12、展開
英語の授業中悲鳴をあげたあの日から、篠崎幸は学校で突然寝るなど、奇怪な行動をしなくなった。
しかも委員長の働きかけが成功したようで、幸は委員長のいる女子グループの一人として、クラスから認識された。幸はもうクラスで浮いた存在では無くなった。
……少なくとも小学五年の時まで幸は女子と普通に話していたよな、女子との関係が悪化した時はなんかあったのかな。
元から幸はぼーっとしていて従順なので、敵を作るタイプではない。六年の時の村八分は恋愛沙汰だったと風の噂で聞いたが、誰が誰を好きだったのかなどは、誰も俺に教えてくれなかった。
俺は吉田とふたり、教室のすみっこでモソモソと昼飯を食べていた。少し離れた島では菊子と幸が集団女子と卓を並べている。
……最初は班の四人だったのに、いつの間にか男女別になって、気が付いたら幸は女子グループに取られてたんだよな。
「おにゃのこいなくて寂しい、とりかえして来て副委員長さまー……」
パンを食べつつ泣くふりをしている吉田を呆れた目で見つつ、俺はフゥと息を吐く。
「元からたいした話はしてなかっただろ? いつも通りでなにより」
「いいんちょとコウちゃんが食べてるの見てるだけで良かったのよ。俺を睨まない女子を至近距離で見ていたいのよぉ……」
吉田はよよよ、と、しなをつくって泣く。
「そんなに女子を見ていたかったら、あっちに混ぜてもらえばいいじゃん」
俺はあごで幸のいるほうを指し示すが、吉田は首を横に振った。
「集団女子は怖いの、単独がいい」
「まあねぇ……」
俺は沢庵をかじって頷いた。
……団結した女は怖いよね。わかる。
幸は菊子が面倒見てくれるようで、俺は安心して幸から目を離せるようになった。
その日も理科のテストの結果が悪い生徒だけ補習で、他は自習になったので、俺はPC室に行った。菊子も自習の筈だが、幸の面倒を見ると言うので俺は安心して任せた。
……久々の、幸さんからの解放。
俺は大きく伸びをして、心配事のない平凡な日々を満喫していた。
……まあ解放ったって、幸の夢の資料をまとめにいくだけなんだけとね。幸さんワールドに首まで浸かってますけどね。
俺は自嘲しながら、定位置にしているパソコンにSDカードを入れて作業に没頭した。
◇◇
一方、幸はひどく困惑していた。
六年から今まで単独行動をしてきたのに、突然女子に囲まれたからだ。私は国籍不明の顔をしているので、クラスの女子も気になっていたらしい。お弁当を食べながら、ママの出身地や隼人の職業などを聞かれた。
「じゃあ篠崎さんはハーフなの?」
「父が既にクォーターだから、私は日本の血はかなり薄いかも……」
「じゃあ何人なの?」
「……い、イギリスかな? よく知らないけど」
「へーそうなんだ」
聞けばなんでも答える幸に、女子は顔を合わせてにやりと笑う。
「篠崎さん、羽間君と仲いいよね? 二人はつき合っているの?」
「どこに?」
「えっ?」
……あれ? 聞き取りを間違えた反応があった。付き合うって付き添う以外の意味はあったっけ?
