9、(信)保健室へ
午後の授業中に、悲鳴をあげて倒れた幸を背負って、俺は保健室へと向かっていた。
後ろにはクラス委員長の菊子が心配そうについてくる。
幸を背負うのはいつもの事なので俺は慣れているのだが、菊子は「重くない?」「大丈夫? 私が持とうか?」とひっきりなしに心配をしていた。
……俺一応男なんだけどな。
女の子に「重いから交代しようか?」と言われると微妙に傷つく。そりゃ、菊子は俺より背が高いし、剣道強いし、個人戦では県で上位レベルの有段者だけどね……。
肩からずり落ちそうな幸を背負い直して、そっと溜め息をつく。背負い直すのに揺すったからか、幸がピクリと動いた。
「……起きたか?」
俺は足を止めて廊下の壁に手をつけた。そのまま耳を澄ませて、幸の様子を伺っていた。すると幸は嗚咽をしはじめて、しくしくと泣き出した。
『……死んじゃった、フレイは殺されちゃった』
幸は泣きながら俺の体をぎゅっと抱きしめて、ブツブツと異世界の言葉で話していた。
『広場にいっぱい人がいてね、皆フレイを殺せって怒鳴っていたよ、そしてセダン王がフレイを……』
「……篠崎さん!」
菊子は俺の背中にいる幸に呼び掛け、背中をバンと叩いた。
「うわっ!」
衝撃で俺はバランスを崩してよろめき、窓枠にしがみついた。すると菊子は幸を俺の背中から引き剥がす。
「しっかりなさい」
菊子は幸の腰に手をあてて、支えるように立たせた。幸はポカンと口を開けたまま菊子を見ていたが、足に力が入らないようで、壁にもたれかかり、へなへなと廊下に座り込んだ。
「私は佐久間菊子。あなたは今学校の廊下にいます。保健室に行くところよ。あなたの名前は?」
「……フ……シ、シノザキ、コウ……」
……こいつ今フレイと言いかけたな
俺は佐久間の迫力に気圧されて、何も出来ずに二人を見ていた。菊子は幸の顔を真っ直ぐに覗いて尋ねる。
「どうしたの? 具合悪いの? 立てる?」
矢継ぎ早の質問に幸はたじろいで、俺と菊子の顔を交互に見ていた。菊子が幸の手を取り支えると、幸はヨロヨロと立ち上がって菊子の肩につかまった。
「……立てる、けどフラフラする」
「そう」
菊子はそう言うと、素早く幸を背負って階段を下りた。
……とられた。
俺は幸から引き離されたのを残念に思いつつ、黙って二人の後をついていった。
さっき幸はあっちの言葉で、「フレイ、死んだ、殺された」と言っていた。俺が聞き取れたのはそれくらいだったか、フレイが死んだのならそれは相当の悪夢だろう。
悪夢を見た後の幸は、錯乱して、いつまでも泣き止まないものだったが、委員長効果か正気に戻っているようだ。
……エレンママさえも制御できなかった幸を、一喝で正す委員長すげぇ
俺は心のなかで菊子に拍手を送っていた。
一階の保健室に幸を連れていくと、保健の先生は幸の扱いに慣れていたので、手早くベッドに寝かせた。
「すみません、篠崎の親は引き取れないので、このままここに寝かせておいてください。学校終わったら俺が連れて帰ります」
幸の対応に慣れていた保険医は了承してくれた。
「後で鞄とか持ってくるから寝てろよ」
俺がそう幸に言うと、幸はぶんぶんと首を横に振った。
……拒否られた? 何を?
