8-6、略奪
注:暴力的表現アリマス
白竜と三の姫の会合から時間は少し前に戻る。
セダン城の狭い部屋に、私と信の姿をした男とアレクがいた。アレクは主人の命令に反したせいか、床に倒れて動かない。
部屋の外では砲弾の音が鳴り響いている。
城壁で三の姫が舞う度に、花火のような赤い光が暗い室内に差し込んでは消えていた。
「アレク!」
私は倒れているアレクの肩を揺する。アレクは目を閉じているが、体はどこも霧に変わっておらず、ちゃんと息をしているようで私はホッとした。
新しいアレクの主人は、私とアレクを冷徹な目で見下ろしていた。
……この人からアレクを遠ざけないといけない。フレイのしたことにアレクは関係ないから。でも、どうしたらいい?
私はゆっくり立ち上がると男を見た。そのままよろつきながら男のほうに歩いて行く。
さっき殺されかけた恐怖で足が震える。自分の鼓動がうるさい。もう殺されたくないと体が悲鳴をあげる。でも、足は勝手に前に進んだ。
「あ、あなたかサーだというのならば、相反する二つの命令をうけたら、竜にどんな負荷がかかるかわかりますよね……?」
男は微笑して私を見た。
「壊れたらまた再生すればいいだけのこと」
「レーン!」
私が大声でその名を呼ぶと、男の顔が歪んだ。私は自分で自分のした発言に驚く。
……レーン? この人がレーンなの? この人が、時間を操る魔法使い?
男は呆然としている私に近寄り、私の顔を覗いた。
「ようやく思い出したか? 我を。我はお前にとって、どんな存在だったか」
私は首を横に振る。
「死んだ頃の事はよく思い出せないのよ。だってあなた、創世にはいなかった……」
男は逆上して私の頬を叩いた。
衝撃で私の体は壁にぶつかり、視界が真っ白になる。視界は次第に戻り、左頬が熱く熱を持ったようにじんじんと疼いた。耳がキーンと鳴り、音が遠く聞こえる。
私は今まで誰かにぶたれた事は無かった。突然の暴力と痛みに圧倒されて、私の目からポロポロと涙がこぼれる。その容赦の無い力に足が震えて、壁にもたれてへたりこんだ。
男はもう一度手を振り上げる。
「いまいましい女、またその体壊してやろうか」
「お止めください」
アレクが倒れたまま呟いた。
「お止めください」
「煩いっ!」
男は激昂して倒れているアレクを何度も蹴った。恐怖に足は震えていても、他の人が虐げられているのは耐えられない。体が勝手に動く。
「やめなさい、レーン!」
私はその男に飛び付いて、必死にその背中にしがみついた。
「竜に痛覚はない、邪魔をするな」
私は彼の背中で首を横に振る。
「あります、樹木が守っているだけよ。ゼロじゃない。竜だって酷いことをされたら悲しむわ!」
私は必死になって、男をアレクから引き離した。
邪魔をされたことに苛立ったレーンは、舌打ちをして壁に私を押し付けた。十四才の信は、今の私とほぼ同身長なので、私の目の前に信の顔があった。
「あ、あなたは誰なの? なんでアレクに酷いことをするの?」
私は震える体を腕で押さえ、声を振り絞ってその男に話しかけた。
「我はサー、サーラレーン。もう一人のサーだ」
「サー? あなたが? 隼人の研究所にいる?」
私は男が何を言っているのか分からなかった。
「創造神じゃないよ、お前と同じ、サーの世界に迷い込んだ魂だ」
「迷い込んだ……?」
私はフレイの記憶を思い出した。サーは、いつだって話を聞いてくれたけど、姿を現した事は一度だってなかった。
おそらくサーラジーンの体はこの世界にはない。
「何故忘れた? ずっと一緒だっただろう?」
レーンは腫れて熱を持つ私の頬にそっと触れた。私は恐怖で身をすくめるが、それが彼の心を傷付けたようで、彼は泣きそうに顔を歪めた。
……こんなに怖い人なのに、ママに怒られて傷ついた信みたいな顔をする。
彼はしばらく私の腫れた頬に触れていたが、フゥと深く息を吐いて目を閉じた。
彼はゆっくりとうなだれて、私の肩に頭を乗せ、私の袖を引く。彼の肩と声は震えていた。
「……なぜ、ここに我一人を置いていった? こんなゴミのような世界に……! たった一人で何百年もさ迷い歩く気持ちがお前には分かるか?」
