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12-11、魔女の森


 小鬼がいなくなったので、私は人恋しさに遠見の球がある樹木の部屋で過ごした。

 ここは疑似太陽が部屋に据えてあるので気温が安定していて過ごしやすい。

 そこで私は毎日アレクと世界の様子を覗いていた。


 銀の盆から各国に送った命の水は、王の手から民に振り分けられ、町に妊婦が増えている。それは三国だけでなく、自治区も含んでいた。


 自治区には長が立てられ、前は見られなかった教会やギルドや警らする組織なども出来ていた。

 銀の水の浄化により、畑が耕され、町行く人の顔も朗らかだ。


 ファリナから追放された、南西の村の夫婦も懐妊されていた。

 ふたりは罪を許され故郷に戻っても良いらしい。しかし子どもが産まれるまではと自治区の滞在を決めたようで、館のみんなからあれこれと世話を焼かれていた。


 ジーンは館を借りているような事を言っていたが、どうもこの家の持ち主はジーンのようだ。教会の女の人がそう言っていた。


 自治区の銀の水を管理しているジーンは、今朝は自治区にはいなかった。四国とは違い、自治区の住人は少ないので、死者がいない日もあるらしい。

 私は遠見の球のダーゲットを自治区からジーン単体に変えた。

 遠見の球でジーンを追うと、彼は一人で冬の森をさ迷っていた。


 ……何してるのかな、また眠れなくなってるのかな。


 私は暇があればジーンの頭の上を見ていた。そしてそのまま遠見の球の上で居眠りをした。



◇◇


 目の前には一面の雪景色が映る。

 セダンはもとから温暖な地域だが、聖地寄りの魔女の森には雪が降るらしい。

 ジーンは雪を踏みしめながら、目的の泉に向かった。


 ここはセダンの魔女の森だ。

 幸の足取りを追うのと、神側の意図を聞くのに適した場所がここだった。

 ここにはあの人がいる。

 No.8の結晶からサーラジーンの願いによって生まれた女性、エレノア妃。その魂が浄化されずにここに残っている。


 前にファリナで幸の体を使わせた時は、サーラジーンにエレノア妃の魂を呼び寄せて貰った。今現在サーは寝ているので、その手段は使えない。

 エレノア妃の気配は魔女の森の泉が濃いと、幸が言っていた。もしかしたらエレノア妃と意思の疎通が出来るかもしれない。


 俺は泳ぐように浮遊する魚の群れを見る。

 光の届かない静かな森に、銀色の細い魚がフワフワと浮いている。

 しかも、ここはどこの土地よりも空気の濃度が濃くて、太古の雰囲気を纏っていた。


 幸は前にここの森で魚にかじられたと言っていた。しかし俺を襲う魔物は無く、旧セダンの転移扉からひとりで歩いて来たが、魔物に邪魔されることなく進めた。


 中央の泉まで来て、ほとりに座る。

 目を凝らしても、耳を澄ませても、守護竜の機能で探知をかけても、エレノア妃の気配は分からなかった。

 幸が聞いたと言う魚の歌も無く、辺りは静まり返り、雪だけがしんしんと静かに降り積もっていた。


「どうしたらエレノア妃に会えると思う?」


 俺は誰もいない空間に向かって呟く。すると自分の中から幸の息づかいを感じた。


「……久しぶり、コウ」

『やっと通じた。最近はいつも見ているんだけど、声は滅多にとどかないの……』

