12-9、交信
幸がレーンに連れ去られてから一年経過した。
ジーンは聖地を拠点に、自治区の浄化をしつつ、フレイの意図を探って各地を彷徨い歩いた。
今日は懇意にしている竜の運送屋から飛竜を借りて、レーンがいたというアスラ北部に降り立った。
以前はアスラ全域が砂漠化していたが、レーンが住んでいた北部を中心に、今はかなりの地域が緑化されている。
アスラが砂漠化したのは、王の結晶を元にレーンが呪った所以だ。
レーンはそれを後悔していて、羽間信の体に入ってからはずっと砂漠の呪いを解除していた。
レーンはアスラの遺跡に魔物の国を作っていたが、今はその土地ごと異界に移転しているらしい。
その異界に行きたくとも、場所を知っている二の王からは断られ、アスラの守護竜もその場所を知らないと言った。
なので俺は、レーンのいた場所に手掛かりを探しに赴いた。
俺はアスラの鬱蒼とした密林を歩きながら、幸の痕跡を探していた。
幸が最後に立ったらしい、アスラの寺院跡は、えぐれた箇所に水が溜まったらしく、湖になっていた。
空ゆく鳥は極彩色で美しく、湖には魚が生息していた。
空気は正常で、一辺の呪いもなく、この世界の浮遊霊のような存在、銀の水も正常に運用されているようだ。
……つい最近まで砂漠だったとは思えないほど綺麗になっている。
だが、跡地に足を向けた所で、幸のいる場所は手掛かりさえも無かった。
俺はため息をついて水辺に座る。
湿度の高いサウナのような気候も、飛び交う虫も、竜の体には何の影響も無かった。
「……コウは暑さに弱いからな。レーンの前で薄着でうろついていないだろうか」
周囲に誰もいないので、俺は気兼ね無く呟く。
(もう薄着はしていないよ)
「!」
俺の頭の中に、幸の意識が一瞬横切った。辺りを見回すが、人影はないし、樹木の探知にも周囲には誰もいないと示していた。
「コウ?」
俺はまた何もない空間に向かって呼び掛ける。
(……はい)
頭の中で声が聞こえた。
聖地の自治区で五感を乗っ取られたのとは違って、心の声だけが脳裏に浮かぶ。
幸はしくしくと泣いているようで、鼻をすするような感覚も伝わってきた。
「……泣いている? 異界は暮らしにくい?」
(……生活は楽しい。ご飯を作ってたら一日終わってる)
「今、一人でいるの?」
(アレクがずっとそばにいてくれる。あ、猫ね、黒猫ちゃん。あと、鬼達が仲良くしてくれるの。すごく大きいよ)
「鬼? オーガ?」
(うん。それ。ミクが村ごと焼き払った魔物ね。レアナが作ったみたいなの、皆優しい子よ)
……鬼と共存? 魔物の鬼は肉食で、幸なんていい餌なのに、優しいとは?
「なら何故泣いているの?」
(信とお話しできてうれしいからかな? 泣いてたつもりはなかったんだけど……)
「今どこにいる?」
(レーンはここを異界と言うの。その世界とは隔絶されているみたい。異界の、石のおうちの、樹木の部屋に遠見の球があるの。そこにいる)
「何か俺に出来ることはある?」
そう聞くと、しばらく何も返答は帰って来なかった。
(信は、自分の世界に帰る方法を探して)
「フレイは幸も帰れると言っていたよ、帰るなら二人でだ」
(……わかった。糧を溜める。レーンは魔女の森の結晶があればいいと言うの。だから信はそれを探して。私は私のほうで集めるから)
「幸は幸の結晶を集めるの? どうやって?」
(ほっ、方法は聞かないで……言いたくない)
「幸が無理しないのなら聞かないけれど」
……何となく伝わってくるのは、毎月幸が流す血を集める事だった。
俺は女性の事情を覗き見てしまったことが後ろめたくて苦笑する。
(見てるだけだと余計悲しくなる。ちゃんと会いたいな……)
「本当に、ね……」
俺は何もない空間に手を伸ばす。幸は遠見の球越しにその手をつかもうと手を伸ばす。しかし当たり前だが、その手が触れることはなかった。
◇◇
視界一面の緑がだんだんと遠くなり、かわりに大きな水晶球が視界にうつる。
私はジーンを見るのをやめて、ふうと息を吐いた。
