11、つかの間の休日
フレイが殺される夢を見たのを最後に、フレイは私の夢に出て来なくなくなった。
わたしの夢はよくある私の過去や不安にかわり、目が覚めると夢の内容を忘れていた。
私の眠りは私のものだけになり、日中突然倒れることも無くなった。
休日、昼頃に篠崎家に連れてこられた来た信は、リビングでランチを食べながら、ママのタブレットを触っていた。
「GPS入れた途端にこうなるとは、皮肉だなぁ……」
「君はほんっと、そーゆーの好きだねぇ。食べ終わってから見ればいいのに」
私は信の前に牛乳のカップを置く。そのついでに画面を覗くと、信はニュースを見ていた。
「これ触ってると、ノートパソコンを開くのが馬鹿馬鹿しくなるなぁ。手軽で便利だ」
信がずっとタブレットばかり見ているので退屈になり、私はソファーに寝転んだ。
信の部活のない日曜日。
篠崎母娘は朝一番のミサに出席して、そのまま教会にママを置いてきた。ママは昼食を兼ねたコーラスの練習があるらしい。私はひとり帰宅し、隣の家で寝ていた信を起こして家に連れてきた。
土曜は夜更かしをする習慣のある信は、ソファーに寝転んだまま二度寝をしそうだ。
私はふと思い付いて、信の前にママのタブレットを見せたらくいついた。信はあくびをしつつタブレットを触り始めたので、その信の前に信の朝昼ご飯を並べた。ついでに私も隣で昼食をとる。
信には昨日の残りの照り焼きチキンと、塩むすびとコーンスープ、サラダ。自分にはチキンサンドにした。
私が食べ終えても、ながら食べをしている信はスープしか減ってない。しかもなんか呟いてる。
「あ、これネットも閲覧できるんだな……本当、小さなパソコンだ……」
タブレットに夢中な信をほっといて、私は信の隣でママの買ってきた料理の雑誌を見ていた。すると突然信が「えっ?」と声を上げた。
「どうしたの? 知り合いでもニュースにのってた?」
適当な事を言って画面を覗くと、タブレットには簡素なウエブサイトにフレイのいた世界の文字が並んでいた。
信は食べる手を止めて、真剣に画面を見ている。
「なんだこれ、ネットを見てたらなんかたどり着いた……」
私も信の隣から画面を覗き込む。
「あの世界って、もしかしてメジャーなのかな? もしかして、アフリカとか国が多い所とか、見つかってない島国があるとかかな?」
「いや、空飛ぶ竜がこの世界にいたら衛星からすぐに見つかるって、この世界じゃないよあそこは」
「むー、いたらいいのに、空飛ぶ竜……」
信は真剣な顔で謎の文字列を見ていた。
「今分かることは、幸とは別の人間が、あの世界の情報を持っているという事だな……」
信は画面を指した。
「幸、これ読んで?」
「えーっとね……」
私はサイトの入り口のようなところに表示されていく文字を頭の中で日本語に訳す。
「私はここにいます
ここで夢を見ています
ここは竜が命を預り浄化できる世界です
この世界は四つの国があり、竜が王と共に守っています
世界が出来てから千年経つと世界にほころびが出来ました、守護竜の浄化できる命が減りました
それを憂いた女神は世界の再生を約束してこの世界を旅立ちました
私はそれを待っています
彼女が再びここに戻る日を待ちわびています」
私は日本語の翻訳に悩みつつ言うと、信はメモをとりながらフムと感心する。
「幸は翻訳に向いているんじゃないか? 結構分かりやすかった……」
「この世界の言語を訳す仕事があればいいんだけどねー」
「無いだろうなー」
そのサイトのコンテンツを開くと、フレイのいる世界の地図や人口分布、そして年表などもある。人口は最初は四人だけだったけど、三百年には数十万に、七百年には百万人を越えていた。
「なにこれすげぇ……本当に実在しているみたいに生々しいデータが出てくる」
「東と北は人口が激変するのに、西だけ一定なのが学舎らしいねぇ。二の王はとことん人口管理してるんだなー」
「……西の学舎……二の王」
私が呟くことを、信は書き写してうーんと唸る。
「他の国はどんどん王が変わっていくのに、西だけは同じ王が務めているな。西の王は千年生きているのか?」
「そうだね。同じ人らしいよ。肉体は何度も再生をかけているって聞いた気がする」
「西の年表……あ、六九十年に王と守護竜か不在の時期が一ヶ月ある。ここで再生したのかな」
それを聞いて、幸も画面を覗く。
「一ヶ月で体が復帰出来るの?」