「レーン……」
さっきまでは酷く恐ろしかった彼が、泣くように寂しいと言う。あの月夜の校庭に一人置いていかれた恐怖や哀しさが心に滲んで、私は涙を流した。
目の前に信の頭と肩が見える。私にしがみつくその手はジーンさんよりもずっと小さく、小刻みに震えていた。
私はおそるおそるレーンと名乗った男の髪に触れる。黒髪で太い剛毛は私がよく知っている手触りだった。その懐かしさに触れて、目の前にいる男がどうしようもなく愛しく思える。
私は泣いているレーンの頭を撫でて、コツンと頭を寄せた。
「……じゃあ、いいよ。君が寂しくないように、ずっと一緒にいるよ」
耳元で語られた言葉を聞いて、レーンは驚いて私を見た。嘘じゃないよ、本当だよ、と、私は微笑んで手を広げる。
「だから、その体を元の持ち主に返そう? そして君は私の中に入れば、ずっと一緒」
レーンは困惑して私を見る。
「ダメだ、我はこの体にしか入れなかった」
レーンは下を向いて、小声で言った。
「それに、我はまた貴方になりたいわけでは……」
「なに?」
声が小さいので、よく聞こえなかった。
よく聞こうと、下を向いているレーンの顔を覗き込むと、彼と目が合った。
瞳の大きい茶色の光彩が、涙に濡れて光る。
そのままレーンは、私の両手を壁に押し付けて私に口付けをした。
何度も、何度も。
「……っ!」
私が耐えきれなくなって膝を崩すと、レーンは私を強く抱きしめた。レーンは私の胸に顔を押し付けて泣く。
「……貴方だけがいたらいい、他は全部いらない……全部壊れたらいい……」
私は泣いている子どもを慰めるように抱きしめて、頭を撫でた。
「壊したらダメ……一緒に守って……」
顔を挙げたレーンは目を真開いて私を見た。その瞳に涙が溢れ頬にこぼれる。
「我と、この世界とで……世界を選ぶか?」
「……えっ?」
私は驚いてレーンを見る。
「世界をとったら、お前はまた消えるだろう? また、我をこの世界に一人置いていく気か?」
「何を言っているの?」
私は困ってレーンの頬を触る。とめどなく落ちる涙を親指で拭って、彼の真意を探ろうとじっとその目を見た。
「ダメだ、ダメだ、ダメだ……! 我はこの世界を消さねばならない」
「……んっ」
レーンが強く私を抱きしめるので、私は苦しくて呻いた。そのままレーンは床に私を押し倒す。私は抜け出そうともがくが、覆い被さるレーンのほうが力が勝っていて、どうにも抜け出せなかった。
……レーンはジーンやアレクとは違って、体は人間だから、本気で抵抗すれば逃げられるかもしれない。でも下手に抵抗すると信の体に傷をつけることになる。それは絶対にダメ。
それに、外にいる魔物を率いているのはこの人なんだろう。アレクに命令出来るのはフレイとサーだけだ。この人は、サーと同等の権力を持っているんだ。
そんな人を外に出したら、アレクに命じて地下の人を襲わせるかもしれない。アレクはセダンの人に愛されていたのに、そんなことはさせられない。
ここで私がこの人を引き止められたら、その間にミクが外の魔物を倒してくれるかもしれない……。
私は逃げるのを諦めて、彼を見ないように横を向いた。
暗い部屋の隅にアレクが倒れている。アレクの胸は上下に動いていて、息があるようだ。彼には早く血を与えないといけない。でも、どうやって?
「…………」
私は両手で自分の泣き顔を隠した。そのまま時が早く経てばいいと、目を閉じて息を殺した。
信の形をしたこの人に、首を絞められたり、殴られた恐怖は消えていない。彼が側で息をするだけでも私の体は脅え、震えが止まらなかった。
レーンはしばらく私の肩や首を触っていたが、邪魔だったのか寝間着の帯をほどいた。露出した私の肩にレーンの唇が触れる。彼の手があたたかいのに対して、私の心は冷えていくのを感じた。
しばらくすると私の体を触っていたレーンの動きがぴたりと止まった。
「……?」
私はゆっくりと顔から自分の手をどかした。レーンの頭髪に隠れて彼の顔はよく見えない。
レーンは床に手を付けた姿勢のまま、床を見て呆然としているようだった。
――逃げられる?
