12-1、アスラ
転移魔方陣が消え、目を開けたとき、ムワッとした熱気が私を襲った。
気温が暑いだけではなく、湿度も大分高くて、空気の臭いがもう違う。
見上げると、背の高い樹木がみっしりと生えて空が見えない。
ファリナ城からの転移先は、鬱蒼とした木々が生えた密林だった。
「……うわぁ、ジャングルだぁ」
背の高い木々はよく見ると実がついている。空飛ぶ鳥は極彩色で尾が長く美しい。
私が口を開けて上を向いていると、抱いていた黒猫が私の頬をペロリとなめた。どうやら暑くて汗が流れたようだ。
私は黒猫を地面に置いて、マントを脱いでバッグに入れた。それでもまだ長袖では暑くて汗が出る。
「どこか涼しいとこ無いかな……水筒一本分しかお水持ってきてないよ」
しかし辺りを見回しても、一面の緑、緑で建物は全く見えなかった。
どこか遠くから鳥や獣こような鳴き声は聞こえる。
黒猫の後をつけて密林を歩くこと半刻、私たちは木々も何もない空き地に出た。
そこは月のクレーターのように地面が抉れていて、そこだけ切り取られたように草木が生えていない。
「アレク、カウズはどこにいるの?」
猫は暫し下を向いて止まっていた。そして、猫はおもむろに空を見上げた。
私もつられて上を見ると、少し離れた空に地面が浮いていた。
「何あれ……浮島?」
私が口を開けて上を見上げていると、ひょいとかつがれる。驚いて下を見ると、猫のアレクが人の形に戻っていて、私を抱き上げていた。
アレクは私のリュックを拾うと肩に掛け、私を抱き上げたまま大きく跳躍する。
「キャアアアア……」
悲鳴を上げる私を無視して、黒竜は浮いている石をたどって上に、上にと上がっていき、難なく浮島にたどり着いた。
アレクの動きが止まったので、私は閉じていた目を開けた。島の端から見るアスラは、砂漠ではなく一面の木々で覆い尽くされた密林に変わっていた。
「ここは本当にアスラなの? 南は砂漠だったのに、北はジャングルなの?」
ひとり混乱していたら、背後に白い鳥が舞い降りた。
『アラ、ホントに連れてきた。よくあいつらが手放したわね、その女』
鳥は口から発声する言葉じゃなくて、直接心に話し掛けて来た。人の姿をしていない守護竜がよくやることだ。
「レアナ、カウズはどこ?」
白い鳥は羽をバタつかせた。
『うわーイキナリ名前呼び気持ち悪っ! あんたが勝手につけた名前、二度と呼ばないでくれますぅ?』
「……えっ、ごめ……いや、カウズどこ?」
白竜に一瞬押されるが、私はここに来た目的を思い出して優先した。白竜はバサバサと羽をばたつかせた。
『知ってるけどおしえなーい。好きなだけここをさ迷ってのたれ死ぬといいしーバーカ、チービ』
「ううっ……」
白鷺は子どものような悪態を吐いて飛び去った。
レアナの嘲笑で新天地に浮わついていた気分が一気に冷めた。
私はアレクにしがみついていたのを思い出して、地面に下ろして貰う。
……下の密林とは違って、上は涼しいな。むしろ半袖だと寒いかも。
私は土を触ってみた。地面は砂ではなく、栄養を含んでいそうな黒い土で、所々に花が咲いていた。
「綺麗なところね」
スーッと、深呼吸をする。
空気は濃厚で、太古のような雰囲気を宿していた。
私は観光気分で南国の木々の合間を歩いて行く。しばらく歩くと建物が見えた。それは南国の遺跡やピラミッドのように、石を積んだ階段が特徴的で、すごく広くて大きい。
「……はぁー、スゴイ、なにこれ、遺跡?」
かなり古い建物なのだろうか? 石は苔むしていて、所々が欠けている。そこがまた味わい深い。
ジャングルと遺跡に感心しながら、辺りを見学していてふと思い出した。
「あ、そうだ、カウズだ……」
うっかり観光気分で歩いてしまい、私は気持ちを切り替えようと首を振った。
カウズカウズ……と十回くらい心のなかで唱える。猫の姿のアレクが先頭をきって、ゆっくり歩いて行くので私は後を付いていった。
「……いや、ムリ。キツイ」
