8-8、隔離部屋にて
アマミクとアマツチはエレノア姫の部屋から出ていった。うるさい二人が消えて、防音完備の部屋に静寂が漂う。
「王たちに気をつかわれてしまったな。でも三の姫の疑いは晴れたようだ」
ジーンは三の姫からの敵視が外れてひと息つくと、ベッドの上にいる私を見た。
「コウ……」
「待って」
私はベッドの上で正座をして手を合わせ、ジーンに向かい深々とおじぎをする。
「昨日は助けてくれて、ありがとうございました」
そこまで言って顔を上げると、ごまかすように笑顔を作った。
「それで、この件はこれで終わりねっ!」
言うだけ言うと、ベッドを飛び下りダッシュで逃げる。そのまま部屋を出ていこうとする私をジーンは素早く捕まえた。
「幸、その件なんだが……」
「掘りかえさないで!」
捕まれた手をパチンとはたく。
昨日の事は思い出したく無いし、なんだか怒られる予感しか無い。逃げたい。
しかし出口は塞がれている、ならば隠れる場所はベッドしかない。
私は逃げるようにベッド行き、掛布に潜って丸まった。
「なななんであんなことになったのか、私にはわかんなくて……ずっと考えてる……こ、こわいし……」
「レーンは好きだから襲ったんだろう」
「えっ?」
私は敷布から少しだけ顔を出す。ジーンは呆れ顔で私を見下ろしていた。
「なんで? アノヒト初対面だよ?」
「いや、あっちはかなり知っている風だったろ? なんかフレイとか呼ばれていたし……」
「あっ、そうか……レーンはフレイが好きで、あんなことをしたのか」
「それか、幸が挑発したかだな……」
「……ヒィッ」
……そんな大層な事はしてないよね? 怒らせたり泣かせたりはしたけど。
「信、あの人ね、私がフレイを呼べないと知ると、首を絞めて殺そうとしたのよ? 頬をバシッてぶたれたし……好きな人を叩かないでしょ……普通」
「普通じゃ無いから邪神と呼ばれているのだろう」
「……ひぇ、こわ」
「出ておいで、コウ」
ジーンはため息をついてベッドに腰掛け、亀のように隠れている私の背中に手を置く。私は渋々敷布から出て、正座をしてジーンから顔を背けた。
「幸さん何才?」
「……十五才」
「幸さん生理はありますよね? それって、女性として体が出来ているって事ですよね?」
「うああ……はぃ……ありますぅ……」
……いや、最近とんとご無沙汰な気がするけれど、中学生やってたときはありました。が、信には聞かれたくない話だなぁ。
話題の気まずさから、ベッドに伏せる私の頭を、ジーンはペシッとはたいた。
「あーゆー状況では逃げないとだめだろう、もっとしっかり抵抗しなさい!」
「ひっ!」
……痛くはないけど、なんだか信がガチギレしてない? 怖い、何でこんなに怒ってるの?
「……て、抵抗したのよ? でも逃げても追い付かれたし、鍵掛けて隠れたのにすぐにばれたの。それにあの人、アレクを虐めてた。それってアレクより強いんでしょ? あれが外に出たら何するかわからなくない?」
「……それで?」
「ひぇっ!」
声のトーンがめちゃめちゃ低くなった。説明しても信の怒りはおさまらかったみたいだ。
私は声のボリュームを下げて呟くようにボソッと言った。
「わ、私で足止めできるなら、それでいいかな……と、思った……」
「よくないだろう」
「だって、相手は信の体だったし……べつにいいかな……って……」
ぐはぁ、顔熱い。頭に血がのぼって湯気が出そう。
「コウ……」
「うわぁ」
ジーンの顔には静かな怒りが浮かんでいた。
……怒ってる、竜の体でここまで怒った顔が出来るのか。
世界樹の抑制が無いというのはこーゆーことかと私は思う。私はジーンの出す怒りオーラに怯えて震えた。
「俺がやってるわけでもないのに、コウに手を出されるとか最悪だからね、もし妊娠でもしたら大変だからちゃんと逃げて」
「……ニンシン?」
「そこからか、コウさんはそこからか……」
ジーンはハーッと息を吐いて肩を落とした。
「だって、そーゆーのって結婚してからの話でしょ? 今の私に関係ある?」
「あるよ、さっきの生理があるか聞いたのはそーゆーことだよ」
「えっ? それだったら小学生でもママになれるんだけど……」
「することをしたら、可能性は無くもないんだよ」
「……すること?」
具体的に? とか聞ける雰囲気では無くて、私は自力で考える。
