10-3、紙片探索
静かでひんやりとした水竜の巣を、アマツチとセダン王は歩いていた。
湖面を見ると、白い大きな影が二人を追うように泳いでいる。
湖にかけられた長い通路を歩きながら、アマツチは泳いでいる水竜にお礼を言った。
「水竜、扉を開けてくれてありがとう、突然無理を行ってゴメン、ファリナ王にもお礼を伝えておいて」
水面に向かって大声で話す一の王を、セダン王はじっと見ていた。
ふたりが水竜の巣に来たのは、アマツチが西の学舎に行くためだった。
夕食後にアマツチが、突然二の王に会いたいと言いだしたので、早朝の浄化後にファリナから西への扉を使わせて貰うことになった。
他国への扉の利用は、両国の守護竜の許可がいる。なので、アマツチは水竜に頼んで扉を開けて貰った。セダン王は見送りという名目の興味本位でアマツチに付いて来た。
護衛のふたりは水竜の巣の入り口に待機させて、アマツチと水竜だけで扉の前まで進む。
扉までの長い橋を渡りながら、アマツチはコウという女神の役割と、裁定者の目的の話をした。
セダン王も、他所の世界の子どもを生け贄にするのは反対してくれてので、ひとまず安心する。
「セダン王は護衛が一人減ったくらいでどうってことないですよね? ミクさん一人でこと足りるよね?」
「戦力的には充分ファリナを落とせるね……でもアマツチがいないと夜が寂しくなるなぁ……」
アマツチは苦笑した。
「また軽口をたたく……そんなこと言ってるから城で変な噂を立てられるんだよ?」
「私が結婚しないのはお前のせいだっていうアレかい? 大丈夫だよ、私は女の人のほうが好きだよ」
ふざける王にアマツチはげんなりして顔を歪める。
「ほうがって……もっと完全否定して……疑う余地を欠片も残さないで」
「お前がいないと三の姫に迫り放題だなぁ」
セダン王はにこやかに笑ってアマツチを見る。アマツチは殴りたい衝動に駆られ拳を握った。
「はー、すごい勇気ですねぇ、消し炭になりますよー」
「彼女は優しいから弱いものを傷つけたりはしないさ」
「まあお好きに。俺は恋とか愛とか、それどころじゃないんで!」
そう言って扉をくぐろうとるアマツチの肩を王がつかんだ。
「……好きなら絶体手放すなよ、彼女は強いから、一人でも平気だろって考えじゃ後で絶体に後悔するからな」
「……え、なに?」
いつもニコニコと笑顔を浮かべているセダン王が、真剣な顔をしているのでアマツチは驚いた。
王は呆けているアマツチの背中をどんと押す。すると水竜が動き、重い扉が音を立てて閉まった。
セダン王は目の前で閉じた西の学舎への扉を見つめてため息をついた。そのまま振り向くと水竜と目か合った。
『妙に意味ありげな事を呟いたな』
水竜の軽い口調にセダン王は笑った。
「竜なのに、ヒトの色恋に興味がおありで?」
『無いよ』
「……竜だからそんなものか」
水竜は尻尾で水を叩いて抗議する。
『種族差別は賢王のすることではないぞ? No.1が自己防衛の為に人の感情に興味を示さないだけで、俺はそれなりに人間の感情を尊重するからな?』
「ほほぅ……守護竜にも個性があるのですねぇ」
『……人は時や状況を分析せずに己の感情に従い不可解な行動をする生き物だ。これは他の生物には無いものだ』
それはとくに、コウがそうだ。あの子どものすることは全く予想出来ない。と水竜はヒレで水を叩きながらぼやく。
セダン王は水竜の物言いが面白く、話に興じた。
「感情は人間特有のものなのですか?」
『人間というよりも、神の持つものだな。人は飢えていて、目の前に食事があったとしても、感情でそれを食べるか食べないか決めるらしい。人は己の命よりも感情を尊ぶ』
「プライドというものがありますからね」
『子を守るべき母親が、それを殺すこともある』
セダン王ははっとして、水竜の巨大な顔を見上げる。
「それは、エレノアのことなのだろうか」
『いや、その人間はデータでしか残ってない。前任なら詳細を知っていたのだろうがな。その女は子を手にかけたのか?』
セダン王は苦笑した。
「知らないから聞いているのですよ?」
セダン王は湖に伸びる長い橋を歩く。