私は彼の体の下から這い出ようとする。しかし、寝巻きの裾を男が踏んでいたので動けなかった。どうしようか困って彼を見ると、彼と目が合った。
「あの、足、服を踏んでいるの。どいてほしい」
私がそう言うと、男は自分の手の甲に爪を立て、フフッと自嘲するように笑った。
『……現実』
笑い声にまじって、その人が日本語でボソッと言った。
「……!」
男は体を起こし、床に寝っ転がっている私の手を引いて座らせた。
私は床にペタンと座ったまま、涙を拭うのも忘れて彼を見ていた。
男は涙に濡れた私の頬を雑に手で拭う。
「コウ、どうしてこんな事になっている? 何があった?」
「信なの……? 今ここにいるあなたはジーンさんなの?」
私が聞くと、男は首を縦に振る。
「うぁぁ……」
張りつめていた緊張の糸が切れて、嗚咽が込み上げた。私は座ったまま、しばらく子どものように大きく口を開けて泣いていた。
「コウ、泣いてないで服をなんとかしよう。これはちょっと……」
信が落ちていた帯を拾って私に渡す。信が真っ赤になって横を向くので、私は自分の格好を見た。
短めの浴衣のような寝巻きは、帯がほどけていた。下着は下しかつけてなかったので、ささやかな胸と腹部が露出していた。
「ひゃあああ!」
私が慌てて寝巻きの前をあわせ、落ちている帯を拾って結んだ。
信は私から離れて、自分の頬を勢いよく数回叩く。暗い部屋にその音が軽快に鳴り響いた。その顔は、レーンではなく、私がよく知っている男の子の顔だった。
「……コウ、状況を説明してくれる?」
私の目からポロポロと涙がこぼれる。
「信は今ね、自分の身体に戻ってるの……」
信ははっと驚いて、自分の肩を、胸を触って確認した。
「体、残ってたのか……え? 何で……制服?」
信はかなり混乱していた。
私は起き上がって、信の体に抱きつく。
「……信……本当に、信だぁ…」
言葉にすると涙がこぼれて、私は信にしがみついて思いっきり泣いた。信は泣いている私の肩を抱いて、しばらく頭を撫でていた。
信は熱を持って腫れている私の頬に触れる。痛みに私がビクッと震えると、信は心配そうに私の顔を覗いて、私にキスをした。
「……?」
私は目を閉じてキスを受け入れたが、恋人のキスだったので驚いた。私は身を引いて信の肩を押す。しかし信の力が強くて離れてくれなかった。
……何で? 何で?
私はわけが分からなくてとまどうが、それよりも胸が、頭が熱くて体に力が入らない。相手がレーンだった時には閉じていた心がたやすく開いて、書庫の時のように、頭が溶けるような感覚に襲われる。
信はあわてて私を自分から引き剥がした。突然拘束を解かれた私は、ぐらついて床にへたりこんだ。
信は私の腕をつかんで、尻餅を付かないように支えた。
「いや、ごめん、今の違っ……あれ?」
信は謝りながら、私の手を引いて抱きしめる。私の背中から頭の後ろに触れて、もう一度私にキスをした。
信は青ざめ、私の肩に手をあて、自分から私の体を引き剥がした。
「……この体勝手に動く、この体なんかいる!」
「それレーンだよ、レーンはまだ信の中にいるの!」
私は信が言うように、一歩離れて様子を伺った。信は、自分の唇をペロリと舐めて笑う。
「……誤算だったな……まさかここに本体が来るなんて」
私は目の前にいるのがレーンだと確信して、大声で叫んだ。
「信、ダメ! レーンを表に出さないで!」
「フフッ……」
薄目でうっすらと笑っているのはレーンだ。
「まさかこんな邪魔が入るなんて思ってもいなかった。残念だ」
レーンは私に向かって寂しそうに笑った。
「フレイ、君はいつだって、抵抗しないな……。何度生まれ変わっても同じだ。心も、涙も、血も、その肌さえも求められるままに差し出し、捕食されるだけの弱い生き物だ」
「……え?」
「まあいい、時間はいくらでもある。ただ黒竜を取り戻しに来ただけなのだから、今日はこのくらいで退散するとしよう」
レーンは何かを呟いた。
すると辺りに青い魔方陣が表れて、床で横たわったままの黒竜と、信の体を足元から消していく。
「俺の体が消えていく!」
信がそう叫ぶと、『邪魔だ、どけ』という声が聞こえて、信の意識はその部屋から弾けとんだ。
青い魔方陣が完全に消え失せ、私のまわりには誰もいなくなった。
私は意識がとぎれて、その場に崩れ落ちた。