12-3、異界
レーンとカウズが構築した巨大な魔方陣は、アスラ北部にレーンが作った城とその周辺の大地そのものを異世界に隔離した。
私はアレクに抱き上げられ、城の窓から外を見る。
城や周辺の草木は来たときと同じだが、浮き島の外や空は、黒と紫をまだらに混ぜたような色をしていた。
私はアレクの腕から飛び下りテラスに出る。城の玄関である巨大な階段の先には少しの地面が残り、その先には宇宙のような何もない空間が広がっている。アスラに戻ろうにも、出口は何処にも見当たらなかった。
「……どーゆーこと? アスラは何処に行ったの?」
レーンは階段を上がり私の前に立った。アレクが警戒してレーンと私の間に立ちふさがる。
「アスラから分離させた肥沃な大地を浮かせて、さらに異空間に配置した。もう、戻れないよ」
「……戻れない?」
私は頭から血の気がが引いて、膝を崩す。小鬼たちがワラワラと私に近寄って、私の顔を覗くが、アレクが私を引き抜いて抱き上げた。
抱き上げられた私はアレクにしがみついて、耳を手で塞ぐ。
「俺はずっと気になっていた。どうしてコウは日に日に弱っていくのか。まあそうだ。世界のしくみそのものが違うのだ。それをどうしたらいいのかずっと考えていた……」
移動魔法の余波だろうか、耳鳴りがして、レーンの声がよく聞き取れない。
私が困っていると、アレクがそっと私の耳に手を当てる。くもって聞こえにくかった音が次第に戻ってきた。
「……この件には、二の王も協力してくれた。彼は君が落とす結晶をよしとしていなかったんだ。君は、サーの世界のまやかしのエネルギーのようなものだ。一時的に肥えるが、すぐに使えなくなるものに未来も希望もない。彼等は自分達で生きる術を模索すべきなんだ」
……まやかし? エネルギー? なんの話?
私は何の反応もしなかったが、レーンは続けた。
「俺は奴等に機会を与えた。二の王はメグミクの再生を約束してくれた。それまでの間、高みの見物をしようじゃないか。聖地から、君の好きな遠見の玉も貰ってきたよ」
私はアレクにしがみついて首を振り続けた。
「……やだ、ここはいや」
……だって、ここには信がいない。
レーンはため息をついて言う。
「好きな場所に好きな棲みかを作れ。お前にはここを統べる権限をやろう。魔物はお前に従う。好きに使え。食ってもいいぞ」
「やだ!」
私はアレクの腕から飛び下り、あてもなく走った。小鬼達が遊んでいると思ったのか、笑いながら私を追いかけた。
私は息が切れるまで走り続け、神殿のような木々が生い茂るフロアに転がり、いつまでも泣き続けた。
◇◇
真夏のようだったアスラ北部から、二の王は転移魔方陣を設置してある風竜の巣に転移した。
転移酔いを魔法で治し、カウズは相方である蒼い竜を見た。
太古からずっと共にいた風竜は、心配そうに自分を見ていた。
「帰宅早々にすみません、もう一度ファリナに参ります。門を開けてください」
『手早く、戻って来たら休息と説明を』
「ご心配をおかけしてすみません。頼りにしていますよ」
風竜は頷いて、水竜に思念を飛ばす。水竜はすぐに扉を開けてくれた。水竜も私の事を心配しているようだ。
二の王はファリナに入ると、水竜に告げる。
「女神と邪神は異空間にいます。この世界に彼らがいることが、この世界に害を及ぼすと判断したので、サーラレーンに協力して隔離空間を構築してきました。これで、この世界には元通り、私達とサーラジーンだけが残りました。残されたもので話し合いましょう。この世界の、在り方を――」
水竜はファリナ城に繋がる重い扉を閉めた。
◇◇
どこか遠くからざわめき声が聞こえてくる。
言葉の意味は分からないが、声は楽しげなので、恐らくここに住む魔物が遊んでいるのだろう。
レーンの転移魔法から数日、私は聖地のドームを小さくしたような、木々の生えた部屋に篭り、暫く泣き暮らしていた。
しかし、三日目には手持ちの水も食料も尽きて外に出ざるを得なかった。
黒猫と歩く私の姿を見て、小鬼達が寄ってくる。空腹でお腹が鳴るが、何よりも三日間風呂に入っていないことが辛い。なんか自分絶対臭い。
私は小鬼の手を引いて、体を洗える場所を探して歩いた。
水は豊富な様で、飲める水が湧く泉などもあるけど、水場にはどこも魔物がいる。
魔物は私には攻撃をしてこないとレーンが言っていたが、さすがに目の前で服を脱いで体を拭くのはイヤだ。
「……アレク、人気のない水場は無いかな?」
『ニャ』
「無いのね」
さてどーしたものかと困って、私は建物の中を練り歩いた。
歩いていて気になるのが糞尿で、通路のそこかしこに糞が落ちている。ここを利用する子たちには、まずトイレの指導が必要だ。
私はふと立ち止まる。
……体が汚いうちに掃除すべき?