「再生という文字だけだから、どーゆー状態かはわからないな……」
年表を見ながら、夢の記憶に深い災害やそれが起きた場所を調べてみるとだいたい一致していた。最近記憶に新しい砂漠の都の崩壊も符号している。
フレイの夢の出来事は、このサイトの中では本当にあった事のように記載されている。
「この世界は本当にあるみたいだな。少なくとも、このサイトの製作者と幸の頭の中に」
「じゃあ竜が実在するのね!」
「……コウの頭の中にな」
「はー、おっきな鱗とか触ってみたいねぇ」
ピカピカ光る固い鱗に大きな体、物理法則を無視して空を駆ける巨躯の竜を思うとワクワクする。
私以上にサイトに夢中な信は、食べるのを完全に忘れ去り、タブレットを熱心に見ていた。
「ねえねえ、フレイについては何か書いてないの?」
「年表にその名前は出てこないな……」
「幽霊だから、存在を知られていないんだね」
「年表に記載されているのは四人の王や歴代の王だな……国別データに聖地は無い」
……聖地は神様のものだから、王様も守護竜もいないもんね。
そのサイトにフレイの名前が見あたらないことにがっかりしていたら、信はサッと立ちあかった。
「ちょっと自宅に戻る」
「えっ、ご飯途中だよ?」
幸の言うことも聞かずに、信はタブレットを置いて玄関から出ていった。
玄関の扉が閉まる音がして、誰もいない家にひとり残された。テーブルの上に放置された朝昼ご飯を見てため息をつく。
「もー……何かに夢中になったら飲まず食わず寝ずなんだからー」
残り物を捨てるのは作った身としては悲しい。そして今これを食べるだけの胃の空きはない。
「……お弁当箱に詰めるか、そしたら作業しながらでも食べるでしょ」
私は皿をキッチンに運びつつ、保存容器を棚から出した。
◇◇
日曜日の昼、ママのタブレットからサイトのURLをメールで送った信は、自室のパソコンを立ち上げた。
メールからサイトを開くとちゃんと表示されている。俺は地図やデータをパソコンに保存しつつガッツポーズをとった。
……自作よりもずっと正確な地図うれしい。文字は意味不明だけど、幸さんいるしなんとかなる。
――文字
ふと思い、サイトを見ると、異世界の言葉はフォントではなく画像にくっついていた。絵に直接文字が書かれている感じだ。
このサイトを作った人も、異世界のフォントは作成して無いのかもしれない。なのでダウンロードしたものは殆どが画像だった。
俺は真剣にノートパソコンを覗く。
「ふむ……全然わからねぇ」
独り言を言ったのに、脇から声がかかる。
「何が?」
「……えっ!?」
驚いて振り向くと、ベッドの上に幸がペタリと座り、こちらを見ていた。
「いつからいた? 全然気が付かなかった…」
「十分前くらいだよ、気が付かないものだねぇ」
「十分……」
俺はあきれて、自室を見回した。
ここは六畳の和室にベッドと勉強机を置いただけの殺風景な部屋だ。
そのほぼ和風な風景の中、珍しくスカートを着た幸が座っている。円形に広がるフレアスカートをはいた幸の姿は、前に吉田が貸してくれたアニメみたいだった。
……部屋に異世界的な女子が沸くやつ
幸はおそらく、幸の家のベランダから木を伝って、窓から侵入して来たんだろう。
小学生の頃は頻繁に使われていた木登りルートも、最近ではほぼ使わなくなっていた。最後に使われたのは、幸が夢にうなされたあの日くらいだ。
幸はベッドから下りて、俺に弁当を差し出した。
「残りを詰めてきたよ、ちゃんと食べてね」
残されて不機嫌なのか、頬をふくらまして言うのがかわいいと思う。露出度は短パンの方が高いのに、やっぱりスカートの方がイイ。ふんわり花柄ワンピースかわいい。
俺は色々考えていたが、表情にはいっさい出さずに仏頂面で弁当箱を受け取った。
「……幸のスカート珍しい」
「そう?」
指摘すると、幸は裾を持ってくるりと回った。スカートの裾がふわりと広がり、花のような匂いがする。
「これね、ママがいつ写真とるか分からないから着ろって」
そう言って幸は裾をたくしあげた。
「……!」
俺は一瞬ドキッとしたが、なんてことない、いつものキャミと短パンの上に、肩の出たワンピースを重ねて着ているだけだった。
……心臓に悪い
心臓がドクドクと鳴り、頭に血が上る。俺は動揺を隠そうと、椅子を回してパソコンの画面に向き直った。
「何が分からないの? 読もうか?」
肩越しに幸の声がした。
「どこ?」
……ヒィッ!