「見られているとは思っていたよ」

『ご、ゴメンね、嫌だったらやめる……』

「いや、大丈夫、こっちも同じことをしていた」


 ……同じと言っても、守護竜の探知機能に異界は映らないから、検索が失敗するシークエンスを定期的に見ているだけだが。


 幸の手が前に伸びる。

 しかしその手は何もつかめなかった。


『本当は、ちゃんと会いたいんだけどね……』

「そこは出られないの? 出口ない?」

『んー。転移魔法使えたら出られるかもしれないのだけど、全然わかんない……』

「サーに聞いてみたら?」


 そう言われて、幸はフゥと息を吐いた。


『サーは、ここには関与できないみたいなの。樹木の部屋よりもずっと徹底して隔離されている気がする……』

「なるほど……」


 前にアスラで話をした時とは違い、幸の声がかなりか細い。

 俺は目を閉じて、幸の気配を感知するために集中した。


『あのね、私、ここにいた方がいいみたいなの。ここ日本みたいな気候だし、寝込まないで動いていられるよ』

「こっちでは魔力を垂れ流していたからね。じゃあそこにいたほうがいいね」

『……』


 フッと幸の意識が途絶える。


「コウ? 大丈夫か?」

『大丈夫。問題は君に会えないだけだから。耐えるよ……』

「それは……レーンにくっついていればいいんじゃないのか?」

『そーんなことは出来ませんよ。レーンはやっぱりレーンだし、君じゃないから』


 そこまで言って、幸は自分の頬をペチッと叩いた。

 俺にはその痛みは届かないが、気持ちがキュッと引き締まる気がした。


『私元気よ! それよりエレノア妃だね、そこで名前を呼んでみたら? 周りに漂っているみたいよ?』

「……あっ」


 ごく当たり前なことを幸に指摘された。そういえば何もせずに、ただ座っていただけだった。


「ありがとう、幸。やってみる」


 俺が立ち上がった所で、プツリと幸との交信が切れた感触があった。幸は遠見の球から離れたのかもしれない。

 俺は深呼吸をして、泉に向かって叫んだ。


「エレノア妃、おりますか?」


 反応は無かった。

 そりゃそうかと、自嘲する。

 さて、どうしたものかと腕を組んでいたら、泉の周りを飛んでいた、魔物の魚が俺の頭をつついた。


『いやー、待っていたのは君じゃない、君じゃないぞ』

「……?」


 呆れるような魚の気持ちが直接心に入ってくる。幸の能力の精神面だけみたいな感じだ。


「エレノア妃?」


 俺は透けて見える半透明な魚に聞いてみた。

 魚は俺の頭のまわりをクルクル回っていた。


『異世界人、もう一人の君に用があるんだ、呼んでこいよ』


 このファリナ王のような口調は謁見室で見たエレノア妃だろう。しかしどうやって、レーンとコンタクトをとれと言うのか?

 俺は空に向かって話しかける。


「幸、頼める?」


 返事は無かった。

 俺は一旦聖地の神殿に戻ってレーンを待つことにした。



◇◇


 私は黒猫を胸に抱いて、静かな城内を歩いていた。

 朝日を見るために早起きしていたので、牛に餌をあげて朝食を取った後も、まだ朝早い時間だった。


 レーンの部屋まで来たけれど、朝に部屋に来るなと言われているのでノックするのも躊躇する。レーンは何時になったら起きるのか?