階段を三十段くらい上っただけだが、息は切れ膝はガクガクと震えだした。思えば転移してからずっと歩きっぱなしだった。
アレクに休んでいいか聞こう顔を上げたら、アレクは真後ろに立っていた。
「……ひっ」
背後からひょいと抱えあげられ、階段の手すりから隣のベランダの手すりに、手すりからさらに上の手すりにと、どんどん上に上がっていく。
私は怖くてアレクの首にしがみついた。
かなり上の部屋のベランダにつくと、アレクは私を下ろしてバックは窓辺に置いた。私はへなりと座り込む。
地面が陰るので見上げると、アレクが心配そうに私を見ていた。
「だ、大丈夫、ちょっと足がびっくりしただけ……」
私は心配をかけまいと、ヨロヨロと立ち上がる。窓枠にしがみつき、ベランダから中を覗くと、部屋の中にはカウズがいて、しゃがみこんで何かを書いていた。
広い室内に広げられた、一面の紙、紙、紙……。
紙に手を伸ばし一枚見てみると、数式が乱雑に書きなぐられ、それに赤ペンでチェックが入っている。ところどころに×や修正箇所も。
私は落ちているペンを拾った。
「……メイドインジャパンだ」
学校で使う文房具があたりに散乱している。
カウズが手にしているのが赤ペンなので、カウズがこの書類の修正をしてるみたいだ。
私はカウズに近寄り背後に立った。
「……白竜ですか? ちょっとこの計算手伝いなさい」
カウズは私を見ずに紙を渡してくる。
紙を見ると表が書いてあり、その縦横の合計が違うようだ。私は窓辺に走り、しゃがみこんでバッグを漁った。
そこで、カウズはやっと私を見た。
「あ、あれ? 白竜じゃなかった……窓から来たので間違えました、いや、なんで……?」
私はバッグから小さな四角いカードを出して窓辺で陽にあてる。
「これ、計算出来る……太陽光で動くの」
私はカード型の計算機を押して、表を直した。カウズはそれをまじまじと見てボタンを押す。
「異世界では道具で計算をするのですか」
数学が苦手だった私は、アハハと笑う。
「四則演算くらいなら暗算で出来るよ、一次方程式とかも学校で習った」
「学校?」
「えと、日本では義務教育が九年間、そのあと任意で三~七年間、学校終わったら二十才くらいになってる……」
「貴族の話ですか?」
「いえ、全国民が、です。日本に貴族いない」
「貴族無し……そして未成年の労力を全く必要としないのですね、面白い」
「……はぁ」
何かに感心しているカウズに、私は生返事を送る。カウズは私に赤ペンを渡した。
「では、その表のミスチェックをお願いします」
「はーい」
久々の赤ペンを手に、私は床に伏せて黙々と電卓を押す。アレクは私の隣に立ってじっと私を見ていた。私はそのまま一心不乱に作業して、ふと、ここに来た理由を思い出した。
「……あの」
「話しかけないでください、集中できない」
「ひぇっ!」
私はビクついて、手元の計算に集中した。そのまま日が暮れるまで二人で書類とにらみあっていた。
「ひー……」
私がへばって床に転がる。もう何時間計算してただろう。陽が沈み電卓のソーラー電池が使えなくなった。
「物理的に続行不可」
私は電卓を投げてわーいと寝転んだ。するとカウズが光の魔法を展開させて室内を明るくした。
「……死ぬわ!」
エレノア妃のように腰に手をあて、足を開いてカウズの前に立った。
「水も飲まずに何時間労働してるのカウズは! 休憩いるでしょ? 人間なんだから!」
私が怒って言うと、カウズは不思議そうに私を見た。
「……えっと……何で貴方がここにいるんでしたっけ?」
「今、それを聞くの?」
私はカウズの研究馬鹿っぷりに脱力して肩を落とす。大きくため息を吐いた後、私は書類を踏まないようにカウズの所に行った。
「シェレン姫が心配してるよ、君は帰ろう」
「あ、はい……このままやれば夜明けには終わるので、その後に戻りますね」
「……えっ?」
……なにこの研究バカ。姫はこんなののどこがいいの?