背後で木の葉を踏む音がしたので振り向くと、樹木の部屋の隅にレーンが一人立っていた。
私は立ち上がって、うーんとのびをする。
かなりの間、球に顔をつけてじっとしていたので、こわばっていた箇所がパキパキと鳴った。
レーンは何も言わず、ただ立っていた。その顔が暗いので、私は心配で恐る恐るレーンに近づいた。
「どうしたの? レーン、何かあったの?」
「お前こそ泣いていただろう、目が赤い……」
……うわ、ジーンとお話出来た嬉しさに、感極まって泣いていたみたい、頬が濡れてる。
「寝ぼけていたから、目が赤いだけ、なんともないよ……」
「ふーん」
レーンは私の顔をじろじろと見る。私の足元に猫のアレクがすり寄ったので、私はアレクを抱き上げた。
レーンは私に抱かれている黒猫をじっと見つめた。
「No.6、手伝え。数が多くて白がぼやいている」
『…………』
「何を手伝うの? それは私にも出来る?」
レーンの顔を見ると、レーンは首を横に振った。
「広間で魔物が死んだ。黒にその後片付けを手伝って欲しいが、力仕事と魔法を使う作業だ、コウは役に立たない」
「死んだって……戦地じゃ無いのに、どうして」
私が心配して聞くと、レーンは肩をすくめた。
「いつものことさ。あいつらは暇だと力比べをはじめるからな。それがちょっとばかし規模が大きかっただけのこと」
「何人死んだの?」
「十二ばかりかな? もう少しいたかもしれん。頼むよ、アレクセイ・レーン」
黒猫は目を閉じて、何も反応をしなかったので、私は背中を撫でた。
「アレク、レーンを手伝える?」
アレクは私の顔を見て、ため息をついて地面に下りた。そのまま黒い霧に変わり、人型のアレクに戻る。
「手伝う間、コウは誰が守る? ちなみにレーンが一番の害悪だからな」
それを聞くと、レーンはククッと笑う。
「半日あれば終わるさ。調理場で一から四に守らせろ」
「もう、背番号じゃないのよ? 数字で呼ばないで」
「日本の数字のいち、に、さんじゃないか。何故か最後だけ違うがな」
「ジロさんの相方はタロさんだと決まっているの、ジロさんは上野の博物館にいるのよ」
「わからんわ、そんなん」
私が文句を言うと、レーンはケラケラ笑った。
私を調理場に置いて、二人はエントランスに向かう。
レーンの顔は楽しそうに笑っているのに、後ろ姿は泣いているように思えて、私はレーンが見えなくなるまでその背中を見守った。
◇◇
双竜とレーンと三人で魔物の葬儀を終えて、城に戻るともう深夜を回っていた。コウは自室で寝ているようで、食堂では鬼たちがおのおのくつろいでいた。
レーンは食堂には入らず一人通路を歩く。
昼間は寝ていて、夜に活動することの多い魔物たちの姿はポツポツとしか見られなかった。
「ここも随分寂しくなったな……」
最大時は千匹くらいいた魔物の数もぐっと減り、もう百名も残っていない。コウには死因を力比べと言ったが、本当は寿命を迎えてこの城を去った。前は広間に集まってはじゃれて戦っていた屈強な魔物達も、皆死んでしまった。
レーンは閑散とした広間を一人歩いていく。
「糞尿と血と肉を撒き散らすような奴らだったが、いなくなってみると切ないものだ」
寿命はレーン自身が設定した。
通常この世界に産まれる魔物よりも速く成長し、すぐに去っていくように……。
予想外だったのは、コウの存在だ。
彼女がここに来ただけで、魔物達は教師を得て、清潔と秩序を学び、人のように学習した。
「まさか彼女が魔物さえも心から愛するとは思わなかった……」
レーンはため息をつく。
すると、背後から黒い背の高い男がついてきた。
「何だよ、女神の夜伽をするんじゃないのか?」
レーンは自嘲ぎみにクククと笑う。
「必要がない。コウは寝ている」
「ふーん。お前は何にでもなれていいよな。常時側に侍るとかしてみたい」
「レーンはコウを泣かせるからダメだ」
「……っ」
「何故笑う?」
黒竜が声のトーンを落として言う。
レーンは人型の黒竜を見て言った。
「いいよな、お前は、サー自ら彼女に侍るように命じられたんだから。こっちは泣かせる事しか出来ないっつーのに……」