 私は毛布をかぶって、レーンの扉の前に座って待つことにした。

 アレクが寒く無いように体温調整してくれるので、体が中からあたたかい。

 廊下でボーッとしていたら、自然と目を閉じて眠っていた。


 私が目を開けたとき、目の前でレーンとアレクがにらめっこをしていた。


「なにしてるの?」


 私は二人に聞く。

 レーンはしゃがんでいたので顔がすぐ近くにあった。


「君こそここで何をしているのか?」


 何を? と聞かれて、すぐには思い出せず、パチパチと目をしばたく。


「なんだっけ?」


 問い返すと、大袈裟にレーンは肩を落とした。

 私の胸元にいる黒猫が言う。


『……エレノア妃』

「あっ! エレノア妃が、レーンに魔女の森に来てほしいって言ってたよ。セダンの泉のところ!」

「あっちと連絡を取れるのか……」


 私は何も考えずに頷いた。


「どうやって?」

「遠見の球で、たまにだけどね、竜相手なら通じるみたい」

「どの竜と話した?」


 対面するレーンが不機嫌そうに眉を寄せた。

 これは怒られる予感しかないが、私に嘘をつく才能はない。


「No.7……」


 レーンは暫く私を見ていたが、黙って立ち上がりどこかに行ってしまった。

 私も毛布をかぶったまま、レーンの後をついていく。

 私たちの他には誰もいない住居を無言で歩くこと数分、研究室前でレーンが聞いた。


「まだ何か用があるのか?」


 レーンの低い声を聞いて背筋が凍る。

 焦って首を左右に振ると、レーンは息を吐いて、私に背中を向けた。

 レーンの姿が見えなくなるまで待って、レーンが曲がった道を同じようにたどり追跡する。

 しかし、曲がった先にはレーンの姿は見えなかった。


『レーンは不機嫌だ、無駄に挑発するな、殺されかねない』

「ぐぅ……」


 猫に正論で怒られた。

 自分でも何故レーンを追跡しているのかがよく分からないが、磁石が引き寄せられるように離れがたいものがある。


 猫を抱いて、通路に立ち竦んでいると、部屋の扉が突然開いた。

 部屋の中からレーンが、呆気に取られた顔で私を見ている。


「何か言いたいことがあるのか?」


 これで理由はありませんというと、怒られるだろう。レーンを怒らせない返答は……いや、どうして私はレーンを追い掛けているんだっけ?


「……だって、ここには誰もいないから」

「誰もいないよ、だから何?」


 レーンはチッと舌打ちをするので、私は怖くて肩を竦めた。


「寂しい……誰かを見ていたいの……」


 レーンは呆気に取られて目を瞬いた。しばらく黙って、また背中を向けた。


「厨房に行け」

「……はい」


 レーンは部屋に戻り、扉は容赦なく閉められた。

 私はフゥと息を吐くと、回れ右をして、冷たい石の廊下を肩を落として歩いた。

 すると後ろで扉が開く音がした。


「厨房はあたためておけよ、広い机は作業に使うので空けておくように」

「……えっ?」

「さっきのように、通路とかで寝るな? また熱が出るぞ?」


 ……拒絶されたかと思ったけど違ったみたいだ!


 私は「うん!」と言って、弾む気持ちに任せて全速力で駆け抜けた。



 レーンはその後ろ姿を見てため息をつく。


「……No.6がいなきゃいいのに」


 研究室の中から白竜が顔を出して覗いていたので、レーンは焦って扉を閉めた。



◇◇


 厨房で、暖炉がわりにしているかまどに火を起こした。そしてお湯を沸かしお茶を淹れ、ビスケットをあたためてレーンに出した。

 レーンは大きな卓に紙を広げて作業に没頭している。

 私は隅っこで編み物をしていた。

 中身がレーンでも、視界に信がいる光景は良い。早く中身も信になればいいのに。


 久々にアレク以外の人と話すのが嬉しくて、レーンが話し掛ける度に警戒心が溶けていく。それが顔にも出ていたようで、レーンに呆れられた。


「水竜が神殿に足しげく通っていた意味が分かった」

「なあに?」


 セシルは優しいからという以外に、セシルがフレイに会いに来る理由はあるかな?


「お前が寂しがるから気になっていたんだろうな」

「あー、よく言われた、かわいそうって」

「やっぱりな」

「いなきゃいないで大丈夫。でも、人がいたら人の側にいたいな……」


 ……そして、出来れば信の側がいい。


 安心出来る人と一緒にいられるって、奇跡のようにスゴイことだ。元から持っていたから、失うまで自分がしあわせだった事に気が付かなかった。


 信とエレンママと過ごした日々を思い出して、私はキュッと目を閉じる。

 泣きそうな気持ちが伝わったのか、黒猫が私の膝に乗ってきた。

 