そう思うが吉日。私はタオルを顔に巻いて顔を上げた。
木のバケツと塵取りのような形の板を手に、汚物を集めて外に持っていくを繰り返した。
「アレク、私ここに穴を掘りたい」
私の後ろにいたアレクにそう言うと、猫は近くにいた牛の魔物に話しかけた。魔物はスコップを持ってきて、黙々と穴を掘る。私は穴に汚物を捨てて、ふと思った。
「アレク、汚物を回収するのも手伝って」
今度はアレクは子どもたちに言った。子どもらはキャッキャとはしゃぎながら私を手伝った。猫も人の姿になってもらって、アレクにも作業を手伝わせた。
広い城内の汚物をあらかた回収して一息。
「終わったー。あとは汚物の処理と場所をみんなに守ってもらわないと」
「……これは消去しないでいいのか?」
アレクは埋められた土の山を差す。
「なんか、有用な手がありそうだからそのまま置いておいて、あと、私からちょっと離れていてね」
掃除したものがアレすぎて、流石に自分が臭う気がする。お風呂はいりたーい。と思って空を見上げたら、二階のテラスにレーンの姿が見えた。レーンは肩を震わせて笑っている。
「やっと岩戸から出てきたと思ったらそんなことするのか、お前は本当に予測つかんな」
「生き物の大事な事よ、不衛生だと病気にもなるの。どうして気を付けなかったの?」
私は怒るがレーンはまだ笑っている。
「すまん、生き物の事をなんも知らんかった。風呂を作ってやるから地下に来い」
「地下ってどこ?」
私はアレクの誘導で地下に行くが、ふと気が付いて青くなる。
「着替えないや……」
着替えないと体を洗う意味がない。マントがあるから、服が乾くまで中は下着で……いやそれ露出狂だし嫌だな。
私が悩んでいると、白竜が衣類を持ってきた。
「アンタ汚いから、風呂場に投げといてあげる」
……白竜が、優しい?
あまりの私の汚さに白竜にまで情けをかけられた。
ママを殺したレアナに情けを掛けられるのは複雑な気分だ。しかし服は必要だから、ありがたく使わせて貰おう。
私は機嫌を取り直して双竜についていく。足の早い白い影を追いかけて行くと、指定された地下室に出た。
部屋に入るとレーンが奥にいて、盥や石鹸を持っていた。石鹸は恐らく信のお家のものを拝借したのだろう。ありがたいことにリンスが入ったシャンプーもある。
地下室は石畳で、中央に広い浴槽が置いてある。石畳は少し傾斜していて、排水可能になっていた。
……もしかして、神殿のお風呂を覚えてたのかな?
白竜は端の棚に衣服を置いた。タオル類もそこにあった。こっちの布っぽいタオルではなく、糸がくるくるとループ状に巻いてある吸水性の高いやつだ。
私は久々のタオルの手触りに感動して、パフンと顔をタオルに埋めた。
「水はこのパイプから引ける。温水にするには、炎のスクロールを使うといいが、今日は俺が作る」
レーンは、私が一人で入りたくなったときを配慮してくれていた。ありがたいと思うが、今回とファリナの湖での事を思うと、礼を言うのもしゃくだと思う。
私がタオルで顔を隠している間に、レーンは湯を沸かし、さっと部屋を出て行った。白竜もレーンについて行く。レーンは出口で振り返り、私を見た。
「どうせ俺はダメだが、黒竜はいてもいいのだろ? 再加熱は黒竜にやってもらえ」
「……あ」
ありがとうのあも言わぬうちに、レーンは扉を閉めた。
レーンの足音が遠ざかるのを聞いて、私は、はーっと大きく息を吐いた。
本当にレーンが去ったのかを確認するために扉を開けると、小鬼が四匹扉の前に立っていた。
小鬼は私を見て嬉しそうに笑う。
私は屈んで小鬼に笑いかけた。
「さっきは手伝ってくれてありがとう、君たちもお風呂にはいろうか」
言葉は通じてないと思うが、私が声をかけると小鬼達ははしゃいだ。
私が服を脱ぐと、小鬼たちも真似をして腰巻のようなものを互いに脱がせあっている。
久々の日本の石鹸を布に擦り付けて泡を立て、小鬼に並んで貰って、最初は隅の子を洗う。すると、その子は同じように隣の子を洗った。そして四人で泡でモコモコになりつつ洗いっこする。
