日午前八時なら徒歩で外に出たので、防寒着を着ていますね」
……父と初詣に。幸は教会と別行動だった。
レーンは青い魔方陣を展開して、俺の体を巻き戻した。
少し背が縮んだレーンは、俺の誕生日に父親がくれたボア付きの青いダウンと裏起毛のブーツを穿いていた。
レジャー用の防寒着があっても良いだろうと父親が言うが、正月に一度着ただけで、それ以降は押し入れにしまったきりたった。
……そういえば、しまった筈なのに、あれきり押し入れで見た記憶がない。あれはレーンに奪われていたのか。
俺は、レーンが体の時間を操作できる事を予測していたが、目の前でやられるとさすがに驚く。
ファンタジー凄い。と、心のなかで感心した。
エレノア妃は満足そうに頷いて、両手の指を立て、✕の形にクロスした。
『で、チェンジだ。交換!』
「「は?」」
二人の言葉が重なる。ここでお互いの体を交換するのかとレーンを見ると、レーンは不安げな顔で俺を見た。
「過去にそれは失敗してるぞ、やるだけ無駄だろう」
及び腰なレーンに、妃は深いため息をつき、言葉に落胆の色を乗せる。
『出来なければ女神を殺すしか選択肢が無くなるな』
「……はぁ?」
レーンは口を開けてしばし呆然としていた。
俺は頷いて、木に背中をつけて、転ばないように座った。そのまま目を閉じる。
俺は「移動しますよ」と、軽く言って、羽間信の体に移った。
俺は久々に自分の体に戻り、白い息を吐く。この森は人の体だと寒いと予測していたが、ダウンのあたかさと、レーンが魔法を使っていたのだろう、寒さは殆ど感じなかった。
一方、木にもたれかかり座っている、No.7の体に変化は無かった。レーンはまだ俺の体の中にいるようだ。
『で? 神は尻込みをしとるのか? お前本当に男か?』
……煩い、黙れ。
と、俺の中の別の意思が思った。レーンはやはり竜の体に移れないようだ。
魔女はあちゃー、と右手で顔を覆い嘆く。
『これが第一歩だ。これが出来ないと始まらん。二人でよく相談して死ぬ気で練習しろ』
そう言って、エレノアは泉に沈み、呼び掛けても無視するようになった。
雪の上に座っているNo.7の体を見て、俺はため息をついた。No.7の体は俺が外に出たことで、金髪に戻っている。
……レーン、この体、最初は瞬きも出来ませんでした。少しずつやれば出来ますよ。
俺は心のなかでレーンに語りかけるが、レーンは「無理だ」と言って俺を拒否した。
……あれですよね、俺が魔法や変身など出来ないと思っているように、レーンもこの体はサーの物だと思っているのでしょう、大丈夫、頑張れば動けるようになりますよ
俺はジーンの体に移動する。
「一旦聖地に戻りましょう。あそこなら防寒着はいらないし育成ポットもありますから」
「……すまん」
レーンは俺の、俺はNo.7の体に戻り聖地まで移動した。その後はレーンが竜の体を動かせるようになるまで、毎日少しずつ練習をしていった。
◇◇
――異界、幸。
最近毎日レーンがジーンに会いに行ってしまうので、幸の不満は爆発寸前だった。
「レーンばっかり信に会えてずるい。聖地神殿とか、人は入れなくて危なくないのに、一度も連れていってくれない」
私は泣きながら廊下を片っ端から掃き清めていく。
レーンの部屋の前まで来ると、白竜が部屋の扉を僅かに開けて、虫を見るような目で私を見ていた。
「泣きながら歩かれるとウザイんですけど」
「レアナ」
「その名前で呼ばないで」
私はうううと泣く。
「やめなさいって言ってるでしょ? 私まで寂しくなる。私だってレーンに会いたいし!」
私の影響で、レアナの目からもポロポロと涙がこぼれる。涙は床に触れる前に霧になった。
「諦めろNo.5、レーンが悪い」
私の背後からアレクが指摘した。
アレクは黒猫の姿だったのに、いつの間にか男性の姿に戻っている。
無表情で言う相方に、レアナはふん! と、ふんぞり返った。
「No.6がココロノスキマを埋められないのが問題、ちゃんと面倒見なさいよ」
「出来ないと分かっている事をやらせるな。No.5もレーンを満たせない」
「……なっ!」
レアナは痛い所を指摘されて、頬を膨らませる。レアナは膨れたまま、ブツブツと呟いた。
「アンタがハザマシンになってあげたらいいんじゃないの? 足りないのそこでしょ?」
「……断る」
「なんでー? アンタなら黒髪黒目だし、かなり似るでしょ?」
「魔力の無駄」
「……まあ、その女は見かけは関係ないからね、あのレーンでもダメだもんねー」
白竜はチラリと私の耳を見る。
「エレンの石を貸してくれたらママになってあげるワヨ?」
「ダメ……ママは隼人の所に帰さないといけないから、絶対に外さない」
レアナはお手上げ、と両肩を上げた。
廊下は寒いので三人は厨房にいく。私はメソメソしながら、白竜に手を引いて貰っていた。
「白竜はどうして私の事を嫌うの……?」
「は? 嫌いだから嫌いよ」
「……理不尽」