よくみると、幸の手は小刻みに震えていた。それを見た保健室が体温を計ったが、熱はないようだ。
「熱中症ではないわ、貧血かしらね? お家に帰ったら病院に行くといいわ」
保健室の入り口から幸を見ていたが、菊子が俺の袖を引いた。
「戻りましょう、怒られるわ」
菊子が背中を押すので、俺は後ろ髪を引かれつつ、保健室から退室した。
俺は、この状態の幸を放置していくのは心配だったが、教師と約束をしたので残るわけにもいかず、二人は教室に戻った。
HRの後、俺と菊子は幸の鞄に教科書を詰めていた。その二人に、幸の席をまたいで吉田が聞いてくる。
「すっげー悲鳴だったけど、コウちゃん大丈夫?」
クラスメイトも気になる話のようで、教室は一瞬静かになった。
「篠崎さんはいつものように寝ぼけていただけみたいよ? 保険医は貧血と言っていたわ。念のために送って行くけど吉田君もくる?」
「いくいくー。御供しますー!」
吉田は菊子に軽いノリで答えた。
手早く幸の帰宅準備をする菊子を見て、俺は頼もしいと感心する。
……あの廊下での幸の電波発言を聞いて「貧血」で片付ける委員長すげえ。
俺は幸の教科書をリュックに詰めていて、昨日は無かった御守りが中についているのを見つけた。
「……なんだこれ」
鞄から引っ張り出して見ていると、菊子が覗いてきた。
「あら、それこの辺の氏神の神社の御守りよ、私も学業の持ってる」
「クスリチャンなのに?」
「氏神は別でしょ? この土地に住んでいるのだから」
「初詣に教会に行く幸が神社?」
袋の上から触ってみると、何か丸いものが入っているようだ。俺は躊躇せず御守りの袋を開く。菊子が驚いて声をあげた。
「……ちょ、バチが当たるわよ!」
菊子の声につられて、吉田も寄ってきた。
「えーなになに、御守りの分解? 楽しそう!」
中には和柄な布が入っていて、取り出して開くと、ボタンのような丸いものが入っていた。
「……なんだこれ? 御守りと関連があるものか?」
「私、お守りの中には御札が入っているのかと思っていたわ……」
唖然とする菊子をよそに、丸いものを俺が電気にさらしてまじまじと見ると、吉田が言う。
「それGPSの発信器だねー。スマホでそれがある場所がわかるやつ」
「なんで幸がこんなものを? スマホ持ってないのに」
……そういえば朝に幸が、「ママがタブレットを持っていた」と言っていた。エレンママが幸の居場所を検索するために渡したのだろうか?
「フラフラしてる子どもにGPSは有効なものだわ。私がこの前薦めたから、親御さんが持たせたのでは?」
菊子も俺と同じ推測をした。
……普通の親ならそう考えるのは妥当だ。問題はエレンママが極度の機械オンチで、ATMの操作も子どもの引き取りも出来ないくらいに世間知らずな事だ。
俺は手早く御守りを元に戻して、幸の鞄を肩にかけた。そして三人で保健室に行き、幸を拾って下校した。
賑やかな街を抜けて、ウチの班の四名は長い坂道を上る。
倒れた幸は問題なく動けるようだが、視線がうつろで、話しかけても反応しなかった。面倒見の良い菊子が幸の手を引くと、虚ろな目をしつつもついてくる。俺は幸を菊子に任せて、幸のリュックを持って、女ふたりの背中を見ていた。
菊子と吉田は幸の家の門の前でついてきてくれた。俺は二人にお礼を言って、幸を家の中に押し込んだ。案の定エレンママは不在で、家は静まり返っていた。
ここまで幸は、ひとことも口を開かずぼーっとしていたが、家に帰っても同じで、着替えもせずにソファーに座っていた。
俺はキッチンから水を取ってきて、幸に見せるが、幸は水が見えていないようだった。俺は水をテーブルに置いて、幸の隣に座り頭を撫でる。
「コウ、大丈夫か? まだ具合悪い?」
話しかけても返事はなく、幸の視線はゆらゆらと宙をさ迷っている。
「……コウ、こっち見ろよ、コウ!」