「き、きすしたら子どもできる?」
「……出来ない」
かなり呆れ気味の素っ気ない返事を聞いて、私は安心し、はーっと息を吐いた。
「コウ、学校は? 保健体育は……寝てたな」
「あのあとイギリスの寄宿舎にいたの。そこのルームメイトにその事を調べろって言われたけど、学院の図書室では分からなかったし、シスターはそんなこと何も言ってなかったよ?」
「シスター?」
「全寮制の、カトリックの女学校だったの……」
ジーンは大きくため息をつく。
「まあいいや、幸はここでは子ども扱いだから。向こうでいえば小学生レベルだし、レーンさえ来なきゃ問題ないとしよう」
「しよ、しょうがくせい……?」
「幸はここの人に比べて背が低いんだよ。だから子どもにみえる、中身もそうだからよしとしましょう」
なんか言い方がひどいけどその通りだ、逆に大人扱いだったら、売られた時にひどい目にあっていたかもしれない。
私は口に手を当てて、ぶつぶつと呟いた。
「キスはせーふだった……」
「……はい?」
「そうだね、よく考えたら、大きな信とか、アマミクにもキスはされたし、そーゆーのがダメだったら大変だった。よかったー」
ジーンは、私の独り言を聞いて固まった。
「……ちょっと、幸さん、詳しく?」
「えっ?」
聞き返されるとは思っていなかったので、私はポカンと口を開ける。
「大きな俺って何? 女学院に大きな俺がいたのか? そして、その未来の俺が、幸にキスをした?」
「あっ! この部屋NGワード無いんだ! 何でも話せるね!」
「……話をそらすな」
ジーンは私の顔を両手で挟んだ。
全く痛くは無いけれど、ジーンの圧が恐ろしいからやめてほしい。
私は話をするからと、手を離して貰った。
「未来の信ね! そう、そうなの。イギリスの女学院に五才年上の君がいたのよ、その君が……っていうか、君は学院のシスター見習いだったんだけど、シスターが私に口移しでスープ飲ませてくれたの」
「……シスター?」
「うんそう、君は帰ったらシスターの格好して、転入してきた私に保健室でスープを飲ませるのよ、恋愛的な意味は全くないの、薬を飲ませる為だから、そう、介護、介護よ!」
ジーンはベッドに肘をついて頭を抱えた。
「……フィルターが排除する筈だ、荒唐無稽すぎる、一ミリたりとも信じられない、むしろ、信じたくない。コウは何か詐欺に合ったんじゃないか?」
「いやいや、本当に君だった。肩の傷も残ってた!」
「……ええ」
ジーンが露骨に疑いの眼を向けて来るので、私は居たたまれなくて目をそらす。
「向こうに帰れば証人はいるんだけどね、ここでは私だけだね……アハハ」
「……いいや、まだ起きてない事は無いのと同じだ。寧ろ全力で聞かなかったことにするから」
「そうね、それがいい、丸く収まった」
話が終わるかと私が息をつくと、ジーンは冷たい目で私を見ていた。
……ただでさえ見た目怖いのに怖い顔されると怖さ倍増だな、何か信のお怒りをそらすことは出来ないのか。
私はジーンに言おうとしていたことを記憶の中から参照する。そして、一番大切な事を伝えられて無かった事を思い出した。
「……信、大事なことあった、怒らないで真面目に聞いてほしい」
私は深く息を吐いて気を落ち着ける。ジーンは不機嫌顔のままだったが、くじけずに真っ直ぐジーンを見た。
「信、菊子さんは無事です、死んでいません」
「……えっ」
ジーンは目を見開いて呆然とした。
「菊子さんはイギリスの病院に入院してる。怪我はないから意識さえ戻れば目を覚ますよ」
「コウ、菊子は俺が持っていた拳銃で胸を撃った。生きているはずは無い」
「信が撃ったの?」
私が聞くと、ジーンは顔を覆って下を向いた。
「菊子は俺が持っていた拳銃を自分に向けて、自分でトリガーを握った。でもそれは、俺が撃ったのと同じことだ、俺が拳銃さえ盗まなければあんなことには……」
「信……」
私は信が泣いているのかと思ったが、顔を見ても涙は出ていなかった。竜の体だと滅多に涙は出ないのかもしれない。
「大丈夫だよ、怪我は残って無いって、きっとサーとアレクが治したのよ」
「……そんな事が可能なのか?」
信じられないと、呆然とするジーンに、私は近寄り自分の手を見せる。
「ほら、綺麗に治ってる」
ジーンは黙って自分が治した私の掌の傷に触れた。