……思えば、初対面の時からひどく嫌われていたよなぁ……コロスとか言われたりしてさ。
「そう定義されているのよ、私が白で、アイツが黒みたいに、No.6が好きなものは、私ゼンブ嫌い」
「アレクはサーを好きだけど、レアナは嫌いなの?」
「はぁ? サーは別格でしょ? サーを嫌いな竜なんて居ないわよ」
「差別だ……」
恐らく、サーラジーンの定義はこの世界の理の上にあるのだろう。ルール以前の問題、絶対的立ち位置。
白竜は頭に手を付けてしばし困っていたが、ふと思い付き私の臭いを嗅いだ。
いきなり白竜が近付いて来るので、私は戸惑う。
「コウ、アンタ風呂に入ってないでしょう?」
「え、だって寒いから……毎日お湯で拭いてはいるんだけど」
白竜は私を脇に抱えあげて言う。
「よし、ワタシがお風呂に入れてあげましょう!」
私は手足をバタつかせて抵抗する。
「お風呂場、寒いからやだ!」
「ダイジョーブ、No problem、マカセテ」
白竜はカタコトの日本語で言うのでさらに怪しい。
私は後ろを付いてくるアレクを見るが、アレクは何事もないように、無表情のまま付いて来た。
レアナは地下室に来ると、灯りを付けて浴槽に水を張った。
私は冷水に浸けられるんじゃないかと、アレクの後ろで見ていたが、レアナはちゃんとお湯を沸かし、ついでに部屋の気温も上げた。
「はい、出来た」
「あ、ありがとう……」
お風呂に入るなら、白竜には出ていって欲しい。
しかし白竜は外に出ていく様子は無く、浴槽に手を付けてニヤついていた。
「はい、チャッチャと脱いで入る」
「えっと……一人で出来るから大丈夫だよ」
「洗ってあげる」
「ヒェッ」
怯えて逃げる私をレアナは捕まえる。服のままお湯につけられそうになったので、私は自分から服を脱いで湯船に浸かった。
レアナは鼻唄を歌いながら、シャンプーを泡立てて髪を洗う。
「……あー、何だコリャ髪の毛こんがらがる、イタタ……あ、抜けた」
洗いながら何かブツブツ言っている。
よく考えたらアレクも人型のまま入口に立っている。
私はいたたまれない気持ちになって、湯船に顔を浸けた。
風呂上がりに魔法で髪を乾かして貰い、レアナに手を引かれて、私の部屋に行く。レアナは唄を歌いながら私の髪の毛にブラシをかけて、三つ編みを始めた。
「もしかして、白竜はヒマしてたの?」
「ウン」
……もう、魔物いないしね。
レアナは器用に私の髪をまとめあげて、私を着替えさせて遊んでいた。
仕上げにレアナが作ったらしい口紅を指してくれる。
「ホラ、出来たよー」
白竜は黒竜に私を見せる。黒竜は無反応だった。
「アンタ本当に必要最低限の事しか喋らないわね」
「言うべきことはない」
「かわいーとか、きれーとか反応すべきなのよ、だからコイツがメソメソするのでしょう? いつもくっついてるんだからちゃんと面倒みなさいよ」
……別にアレクに面倒を見てもらっているわけではないんだけどな。
黒竜は私のそばに来て、私をじっと見た。
「……言葉は多いほうがいいか?」
「アレクはアレクのままがいいよ」
むしろ、菊子さんとママから感化されているレアナのほうが異様だ。キビキビ世話焼きお姉さんと、天然おとぼけママが混ざっている。
私が苦笑いをしていると、アレクは当然のように私を抱えあげて厨房に移動した。
「えっと、歩けるけど……なんで……」
私はアレクの顔を覗くが、何も言わなく、表情からも読み取れなかった。
私は後ろからついてくるレアナを見る。レアナは面倒くさそうに言った。
「ソイツはソイツで、アンタの面倒を見たいの。暇なのだから遊んであげなさいよ」
……これ、なんか楽しい事あるのかな。
アレクの頭につかまって私は思う。毎日黒猫を抱っこしてるから、仕返しをしているのかもしれない。
……私にも、アレクの気持ちや感覚が伝わればいいのに。
私はため息をついて、アレクの柔らかい髪を撫でた。
夕飯に簡単スープとパンをかじっていたら、レーンが帰ってきた。部屋には双竜が揃っていて、二人とも適当な場所でぼーっとしている。
レーンは側までくると、目をパチパチさせた。
「……あれ? なんかコウがいつもと違う」
そして、私の側に来て顔を近付けた。
「いい匂いがする。……」
私はドキッとして、後ろに下がるとレアナに肩を捕まれた。
「洗ったの、おいしそうでしょう」
……おいしそう?
どーゆー意味なんだろう? と、私は背後にいるレアナを見上げる。
レーンは疲れているのか、眠そうな目で近寄って来て、私の肩に軽く歯を立てた。
私は驚いてギュッと目をつむるが、レーンは「寝る」と言って、そのままふらふらと部屋を出ていった。
「なーんだ、つまんない」
レアナは私の肩に手を置いて言う。
「……何か魂胆があって、私を洗ったの?」
私が眉を寄せてレアナを見るが、レアナは何も言わずに、きびすを返して厨房から出ていく。
出ていくときにレアナがフフンと笑った。
「内緒」