私はその姿が可愛くて微笑んだ。
「アレクも洗う?」
泡立てた布を持って黒い人影を探すと、アレクは猫の姿になっていた。その気遣いはとてもありがたい。
猫は石鹸に見向きもせず、背中を向けて入り口の前に座った。
私は最後に自分を洗って、頭に布を巻いた。小鬼達も真似して頭に布を乗せる。親の真似をするヒヨコのようなその姿がとてもかわいい。
私は小鬼が溺れないよう注意しながら、ゆっくりと湯船につかる。はじめはお湯を怖がっていた子も、最後はお風呂が好きになり、もっと入っていたいと駄々をこねた。
「のぼせちゃうからね、また今度入ろうね」
私は小鬼を拭きながら約束する。言葉は通じてないようだけど、子どもたちはおとなしく従ってくれた。
小鬼達は水気を拭いて貰うと、裸のままキャッキャと笑いながら風呂場を出ていった。
風呂の始末と衣服の洗濯をしながら、私は昨日まで泣いていた自分を恥ずかしく思った。
……自分で勝手に入ってきて、帰れないと泣くなんて子どもみたいだ。
レーンは今のところ、世界を消滅させられないようだし、私にちょっかいを出す気もなさそうだ。なら、今すべきなのは、元気になって血を増やし、信が帰る為の魔力を貯める事だ。
私は顔を両手でぺちんと叩いて、気合いを入れた。
白竜が持ってきた服は、緑のワンピースと白いエプロンだった。白い靴下と革の靴もある。
……絵本に出てきそうな服だ。エレンママがこーゆーかわいい服が好きだったな。
ママの事を思い出すと涙が出る。私は服を抱きしめて、すんと鼻をすすった。
掃除を終えて風呂場を出ると、少し離れた角にレーンが立っていた。黒猫が私の腕に飛び乗って来る。
「長かったな」
「……皆も洗ったから」
気まずさを感じて、私はレーンを見ないように足早に通り過ぎる。すれ違いざまにレーンの手が伸びて、私の頭に触れた。
「……ひぇっ」
私が驚いて身をかわすと、一瞬レーンが傷ついたような表情を見せた。信のそんな顔は見たくない。
私はどうしていいか分からずに、猫を抱えてその場に立ちすくんだ。
「あの……何?」
私は警戒しつつ、レーンの顔と、差し出された手を交互に見ていた。レーンはフゥと息を吐いて、寂しそうに笑った。
「髪が濡れていると思ってな」
……乾かそうとしてくれたのか、神殿でお風呂に入った時みたいに。
セダンで殴られたり、ファリナ城での残虐な姿から、また恐ろしい事をするのかと思ってしまった。
「ま、まだ櫛を通してないから、今乾くとグチャグチャになっちゃうから、大丈夫……」
……気をつかってくれて、ありがとう。
とは言えなかった。私はレーンが怖い。
「櫛はフレイは持って無いぞ、必要ないし」
「私の手持ちのがある。バックに入ってる」
「そのバックは何処に?」
「……樹のへや、です」
レーンはしばらく考えていた。
「俺の部屋を片付けたのはお前か?」
「………」
「ではあの部屋をお前にやる」
「……えっ?」
「他の部屋は掃除しないと使えんからな。俺は他に移動する」
スッと、レーンが先導するように歩き出す。
アレクが猫の手で指し示すので、私はレーンの後について行った。
「昔、神殿でフレイが使っていたものを俺の部屋に適当に再現したから好きに使え。他にも必要なものがあったら言ってくれ」
「……あ」
ありがとうを言う間も無くレーンは走り去った。私はため息をついて、そっと猫の背中を撫でる。猫はじっと私の顔を見ていた。
風呂上がりにレーンの部屋だった所に行くと、レーンが言った通り、神殿のフレイの部屋のようになっていた。
小さな鏡台、洋服箪笥、手を洗う水桶と水瓶。裁縫道具や羽ペン、装飾品やリボンまであった。
小さなベットにはフレイの使っていた寝具がかけられ、カラフルなキルトの布団カバーがかけられていた。
このカバーはフレイが自分で縫っていた記憶がある。ここにいると、フレイの夢のなかにそのまま入ったような錯覚を覚える。
私は懐かしいような気持ちで、その部屋を見てまわった。しかし、その夢はお腹の鳴る音で現実に引き戻された。