11-3、アーヴィン
ファリナ城の厨房近くのベランダに、アーヴィン殿下がひとり外を見ていた。私は手に水差しを持ってその姿を見ていたが、気配に気が付いたのか、殿下は振り返り私を見た。
視線に驚いて、私はあわてて立ち去ろうとすると、殿下が近寄って扉を開けた。外の冷たい空気が廊下に入ってくる。
「お前はまーた働いているのか……。さっきは親父と踊っていたのに忙しいヤツだな」
「賓客に酔っぱらいが出たので、これは人命救助ですよ、たぶんね……」
……ミクさんは毒を飲んでも死なないけど。
アーヴィンはチラリと私を見て、すぐに目をそらした。
「そーゆーのは、給持しているヤツに言えばいい、その格好で厨房とか行くな、汚れるぞ」
私は慌てて自分の姿を見る。厨房の隅っこを横切っただけなので、特に目だった汚れは見当たらなかった。それよりも、むき出しの肩に外の冷気が刺さって痛い、寒い。
水差しを片手に震える子どもを見て、殿下はボソッと呟いた。
「なんで女ってそんな寒そうな格好するんだろうな?」
「うう……これは私が好きで着ているわけではなくてですね……」
殿下はとん、と足を鳴らし、小声で何かを呟いた。
すると私の足下が光り、円形に広がった。
「わあ、魔法だ……」
ジーンの描く魔方陣はコピー機みたいに瞬時に描写されるけど、殿下の魔方陣は図形の描写の後に元素や数字が刻まれていくので見ていて楽しい。
殿下は描画が終わると私の頭に触れた。しばらくすると私の体が内側からぽかぽかとあたたかくなった。
血とか唾とか、私の魔力を使うことなく、異世界人にに魔法をかける殿下は魔法の天才なのかもしれない。
私はじーっと、背の高いアーヴィン殿下の顔を覗く。
「あのー……大丈夫ですか? 地下の兵士さんの魔法は私には効かなかったけど、今、殿下の魔力激減してませんかー?」
そう言われてアーヴィンは自分の手を見る。そのまま手を動かしていたが、問題ないと言って笑った。
私は殿下の笑顔に驚いて、ポカンと口を開けて殿下を見ていた。アーヴィンは私の頭を軽く小突いて、手から水差しを奪い、手すりに置いた。
「何でお前って魔法使えないんだ? 緑の魔女の生まれ変わりなんだろ? エレノア妃はほいほい使ってたぞ」
「生まれ変わりかどうかは未確定です、あと、実はですねぇ……緑の魔女って魔法を使えないんですよ……発案はしていたらしいですが」
「魔女と呼ばれていたのに、魔法が使えないとかアリなのか?」
目を丸くするアーヴィンに、私はうんうんと頷いた。
「守護竜の体は入る魂で特性が変わるみたいなの。だからフレイが使っていた時は、なにも出来なかったみたい……」
「そのNo.8の体を邪神が使ったので、アスラとセダンが壊滅した、ゆえに魔女と呼ばれた?」
「レーン本人はそう言っていましたね……」
たぶんメグミクの誕生を待たずとも、信の体の魔力を使えば、この世界は消せる。それくらいあの体には魔力がある。この世界と信の体は、レーンの手のひらの上にあるのだ。彼の気分次第でいつこの世界が終わるか分からない。
ここで私に出来ることなんて何も無い。ぜーんぶレーンの心次第だ。信やママ、菊子さんを犠牲にしてまでここに来たのに、何も役に立たないこの無力さは辛い。
私がフゥ……とため息をつくと、私の頭に大きな手が乗せられて、グラグラと左右に頭を揺らした。
「……首、痛いです!」
私がしゃがんで、アーヴィンの手から逃げると、アーヴィンはその手をじっと見ていた。
「おかしいな? 王にそうされたときは嬉しかったんだが……」
……この怖い人にも、そんな時代があったんだ。
私は、小さな殿下がファリナ王に誉められている様子を想像して、頬が緩んだ。
「慰めてくださって、ありがとうございます」
「いや、説明しないと理解出来ないようなので、礼は言うな、かえって情けない」
そっぽを向いて言う殿下が可愛くて、私はクスクスと笑った。
「シェレン姫も魔法は使えないと言っておりました。この世界の全員が魔法を使うわけでは無いのですねー」