思わず辞書を広げたい気分になったが、女子は別の言葉で聞いてくれた。
「篠崎さんは、羽間くんの事を好きなの?」
私は固まって、目をパチパチと瞬きをした。
……付き添うと全然違うことを聞かれた。付き合うとはあれか、交際しているとか、相思相愛かを確認取っているとかそんな感じ? えーっと、信のことを好きか嫌いかと聞かれたら……
「好きだよ」
私はそう言って、うんうんと首を縦に振った。聞いた女子はおおー。と、大袈裟に反応するので、私は少し怯えて補足した。
「でもね、ママのほうが圧倒的に好き……ママが世界一好き」
「……えっ?」
尋ねた女子はガクッと肩を落とした。
「えーっと、それは、恋愛ではなく家族的なものなのかな?」
「うん、たぶん」
……信は家族以外の何者でもない。第一恋愛というのがよくわからない。
「恋愛って、どーゆー感じなの? 皆は好きなひとがいるの?」
私の直球な質問に、私を囲んでいた女子は浮かれて騒いだ。女子たちはそれぞれ相手を思い浮かべるように言う。
「それは」「ずっと見ていたいとか」「そばにいたい」「振り向いてほしいとか」「自分だけを見てほしいとか」「触ってみたいとか!」
出てきた意見は大体こんなものだった。
私は信をそれに当てはめてみる。
見ていたいと、触りたいはあるなあ。あの剛毛はモシャモシャしたいし、くっついている方が安心するし。そばにいたいもある。でも信が私を見ている必要は無いな。信は信で勝手に作業しているのがベストだ。
私は、女子の恋愛観を自分と信に置き換えてみるが、しっくりとは来なかった。やはりこの関係は恋愛とは違うのだろう。
私の知っている恋する乙女はママと水竜だが、どちらとも全人生を掛けて全力で相手を愛していた。古典表記ならみをつくし。身を滅ぼしても全力で逢いたい、って感じだ。あれに自分を比べると全くもって違う。
黙って弁当を食べていた菊子が口を開く。
「まあ、振り向いて欲しいと思うから、身だしなみに注意したり、理想の自分でありたいと日々努力するのでしょうよ。他人あっての自分ね」
「まー菊子みたいに美人だったら、誰だって落とせるでしょ、いいなぁ」
「……相手から一本を取るなら楽勝ですがね、恋愛となると難しいわ」
……一本とは?
私は首を傾げたが、菊子さんの部活から剣道の話だろうな。と推測した。
私は牛乳を手にボーッと菊子さんを見る。背筋をピンと伸ばし、正しい箸の持ち方で、静かにお弁当を食べている。何をしていても絵になるのはすごい。こんな綺麗で頭のよくて優しい人になびかない男子なんているんだろうか?
「菊子さんは、片想いをしているの?」
私はポツリと呟いて、青くなった。
……しまった。思ったことが口に出てた。
私は冷や汗をかいて菊子さんを見るが、菊子さんは優しく笑っていた。
「いるわ、でも欠片も望みがないの。誰かは聞かないでね」
……その男子はかなりのうつけものだな。目がついていないに違いない。
私は菊子さんの相手を想像するが、菊子さんが望みのないという相手は、先生くらいしか思い付かなかった。
菊子さんは本当に出来た人で、私のようないじめられるタイプからも会話を引き出せるし、面倒見がよく、クラスメイトや先生からも頼りにされ、慕われていた。
……まるで女の子バージョンの信みたい
私は談笑している女子を見ていて、楽しくなって笑った。菊子さんが信の知り合いで良かったと思った。
理科の補修が終わり、教師からノートの回収と運搬を頼まれた菊子さんは、私に手伝いを頼んだ。私はお役に立てるならと、喜んでノートを半分持つ。
二人で職員室までノートを運んだ帰りに、人気のない階段で、菊子さんは私に打ち明けた。
「コウはお昼の話を覚えている?」
「恋愛の話?」
「それね、ちゃんと教えてほしいの、コウは羽間くんに好きだといわれたことが、また言ったことがある?」
「無いよ、そんなのあるはずもない」
……信は髪の長い綺麗なひとが好きだ。私を好きなはずかない。
「毎日一緒にいるのに、なにもなかったの?」
菊子さんが更に聞くので、私は首振り人形のようにコクコクと頷いた。
「信は私がかわいそうだから面倒見てくれているだけなの、彼は優しいから」
「ふーん……」
菊子さんは一人先に階段を上っていく。菊子さんは上の階まで登りきり、手すりに寄りかかった。
「コウはどうなの? 彼が好き? 彼に彼女ができたらどう思う?」
「……えっ」
思いもよらない事を聞かれて、私は呆然とした。
信に好きなひとが出来たら、私はどうしたらいいんだろう?
