12-2、大規模魔方陣
「これはゴミ、これはこっち……」
八畳くらいの部屋に、ブツブツと独り言を言う私の声が響く。
私は一心不乱にレーンの部屋の書類の整理をしていた。
床を埋め尽くす量の書類を前にして、私は無心で手を動かす。
みっしりと文字がかいてあるものと、大きくバツやグシャグシャと丸められた失敗っぽいのをとにかく分けた。
失敗っぽいのはヒモで縛って部屋のすみにおいて、そうでないものは表題を頼りに分別して交互に重ねて積んだ。
ある程度の書類の束が積み重なると、床とベットが出てきたので、アレクに頼んで箒を持ってきてもらう。私は床に箒をかけて、廊下で布団を叩いた。
「人の住みかになったー」
達成感に満足し、水筒から残りわずかな水を出して一休み。
出掛けるときにバッグにいれた焼き菓子をかじると、さっき食べた保存食よりもずっと美味しかった。でもこれじゃあ私には栄養が足りないらしい?
「……へんなの」
魔力量とか計りようも無いものが足りないと言われてもピンとこない。そんなに体調も悪くないのになー。
叩いてふかふかになった布団に転がっていたら、緊張が緩んで眠くなった。
「信のにおいがする」
よくみると、敷いてある寝具には見覚えがあった。これは信の家の押し入れにある客用羽毛布団だ。文具といい、紙といい、レーンは信が触った事のあるものをここに取り出せるのだろう。
「……レーンがここで使ったもの、たとえば、食べて消化されたものは、日本でどうなるんだろう?」
思えば中学生の信はよくモノを無くしていた。文具や生活雑貨をはじめ、飲んでいた牛乳がパックごと消えた事もある。今思うと、無くなったものはレーンが使っていたのかもしれない?
信の布団はあたりまえのように信の匂いがする。私はなんだか懐かしい気持ちになって、自然と目を閉じていた。
◇◇
魔物は夜も活動をするヤツが多い。
この城に棲むヤツラの騒ぎ声を後に、レーンは階段を上る。
魔物たちは上の階に足を踏み入れる事は許していなかったので、上に行けば行くほどあたりは静かになった。
つい先程までは二の王の魔方陣作成作業を手伝っていたが、体力の限界を感じて仮眠を取ることにした。
いつもならば巻き戻す所だが、今は魔力消費を控えたい。
「……ん?」
自室の扉が開いていた。白竜はまだ二の王の所にいるので、ここにいるのはコウだろう。
さっきは近寄ろうとすると逃げられたので、自室にいる事は想定してはいなかった。何か俺に用があるのだろうか?
少し緊張しながら自室の扉を開く。
驚く事に部屋は片付けられていた。
普段思い付いた事をコピー用紙に書き連ね、片付ける時間も惜しいので散らかしていた書類が、整頓されて部屋の脇に積まれている。
それだけではない、書類の山から顔を出したベッドに、コウが伏せて寝ているのだ。
……何故コウがここにいる? 俺から距離を取ろうとしていたのではないのか?
幻なのでは無いかと我が目を疑い、ベットに近付く。すると、脇で闇が口を開いた。
「……触ったら、殺す」
「……!」
殺気を感じて身構えると、闇の中に白い顔が浮かんだ。
薄暗い部屋の片隅には、長身の男に見える竜が立っていた。
上の階には誰もいないと思っていたので、跳ね上がった自分の鼓動がうるさい。
黒竜はコウの主人になったのだから、側にいて当然だということを失念していた。
完全に油断をしていた自分に失笑し、レーンは口を歪めた。
「自室のベットで寝かせても貰えんのか?」
「コウはここで寝ている。今起こすのは体調に悪影響が出る。お前はここでは寝ないだろう、出て行け」
「主従関係が破棄されるだけでここまでコケにされるのか、偉そうだな、アレクセイ・レーン」
「そんな体、容易に消失できる。造作もない」
頑なに臨戦態勢を崩さない黒竜は、なんだか主人を守る忠犬のようで微笑ましい。
……竜は嘘を言えないので、消せると言うのは真実だ。しかし、それは可能性の話で、実際にやるとは言えない筈。
コウにも、竜共にも、この羽間信の体は大切なのだ。よって、No.6は俺を傷付ける事は出来ない。守護竜は俺の敵ではない。
「やっかいな力だよ。お前と一の王がいれば、四の王無しで世界を消失出来るんだが」
「サーが望むならやろう。しかしお前は違う」
機嫌が悪そうな顔をしているが、No.6はこれがデフォルトだ。俺がコウに危害を加えない限りは何もしてこない。竜は自らの意思では行動をしない。白竜は例外。
レーンは、黒竜の様子を伺いつつ、コウが寝ているベットに腰かけた。
「なあ、No.6。俺とお前の目的は一致している」