「本当に妹は死んだのでしょうか? 私にとってあの女は人類最強で、勝手きままに生きる魔物のような人でした。あれが自害することが有るとは思えないのですよ」
王は振り返って水竜を見る。
「水竜は、エレノアに親しい人をご存知ないでしょうか? その、データとやらに残っていませんか?」
『データでは、王宮魔術師との口論が七十八回あり、そのうち妃が論破したのが六十八回、他は引き分けだとある。仲が良かった人間はメイドのハノイ、あとシェレンだ。妃は兵士に弓を教えていたこともあったらしい、様々な行事で賞を取っている』
それを聞いて、セダン王は吹き出した。やはりファリナにきても、エレノアはエレノアだ。
「のびのびと過ごしていたようで何よりです。エレノアはファリナ王とは喧嘩せずやっていたのでしょうか?」
水竜は水面から顔だけ出して、興味なさそうにつぶやいた。
『王は前任の水竜にかまけていたから、殆ど接触は無いようだな。もとから爺さんと孫といった間柄だったから、孫のように可愛がっていたようだ』
「……孫……妃なのに?」
水竜は入口に向かって湖を泳ぐ。
『年齢が三百年近く違うんだ、そんなものだろう』
水竜は城に続く扉をヒレで指し示した。
『さあ、もう行きな、ここは滅多に開けないんだ。この前邪神が来たからさっさと封鎖したいよ』
「それは申し訳ない、失礼いたしました」
両手を合わせ、軽く頭を下げる王を見て、水竜はきょとんとした。
『お前、本当に王か?』
「地竜と契約はしてますよ?」
『いやすまん、今まで謙虚な王というのを見たことがなかったのでな』
「ちなみに、一番謙虚ではない王というのはどなたなのです?」
水竜はそっぽ向いて言った。
『うちの王だよ』
セダン王はケタケタ笑いながら、護衛に礼を言って水竜の巣を出た。
セダン王は地下の番兵にも礼を言い、護衛の二人と地上のエントランスまで上がる。するとファリナ兵と二人の女の子が天井を見上げながら話をしていた。
一人は三の姫だったので、セダン王は話しかける。
「おはよう、天井がどうしたんだい?」
「あ、おはようございますセダン王」
ぺこりと体をふたつに折って挨拶したのは緑の魔女の生まれ変わりの子どもだった。
「なんかね、天井に何か刺さってるってコウがいうから、どうやって取ろうか悩んでいるのよ」
上を見上げて首をかしげるのは三の姫。
彼女は常に綺麗な背中をおしげもなく晒している。
女子に巻き込まれたのであろう兵士も、セダンの護衛もチラチラと三の姫を見ていた。
……鑑賞するだけなら素晴らしい美姫だ。ウチや北国ではあり得ないほど薄着だしね。
「うーん……紙のように見えるのですがなんなのでしょうね? ちょっとセレム呼んでこようかなぁ」
こんな用事に守護竜の名を出す娘が可笑しくて、セダン王は肩を震わせる。
「柱を伝えば取れる気がするわ」
「ミクさん、今日ズボンはいてないから、やめたほうがいいよ」
三の姫はうーんと、手をこまねいた。
「なにか、小さな丸い石のようなものがあれば貸してほしいんだが」
セダン王が三人に言うと兵士がコインを出した。
「平たいですけど、どうでしょう?」
「いけるよ、ありがとう」
礼を告げると目を丸くして驚かれた。どうやらこの国では身分差が激しいようだ。
だからと言って、自分のふるまいを変える気は無いが。
セダン王は腕に巻いていた紐をほどいて、コインを当てて長く伸ばし、天井に向けた。
「あんな遠くまで届くのかな?」
女子が見守る中、コインは綺麗な放物線を書いて飛び、天井に挟まっている何かを落とした。
子どもは走ってそれを拾いに行く。それは小さな紙片で、上質な薄い紙で、細く小さく折り畳んであった。
「食堂、って書いてあります……」
全員でそれを見て「何これ?」と首をかしげる。紙を覗くと見慣れた文字だったので驚く。
「エレノアの筆跡だ……」
「ほほう、王妃のメモですか。だとすれば、食堂に次の紙があるのかな? 行ってみる?」
子どもが三の姫の顔を伺うと、姫は「行こう!」と拳を上げる。セダン王と兵士は顔を見合わせた。
「ちょっと興味があるので、同行しても良いかい?」