ママと隼人が仲良く出掛けるように、信の家に女の人が来て、信はその人と行動する。
ママはいい。ウチに住んでいるから、隼人とデートしてもウチに帰ってくる。でも信に彼女が出来たら、信はもう私の家には来ないかもしれない。
――それは完全に、私からの解放だ。
信は自由になり、好きな高校に行けるし、安心して部活動に打ち込める。ゲームをしていても邪魔は入らず、好きなだけ夜更かしできる。ママが嫌いなバラエティ番組も、人が死ぬ映画も見放題だ。
信はもう私を背負わなくていいし、イジメにも巻き込まれない。私のことで心配する必要は無くなり、ため息をつく回数も減るだろう。
それは信にとって、とても良いことのように思えた。
……問題があるとしたら、私は信抜きで生きていけるかという点だけだ。
先日は信から卒業しようと思ったが、何一つとして実行してはいなかった。いつものように休日を信と過ごして、いつものように一緒にご飯を食べていた。
……このままではいけない、ここが転換期だ。
「信に彼女が出来たら応援する……」
それを聞いた菊子さんはふわりと笑った。
「コウは私の片想いも応援してくれる?」
「いいよ」
私は頷いた。それは二人への恩返しになる善い行いだ。
菊子さんは私に近寄り、私の耳元でそっと打ち明けた。
「私、羽間くんが好きよ、協力してくれる?」
「……えっ」
私は一瞬時間が止まったように思えた。
日中のうだるような熱気で、頭がぼーっとする。遠くで鳴くセミのような耳なりがやんで、顔を上げると菊子さんの笑顔が見えた。
「いいよ……」
私は菊子さんの恋に協力すると同意した。今はそれが一番正しいことのように思えた。
◇◇
その頃信は、閑散としたPC室で、幸に翻訳して貰ったデータを入力していた。
……本当にこのデータはすごいよなぁ。一体どこの国の人が作ったんだろう。
俺はURLやソースから発信元を検索するが、いくつかの国を跨いでいるようで特定はあきらめた。
俺はかの世界の主要人物をまとめていく。
まずは東西南北の国の王と対応する守護竜。
そして追加されたひとがたの双竜。
データを見て、守護竜に七と八が存在することを知った。国の守護竜が一から四、双竜が五と六なら七と八は誰なんだろう?
そんなことを思いつつ入力していると、突然画面上が真っ暗になって、制御できなくなった。
「……は?」
俺はあわててescapeキーを押すが反応はない。PC再起動の三つのキーを押すか悩んでいたら、真っ黒な画面にあちらの文字が現れた。
『なまえは?』
俺は必死になって、幸の書いた単語と簡単な会話文を確認する。どうやら名前を聞かれているようだ。
俺は自分の名前を入れた。
――Sin hazama
自分の名前を入れたところでどうなるとも思わなかったが、画面は次の質問をしてきた。
『解除者の名は?』
……そんなもん知るはずがないだろう。
俺はあてずっぽうに、あっちのメインキャラの名前を入れる。
アマツチ 違う。メグミク 違う。オージン、セシル、フィロー、ジルヴァ、カウズ、アマミク……えっと神はサーラジーンか。違う。
入力した名前をことごとく却下されて、俺はやけくそになり、知っている最後の名前をいれた。
――フレイレリーン
それを打つと、画面はまた暗転し、次の質問が出た。
『扉を開けますか?』
「は?」
思わず声に出してしまった。
俺はあわててノートを開き、幸の翻訳を確認する。それは確かに扉を開けるかどうかを聞いていた。
……扉って何だ? どこの扉だ?
俺は幸に相談すべきか悩んでいたら、チャイムがなったので慌てて『開ける』をおしてしまった。
……しまった。
そう思った時はもう手遅れだった。
パソコンの画面は暗転し、本体から一瞬バチッと火花が散った。
「えっ?」
慌てて起動ボタンを押すが、パソコンは完全に沈黙していて、電源をつけることさえもままならない。
俺のSDカードは飲み込まれたまま取り出せなくなった。