画面を見ている幸は、無意識に俺の肩に手を置いて画面を覗いていた。幸の指が首に触れる。顔に息がかかる。しかもイチゴのような甘い匂いはハミガキ粉か?
ただそれだけの事で、静まっていた俺の鼓動は跳ね上がった。
……泣いたり寝ぼけている幸を抱きしめても何も思わないのに、俺の部屋にいるだけでどうしてこんなにも違うのか?
ここで幸に赤面した顔が見られるのは気まずい。俺は幸の視線から隠れるように立ち上がり、椅子を引いて画面の前の席を幸に譲った。
幸が画面を見ている間に俺は、棚に置いてあるプリンターを出してノートパソコンに繋ぎ、文字の多いページを印刷していった。煩悩は作業に集中して逃がすに限る。
印字した紙が十ページくらいたまった所でまとめて幸に渡し、ペンも投げて寄越した。
「それ翻訳よろしく、家でやりなよ」
帰ってくれ。の意味も込めて渡すが、願い叶わず、幸は俺のベッドに寝転がって翻訳を始めた。
これに動揺したら敗けだと、幸の存在を頭から消して、俺は異世界のデータベースをにらんだ。そのサイトから得た情報を、自分のデータに付け加える作業に没頭する。
「あ、そうだ幸、今日午後に吉田来るよ」
作業の切れ間に幸を見ると、幸はスースーと寝息をたてて寝ていた。この寝方は例の夢なのか、単なる午後の昼寝なのか?
俺は青くなって幸をゆすってみる。
「……うーん」
例の夢を見ているときは何をしても起きない幸だが、揺すられるとうざそうに体をよじった。俺はフゥと息を吐く。
「居眠りしてるだけか、本当に座学に弱いなお前……」
……まあ昼食後の翻訳なんて誰でも眠くなるか
俺は幸の手からペンを取り、寝ている幸を呆れて見ていた。起きる気配が微塵もないので、幸の露出したおでこに第三の目でも書いてやろうかとキャップを取ったら、玄関のチャイムがなった。
「まさか吉田? 早くね?」
俺は慌てて玄関の鍵を外して引き戸を開ける。するとそこにはコンビニ袋を持った吉田が満面の笑顔で立っていた。
「まだ早いけど、飯も食わせてもらおーと思って買ってきた!」
俺はにこやかに笑って外に出て、玄関の引き戸をパンと閉めた。
「吉田、ごめん。実は今日家はダメってことになって」
俺は吉田を追い返そうとするが、家に親が居ないことを知っている吉田は、躊躇なく引き戸を開けて、俺の部屋に続く階段を駆け上がった。
「ちょま、馬鹿! 吉田、待てって!」
自室のドアは襖だ、鍵なんてあるはずもない。吉田は襖を勢いよく開けたところで、動きを止めた。
俺が吉田に追いついて、その顔を覗く。
吉田は顔をひくつかせて振り返り、「事後なん?」と寝ている幸を指差した。
俺はハァ……と、深いため息をついた。
「アホ、んなわけあるか。こいつは窓から入って来た不法侵入者だ」
「侵入者」
吉田はチラリと窓を見て、ベッドに寝ている幸の側に正座をした。
「普通に寝ているだけだからすぐに起きる、飯なら台所に行こう、茶くらいいれる」
俺は吉田を部屋から追い出したくて腕を引っ張るが、吉田は動かなかった。
「いいなあ、幼馴染みイイ……」
「勝手に入ってこられて迷惑している」
「迷惑って! こんなんイベントスチルあるような展開じゃん? 差分回収必須でしょ!」
吉田はわけが分からないことをいいながらしゃがむので、俺は吉田の頭をはたいた。
「視線低くしてもパンツ見えないよ」
「えっ」
「こいついつも下に短パンはいてるから、絶対に見えない」
「へぇー……でも短パンもいいよね……写真撮っていい?」
「ダメ」
吉田がスマホを取り出すので、俺は吉田を部屋から蹴り出した。
……コウのスカートは封印、封印です!