「そうだな。魔法に長けた人間は二割程度だ。この国はあちらこちらに暖をとるための魔法が売られている。魔法が使えればまず職には困らん」
「あたためるまほう……さっき殿下が使ったやつですか?」
「そうだ。あとは対象に風を乗せて、部屋をあたためるためにも用いるな。魔法が無いとこの凍った国では生きていけないんだ」
「魔法って便利ですねぇ、灯りをつけたりお湯を沸かしたり……」
おとぎ話でなく、本物の魔法の話に私は心が踊った。
「じゃあ、転移魔法とかもできます?」
「あれは竜じゃないとなー、対象物の大きさに対応した座標の設定がすごく大変なんだ。下にずれると土に埋もれて死ぬからな」
「わあ! 埋もれたらたいへん!」
私が間抜けな返答をするので殿下が笑う。
「ほんと、お前といると気が抜ける。逆にいつも張り詰めていたんだと思い知る」
私は殿下をじっと見た。
「毎日つらいですか……?」
「そりゃ、民からはあの親父と比較され、なおかつ魔術師にも過剰に期待されたら気も張るよ」
「ザヴィアさん、殿下を王座に座らせたい人ね……」
「そうそう、ありえない夢を追う人だ」
……そうか。メグミクが生まれるまでの中継ぎにセレムが現在の王を選んだから、アーヴィン殿下を守護竜が選ぶことはもうないのか。
私の脳裏に、レーンがファリナ城を襲撃したときの様子が浮かぶ。あのとき、王とザヴィアさんは何よりもアーヴィン殿下の無事を優先した。彼らの態度から、いらない駒ではないと思うんだけどなぁ……むしろ、国の宝レベルで大事にされていると思う。メグミクの腕輪を託されたのはそーゆーことだろう。
「ザヴィアさんって、偉い人なんですか?」
「別に偉くはないさ、偉ぶってはいるけどな。単に、先代の王の系列で、王都を牛耳っているだけだな」
「先代の王様の子孫ということかな?」
「三百年も前の話だな、メグミクはほかの家にも現れたから、自称王族はファリナに多いよ」
「先代と言うとセシルを氷の山に閉じ込めた王様ですねぇ、意地悪ね」
私の頬がぷぅと膨れるので、アーヴィンは笑って、両手で私の頬をペシャリと潰した。
「アスラが灰になったのを危惧しての事ときいたぞ。先代の王に非は無いとされている」
「アスラとセダンを滅ぼしたのはレーンなのに、セシルのせいにするのはヒドイです」
私は両頬を押さえられている手を外そうとするが、圧倒的に力が足りなかった。アーヴィンはニヤリと笑って手を退かした。
「しょうがないだろう。邪神が存在することが分かったのがつい最近なのだから。しかもアスラ崩壊にはすべての守護竜が関わっていた。というか、ファリナ襲撃を見ても実行犯は火竜だろう、能力的にもな。先代はその事実を受け入れて、水竜を国民が怖がらないように閉じ込めたんだろう、全て俺の推測だが」
そういえば、閉じ込められていたといわれる期間もセシルは聖地に顔を出していた。おそらく、ファリナ国内では山にいることにして、実際は移動可能だったのだろう。
「……セシルは何もしてないのに、むしろ消火してたくらいなのに」
「そんなの現地に行かないと分からないな」
「セシルはすごく優しいから、サーの命令だって人をあやめたりしないわ。それにサーラジーンはそもそも人のすることに関与しないし、罪を裁いた事は一度もないの……」
私はそこまで言うと、真剣な顔をして殿下に向き合う。
「サーはこの世界を愛しています。守護竜もそう、守護竜は自国の民の事しか考えてないわ。だから、守護竜を嫌わないで、大切に守ってください!」
「あの白ヘビを?」
「そうです!」
アーヴィン殿下は笑う。
「取り合えずうちの場合は、ヘビが嫌いだと辛いな……」
「あんなに綺麗なのに?」
「長くて手足のない生き物を嫌うヤツは多いぞ」
私は項垂れて手すりに頬杖をついた。
「むー、難しいのね……」
私は浄化の塔の上から見た城下の風景を思う。沢山の人々を救済するにはどうしたらいいんだろう……?