「…………」
「俺はこの世界からフレイを守るよ、お前の目的もそうだろう。だから、手を組まないか?」
「私はサーとフレイにしか従わない」
交渉しながら、寝ているコウを見る。
コウは疲れていたのか、話をしていても起きる様子はない。
「じゃあ、この女が私を殺せと命じたらお前は従うのか?」
「…………」
「近い将来そんな日が来るだろう。お前はフレイを殺すのか?」
かなり確信に触れた質問をぶつけたつもりだったが、黒竜はなんの反応もしなかった。
やはりこいつらは自分の意思では行動をしない。操作しないと動かないパソコンのような存在だ。
「女神を下界に置いておけば、あいつらは餌が飛び込んできたと喜んで女神を貪るだろう。ファリナを見たか? 襲撃からたった一季であれだ」
レーンは眠っているコウを指す。
「こいつはこいつで、自ら肉を切って血を差し出すよ? いつだってそうだ。何度も同じことを繰り返す。食いつくした後でやつらは嘆くんだ。こんなつもりではなかったとな。おめでたい奴等だ。度しがたいよ。赦せる筈もない」
そこまで言うと、レーンはふぅ。と息を吐いた。
「……お前はそれをただ見ているのか?」
闇は何も答えなかった。
「契約はそのままでいいよ。しかし、無知で考えなしな女よりも、俺の言うことを優先しろ。コウはどうとでも騙せるから大丈夫」
そこまで言って、レーンは立ち上がった。扉の方に向かい、振り向いて薄く笑う。
「昼までこいつを引き留めろ、アレクセイ・レーン」
そう言って、レーンはまた研究室に戻って行く。黒竜は黙って寝ている主人の顔を見ていた。
◇◇
翌朝目が覚めた私は、カウズ達が寝ないで作業していることを聞いた。
ここで去るのは気が引けるし、お腹がすいたしと、アレクを連れて厨房に行く。
口にはタオルを巻いて、腕を捲って言った。
「アレク、あれ消して」
部屋の片隅に積んであるおぞましい生ゴミを消失してもらう。あと流しの上の何かも。山積みになっているものはとにかく消す。
生ゴミどころかなべや道具も消失したが気にしない事にした。
「アレクとアマツチの力は、銀の光が出ないところが問題ね。再生できなくしちゃうのね」
腐ったモノをあらかた消してもらい、あとは、束ねた枯れ草で出来たタワシのようなもので擦った。
とりあえず、水場と竈を重点的に。
竈が甦ったので、携帯燃料とライターで、薪を燃やしお湯を沸かした。私はそのお湯を使って食器や鍋を洗ったり、布を煮沸したりして、とにかく清潔第一を目指す。
次の鍋でまた湯を沸かした。
湯が沸くのを待っているとお腹が鳴る。携帯食料はまだあるけど、出来れば温存したい。
「なんか食べ物ないかなー?」
棚を漁っていると、背後で小さな生き物が私を見ていた
「えっ?」
身の丈八十センチくらいの、牙と角の生えた子どもだ。耳の位置が高いところにあり、鼻も動物っぽい。
「小さな……鬼?」
アレクが警戒して私の隣に来る。
その子は持っていた小枝で私をつついた。痛みはなくくすぐったい。私が我慢して様子を見ていると、アレクが私の隣に立つ。
「……待って、様子を見よう」
私は手をそっと出して、アレクの動きを止める。
小鬼はたいした力ではないので、私は黙ってつつかれていたら、一旦部屋を出ていって、他の子どももつれてきた。
四人の小鬼の子どもたちは、手に芋や玉ねぎのようなものを持っていた。
「それ、くれるの?」
子どもたちが差し出す野菜を貰う。
言語が違うようで、身ぶり手振りで話す。
私はバッグから塩と胡椒、コンソメを出して、貰った野菜を煮た。お椀に入れて子どもたちにあげると喜んで食べていた。
「よくあの腐った厨房を綺麗にしたなぁ」
声がしたので振り返ると、入口からレーンが厨房に入って来ていた。子どもらはわっと喜んでレーンに群がり、一人一人頭を撫でて貰っていた。
レーンは私を見て自慢げに笑う。
「かわいいだろ?」
私は素直に頷いた。子どもたちはかわいい。
「もしかして、食べ物つくった?」
レーンは私に近寄ってくる。
私はお玉のような匙をもったまま、レーンを避けるようにテーブルを回り込んだ。
「それかして」
レーンが私に手を伸ばすので、私はお玉を渡す。レーンはスープをお椀に注いで一口食べた。
「うまい」
「それね、簡易調味料の味」
「ふーん」
と言って、レーンはもう一杯飲む。
私は警戒しながらもじっとレーンを見ていた。相手がレーンでも、美味しいと言われると嬉しい。私は緩みそうな頬を手で押さえて、レーンを見るのをやめた。