「……うん。いつもありがとね、アレクいなかったら寂しくて死んでたよ……さすがサー、よく知ってる」


 黒猫の姿のアレクは、膝から下り、レーンが陣地を広げている卓に飛び乗った。


『いつまでここで引きこもっているつもりだ? いいかげん解放しないとコウが弱る』


 レーンはちらりと猫を見て、視線を手元に戻す。


「あっちの準備が整うまでは無理だ」

『準備とは?』

「四の王の誕生」


 ……四の王! そうだ、遠見の球でシェレン姫の事を見るのを忘れてた! 四の王が生まれると言うことは、シェレン姫がママになると言うことだ。


 確か姫は私よりひとつ年下だった。恋人さえもいたことのない私に、結婚&出産のイメージは出来ない。


「ねぇ、メグミクが産まれたらまた皆に会える?」

「皆とは?」

「各地の守護竜とアマツチ、アマミク……あとシェレン姫!」


 それを聞いて、レーンは露骨に眉をしかめた。


「一の王は除外しろ。あれは有害だ」

「どうして? アマツチはミクとセットなのよ? バラバラにしたら駄目でしょ」


 レーンは頬杖をつき、手元の紙を見ていた。そして、ぽつりと呟く。


「一の王と単体で会わないと言うのならいいよ、でもいますぐは無理だ。そいつらに会えるように、場所を整えよう」

「やったぁ! ミクさんに会えるのなら、なんかお菓子作ろうかなぁ。ここの食べ物って、異世界の人が食べていいの?」

「王くらい魔力があれば平気だと思う、まあ、栄養過多で腹を壊すかもしれん」

「……それは、やめておこうかな、うん。ミクさんがお腹壊すとフィローに怒られちゃう」


 過保護気味に三の姫を心配する火竜を知っているのか、レーンはフフッと笑う。


「鬼の子たちは私の作ったものを毎日食べていたけど、大丈夫だったのかしら?」

「そりゃ、始終高魔力源と過ごしていればそれが当たり前になる。お前のお陰で彼らの浄化力は魔王クラスだった。セダンで失った魔物の損失を彼らで補えるくらい有能だったな」

「……そう、みんないい子だったからね」


 あどけない笑顔を見せる小鬼はいつでも思い出せる。私のここでの生活は、小鬼たちのお陰であたたかくしあわせなものだった。


「ここはアスラを浄化している間、フレイが魔力を使わないようにしたかっただけだからな」

「うーん、別にそれだけじゃないでしょ? 信から私を引き離したかったのでしょ?」


 レーンはかくん。と、頬杖をついていた手がずれて顎が落ちた。


「あのなぁ、俺が常に悪意を持ってお前に接しているみたいな言い方やめろよ? そんな気は毛頭無いぞ?」

「ご、ごめんね?」


 レーンの口調が強いので、反射で謝ったが、これに関しては間違いでは無いと思う。


『……コウが正しい』


 黒猫が膝の上から後押しするので、「ほらね」と笑う。レーンはばつが悪いのか、無言で作業を続けた。

 レーンは繊細で、傷つきやすく、プライドが高くてすぐに怒る。でも、ちゃんと反省出来るし、とても恥ずかしがり屋さんだ。


 そんなレーンが可愛くて、ニヤニヤしながらレーンを見ていた。


「私ね、ずっと君には嫌われているのかと思っていたよ」

「はぁ? なんでそんな妙な事を思った?」


 レーンは頑なにこっちを見ず、視点は手元に固定しているので観察しやすい。

 私は心置きなくレーンを見つめた。


「レーンはフレイを好きだから私を置いておくのでしょ? フレイはたまにこの体に現れる時があるし。だから私のことはフレイの入れ物として扱ってると思っていたよ、フレイのおまけみたいな」