私は心に浮かんだエレノア妃の心を振り払った。
私はバックから水筒を出して粉末のスポーツ飲料を混ぜてカウズに渡す。
「お水、塩分とみねらる」
「……はあ」
カウズはそれを受け取って一口なめる。
「……体液と同じ塩分濃度の飲み物?」
「水分と塩分とらないと死にますよ?」
カウズはそれをいっきのみして容器を渡す。
「すみません、この体不眠不休で動くので失念しておりました。普段は姫が定期的に邪……声をかけてくれるんですがねー」
……邪魔っていった。
私は苦笑する。
「頼まれ事が終われば塔に戻るので、コウさんはいなくていいですよ?」
……散々手伝わせたあとにそれを言うか。
「ですよねー、そうかと思ってました!」
二の王の不要宣言に、私はヤケクソ気味に鞄を漁る。私は中からブロック状の携帯食料を出してカウズに渡した。カウズは興味津々で袋を開けて、一口食べる。
「これは小麦粉といろんな栄養が入ったパンみたいなもの。袋をあけなければ長期間保存可能……」
「異世界人って、こんなものを食べているのですか。便利ですが味気ないですね……ん?」
「普段は一汁三菜だよ。これは忙しいときと非常用なの。バッグに入れておくとなんか安心」
私もスポーツ飲料を飲んでいたら、カウズは目を白黒させて携帯食料を見ていた。
「どうしたの? なんか古かったとか、袋に穴が開いてたとか?」
私が心配そうにカウズを見ると、カウズは私の頬に手を触れた。
「……ひぇ」
同じ年くらいの男子に触れられて、私は驚いて硬直する。カウズは私の下まぶたをめくって、覗いていた。
……あ、これ貧血を調べるやつだ。
カウズは一通り私の健康チェックをして、食べかけの携帯食料を私の口に押し込んだ。
「……フガ。ん……何?」
食べかけだったことに私は一瞬躊躇したが、勿体無いので気にしない事にした。私はモグモグとドライフルーツ入りの四角いクッキーを飲み込んだ。
「あなたは体調を崩していますよ。栄養失調のようです」
「えっ? ごはんいっぱい食べてるよ?」
……私の成長を願うハノイさんに、毎日大量に食べさせられている。
カウズは携帯食料の箱を指した。
「その食料の有する魔力の量が尋常ではありません。それが保存食というなら、異世界人はその魔力量を基準に補填しないとならないはず」
「……あは」
……カウズが何言ってるのかわかんないや。
私は困って笑うと、アレクが手を伸ばして残りの携帯食料を私に差し出した。
「この世界の食料は、コウの世界のものよりも魔力も栄養も薄いようだ。食べろ」
「……あ、はい」
私はモソモソと、小麦粉の塊のような携帯食料を食べた。一箱全部アレクは食べさせようとするので、そんなに食べられないとその手を押すと、カウズが横から割り入って箱を取る。
「やはり一袋ください」
「……どうぞ」
私は箱ごとカウズに渡すと、カウズはそれをバックにしまって床の計算を再開させた。
そのまま何も起きずに半刻経過する。
「帰ろう、邪魔しにきただけだこれ」
私は黒猫に声をかけて窓辺に向かう。
「……あ、コウさん」
「なあに?」
「ここ今妨害魔法が張られているので、一キロくらい離れないと竜でも転移魔法を使えませんよ」
「……ふぇ?」
アレクは頷く。そういえば浮島から少し離れた地点に転移していた。
「じゃあ、歩く」
「あと、ここ含めてこの付近魔物だらけだから気をつけて」
「ありがとう」
……ん? ここを含めると言った? ここに魔物がいるのね。
「最近の新生児は全部アスラで生まれているっていってたもんね。その、魔物の子供がいっぱいいるのね、多分……」
私は魔物の幼稚園を想像しながら扉を開けてみた。
そこにはとても大きい体格の、ミノタウロスのような半人半獣の魔物が扉を守っていた。
「……ひっ!」
私は慌てて扉を閉めた。
私は窓辺にむかい、恐る恐る下を見る。すると、要所要所に魔物が兵士のように立っている。さらに中庭のようなひらけた場所には沢山の魔物が集まっていて、魔物同士で戦っていた。
数名の魔物の戦いを、まわりにいるたくさんの魔物が、見物してはやしたてていた。さながら魔物の闘技場だ。
「……魔物の国」
私は呆然と立ちすくんだ。
……そうえばミクさんは、小鬼に育てられていたっけ。アスラはもとから魔物が多い?