「魂の浄化を人が出来るようにすればいいのかしら?」
「そんなことが出来るのか?」
「どうだろうなー、生きることで生じる淀みや滓みたいなものを濾してくれるもの……人の精神だけでそれが可能かというと、難しいと思う……」
私は頭を上げて手を空に伸ばす。
「こんな大変なことを毎朝無償でやってくれる竜はほんと頑張ってる。偉い、凄い、かわいい! 皆、ありがとー」
私は空に向かって大きく手を振る。その様子を見て、殿下は目を丸くして驚いた。
「……その行動に意味はあるのか?」
「ありますよー、なんと今日はサーラジーンが起きているのです、サーは私をいつも見守ってくれているから、分かるようにお礼を言わないと」
アーヴィンは苦笑して私の頭に手を置く。
「お前を見てると、竜がいかに大事な存在なのかが分かるな……教会ではその辺をちゃんと教えればいいのに」
私は手から逃げて、少し隣に避ける。
「教会では竜の話はしないの?」
「主にサーの話だなぁ。だから城勤めでもしないと竜の事は知らないよな」
「ゆゆしきもんだい。でも、サー信仰はとてもよいこと。サーは偉大……」
私は心の中でサーを称えつつ、手すりに頭をもたげて祈るように目を閉じた。
「お前見てると、神とは何かを考えるよ。伝説の王もとても……個性的で人間っぽいし、神と呼ばれる存在も、俺達と同じように悩んだり苦しんだりするのかもな……」
「悩みのない人なんていないよね……」
私は庭に顔を向けたまま頷いた。
会話が止まったので、私は目をあける。するとアーヴィン殿下が私を覗いていた。
「親父が、お前のことを女神と言うんだけど、実のところはどうなんだ?」
私は困って笑った。
「この世界の神様はサーひとりだよ、サーラジーンだけ。私もレーンもただのヒト」
「……ヒト」
「人間ともいう」
「チビでガリで、体力もなく魔法も使えない女」
「言い方!」
ジーンも殿下も本当にデリカシーが無い。役立たずなのも、大事な所に肉がついてないのも気にしているというのに……。
私は苦虫を噛み潰したような顔をするが、全部本当だったのでしぶしぶ頷いた。
「君は上からものをいう」
「シェンに供もよく言われる。だから避けられているよ」
「殿下の言い方は棘があるのが問題なのです。人を傷つけてもいいことないわ。もって回ってその刃が戻ってきちゃうしね。人も竜も褒めて伸ばすものです。コツは常に感謝と愛情を込めること。これ大事」
「……っ!」
真面目に言ったのにアーヴィンはゲラゲラ笑うので、私はますます膨れた。
アーヴィンはひととおり笑うと、背を伸ばして言う。
「……こんなに笑ったのは久しぶりだ、おかげで心が軽くなったよ。礼を言う。ご高説ついでに、今日のお前はなかなか美人だ」
「……!」
私は驚いて顔を上げる。アーヴィンはよしよしと頭を撫でた。
「あと数年したら、シェンの母親のような美人になれるさ。同じ結晶を有しているなら僅かでも可能性はある」
「……それは、誉められているのか、貶されているのか?」
私が頬を膨らませて、アーヴィンの手から逃げると、アーヴィンは「両方」と言って笑った。
アーヴィンは手すりに背中をつけて、私を見た。
「お前が来てからファリナは変わった。人々にまだ生きていけるという希望が灯った。俺もだが、親父も、妹も、あの魔術師さえ笑うようになったよ。単なる阿呆かと思ったが、お前の存在は場を和ませるな」
……感謝の言葉に聞こえるけど、阿呆ってヒドイな。
私が黙ってるのでアーヴィンは確認を取る。
「……こんなものか?」
「あっ、今の、誉め伸ばしの練習だったのか!」
私は今の言葉が、自分が言ったことを配慮してくれたのだと気がついた。この人は見かけが怖いけれどやれば出来る人なんだな。魔法も上手いし学習能力も高い。スゴイ。