黒竜は微動だにせずに言う。
「泣かせるようなことをしなければいい。簡単だ。No.7を連れて来い」
「いやだよ、そんなん」
「何故? レーンとNo.7はもう大差ないだろう?」
「だってさ、二人揃っていたらあいつは本体を選ぶだろ? 俺が蔑ろにされるのは実に不愉快だ。お前はキレた俺を制御出来るか?」
「……」
黒竜は何も言わずレーンを見た。
「……ははっ」
レーンは吐き捨てるように笑った。
「俺は、お前と違って汚いからさ。去る前にちゃんと洗っていきたいから、彼女のちょっとの涙くらいは目をつむってくれよ……」
「単位が曖昧、理解不可能」
「お前の毛皮が濡れる程度、だよ」
「数値で」
「容器一杯くらい?」
「許容出来ない」
まばたきさえもせず、淡々と文句を言う黒竜を、レーンは可笑しく思う。
「毎回倒れていた、それは少しではない」
レーンはハハハと大声を出して笑った。
「そんだけ泣かしたら、俺の事忘れないでいてくれるかな」
「一晩寝れば忘れる、保証はできない」
「だよねー」
レーンは肩を震わせて笑う。
入口の方から白竜の声が聞こえた。
「レーン、アホレーン」
「おやうるさいやつが帰ってきたぞ、アイツ異界だと口汚いよな」
「樹木が無い故と推測」
ポツリと呟く背の高い黒い男を横目で見て、レーンは片足で交互に飛びながらエントランスに向かう。
二回の手すりから黒竜が覗くと、仕事帰りの白竜を、レーンが労っていた。白竜は誉められて喜ぶが、黒竜を見つけると、顔をしかめて舌を出した。
◇◇
魔物がいるフロアから、階段を上がり魔物が立ち寄れないフロアに入る。
黒竜はコウの寝ている部屋に移動した。
暗闇の中、コウはスウスウと穏やかな寝息をたてている。アレクはそっとコウの額に触れた。
世界樹の石の効果で、普段はコウの感覚は伝わって来ないが、頭に直接触れるとその効果は打ち消せる。
寝ているコウはたいてい、日本かフレイの夢を見ている。その夢からフレイの意図を探すが、答えは見つからなかった。
レーンとシンは魂が混ざっているのに、フレイとコウはそうではない。フレイから与えられる夢の情報は操作されていて、アレクが知っているフレイの過去をコウが知らないというのはザラにあった。
……フレイの目的は何なのだろう?
世界を上書き再生させるのは容易だ。今の権利者に黄色の魔力を承認すれば済む。サーの持つ赤とコウの緑は混じると黄色になり、今ある世界は消えずに保存できる。
四の王とNo.8の結晶などは必要ない。コウの魔力量はサーを凌駕している。すぐにそれをやらずに、話を引き伸ばす理由がある筈なのだ。
シンとコウがここに来たこと、コウを生かして得るもの。失うもの、そこにサーとフレイの目論見があるはずなのだ。
守護竜がサーを疑う。サーの御心を探る等はあってはならない重罪だ。しかし、サーの監視下に無いここなら罪は問われない。
アレクは、樹木に縛られない自由と、何をしても全て自分が責任を取らないといけないことに揺れた。
このまま、サーから、フレイから解放されるのならば、それが許されるのならば、コウを、シンを、あの世界に戻したい……。
それには、向こうの扉を開けるものが必要だ。サーの命令に背くようなこの願いを、向こうにいるサーが受け入れるだろうか。
『……シン、良かった……』
額に触れていたアレクに気がついたのか、コウが異国の言葉で言った。コウは日本の夢を見ているようだ。夢でコウの隣にいるのはシンだった。
コウはアレクの手に触れて頬笑むが、その頬を涙が伝った。
アレクは、コウの手から自分の手を引き抜いて、頭をそっと撫でた。しばらくそうしているとまたコウは眠りについた。
アレクは猫に変わり、コウの頬をペロリとなめる。そしてコウの枕元に丸くなって目を閉じた。
闇は深く、異界は静けさに包まれていて、端からこの隔絶された世界にヒビが入る気配を感じた。ここも時期に終わる……。
レーンは黒竜をからかったり、ひにくったりするときに名前で呼ぶ
自分と同じレーン(闇)という名前がついてるから、ちょっと気になっている