俺は幸の腕を取り、何度も呼び掛けていたら気がついたようで、俺の顔をじっと見た。幸は何度かまばたきをすると、その瞳からポロポロと涙を流して、小刻みに体を震わせた。
「どうした? 夢がそんなに怖かったのか?」
俺は震える幸の肩をあやすようにポンポンと叩いた。すると幸は堰を切ったように泣き出して、俺にしがみついた。
「……フレイが、フレイがしんじゃったの、皆の前で王さまに殺されてしまってのよ!」
自分が処刑される夢をみたらうなされるのは当然だ。それが、小さい頃からずっと夢に見てきた幸そのもののような人なのだから余計に。
俺は泣きわめく幸をなだめるように抱きしめた。俺より平熱が高い幸だが、その体は冷たく、悪夢のせいかじっとりと汗ばんでいた。
俺は幸の体をあたためようと、背中や腕をさすった。
そのまましばらく、幸はとりつかれたように泣き続けていたが、やがて泣きつかれて寝てしまった。
俺は幸をソファーに寝かせて一息ついた。
日は傾いて、赤みをおびた光が暗い室内に射し込み、長い影を落としていた。
俺は幸にいれた水をぐいっとあおり、空になったグラスを流しに置きに行く。するとまた流しに口紅のついたグラスがあった。
それを見て、部活の朝練習で外周を走っていたときに見た、エレンママと歩いていた若い男が頭をよぎった。
中肉中背で、長い茶髪を後ろで一つに縛った胡散臭い感じの男だった。平日朝に私服でうろついているのだから大学生?
口紅はあいつでは無いだろう。でも、連日幸の家に来客があったのは事実だ。ママは人見知りが酷くてあまり客を呼ばないのに。
……他に何か痕跡を残してないかな。
キョロキョロと玄関やトイレを見ていたら、ママが買い物から戻ってきた。
「タダイマでゴザルー」
「お帰りママ」
俺は玄関でママを出迎えて、買い物袋を預かった。
俺が冷蔵庫に食料をしまっていると、「タラーン」という海外独特の節でママが歌い、鞄からタブレットを取り出す。
「Look! 見て見て、シン」
「……おお!」
……噂のタブレットだ。
俺は手を止めてタブレットを覗き込む。
「コレ、テレフォン&Global Positioning System♪」
「オオ……GPS、お守りはこれかー」
俺はノートパソコンは持っていたが、タブレットははじめて見たので心が踊った。
「ディス、ココ、プッシュ」
ママがたどたどしい手つきでアプリを起動すると、GPS探知機の画面が表示された。地図上の幸の家に矢印がついている。
「コウはココ、ベンリ」
突然現れたタブレットと端末はコレだったのかと俺は合点した。
「えーっと、今日はこれ勉強しに外にいたの? だから、Do……Did you have to outside today?to stady this?」
……変な英語だけど伝わればいいし。
俺がそう聞くと、ママはえへんと胸を反らせた。
「ゴメイサツジャ」
……ご明察って。
古めかしいママの日本語を聞くと、肩の力が抜けて脱力した。そこで、今の今まで緊張していた事に気がついた。
心強い……幸の事を理解していて、相談できる大人の存在がこんなにもありがたい。極度の機械オンチのママが、娘のためにすごく頑張ってる。
そう思うと鼻の奥がツンとして、涙ぐみそうになったので、慌てて鼻を吸ってまばたきをした。
俺は泣きそうになったのをごまかそうとタブレットを覗いた。タブレットの端を見ると、ネットに繋がっているマークがついている。今までこの家にネット回線は通っていなかった。恐らくwifiか何かを設置するのに、工事の人が来たということか……。
タブレットを触っていたら、突然音楽が流れた。するとママが俺の手からタブレットを取ってボタンを押した。
「……Good morning Eren(おはよう、エレン)」
そのタブレットから、世界一聞きたくない声が流れたので、ヒッと息を飲む。
ママはキッチンの椅子に座って、楽しそうにその相手と通話をしていた。
