12-6、秋から冬
月日は矢が飛ぶように速く流れていった。
心配していた銀の盆の詰りも直り、人の命の水は正常に運用されていた。
異界では果樹園の林檎が実ったので、最近はずっと収穫をしている。
林檎の林の間を見え隠れする人影を、私は穏やかな気持ちで見ていた。
そんな私の視線に気がついて、ジロさんははにかむように笑う。私も笑って手を振り返した。
出会った時は私の胸くらいの背丈だった小鬼も、すっかり成体になっていた。
「見上げる程背が高いよ!」
小鬼たちは、アレクより背が高く筋骨隆々で、肩にも角が生えている。皆少しずつ肌の色や、髪色が違い、性格も様々だった。
料理の得意な子、力の強い子、手先の器用な子、あとは恥ずかしがりやで寡黙な子。みんな違ってそこが可愛い。
私は嬉しくなって足元にいる猫を抱き上げた。その黒い毛を撫でながら話す。
「アスラは南国系のイメージだけど、リンゴとかなるのね。どーりでジャムとかあるはずだ」
『ここはアスラとは気候は違う』
「そうだね、ここは気温の差はあまりないけど、アスラは夜は極寒昼は猛暑だもんね」
リンゴの実はたわわに実り、収穫したら木箱四箱分も取れた。収穫した箱を鬼の子達に運んでもらいひと息つく。私は足元の枯葉を踏んで、その音を楽しんだ。
私は落ちてくる葉を一枚つかまえて猫の頭にのせる。アレクは頭を振るって葉を落とした。猫は何をしても可愛いので、姿を見ているだけで頬が緩む。
「ここにも季節はあるのね……」
「基本的にニホンと同じだ。冬は寒いよ」
私がひとりごとを言うと、背後にいたレーンが答えた。
いつの間にここに来たのだろう? 気が付いていなかった。
レーンの声は信と同じ声なのに、聞くと緊張して鼓動が早くなる。
私はドキドキしながら、ゆっくりと振り向いた。そこには青いパーカーを着ているレーンがいた。
「ど、どのくらい寒くなるの? ファリナくらいなら大変なんだけど……」
ファリナは温泉を暖房代わりに使っていたけど、ここにはストーブも暖炉もない。どうやって冬をしのげばいいんだろう?
「魔物は寒さに強い、寒いのはお前だけかもな」
「えっ? レーンだって寒いでしょ?」
「防寒着あるし、魔法使うし」
「あったかそうな服を来て出たら追い剥ぎしてやる……」
私は薄暗い計画を立てたら、レーンが目を細める。
「巻き戻せば服も消えるぞ? ちゃんと言ってくれないと対応出来ない。何がいる?」
……いや、固定したら信のタンスから服が消えてしまう。
「……ひつじ」
「は? 生き物か?」
「羊の毛で作った服や毛布があっちの世界では有用だった。火竜が飼ってる。石油製品は無理なので羊が無難かなー? 編み物は暇潰しに最適なの……」
「火竜ね、了解」
私はじっとレーンの背中を見ていた。レーンの着ている青いパーカーは、お出掛けの時にママが選んだものだ。信は気に入って、袖がほつれるまで繰り返し着ていた。そのパーカーがまだおろしたてのように新しい。
……なら今のレーンの体は、信が中一の頃なのかな。背も低いし、心なしかあごが丸い。かわいい。
信の硬い跳ねた髪を見ていると触れたくなる。私は困って、猫を抱き上げ、猫の背中に顔をつけるようにして、下を向いた。
「いやに俺を見るんだな、俺の背中に葉でもついてるか?」
「ついてない……」
私が顔を上げると、レーンはかなり近くに立っていた。背丈が近いので、目の前にレーンの顔がある。
「俺と本体は、そんなに違うんだろうか……」
「み、見た目はいっしょだよ。今日は少しだけ小さいけど……」
レーンが側にいると緊張して、肩に力が入る。私は一歩後ろに下がった。
「それにしては、この体の持つ記憶のお前とは違い、今目の前にいるお前は別人のように縮こまっているんだな。まるでクラスのヤツラに対している時みたいだ。竜のほうはフツーに接しているのに、何が違うんだろう……」
「クラスメイトって……」
……まるでレーンが学校に行っていたみたい。
私は小六から、クラスでなるべく目立たないように隠れていた。クラスメイトも関わらないように意図的に避けていた。目立つとろくなことがおきないし、苦労するのはいつも信だった。私は中学生の時のようにレーンを避けているんだろうか。
私はレーンをボーッと見ながら、言葉を探した。