俺はそう念じつつ、幸にタオルケットをかける。ついでに幸が持ってきた弁当箱をつかんで、吉田を連れて階段を駆け下りた。
八畳の居間に弁当を広げて、ふたりて昼食を食べていた。
「いいなあ、幼馴染みいいなぁ……」
吉田は俺の弁当を勝手に食べながら、ずっと同じことを繰り返している。
俺は吉田にうんざりしつつも、吉田が持ち込んだ漫画やDVDを遠慮なくあさった。
「兄貴のだから丁重にねー」
「オーケー」
幸の家では縁のない、アニメや特撮の映像は貴重だ。SNSで話題になっても、ネットでの課金を父親に禁じられているので、テレビ放送分しか見られない。そんな、見るのを諦めていた昔の作品が、吉田の家には沢山ある。
「兄貴はすごいよー、バイト代全部ゲームとDVDにつぎ込んでる」
本来なら特撮を見まくるだろう幼年期に、俺は全く見ていなかったので、どれも新鮮で面白かった。俺は吉田の持ち込んだDVDをまじまじと見る。
「特撮は最近のよりも古い方が好きだなぁ。これとか話が複雑で手が込んでいるし」
「それはねー、三十周年だから超大作なんですよ。制作会社の気合いが違うよねー」
「へぇー」
中二の男二人で特撮談義をしていたら、廊下に幸が立っていて、障子から顔だけを覗かせてじっと吉田を見ていた。
「おはよー、幸ちゃん。起きたー?」
吉田は幸に向かってのんきに手を振る。吉田を見て固まっていた幸は、手を軽く振って、ギクシャクと二階に戻っていった。
「コウ、玄関から帰れ」
俺が幸を追いかけてそう言うと、幸はむすっとした。
「靴ないし、うちの玄関は鍵がしまってるのに?」
「サンダルを貸す。鍵は俺のを使えばいい」
階段で立ち話をしている二人に、吉田が能天気な声で話しかけた。
「コウちゃんも映画見ようよ、女の子向けもあるよー。魔法少女。服がかわいいよこれ」
「やめろ吉田、俺は見ない」
見ないと言われて吉田は真顔になった。
「いやこれマジオススメなんで! ここ三年で一番感動した作品だし! 感動どころじゃないよ、号泣ものだし!」
俺は吉田が必死で押し付けてくるDVDを見た。数年前にSNSで話題になっていたアニメだが、メインキャラが死ぬ事で有名だった記憶がある。
「……残酷なのは、ちょっとね」
俺は吉田にDVDを返して、卓上に散らばったDVDを拾って重ねる。その隙に、幸は吉田からDVDを渡されたようで、裏側の解説を読んでいた。
「ダーメ」
俺は幸の手からDVDを取って、吉田のバッグに入れて吉田に渡す。
「俺は見ない」
俺は断言するが、幸は気になるようで、吉田のバッグを覗いていた。学校では避けている吉田に、DVDにつられて近寄る幸がむかつく。
「たいしてグロくはないよ。だいじょーぶ」
吉田はバッグからそのDVDを出して、居間のゲーム兼再生機に入れる。幸がちょこんと、座卓の前で正座した。
「幸、それ恐竜でてこないぞ」
ママの好みでアニメも少女漫画も無縁の幸に、いきなりキャラ死亡有りの作品なんて無いだろうな。
俺はそう思うが、幸は真面目な顔をして座っていた。
「魔法きになる」
「魔法はメリー・ポピンズ程度にしておいてくれよ……」
「見る」
俺は何度も見ている、ママが好きな映画を言うが、幸を止めるには理由が弱すぎた。
映画は始まり、平温な学校シーンが流れる。
……開け放した和室だし、二人を放置して作業に戻るか。
俺は和室を出ていこうとして、障子の前で振り返り、吉田を見る。すると吉田はTVでなく幸を見ていた。
幸は一応ワンピースを上に着させられているが、肩はむき出しで、ノーブラときた。
クラスメイトが二人並んでアニメを見ているだけだが、自分が女という自覚のない幸と、夢多きヲタの吉田を二人きりで置いておくわけにはいかない。
俺は諦めて、座卓の誰も座っていない面に腰かけた。
映画は、平温な生活に魔法が介入し、最初は楽しい事ばかりが続いたが、魔法によって人間関係に亀裂が入る。
友人関係は破局したまま世界は敵に蹂躙される。
このままでは世界も友人も失うと思った主人公が、友人に助けを求め、仲間の力を集めて自分の命を投じ、世界と友人を救うという話だった。
見ないと宣言した割りには、俺は画面にみいっていた。俺はラストで自分が涙ぐんでいる事に気がついた。
ヤバ……と、目頭を押さえて涙をひっこめたら、幸と吉田は真面目に号泣していた。