私が下を見ていたら、アレクが私の肩に腕をまわして引き寄せた。なんだろう、と私が入り口を見ると、そこにはレーンが立っていた。
「あれ? こんな餌でひっかかったのか」
レーンは真っ直ぐに私に向かって歩いて来た。私は警戒してアレクの服をつかむ。
「あなたが呼んだのでしょう? 私に何の用?」
「呼んで無いぞ」
「えっ?」
……確かアレクはレーンの命令で私を連れて来たって言ってたよね? 竜は嘘をつけないし。
私はアレクの顔を見るが、無表情だったので何も読み取れなかった。
いや、ここにはカウズを取り戻しに来たんだった。私は相手に流されないように心を落ち着かせる。
「カウズをシェンの所に返してもらいに来たの」
「返すも何も、この作業の協力を申し出て、わざわざこちらに来て頂いただけだ。これが終われば返すよ」
「そうなの?」
私は意を決してここに来たのに、カウズは自らここに来たようで、拍子抜けした。道理でカウズが黙々と計算直しをしてるわけだ。
私は気が抜けて、アレクの腕にしがみついた。それをレーンは不機嫌顔で見ていた。
「耳は治ったか?」
「み、耳? え、うん」
「ずいぶん長い間、あの部屋から出なかったな。伏せていたのか? あの日の怪我のせいか?」
レーンが確認するためか手を伸ばすので、私はアレクを盾にしてレーンから逃げた。
「怪我してない、元気」
「……んなわけあるかい、あの凍てついた国から雪が消えるほど魔力を注ぐとか、阿呆過ぎて呆れていた」
「それ、私は何もしてないから」
逃げる私を追い掛けて、アレクのまわりを二人でぐるぐるまわっていたがすぐに捕まった。
レーンは私の袖をつかんで、心配そうな顔をしている。
納得しないレーンに何て言おうか私が悩んでいると、床で作業をしていたカウズがポツリと言った。
「ファリナの春と、水竜の成長は、生理だったと聞きましたよ」
「……ひぇぇ!」
……何でそんな情報が他国の王さまにつつ抜けているの?
「だ、誰がそんなこといったの?」
「ファリナ王です」
「……うわああ」
私はアレクのマントで顔を覆う。あいつか、王にばらしたのはジーンかこんちくしょうー。
「生理? 何それ?」
無邪気に聞くレーンに、カウズが説明しようとするので、私は走ってカウズに取り付き、その口を手でふさいだ。
「恥ずかしいから、説明しないで!」
私が本気で嫌がっているので、カウズは分かったと頷いて、私から離れて作業を再開する。
「何で? 怪我しないで血をながせるのいいじゃん。それどうやるの?」
レーンが興味津々に近寄って来るので、私は軽く悲鳴をあげて、またアレクの背中に隠れた。
「よくない、行こうアレク」
私はアレクの背中を押して、出口に促すが、アレクは一歩も動かなかった。
「日が暮れる。転移可能な場所までの移動を考慮するとここにいた方がいい」
「レーンがいるとこにはいたくないよ……」
「自分から俺の所に来といて何言うとる?」
クスッと笑って、レーンは私に手を伸ばすが、アレクがその手を払った。レーンがアレクを見上げてにらむ。
「……No.6、下がれ」
アレクは黙って首を振る。レーンが意外な顔をした。
「No.6の契約が外れてる?」
「酷いことばっかりするからサーが外したのよ。アレクは私の竜です、レーンの命令は聞かないわ」
「……は?」
レーンは唖然として、そして肩を震わせた。
「この期に及んで介入してくるのか……しかも、そんなことの為に……ハハ」
大きな声で笑うレーンに私が戸惑っていると、カウズが補足した。
「守護竜と王の契約は特別です。元から守護竜の権限はこの世界の最上位にあたります。この事は、それより上の権限が存在することを証明しました」
「サーがやったのよ? 何が変なの?」
カウズは困ったように眉を下げて笑う。
「サーラジーンは守護竜としか話しをしませんから、我々には存在を確認出来ないのですよ……なので、この件によってはじめてサーラジーンの存在が明示されました」
私はアレクとレーンの顔を見た。二人ともそうだと頷いていた。
……そうか。だから体の無かったフレイとレーンは、人に認識されていなかったんだ。
「サーはいるよ、いつも私たちを見ているの。今も……」
私は目を閉じて、心の中にサーを探したが反応は無かった。また寝てしまったのかもしれない。
「……いなかった。寝てた」
私が舌を出して笑うと、カウズは回れ右して作業を再開させた。
「……サーはお前の味方をするんだな」
振り返ると、レーンが暗い表情で虚空を見ていた。信の顔で虚ろな表情をされると、いてもたってもいられなくなる。
「私だけじゃないよ、サーはいつもレーンの事も見ているよ。サーは私にね、レーンをま……」
「黙れ」