「……私、レーンとは仲良く出来ない」
「どうして?」
「だって、レーンは信じゃないでしょ? 私もフレイじゃないし、私は一人のヒトだけを好きでいたいから」
レーンは寂しそうに笑う。
「お前はどうかしらないが、俺は半分は羽間信だよ」
私はレーンから視線を外して、視線を落とした。アレクの黒い毛並みが視界に入る。
「……半分じゃ、ダメだよ」
「記憶は半分だが、体もあわせると七十五パーセントもある、俺は信だよ」
レーンはそう言って少し頬を膨らませる。信の癖だ。そのしぐさはとてもかわいい。
『レーンとシンの違いは、コウを叩くか叩かないかだ。その差は大きい。そして取り返しがつかない』
「……!」
アレクが心話で語る。その内容にレーンは目を真開いて動きを止めた。猫は淡々と話を続ける。
『サーの世界でNo.5はシンとコウの育ての親に致命的な傷を負わせ、命を奪った。レーンもセダンとファリナでの暴力は目に余るもので、到底許されない。コウに近寄るならば、もう二度と傷をつけないとサーに誓え』
レーンは目を開いて黒猫を見ていたが、しばし押し黙り、深いため息をついた。そのままじっと足元を凝視している。
その様子が私の記憶の中の信と重なった。
滅多な事で泣かない信は、涙を自分の中に押し込めるのだ。その姿を見ていると胸が苦しくなる。泣けばいいのに、そうしたら悲しい気持ちを分け合えるのに。と、いつも思っていた。
私は猫を肩に乗せるようにして片手で抱いて、空いた手でレーンの頭を撫でた。自分の頭とは違って、髪の毛が多く、手触りがゴワゴワしている。
「取り返しつかなくないよ。私は元気だよ、それはレーンがここを作ってくれたからなのでしょう? 殴ったら痛いって分かってくれたのならそれでいいよ。傷は治るし腫れもひくわ」
レーンは顔上げてじっと私を見た。
やはりレーンと目が合うと緊張する。怖いという気持ちもあるけど、この人はとても繊細だから、何て言えばいいのか色々考えてしまう。私だって、信もレーンも傷付けたくは無い。
……信とレーンの一番の違いはここだな。信は大雑把な性格で、レーンはとても繊細だ。信に対してはあまり気を遣わないでいいから、対応が楽なのだ。
レーンが何も言わないので、私はレーンの髪に指を通して、櫛をかけるように髪をほぐした。レーンは滅多にお風呂に入らないのに、髪質は硬いがサラサラしている。
「……レーン、私ね、誰かに何かしてあげるの好きなの。それはご飯を食べたり、お掃除したりとか日常的な事になっちゃうけど」
……櫛を入れるのも好き。櫛を持ってきていれは良かった。
「朝でも夜でも、時間があれば厨房に来て。一緒にご飯たべよう、私、君の好きな食べ物を作るよ」
私は目の前のレーンが、小さく頷くのを見た。少しは気持ちが上向いたかな、と、私はレーンの右手を握る。
「レーンとフレイはお友達、私と羽間信もお友達。でもレーンと篠崎幸はこれからだよ。少しずつ仲良しになっていけばいいよ、ね?」
これで話はおしまい! と、私は握手していた手を離した。しかし、レーンは納得していなかった。
「……コウは、シンの友達なのか?」
「えっ?」
フレイとは違って、私はレーンの事をあまり知らないから、まだレーンとは友達では無い、という意味だったが、レーンは「友達」と言ったのが気にかかったようだ。
「信は小さい頃から一緒に育ったお隣の子どもで、中二のときはクラスメイトでした。その点ではお友達でしょう?」
「他の点では?」
「うっ……」
私は赤面して、レーンから顔を背けた。
「……弟」
「信はお前よりも二ヶ月程後に生まれてはいるが、背丈も精神年齢もお前よりも大人なのに、年下扱いなのか?」
「うわぁ……そうくるかー」
レーンの率直すぎる疑問に私はたじたじになる。
「じゃあ、弟は撤回! 家族、家族ね!」
レーンは腕を組んで顔を少し傾け、冷ややかな目で私を見た。
「……家族の定義は、血縁関係か、婚姻等だが、そのどちらにも当てはまらないだろう、シンとお前は」
「うぐぐ」
……信本体には、ファリナの塔で結婚を迫ったけど、かわされて鼻で笑われたし、もう信の体は向こうに帰さないといけないから、恋人とは言えないのだ。今の私と信の関係は何になるんだろう?