その相手は篠崎隼人……幸の父親だ。
俺はママに手を振って、キッチンから出て扉を閉めた。
篠崎隼人はロンドンで働いているので、殆どこの家にいない。この突然のタブレット贈呈とwifiの設置は、父親らしく自分の妻と娘を心配しているという事なんだろう、多分、多分ね……。
幸の父親に会うたびに、からかわれたり、嫌みを言われていたので、篠崎隼人は苦手だ。それだけじゃない、幸の父親の一存で、この母子はロンドンに帰ることになる。俺は一番それが怖かった。
忘れていた不安に襲われて、俺は寝ている幸の向かいに座った。
すでに日は落ちていて、外は薄暗い。
俺が一人庭を見ている間にも、キッチンからエレンママの話し声が聞こえてくる。ママは英語で話しているので、内容は殆ど判らなかったが、上機嫌なのは聞き取れた。
……いくら英語がわからなくとも、ここにいたら盗み聞きしてるようなものだな。
俺は一度自宅に戻り、洗濯機を回している間に窓から幸の家を覗いた。いつもは明るいリビングが暗いのは、幸が起きていない事を表している。
「フレイが死んだのなら、また夜に泣くのかな……幸……」
俺は洗い終えた洗濯機から、ワイシャツや薄手の服を出して干し、残りは乾燥機にいれた。
「やっぱり気になる、戻ろう」
俺は自宅の冷凍庫から冷凍ご飯を取り出して、シャケの瓶詰めとか目についた具材をビニールに詰めた。ダッシュで幸の家に戻ると、ママはまだ夫と会話をしていた。
俺は持って来たご飯を温めておにぎりを作る。それをタブレットに釘付けなママの横に置いた。すると画像に映ったのか、通話相手が指摘した。
「アラアラ!」
ママは画面から視線を外して、俺に向き直って、深々とお辞儀をした。
「かたじけのー」
『ゥハハハ!』
画面から男性の笑い声が聞こえる。ママは驚いて画面を見て、また俺のほうを向いた。
「……ありがと……ます」
大好きな夫に笑われたせいか、ママは少し頬が赤い。そして、幸や俺といるときとは違って、どこか気が緩んでいるようだった。
……しあわせオーラ出てる? 隼人さんの顔が見えるだけでもママにとってはしあわせなのかな。
俺はペコリとお辞儀をして、逃げるようにキッチンから出る。
『待てよ、ボウズ』
「……えっ?」
画面から篠崎隼人の声がした。俺が振り向くと、ママがタブレットを持って、画面を俺に向けた。
画面にはスーツ姿の黒髪の男性が俺を見ていた。整った顔立ちと優しそうな目は、緑だったら幸そっくりだ。しかしその瞳は黒かった。
『ふーん……』
隼人さんは用件を言わずに、ニヤニヤとうすら笑いを浮かべて俺を見ていた。
「用件は……なんでしょうか?」
おそるおそる画面を覗くと、隼人さんはニッコリ笑って言った。
『エレンにこっちに帰って来いって、君から頼んでくれないかな?』
「……は?」
予想外過ぎる事を言われて、俺は呆然とした。タブレットを持ったママが「帰る……ます、イヤです」と即座に答える。
『エレンだけで二週間程度でいいんだけどなー、夏からずっと説得してるんだが、どうしても来てくれないんだ』
「隼人さんが説得出来ないなら、俺には無理ですよ」
俺が画面に向かって言うと、ママは激しく頷いていた。
ママは俺に背中を向けて、隼人さんと英語で話しはじめた。俺は訳がわからんと、肩をすくめてキッチンを出ていく。
立ち去る俺に、隼人さんから日本語で声を掛けられた。
『チビッ子くん、もう遅いから、予定無ければその家にいてやってくれないかな』
「あ、ハイ。そのつもりでした」
『……ありがとう』
いつも俺には嫌みとからかうような事しか言わない幸の父親が、妙にしおらしい。俺が何だ? と、身構えていると、タブレットを持っているママが、俺に向かって笑顔で手を振った。
「お休み……シン」
俺はママに手を振り返して、「お休みなさい、ママ」と挨拶をして扉を閉めた。