私は笑顔で「良くできました」と笑った。
『お前はなかなか見所がある』
その時、ふと私の脳裏に信くらいの年のアーヴィン殿下の姿が浮かんだ。宮廷魔術師から大量の課題を出され、毎日庭で剣と魔術の練習をする彼は、微笑ましくも、痛ましくも見えた。
……これは、エレノア妃の記憶だなぁ。妃にとって、アーヴィン殿下は可愛い弟分だったみたい
「……お前は、愛されているよ」
自分でもビックリするほど低い声が出た。
突然の言葉に目を瞬く殿下に、私は目を閉じてエレノア妃の記憶を覗く。
「まあ愛されてるっても、主にあの太ましいオッサンからだが、お前に張り付くチビたちも、前の王妃もピンピンしていて、ザヴィアの家からお前の事を想ってる、民もまあまあ期待しているよ」
「……は?」
私は片目を開けて、不敵に微笑み、アーヴィン殿下の胸に拳をくっつけた。私はその拳をグリグリと回す。
「人から受けた愛情はな、ここに溜まって、そしてそれを別のヤツに分け与える事が出来るんだ。それは凄い事だ。この力は己を突き動かすし、人を支える事も出来る、ヒトの全ての原動力にもなる、そんな力がお前には多く蓄積されてるって話だ、お前には凄い才能がある、な、ここまで理解したか?」
「……は?」
間抜けな顔を見せる殿下に、私はハァァとため息をついて下を向いた。
「もう一度か? 最初から言うか?」
「いや、話の内容ではなくてな、お前は本当にコウか?」
私はあからさまに怪訝な顔をして、殿下のみぞおちに額をくっつけた。
「阿呆か……時間が無いんだ……、アー坊、お前は何でも出来るし、何にでもなれる、その事を忘れずに生きろよ……妃を迎える予定は無い、など情けない事を言わずに、もっと足掻け、四の王なんぞにまけんな……クソ、眠い……」
一息に言うと、私はひどい目眩に襲われて、殿下の腕にしがみつく。私はもう一方の手で床を探して、ゆっくりと地面にしゃがみこんだ。
「……以上が……エレノアさんの伝言でした」
私が床に手をついて肩で息をしていると、床に赤い線が走り、私の周囲に回復魔方陣が描かれた。殿下は腕輪を取り出して私の頭に乗せる。殿下は腕輪を赤く光らせて魔方陣を発動させた。その陣がじんわりとあたたかくなって、私の貧血が多少ましになる。
「……ハハハ、先日と同じ陣を敷いてもシェンいないと魔力が激減する、真面目にシェンは魔力が有り余ってるんだな、自分で使えないだけで」
殿下の乾いた笑いを聞いて、私はゆっくりと立ち上がり、頭に乗せられた腕輪をしげしげと見る。
「この腕輪の使い方って、頭に乗せるので合っていますか?」
「知らん、光ったのだから問題は無いだろう、今回は節約の為に用いたが、腕輪が無かったら今頃俺の魔力が枯渇していたかもな」
枯渇と聞いて、私は慌てて腕輪を殿下の手に握らせた。たかが私の貧血のせいで、殿下が大変な事になるところだった。
「殿下のお陰で体調もマシになりました、ありがとうございます、エレノアさんも言いたいことが言えて満足なようなので、いい加減アマミクにお水をあげに戻りますね」
「……水は俺が持っていくから、お前はゆっくり休め、走るなよ」
殿下は手すりに置いた水差しを手に持ち、扉を開けて広間に戻る。その殿下が立ち止まり、上を見上げたので私は不思議に思い外窓から上を見る。すると、パリン、とガラスが割れる音が聞こえて来た。
「何かあったか?」
アーヴィンは走って広間に向かって行った。私も追い掛けようとするが、ドレスの裾を踏んですっ転んだ。
「……いったあ」
私がぶつけた膝を抱えて呻いていると、背後から鳥の羽音がした。私は不思議に思い振り返る。月下のベランダの手すりには、長身の黒衣の男が立っていた。