「お前は食べないのか?」
「後ででいい」
私は部屋の隅でレーンが出ていくのを待つことにした。
座っている私のまわりに小鬼たちが集まる。
私は角のついたその頭を撫でると、子どもらはキャッキャとはしゃいで喜んだ。
「この調味料、余っていたらくれ」
私はキューブ型のコンソメをレーンに投げて渡した。レーンは、それとスープをコップに一杯注いで持っていった。
レーンがどこにいったのかは少し気になるが、お腹がすいていたので後回しにしてご飯にする。
集まった小鬼たちと残りを皆で分けあった。
食事前に小鬼らが祈ったので私は驚く。人の村では忘れられた儀式を、魔物がやっているのだ。
私は目を潤ませて小鬼たちを見ていたが、小鬼が目を開けて不思議そうに私を見たので、私も慌ててサーに祈った。
◇◇
食事と帰る支度を終えた私は、マントが入ったバッグを持ったまま研究室に行く。カウズはまだ床に這いつくばっていて、何かを必死に書いていた。レーンがその書いたものを纏めて繋げて、大きな一枚の紙にしている。
「何してるんだろう?」
アレクに聞くと、アレクは知らないと首をかすかに振った。
「コウ、おいで」
レーンが手招くので、私は状況が覗けて、なおかつレーンと離れた場所に行く。一枚一枚では分からなかったが、紙を繋げると紙片は大きな魔方陣になった。
「大丈夫? ミスはないか?」
レーンとカウズは必死で紙とにらみ合いをしている。
カウズは立ち上がり、大きく伸びをして体を伸ばした。
「完成ですね、こんな大きな術式を作成したのは塔を構築して以来です。さすがにくたびれました」
「さすが大賢者様だ。感心した。突然連れてきて悪かった、申し訳ない」
「いえ、拉致されでもしないと外に出る機会は無いので、これは運命だったと思います。この魔方陣、塔の書物に記載してもいいですかね?」
「いいけど、使い道ないんじゃない?」
「魔法は人の理念の形ですからね。保存、収集するのが楽しいのです」
男子たちが楽しそうに魔法談義をしてるのを、私は苦笑して見ていた。多分ものすごいものをつくったんだろうけど、見かけが中学生です。かわいいです……。
……二人とも、かわいいといったら怒るだろうな。
「ではこれで撤収しますね、また何かあれば塔にいらしてください。まあ次からは有料ですが」
「いや、本当に世話になった、ありがとう」
二人はなごやかに握手をしていた。
床に転移魔法が敷かれ、カウズが消えた。
「……あっ」
……転移できないんじゃなかったっけ? それともカウズは特別?
私はとっさにアレクを見た。アレクは何も言わなかった。
「今からこれを広間に設置するけど、お前ら見ていく? 凄いよ」
私はうーんと考える。
二の王さえも唸らせる魔法というのは何なのだろう……。魔方陣なのだから、魔法が発動するんだろうなぁ。叡智の塔に匹敵する大魔法とは?
うーんと、考える私を放置して、レーンは外に向かった。
広間に行くと、小鬼だけではなく、大人の魔物もいた。皆でレーンのすることを遠巻きに見ている。
私も小鬼達に混じって、広間が見える二階のテラスに腰を掛けた。小鬼達は喜んで私の隣に座り、手を触ったり、匂いをかいだりしていた。
小鬼は慣れたのか撫でろと顔を押し付けてくる。小さな角の生えた頭には柔らかい髪の毛が生えていて、フワフワでかわいらしかった。
私が小鬼を撫でている間に、レーンと白竜がさっき出来た魔方陣を広間に転写していった。
一刻ほどかかり、やっと全てを転写し終える。レーンはふぅ、と一息ついて私を見た。
「……?」
レーンはすぐに視界を床に戻し、詠唱を始める。バッグから血が入った袋のようなものを取り出し、赤い液体を魔方陣に注ぎ込んだ。
魔方陣は糧を得て、青く光りだし、低い起動音が床から響いた。それは広間よりずっと下の浮き島のほうから聞こえた。
しばらくすると、地面がぐらりと揺れ、転移魔法のような目眩が広間にいた全員を襲う。
「・#@#=」
大人たちはざわめき慌てる。
子どもたちも怖がって、私にしがみついた。
私は子どもたちを守るように抱きしめて、揺れが収まるのを待った。
「……成功した」
レーンが言う。
「サー、おめでとうございまーす」
白竜がおざなりに手を叩く。すると、魔物達も喜んで手を上げたり吠えたりして、広間は喧騒に包まれた。
「何が成功したの?」
私はアレクに聞く。アレクはなにもいわず、私を抱き上げ、外の見える窓辺に移動した。
私は窓の外を見る。
昨日は見えていたアスラのジャングルが消え、外には夜空とは違う、禍禍しい闇が広がっていた。