「菊子さんはね、エレンママを殺した記憶があるから目を覚まさないんだって、だから菊子さんを起こすためにその記憶を消さないといけないの」
「……」
「その為に、レーンという名前の時間を操る魔法使いを探していたの。それって昨日のあの人のことよね?」
ジーンは下を向いていた顔をゆっくりと上げた。私はジーンの肩に手を置いてその顔をじっと見る。
「信、向こうに帰ろう。なんとかしてレーンを連れて帰り、そして菊子さんを起こそう」
ジーンはしばらく黙って私を見ていたが、「無理だ」と首を横に振った。
「大丈夫、君は絶対に帰れる。その為に私はここに来たんだもん。意地でも連れて帰るよ!」
ジーンは肩に手を置く私をじっと見る。
「神に等しい力を持つ魔法使いをどうやって説得する? 幸はレーンを倒すつもりなのか?」
「信の体だもん、そんなこと出来ない。私に出来ることは、お願いをすることだけだよ」
「やめろ、昨日の事をもう一度繰り返すだけだ。次も助けられるとは限らないから、彼には近寄らないでくれ」
「説得出来ると思うんだけどなー」
能天気な事を言う私の額をジーンは指で弾いた。
「いったぁ……もう、何でいつもデコピンするの……」
口では文句を言うが、このぶっきらぼうな感じとデコピン癖は確かに信だ。未来の信じゃない、一緒に過ごして一緒に育った大切な人だ。
そう実感すると、感きわまって目から涙が溢れてこぼれた。
それを見てジーンは私の額に手を当てる。
「泣かせるつもりは無かった、ごめん」
「伝わってるでしょ? 痛かったから泣いているんじゃないの、懐かしくて、ああ、本当に信なんだなーって思っただけ……」
私は涙を流しながらふふっと微笑んだ。
そんな私をくるむように、ジーンはそっと抱きしめる。私はジーンにしがみついて、背中や肩を触った。
「……不思議。その体はジーンさんと違うのに、やっぱり信だなーって思う……同じ……」
「え、誰と比較してる?」
「えっ、ジーンさんと……」
と言って、私は、はたと気付いた。
書庫にいるジーンさんは、信の未来の事だからあまり言わない方が良いのかもしれない。スープは言っていいと許可されたけど、書庫のキスはダメ。その線引きが私には分からないから、なるべく言わないようにしないと。
「間違えた。信、信と……」
へへっと笑う私に、ジーンは無表情で言った。
「コウ、ピアスを取ってもいい?」
「な、なんで?」
「幸が嘘をついていると思うから、思考からあさろうと」
私は耳を隠してベッドから飛び下りた。
「そんなこと言われて差し出すはずないし! これ取ったら地竜に怒られるよ」
「この部屋にいるかぎりは漏れないよ、問題ない」
「私が嫌なの!」
私はドアまで走ってジーンを振り返った。
「あの校庭から私がここにくるまでの事を信に隠すつもりはないの。でも、少しずつね、私もまだ分からないことがたくさんあるから、今日はいちばん大切な事だけね……」
「コウ……」
ジーンは私の前に立ってじっと顔を覗く。私はありったけの気持ちをのせて、「私の事を信じて!」と、強く思った。
伝わったのか、ジーンは軽く頷いて、フッと笑った。
「コウ、今回俺がセダンに来たのは、水竜を迎える為だ。もちろん幸も一緒に来て欲しい。コウ、俺と一緒にファリナに来てくれないか?」
「いいけど私、邪魔になるよ? どこいっても隔離されるし、足手まといの迷惑ものだったよ?」
「側にいて貰ったほうがレーンが来たときに対処できるからね」
「そんな理由なのかぁ」
私はぷうと頬を膨らませた。そして、じっとジーンの顔を見る。
「私は信が好きだから一緒にいたいし、見ていたいの。レーンから守ってもらうためじゃないよ?」
「すまない、ここに来てからずっと、感情で行動することは無かったから、その考えには至らなかった」
「竜の体の弊害なのね……」
……信は恋心だけでなく、殆どの感情が無くなっていたんだな。
私が心配顔でジーンを見るので、ジーンは苦笑した。
「聖地で幸に会ってからは、かなりましになったよ、前は笑う事さえも忘れていたくらいだし」
「私に会うと人間に近付くのね……うん、なら君のご希望通りに外してみようかな……」
私はジーンの手を引くと、危ないからとベッドに座って貰った。そして耳に手をあて地竜のピアスを外した。
世界樹の石を鏡の前に置くと、私は座っているジーンを見る。頭頂から目、そして緑が散った青い虹彩を間近で覗いた。