「……ひっ!」
私はセダンの夜にレーンに殴られた事を思い出して、怖くて頭を手で庇った。
レーンは一瞬驚いた顔を見せるが、アレクが私を守るように引き寄せたので、レーンは私に背中を向けた。
怒りからくる信の低い声を聞いて、私は怯えてそれ以上何も言えなくなった。
「ア、アレク、行こう……」
部屋を出ようとする私に向かって、レーンが言う。
「夜の屋外は危険だ。朝まで待て」
「……アレクがいるから、だいじょうぶ」
レーンは私を張り付けている背の高い黒竜を見て、フンと鼻で笑った。
「竜だけなら問題ないさ。しかし弱い人間を連れての移動は無理だろう、コウは魔物を引き寄せるぞ」
「アスラなら旅したことあるから大丈夫です」
私はレーンにしかめっ面をして舌を出した。
外に出ようとする私を、レーンは先回りして道を塞ぐ。レーンと私、そしてアレクと三人でにらみあっていると、背後から声が聞こえた。
「……るさい」
突然言うカウズを皆で見る。
「雑談するなら何処かに行ってくれ、あと白竜を連れてこい。もしくは手伝え」
「すまん、手伝う。No.6はNo.5に声をかけろ。あとはどの部屋を使ってもいいから、朝まで魔物から隠れていろ」
「……えっ?」
……あ、放置なのね、しかも邪魔とか。
かなりの危険を覚悟して来たのに、自分が何の役にも立たず、ただひたすらにアレクに迷惑をかけていることに、私は恥ずかしくなった。
私はバッグからごそごと電卓を出してレーンに渡す。
「これあげる。返さなくていいよ」
レーンは一瞬止まるが、電卓を受けとる。
「使い方わかるよね? ソーラーで動くよ」
レーンは「サンキュー」と言って笑った。その顔が信にしか見えなくて哀しくなる。
泣きそうな私を、アレクは抱えあげて部屋を出た。
外にいた魔物がアレクと私をチラリと見たが、特に気にならないようで無視された。
「どれ程離れたら気が済むのか」
「何?」
「朝まで待機するのに何処がいいのか聞いている」
私はアレクの首に手を回してため息をついた。
「……どこでもいいよ」
私は地面に下ろして貰い、建物の中を歩いて見てまわった。
石造りの建物は、殆ど手入れがされていないようで、所々に草が生えたり、蜘蛛の巣がかかっていて廃墟っぽくもある。
「レーンがいないところで、水とトイレがあると嬉しい」
アレクはかすかに頷いて厨房らしき所に行く。昔は厨房だったであろう場所は、沢山の食材が積み上げられ、腐って虫が沸いていた。
「……わぁぁ!」
私は悲鳴をあげて扉を閉める。
……まあ、そうだよね、魔物だらけのお城だもん掃除する人とかいないよね。
私は怖いもの見たさでもう一度厨房を見た。
食材……というか、骨がついた肉が放置されているのがとても怖い。あれは何の肉なんだろう。
「アレクは普段どこにいるの?」
「レーンの部屋の前か、その辺に、適当に」
「守護竜みたいに棲みかは作らないの?」
アレクは頷く。そいうばジーンもそうだったな。
私はあてもなく建物を見てまわった。
魔物居住エリアがあったり、動くゼリーのようなものが沢山いる部屋があったり、植物がみっしり生えた大きな部屋があったりした。
前にレーンの服を洗ったときについていた青いゼリーは、魔物の欠片だったようだ。
植物は、長い鞭のようなものが生えていたり、うねうね動いていたりした。
「……魔物の研究塔?」
毛色は違うが、どこか聖地のような雰囲気があり、私は懐かしい気持ちになった。
適当に階段を上り上の階に行くと、比較的綺麗なフロアに出た。廊下は掃き清められているようで、ゴミは落ちておらず、魔物の臭いも無かった。
「ここは?」
「レーンと、No.5の私室がある」
話していたら女性版の白竜が出てきて「ゲェ」と顔をしかめた。
「No.5、レーンと二の王が呼んでいた。研究室」
「もー、あいつら寝ない気ね、面倒くさ」
文句言いつつも現地に向かう白竜は忠義ものだ。
「ここ、白竜が掃除してるの?」
「は? じゃあ誰がするのよ、分かりきったことを聞かないで? っていうか話しかけるな!」
「ご、ごめんなさい!」
びくつく私を一瞥し、レアナは面倒くさそうに肩を落としてノロノロ移動する。
真っ白のドレスと、引きずるほど長い白髪は人間離れしてるのに、その仕草がとても人間っぽかった。
白竜はすれ違い様にチラリと私を見る。
「あんたがやってもいいのよ? 役立たずなんだから」
「……私?」
白竜はおもむろに隣の部屋を開ける。
「……うわぁ」
その部屋は足の踏み場も無いほど書類が散乱されていて、ゴミ箱も紙が積み上げられ機能していなかった。
「がんばれー」
白竜は棒読みでそう言うと、カウズ達の所に向かった。
私は呆然として、書類まみれの部屋を見た。