俺は席を立って、ティッシュボックスと、広告で折った小さなごみ箱を卓の中央に置く。幸はティッシュを取って顔を覆い、本気でしくしくと泣いていた。
「初見の幸はいいけど、何故吉田まで鼻をたらしているのか」
俺は吉田にごみ箱を向けると、吉田は鼻をかんだゴミを投げいれた。
「幸ちゃんの顔を見ていたら初見を思い出して泣いた……」
……映画の内容に泣いてるんじゃないのか。
俺は呆れて席を立つ。冷蔵庫から麦茶を出して二人に出した。
幸は無言で麦茶を受け取って、時々肩を震わせながらチビチビと飲んでいる。吉田はニヤつきながら幸を見ていたので、俺はため息をついて幸に帰れと促した。
「ついていって鍵を開けてくる」
俺は幸を先に行かせて、鞄から鍵を出して後を追いかけた。
篠崎家の庭に沿うように、俺の家の前には細い路地がある。路地を抜けて道に出ると、幸の後ろ姿が見えた。
幸はツルバラの繁る鉄柵の前で立ち止まっていた。幸はうつむいてずっと何かを考えている。
俺は小走りで幸を追い抜かすと、幸は磁石に引かれるようにヨロヨロと俺についてくる。俺が幸の家の門を開けた時に、幸は俺の袖を引いた。
「どうした? まだ悲しい?」
「ううん、悲しくない。でもね、さっきの映画を見て、私、フレイの事を思ったの」
幸は下を向いていた顔を上げて、真っ直ぐに俺を見た。
「フレイは殺される時にね、私にお礼を言って、フレイの中から追い出したの。彼女は自分が殺されることを受け入れていたし、私が見ていることも知っていたのよ」
幸の瞳に映る庭木が風に揺れた。幸はスゥと息を吸う。
「それを見て、ネットのサイトの序文を思い出したの」
「……どの部分?」
「女神? 女はかもしれないけど、女神は憂いて世界の再生を約束して旅立った。の部分……」
「私はそれを待っています?」
俺がつけたすと、幸はうんうんと頷いた。
「フレイは死んだけど、また生き返るのかも知れないなって」
「幽霊が死ぬっていうのがそもそも変なんだよなぁ。その場合は死ではなく、憑依対象の入れ替えになるんじゃ……」
そこまで言って、俺はふと思い立った。
フレイという名前は、幸の祖母の名前だと言うこと。その祖母は二十才でママを生んで死んでしまったこと。その後、フレイに似ていないママを飛び越えて、フレイに似ている幸の夢のなかだけに現れること……。
もしかして、フレイは幸の祖母で、幸として生まれ変わっている可能性は無いか? あの世界を再生するために、幸に憑依しているとか?
そしてひとまず幸に、自分の過去を夢として見せているとか。
そこまで考えて、俺は馬鹿馬鹿しくなって苦笑した。
……吉田の持ってくるアニメじゃあるまいし。
幽霊とかいない。
足元を見ていたが俺が、顔を上げて幸を見ると、幸は泣き腫らした目で俺を見ていた。俺は幸を抱きしめたくなったが、吉田が見ている可能性を思って、幸の頭をポンポンと叩いた。
「余計な心配しないで、幸は宿題をやっときなよ」
幸はまだ不安そうな顔をしていたので、もう一言追加。
「夕飯あれたべたい。オニオングラタンスープ」
「食べたい!」
ファミレスに行けば手軽に食べられるメニューだけど、自宅で作るととても時間のかかる一品だ。なんというか、玉ねぎ炒めの時間がはんぱないやつ。
「食べたいから作る、メインはカツでいいかな?」
「シュニッツエル、衣にチーズが入った薄いやつ」
「子牛ないよ? トンカツみたいになるよ?」
「頑張れ、幸なら出来る!」
「……君は手間のかかるものをたべたがるなー」
幸はウーンと考えて俺に聞いた。
「ザワークラフト無い、コールスローになるよ?」
「そこはせん切りで……」
「どんどんドイツから遠ざかるよ! トンカツ度合いが増し増しだよ! キャベツは酸っぱい方がおいしいよ?」
「酢の物はちょっとねーくさいし」
二人で玄関前で夜のメニューについて話していたら、うつむいていた幸が顔を上げて、目がやる気に満ちて輝いてきた。
……よし。戻ったな。
俺は心の中でガッツポーズを取る。
幸のご機嫌取りは、何かを与えるのではなくこっちの面倒をみさせる事だった。幸は人に与えられるよりも、与える方が好きなのだ。
「幸ちゃんは、食べさせるのが好き」
俺は、前にエレンママが言っていた言葉を思い出した。
……その通りです、さすが母親です、よく見ている。
走って家に帰る幸に、俺は軽く手を振って、吉田の待つ自宅に戻った。
積み木は積み終えました
あとは崩していくだけ