 レーンは顔を上げて、口をポカンと開けた。


「そんなことは」


 そこまで言いかけて、下を向いた。


「……うん、すまない。その通りだ。確かに最初に会った時はそうだった」

「うんうん、フレイに会いたい気持ち分かるよ、だから謝らなくていいよ」


 レーンは恥ずかしいようで、ガシガシと頭をかいて顔を隠す。

 レーンはしばらく唸って下を向いていたが、ペンを置いて真っ直ぐに私を見た。


「でもさ、コウがフレイが好きなものを、例えば竜を好きなように、俺だってシンが好きなものを好きだよ。だから、嫌われているなど言うな」

「……信は、私のことが好きなの?」


 レーンは信そっくりな顔で笑う。


「ホント、どうしようもないほどコウの事が好きだ」

「……うわぁ」


 信にも言われたことがないのに、同じ顔で、同じ体でレーンに告白された。

 この告白が本当なのか嘘なのか私には分からない。ただひとつ分かることは、涙が出る程にうれしかった、それだけだ。


「どうした? 本体に会えないから泣いているのか?」

「ううん、なんだかうれしくて涙が溢れ出た……信はそーゆーこと全然言ってくれないから……」


 私がボロボロと泣くので、レーンは困って頭をかく。


「ママの手前隠していたんだよ、まあママにはバレていたけど。ヨシダも知ってたし、サクマにも指摘された。俺がコウを好きなことを知らないのは、コウだけだったよ」


 ……なにそれ、私、どれだけ鈍感なの?


「……当人が知らないのって、へんだし」

「しょーがないだろう、コウの頭の中には恋愛のレの字も無いんだから。ずっと俺の事、枕かなんかだと思ってただろう?」

「枕とか思ってないよ?」

「……本当に?」


 ……本当。さすがに枕は失礼すぎる。


「枕とは、寝るときに必要なものだ」


 ……信がいないと寝られなかった。


「頭をのせて心地よいもの。そして、安眠を与えるもの」


 ……信だな。それは、私が信に求めていたものだ。


 指摘されると、それが真実のように思える。私は気まずくて、レーンから顔をそらして黒猫を撫でた。


「まあ、枕と違って俺は意思があり行動するから。好きだと伝えた結果にコウに拒絶されるのが怖くて、ずっと様子を見ていただけだからね」

「……レーンはホント、信のこと良く知ってるねぇ、もう、信とお話している気分で心苦しいよ」


 中学時代の私がそこまで信に迷惑をかけていたとか思った事が無かった。

 いや、迷惑という話なら、現在進行形でジーンにも書庫の人にも掛けっぱなしなのだが。


「コウが俺のことをレーンと呼んでるだけで、中身はシンだからね」


 そう言われると、レーンが信に思えてくる。

 いや、レーンだよねぇ? と、疑いの眼を向けると、レーンは目をそらした。

 目をそらすのは確かに信の癖だが、これは気まずくてやった事なので信とは言えない。


「レーンはレーンだわ、信じゃない」

「……ホンット、何処で見分けてんだろーな?」


 レーンは椅子を引いて立ち上がった。

 私は嫌な予感がして、大きな机を盾に、レーンから離れようと机を回った。


「信はいつも見てるの! お座りして待ってるわんこみたいなのよ! こうしてレーンみたいに追いかけて来ないの!」


 ……怒らせなければね。信は怒ると怖いね。


「犬ってさぁ……」


 ……うわ、呆れられた。犬は失礼すぎたか?


「レーンは私がいなくても大丈夫でしょ! 信は泣いちゃうから、誰かが側にいないとだめだし!」

「あいつはサーがついてるから大丈夫だろ、俺は大丈夫じゃないから、こうしてコウを閉じ込めてる。そんなことも分からないのか?」

「でも私、ここで君に必要とされたことないし!」


 大きな声でそう言うと、レーンは私を追いかけるのをやめて、立ち止まった。


「レーンは一人にしても寂しがらないし、いつもなにか書いてるし、ご飯もいらないでしょ? 私ゼンゼン君の役に立ってない!」


 レーンははじめて見たときのように、目を細めて笑う。


「コウに何かをして欲しいから、ここに置いているわけではないよ」

「私は信の役に立ちたい。信の好きなご飯作ったり、そのために材料を調達したりするのも楽しいし、いっしょにテレビを見たり、散歩をするのも好きなの。与えられるだけじゃ嫌。信は何がしたいの? 信の望みは何?」


 レーンは片目を手で隠して、じっと虚空を見ていた。


「俺がコウに望むことなんて、はじめにやらかしている」


 ……はじめ? 四才の時のお庭じゃないよね? だとしたら、レーンとセダンで会った時?