「黙って無いで何か言え」
『レーン、コウは』
「ダメ」
黙っていたら、アレクが告げ口をしそうだったので、アレクを思い切り胸に抱きしめて、口を押さえた。しかし猫の姿の時のアレクは直接心に話し掛けるので、口を封じるのは何の意味も無かった。
『コウは、シンの事を大切に思っている。だが、シンがあちらの世界に帰れるのならば、つがいにはならない方がよしと身を引いている』
私の頭に、病院で寝ている菊子さんの白い顔が浮かんだ。
ファリナで信は「もう帰らない」と宣言していたので、菊子さんの事を考えずに信にくっついていた。でも、やはり信は菊子さんを起こさないといけない。だから……。
「……うん、信とは、お別れをしないといけない」
それは、ずっと考えないように避けていた言葉だ。近い未来に起こるべくして起こる真実。そう、信はあちらに帰れるのだ。そして私は分からない。それが書庫にいる信が見てきた確定事項だ。だから二十才の信は一人で書庫に籠っていた。
私はアレクの背中が、自分の涙で濡れているのを感じて、慌てて手でアレクの背中の涙を拭った。すると肩を引き寄せられて、レーンに背中から抱きしめられた。
「……泣くな、コウ」
「大丈夫、私よく泣くけどすぐに忘れるから」
「シンとお前が別れないでいい方法を探すから、この事はもう気にやむな」
信の体でレーンが頭を撫でてくれるので、昔に戻ったように、私はレーンに寄りかかって泣いていた。
「……あれ?」
私はレーンの言葉を頭の中で反芻して、はてと? 思う。
私は方向転換して、レーンの肩をがしっとつかんだ。
「なら、どうしてここに信がいないの?」
「……うっ」
「四の王が生まれたらお別れしなくちゃいけないのよ? どうして引き離すの?」
私が詰め寄ると、レーンはたじろいで一歩後ろに下がった。
「信を連れてきて」
「無理だ」
レーンが逃げようとするので、私はレーンの着ているパーカーのフードをガシッとつかむ。手からこぼれ落ちた猫が、回転して床に着地した。
『……連れては来られるが、レーンの許可がいる』
私はレーンの首に腕を回して逃げないように捕まえた。そして、なるべく低い声で脅すように言う。
「許可、してー……」
「俺と俺の事情だ、お前には関係ない」
「ゼンゼン意味がわからない!」
見かけは中一の信だけど、私は小さいので背負われたままズルズルと引きずられる。私はまけじと、レーンの足に自分の足を引っかけて、動きを阻止しようとした。
「コウ、重い、降参、降参」
「あっ、ゴメン……」
私はレーンに絡めていた足をどかして、手を離す。振り向いたレーンは、立ち止まってクスクス笑っていた。
「すぐに騙されるなぁ」
……嘘つかれた。信みたいに言うから、つい従ってしまった
私が口をパクパクさせてレーンを見ていると、レーンの顔が近付いた。そのまま軽くキスされる。口に……。
「……ひえっ!」
私は驚いて、口を隠して一歩後ろに引いた。
「好きだよ、コウ」
「わああ!」
おののき慌てる私を見て、レーンはクスクス笑う。
「コウはキスが挨拶の国で生まれたのに、なんでこんな些細な事で慌てるのかなー?」
「あ、挨拶は頬とかです! 口にはあんましない!」
「あまり?」
……全否定したいけど、マウストゥマウスで挨拶する父親がいる事を否定出来ない。嘘はすぐに顔に出るし。ここ最近、隼人の存在が頭から抜け落ちていたのは否めないけど。向こうも何も思って無いからいいだろう。