「私は持ち場を離れるわけにはいかないので、探し物が見つかる事を祈ってますね」
門番が敬礼をして三人を見送るので、三の姫は兵士に「ありがと!」と投げキッスをした。
女子は手を繋いで食堂に向かった。
「君達仲良しだね」
「コウは貴重なもふもふ成分だから」
「……もふもふ?」
この世界にもふもふという言葉はない。おそらく異世界の言葉だろう、不思議がっていると、子どもが説明した。
「もふもふは異世界の言葉で手触りの柔らかいものを意味しています。ミクさん砂漠でずっと一人ぼっちだったから、すこーく寂しがりやさんなんです。転生後に人の言葉話したのも私が最初みたいで、だから仲良しなのかと……」
「成る程ねぇ……地竜の話では、緑の魔女と三の姫は仲が悪いと聞いていたから、不思議に思っていたんだ」
それを聞くと、三の姫は子どもの頭をそっと抱きしめた。
「緑の魔女は嫌い。でもこれはコウだから、関係ない」
「同じ結晶から出たという妹も、コウさんとは全然違いましたよ。結晶は宿る魂で性格が変わるのかも知れないね」
「そうですね、セレムはセシルと別人格ですから」
セレムは今の水竜だから、同じ結晶を有するというセシルは先代の水竜だろう。
前を歩く黒髪の少女を見て思う。
同じ黒髪の妹が小さかった頃を私は知らない。エレノアは出会った時から殆ど姿形が変わらなかった。
彼女は、私が幼い頃からずっと成人前の娘の姿のままで、最後に見たときもたいして変わりが無かった。
兄たちがあれを「妹」と読んだのは、たんなる便宜上の呼称で、エレノアには血縁が誰もいなかった。
守護竜や一の王は神の結晶に人格が宿った者で、親はいない。同じくエレノアも結晶から生じたのだろうか?
……今思うと、エレノアは第八の守護竜だったと言うのは真実だったのかもしれない。
黒髪の子どもが、三の姫は寂しいのだと言ったのを思い出す。親のいない彼らは、オージンもアマツチも常に人の側にあろうとする。国の、人の役に立とうとする。
私は三の姫に腕を向けた。
「姫、お手をどうぞ」
「……ふふん」
ミクはエスコートされるままに、セダン王の腕に手を回した。
「すみませんね、うちの城で寂しがらせて」
「夜がとくに怖い……」
「……ん?」
一瞬、寝屋への誘いかと思ったが、子どもがあわてて話を変えた。
「そ、そ、そういえばファリナの寒い地方だと、夜に人と一緒に寝るんですよ! 人肌あったかいですから、そーゆーものらしいです。私、南の村でシェレン姫と一緒に寝たことありますよ!」
「へぇ、セダンではない風習だね」
「いいですよねー、人肌……」
何かを思い出すようにしみじみと語る子どもは、恋する乙女の顔をしていた。
「……王?」
手を組んでるミクが王の顔を覗く。
「いや、すまない笑ってしまって……。アマツチがよく女の子がどーのと騒ぐんだが、なんとなく気持ちが分かったよ」
「……なにそれ?」
王はミクを見つめて目を細める。
「姫が魅力的だと言っているのですよ」
「ミクさんが口説かれてる!?」
口説き文句を聞いて、子どもは顔を赤く染める。
「あら、ありがとう?」
三の姫は話の内容を理解しなかったが、さほど気にならないようで、ニッコリと微笑み返した。
「寂しい夜は部屋に忍んで来てもいいですよ」
「わぁ! ダメだよミクさん、アマツチにしときな! 人間はミクさんが殴ると死んじゃうからね!」
状況を理解していない三の姫に対して、子どもの反応が対極的で面白い。セダン王は子どもをからかって遊んでいたが、後ろにいる護衛と目が合って、慌てて咳払いをした。
「もちろん、冗談ですよ」
「……冗談だったんですか!」
ホッと肩を撫で下ろす子どもに、セダン王は朗らかな笑顔を見せた。
◇◇
朝食後にアマミクと私は城を見学していた。
アマツチは朝早くに西の学舎に行ったらしい。浄化に付き添っていたジーンがそう言っていた。
腹ごなしの運動中、ミクが天井に白い小さな物をつけた。どう取ろうか迷っていたら、通りかかったセダン王がゴムのような紐で落としてくれた。
それは紙片で、シェレン姫の母親であるエレノア妃の文字だったので、メモに書かれていた場所に向かった。