竜の体には臭いはないけれど、服は普通の服なので、療養所の薬の匂いがする。あとは熱。ジーンの体温は私より低いので、頬に触るとひんやりした。
「……うわ」
ジーンは目眩をおこしたようで、目を閉じて私の腕にしがみつく。私はジーンを心配して肩を支えて背中を撫でた。
「……大丈夫?」
私は心配でジーンを覗き込み、柔らかい髪に触る。信とは違って柔らかいなと思う。そこで私はピアスを着けた。
「……どう? 君が知りたいことは分かった?」
ジーンは苦笑して、私の頭をグシャグシャと撫でた。そのまま笑いを堪えるように手で口を隠す。
「……分かるはずないよ……幸の感覚が衝撃的すぎて思考まで追えなかった」
「そんな驚かれるようなことはしてないよ、君を見ただけじゃない」
「普通じゃないよ、全く、どうりで怪我が痛い筈だ。痛覚だけでなく、五感全てが俺よりずっと鋭敏なんだな」
「……それは信が鈍いんじゃないのかな?」
私がふくれて言うと、ジーンは私の肩に手を回してそっと抱きしめた。私はその手から逃げ出して言う。
「さっき伝わったでしょ? そーゆーのはドキドキするからやめよう……」
ジーンは手を口に当てて考えた。
「これくらいの接触は日常茶飯事だったのに、幸はずっとこんなんだったのか……?」
「ううん、日本にいるときは普通だった。信といても、ママといるのとさして変わらなかったもん、最近だよこんなの……」
……パンダ公園からかな? いや、もうちょっと前な気がする。どこからか明確には分からないな
「俺はずっとそうだったよ」
「……えっ?」
「レーンと一時的に混じって思い出した。羽間信だった時は、幸と一緒にいるときにいつもそうだった」
私は顔を上げてジーンを見る。
「いつも? それって、幼稚園の時も?」
「うん、しょっぱなが強烈だったので、どうしてもね……」
……しょっぱなというとあれだ、信の庭に侵入して泣いてる信にキスしたやつだ!
私としてはママのするおまじないだったのだが、信はそう受け取らなかったらしい。
と、言うと、あの日からずっと信はドキドキしていたってこと? そして私はそれに全く気が付いていなかったと。
「うわああ、ごめんね……私のせいだ」
……大人の信が言っていたことはこれか。私が信の気持ちに気がつかなくて、大人の信はずっと片思いだと思ってるんだ。
「私、信の事好きだからね、信は全然片想いじゃないから、覚えておいて!」
袖を引いて真剣な顔で言う私を見て、ジーンはフッと吹き出した。
「愛の告白を、鼻で笑われた!?」
「……いや、神も不可侵の密室、そして天蓋付きの姫の寝室とか言う舞台で、幸から愛を囁かれるって凄い状況だなぁと」
「冷静すぎでしょ……これじゃあ私が一方的に信を好きみたいじゃないか……」
私は項垂れて、ジーンの肩に頭をつけた。ジーンはそんな私を見てクスクス笑う。
「全く……うまくいかないな。羽間信が幸の事を見ていた時代は幸はよそ見をしていて、幸が振り向いたら俺の体が人形みたいになってる。俺達はずーっとこんなんなのかもな」
「一生片思いなんてイヤだよ! レーンから信の体を取り返す、うん、絶対返して貰おう!」
腕に頭をこすりつけ、ブツブツと呟く私の肩をジーンは撫でた。
「幸はレーンには会わさないよ、危ないからね。あとこっちはレーンに構っている暇は無いよ。まあ本人からアスラの情報は結構貰ったので助かるけど」
「お仕事忙しいのね……何か手伝えたらいいのだけど」
「幸は水竜を大きくしてくれたら助かるかな」
「……それはするけど、もっと君の役に立ちたい」
「俺は殆ど人前に出ないからな……城に幸が来ても会えないかと」
「会えないの?」
ジーンはうんうんと頷いた。
「ファリナ王に会いに来れば会えるけど、そうそう王と会う機会なんてないだろう?」
「でも、別世界じゃないし、同じ国にいるなら会える確率はゼロじゃないよね……」
私はジーンから離れて、拳を握った。
「見えなくてもいいや、気配が分かればいい」
私は深々とジーンに頭を下げてお辞儀をした。
「末長くよろしくお願いします…」
「こちらこそ」
ジーンは私を見て、優しく微笑んだ。
◇◇
オマケ↓
◇◇
隔離部屋で聞いた話を、信はそのうち実行する羽目になりますが、ここで二章の二を振り返ってみよう(信視点)
(右上から↓向きに読んで行きます)