『少数に含まれるのは父親』
「アレク!」
私は悲鳴をあげて、猫を隠すように抱きしめた。レーンに心の中を暴露されるのはとても困る。
「もうっ! そんなことはどうでもいいです。聖地を徘徊しているジーンゲイルをここに連れてきてください!」
「二倍になるぞ」
「へっ?」
「体は二つあるのに、中身が同じものが二つになる。今お前が何を基準に見分けてるのかはわからんが、それも完全に同じになるだろう」
「……あっ」
……そうだ。それでジーンゲイルをファリナに置いてきたんだった。
もう話は終了と、立ち去るレーンを私は追いかけて、私はレーンの手にしがみついた。
「レーンがNo.7の体を使えばいいのよ。裁定者ってレーンのことでしょう? そんな大層な決断を信にさせていいの?」
「もう殆んど大差無いから、どっちがやろうと同じだ」
「信はそんな風に笑わないもの、レーンと信は違うわ、別人よ」
腕に巻き付いて、頬を膨らませる私を見て、レーンの頬が弛む。
「そうして明確に区別するから連れて来ないんだよ。俺でさえどっちか分からなくなるというのに……」
「レーンと信を区別されると、レーンは嫌なの? 信って呼んだ方がいいの?」
不安げにレーンの顔を見る私の額に、レーンは軽く指ではじく。
「羽間信はお前の知り合いだが、サーラレーンはフレイの知り合いなんだろう? それはもう知らない人同然だからな」
「ん? どーゆー意味?」
「……ん」
私のふくらはぎに猫が背中を擦り付ける。そして可愛らしくニャンと鳴くので、私はアレクを抱き上げた。
『レーンとしては、中身が同じだと認識しているのに、コウがNo.7だけをシンと認定するのを恐れている』
……えーっと、No.7の信と、中学生の信がここに並んでいたら、私はNo.7のほうとだけ仲良くするからダメってこと?
それって。
「焼きもち? そんな理由!?」
足元の猫に気を取られている間に、レーンはもう逃げてしまっていた。
「逃げた……」
私はため息をついて途方にくれた。足元にいる黒猫を抱き上げて、そっと背中を撫でる。
「アレクは、ここにいる信はレーンだと思う? それとも信だと思う?」
『レーンだろう。見張ってないと害があるほうがレーンだ』
……アレクの判断基準はそこか。そういえば、No.7の体でキスしてくるときは、レーンの影響って言ってたもんね。キスしてくるのがレーンで、待ってるほうが信だ。
「ありがとう、アレク。私だけだったらレーンの事ぜんぜん分からなかった。アレクのおかげで少し分かった」
猫を胸に抱いて、果樹園の間を歩くと、猫がボソッと言う。
『ほぼ理解していない。レーンには近付くな』
「理解出来てなかった? 不正解?」
アレクはレーンの事をよく知っていて、そして私の心を読める。そのアレクに指摘されたのだからそうなのだろう。
「……難しい。男の子ってぜんぜんわからない」
うなだれる私の頬に、アレクが柔らかい肉球をあてる。
「ニャーン」
「うーっ、可愛く答えてもダメだからね、アレクも分かんないし!」
……可愛いけど!
黒猫は私の腕の中でゴロゴロと喉を鳴らした。アレクだと分かっていても猫は可愛い。
「……ずるいなー、君は、ほんとーにずるい」
「んなぁ?」
何処で情報を仕入れているのか、猫のフリが上達している。私はにやつく頬を手で押さえて、住み処である遺跡に帰った。