10、(幸 )三日月夜
幸が目を開けると、そこは自宅のソファの上だった。
……何時だろう?
すでに部屋の灯りは消えていて、スモールランプが室内をぼんやりと照らしていた。
「うっ……」
頭が重くて、目が熱ぼったく腫れている。私は顔を触ろうと右手を動かすと、何故か動かなかった。
……そうだ、右手は無かったっけ。
確か肩から下を失っていた、そんな記憶を思い出していたが、それはフレイの夢だったことに気が付いた。
……いや、腕あるよ、消えてないよ!
右手の指を動かしてみると、ちゃんと動いた。どうやら右手に何かが乗っていて、重いだけのようだ。左手でその黒いモノを触ってみると、モサッとしていて、ゴワゴワした手触りを感じた。これは……。
「信の剛毛……」
右手が動かなかったのは、信がその手を握りしめ、手の上に頭ものせており、床に座ったまま寝ていたからだった。
私は左手で、寝ている信の頭をワシャワシャと撫でた。
信の髪の毛は私に比べてとても太く、いつもツンツンと跳ねている。そんな跳ねる髪をなだめるように、信の頭を撫で付けていたら、強張っていた気持ちがだんだん落ち着いて来た。
「……キミは、私が怖い夢を見て泣いていたから、ソバにいてくれたの?」
信はいつもそうだ。私が夢に怖がる度に、ずっと側にいてくれた。家族でも親戚でも無いのに、ただ親切心からか、ずーっと……。
私はしばらく信の固い髪を撫でていたが、信が床の上に崩した正座で座っていることが気になった。
「これ、足が痛そうだな……ソファーにうつせないかな?」
私は右手をそっとはずして、寝ている信の脇に腕を通して持ち上げようとするが、私の力ではソファーの上に移動させる事は出来なかった。
「そうだ、布団をここに持ってこよう!」
私は二階に行って敷き布団とタオルケットを持ってくる。そしてソファーの前に置いてあるテーブルをどかして布団を広げた。
布団を寝ている信の側にしいて、上半身を動かすと、うまいこと敷き布団の上に転がってくれた。
私はホッとして、信の頭の下に信が使う枕を置いて、お腹にタオルケットをかけた。
私はそのまま飽きるまで信の寝顔を見ていた。しかし自分が制服のまま着替えていない事に気がついて、あわてて自室に戻った。
物音でママが目をさましたようで、ドアを開ける音がした。私は着替えを手に、部屋から出たところでママにつかまった。
「Sorry,mam. I fell asleep again.(また寝ちゃった)」
そういって私が元気なく笑うと、ママは何も言わずに私を抱きしめた。
また心配を掛けたんだなと、情けない気分でママにされるがままにいたが、私のお腹の音がグゥーと鳴ったので、ママは吹き出してキッチンを指す。
「Let's go kittin.メシジャ」
「ママ……フードはゴハンだよ、メシ違う」
ママは首を傾げて「レアリー?」と聞く。私はママの手を取り「飯じゃよ!」と笑った。
今日は夕飯の残りが無かったので、ママは藤野さん直伝の冷凍スープストックにパンを入れてパン粥を作ってくれた。スープは味がついているので、味音痴のママでも問題ない。
私はその間に手早くシャワーを浴びて、いつもの部屋着姿のキャミソールと短パン姿に着替えた。
信の寝ているリビングを忍び足で抜けて、明かりに吸い寄せられるようにキッチンに行く。するとカシャリとシャッター音がした。キッチンにいたママが手にしていたのは、朝に見たタブレットだった。
「写真? Take a picture?」
私が聞くと、ママは画面を向けて、部屋着の私の写真を見せてくれた。
「ギャー……なんだこれ」
薄着なので、やせた体に平坦な胸がよくわかる。
……鎖骨やばい! 鎖骨浮いてて気持ち悪い!
私が自分の姿を見て青くなっていると、ママはタブレットを触って誰かにその写真を送っていた。
「何で? Whose send a picture? Why?(誰に送ったの? 何故?)」
「ハヤト」
「ギャー! 消して、取り消してママ! デリートだよ!」
大嫌いな父親に写真を送られて、私は慌てて消そうとするが、送ったものを取り消す機能は無いようだ。私は絶望してプルプルと震えた。
「ママ、なんてことを……」
「(リビングは公共の場所です、下着はダメ、いつ写真をとられても良い服を着ましょう)」
……そういえば先日もこの部屋着について言われたんだった。忘れてた。
私は回れ右して部屋に行き、その上にTシャツを着た。
夜食も寝る準備も終えた私は、また飽きずに信の寝顔を見ていた。するとママも信の寝ている側のソファーに座る。
「(コウちゃんは彼を見ているのが好きね)」
ママが英語で言うので、私は頷いた。
「(シンが好きなの?)」
……この好きはアレだ。クラスメイトに聞かれたやつ、愛だの恋だのの、好き、だよなぁ?
「(分からない。いつも何故か彼を見てしまう、これは好きってことなの?)」
「(愛かな?)」
「(そうなの?)」
ライクかラブかと聞かれると、どちらともなんか違う気がする。信の存在を言葉で表すならエアーだ。空気、酸素とかそーゆーかんじ。無いと死んでしまうもの。これは本当に愛なのか?
昔から私には何故か信の側にいたい気持ちがある。信と離れると胸がモヤモヤする。こう、心配でたまらない感じ。
……信がいるとなんか分かるんだよなー、これは何なんだろう? 超能力とかいうものなのか?
私は床に寝転がって信の頬を指でつつく。
「(ねえママ、信はよその子なんだよ)」
そう言うと、ママは頷いて優しく笑った。
空に綺麗な三日月が見え、その銀色の光が寝ている信を優しく照らしていた。私は信の長いまつげを見て思う。
……いつまでも、信に私の世話をさせたらダメだよなぁ。
信はしっかりしていて、なんでもできる人だし、学校でも友達や先生から愛されている。まわりから必要とされている。その点私の存在は、信にとっては重荷でしか無い。
二年の学年末から成績が受験に関係するし、そろそろ高校受験を考えないといけない筈だ。いつまでも私が信を独り占めしていては、信の進路に影響する。
――お気に入りの毛布を卒業するなら今!
私は固く心に誓うが、「まだいいよね、明日……明後日から」と、今はこころゆくまで信の寝顔を見ていた。