一行が食堂につくと、私が先に入り、ハノイさんに話をつけた。
仕事の邪魔をしないと言う条件で食堂と厨房にいれてもらう。護衛の二人は部屋の入り口に待機で、三人で手分けをして次の紙片を探すが見当たらなかった。
「何をお探しですか?」
比較的若いメイド達が、頬を染めて王に声を掛ける。王はさっきの紙片を取り出してメイド達に見せた。
「えー、しらなーい」
「もう誰か見つけてるとか無いの?」
「ここの担当者誰だっけ?」
若い見栄えの良い男性を前に、女性達はキャーキャーと姦しい。すると、奥からハノイが出てきて女性達を一喝した。
「あんたら持ち場に戻りな、久々の賓客だからといって、浮かれてるんじゃないよ!」
「はーい」
厨房に帰るメイド達を横目で見て、セダン王はハノイに声をかけた。
私は探しているフリで聞き耳を立てる。
「すみません、お騒がせ致しまして、貴方がメイド長ですか?」
ハノイはさっと笑顔になり、そうですよと挨拶をする。
セダン王もつられて笑う。
「いやぁ、長らく国交を閉じられていたので、来たのは妹の婚礼が最後でした。妹が貴方にお世話になったそうで、ありがとうございました」
ハノイはセダン王の穏やかな笑顔を見て、ふと顔を曇らせた。
「まさか、妃様があんなことになるなんて思ってもみなかったので、何も出来ずに申しわけないねぇ……」
「あんなこととは? エレノアは病でも患っていたのでしょうか?」
「……えっ、聞いてないのかい?」
ハノイは実の兄なのに妹の死因を知らないのかと驚く。理由を話しても良いのかと、周りを見るが、事情を知っている者は誰もいないようで、ハァとため息をついた。
「……まあ、マタニティーブルーてやつだろうね。二人目を授かってからは本当、人が変わったように鬱がれてしまって……」
「塞がれる? 怒るとかではなく、落ち込むとか、気力が無いといった様子でしたか?」
ハノイは頷いて、そっとため息をついた。
「それでも、エレノア様にはシェレン様がおられましたから、毎日気丈に振る舞って、姫の前では良い母親をされてたのですがね、夜などお一人になられるとどうしてもふさがれて、見てられなかったですわ……」
遠い目をして語る婦人に、セダン王は首を傾げる。
「すみません、妹が落ち込んだり悩んだりする姿がどうしても想像できなくて……」
「姫様のお部屋でずっと泣いておりましたよ。なんでも人に悲しさが伝わるとかで、塞がれている時はひとりで部屋に閉じ籠っていましたね」
「……泣く? あれが?」
ハノイは話が噛み合わない事に少し苛立って、セダン王の背中をバンと叩いた。
「セダン王は妹君を、涙も、塞ぐことも無い女だと思っているのかい? 女とは繊細な生き物なんだよ?」
……バンって、叩いた! ハノイさんなんて事を!
「ハノイさん! そのヒト、セダンの王さま!」
「あっ……」
私に指摘されてハノイも顔を青くするが、セダン王はクスッと笑った。
「……あっ、いや、気を遣われないでください。女性を侮辱する意味は毛ほどもありませんから。私の知っている妹と、ここでの妹は違ったようなので、多少戸惑いまして」
セダン王がハノイの非礼を気にして無いのを見て、ハノイと私はホッとした。
セダン王はしばらく目を閉じて何かを考えていたが、「誰の」と言いかけたところで背後から背中を押されて転びかけた。押した本人であるアマミクが、転ぶ王をサッと抱えてニヤリと笑う。
「棚の裏側にあったよ!」
「ありがとうございます」
「今、体当たりする必要あった?」
私の叫びは無視された。
王は女性にお姫様抱っこをされているわけだが、それでも動じないセダン王は本当に心が広い。というか、権威や見栄に無頓着なのかもしれない。
セダン王がその紙を見ると「寝室」と書かれていた。
「次行こー!」
ミクがセダン王の背中を押して部屋を出ていく。護衛の人もふたりの後をついて行くので、私は慌てて一行を追いかけた。セダン王は扉の前で、手を合わせて一礼して食堂を出た。
「お仕事中スミマセン! お騒がせしました!」
私もセダン王を見習って、扉の前でペコリと頭を下げる。二種類の見慣れぬお辞儀を見て、ハノイはアハハと笑った。