「く、首をしめたこと?」


 ……いや、叩かれたほうが先だっけ?


 手をこまねいてうーんと悩むと、レーンの肩が小刻みに震えた。


 ……泣いてる? レーンはやっぱ、私を殺したいとか?


 レーンに近寄ってその顔を覗くと、レーンは笑っていた。

 机の上で伏せていた黒猫が警戒モードで近寄って来た。私は猫を捕まえて胸に抱いた。


「そのあとの事はもう忘れたのか?」

「後? アレクが倒れて、君が泣いたわ。サーに逆らえない守護竜を傷つけるのはダメだよ」

「……そのあと」 


 レーンはふいに髪の毛をひとふさつまんだ。

 目を閉じて髪の匂いを嗅ぎ、私の答えを待つ間、近距離で私を見る。

 少し茶色っぽい瞳、長いまつげ、信の匂いや息づかいを感じて、私の頭に血が上る。


 その仕草と、真っ直ぐに自分を見る黒い瞳を見て、私はレーンの言うことを理解した。セダンでレーンにぶたれた後にされた事はキスだ。


「ハザマシンの望みなんてそこにつきるよ。コウに触れていたいだけ」

「……うわぁ」


 ……その触りたいというのはたぶんエッチなやつだ。レーンに言われるととても困る。


 私は一歩下がり、レーンの手から私の髪の毛を引き抜いた。


「そ、それはレーンでしょ? 信の望みじゃないよね?」

「なんでそう思う? 俺はここではずっと霊体で、肉体を持たない存在だったのに、俺に肉欲があるか? そんなの全部この体からの影響だよ」


 ……そうか、体が無かったら、痛みも、空腹も知らないし、肉欲も無いだろう。でも、それって……それって……。


「……ひぇ」


 私の心臓がドクドクと音をたてて鳴った。血が体を駆け巡って、頭が熱い。握りしめた手がじわりと汗ばむ。

 私の緊張がピアスの制限を超えたようで、アレクが私とレーンの間に顔を挟んだ。

 レーンは黒猫を抱き上げて、キスをするように猫に顔を寄せた。


「俺たちの間には神が遣わしたコイツがいるからな、コウは安心していいよ」

「サーはそんなことのためにアレクと契約させたのかな……」


 いや違う。アレクと私を契約をさせたのは書庫のジーンさんだ。日本語だったから間違いはない。学園の泉では「アマツチとアマミクは恋人」とか言うし、未来の信はそーゆーことをする。


 ……それは多分、焼きもちだ


 いつもぶっきらぼうで、好きだのスの字も言わない信だけど、実は色々配慮してくれている。それは多分愛されているという事だろう。


 私が両頬を手で挟んでにやけているのを、レーンはじっと見ていた。黒猫の喉の脇のやわらかい毛に顔をつけて、レーンは笑う。


「コウはさ、この体に本体を入れたがっているけど、その本体が欲するモノはお前の体だってこと、覚えておきなよ」

「……えっ」


 レーンは存分に猫を愛でると、机に猫を置いて部屋を出て行った。猫は私の前に来てちょこんと座る。

 私は呆然として猫に聞いた。


「今レーンが言った事、本当だと思う?」

「ニャ」


 ……即返事をされた。いや、肯定? 否定? どっち?


 そういえば前に、「私にキスをしてくるのがレーンで、待っているのが信」だとアレクに言ったら、「ほぼ理解出来ていない」と言われた。あれはこの事なのか……元からせいよくがあるのが信で、レーンはそれに影響されていたから、私にキスをしてきたと。


「……うわぁぁ」

 

 与えられた事実に脳の処理が追い付かない。

 私は机に伏せて、うるさく鳴り響く鼓動を静めていた。


 厨房の外は息が白くなるほど気温が下がり、長い冬は暦の上での峠を越えたらしい。雪解けはあと少しだ。

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