8、(幸)夢の終わり
私の登下校対策をすると言っていた信は、翌日も朝練で、私の朝食時には既に学校にいた。
「まあ、別にいなくていい……」
幸はキッチンの中央にある調理台で、朝食のパンを食べつつひとり呟いた。
リビングのソファーには、朝食を終えたママが座り、プラスチックの板みたいなモノを必死に指で触っている。
どうやら昨日の赤い口紅のお客様は、隼人の会社の人たちだったようで、その人がその板ををママに届けてくれたらしい。
私は食べ終えた食器を食洗機にいれ、スイッチを押した。そのついでにソファーにいるママを背後から覗き込む。
ママが触っている板は、小さなパソコンみたいなもので、説明書にはタブレットと書いてあった。どうやらこれは、隼人からママへのプレゼントらしい。
ちゃんと設定すれば、メールやチャット、映像付きで隼人とお話出来るらしい。説明書にはメモが挟まっていて、隼人のメールアドレスや、色々な英数字が書いてあった。
……ママは隼人大好きだからなぁ。リアルタイムで顔が見えて、声も聞けるとなったら、苦手な機械でも必死になるんだな。
「……お前はいつまで経ってもガキのまんまだな」
突然脳裏に、夏休みにここに来た隼人の言葉がよぎった。久々に会ったのだから、もっとましな事を言ってほしい。
私はいけすかない父親を思い出して、顔をしかめた。隼人はママにこそ優しいが、私と信に対しては常に上から目線で、嫌みしか言わないので大嫌いだった。
ママはしばらく夢中でタブレットを触っていたが、ネットに繋がらなかったらしく諦めていた。
……時差九時間だもんね。ロンドンは真夜中だ。
ママはため息をついて、そのタブレットのカバーを閉じた。よく持ち歩いている大きめのバックにタブレットを入れる。
「ママ……持ち歩くんだ、それ……」
バッグを指差して言うと、ママはうつろな目で頑張るポーズをした。
……ママにとって、機械に触るのは勇気がいることらしいです。気持ちはよくわかるけど!
世間知らずで機械音痴のママに私は「頑張れ」と、心の中でエールを送った。
通学の準備を終えて靴を履くと、お出かけスタイルのママがついてきた。
「Where are you going?(どこにいくの?)」
「I’ll go to the school(学校に見送りに)」
……なるほど、信はママに監視を頼んだのか。
ママは家に鍵をかけるついでに、バッグから神社の御守りを差し出した。
「なにこれ? What?」
「 The amulet was present byHayato.(隼人がお守りをくれました)」
「……ゲェ」
……大嫌いな父から贈り物? ママと私はクリスチャンなのに、御守りとかなんで?
見るからに不満そうな顔をしていたら、エレンママはプウとふくれて私の通学リュックを引っ張った。
ママはリュックを開けて、中にその御守りをつけてニッコリと笑う。
「Hayato protects you.(ハヤトはコウを守るわ)」
「いやいや、御守りは神様でしょう、守ってくれるのは、ハヤトじゃなくてジャパンのゴッドだよ」
「Unfortunately that is wrong,Kou.(残念だけど違うわ)」
……ママにとって、日本の神様はどーゆー扱いになっているんだ?
ハヤト信者のママと話しても埒があかないので、私はリュックを背負ってママの手を引いた。
「行こうママ、しゅつぱつだー」
「デアエデアエー!」
……討ち入りに行くんじゃないんだから。
私は苦笑して、ママの手を取って歩き出した。
九月でも朝は気温が涼しくて、吹き抜ける風が気持ちいい。通学には早い時間帯なので、見守りの人も小学生もおらず、通勤鞄を持った人や自転車の学生さんとたまにすれ違う程度だった。
大好きなママとのさんぽ……じゃなくて通学は楽しい。朝からこんなしあわせでよいのだろうか?
私は毎朝挨拶している犬や、いつも同じ塀の上でくつろいでいる猫をママに紹介してまわった。エレンママは何でも驚いて、感心してくれる。ママ大好き。
……ママとふたりでお出かけなんて小さい頃みたい! これは顔がゆるむ。ふふふ。
私はにやけつつ、隣にいるママを見上げた。エレンママは背が高くて、お日さまのような金髪を背中で緩く結んでいる。ママは映画から出てきたような美人さんだ。
こうして見ると、どっからどう見ても立派な大人なのに、ママは私よりも生活能力が無いのだ。
私のママは日本語があまりしゃべれない。でも聞き取りは出来るらしく、日本語で話しかけても意味は通じている。
最近は買い物が出来るようになったけど、日本に来た頃はお金の事さえも知らなかったと聞く。
父親の隼人が言うには、言葉の通り意味の箱入り娘で、結婚するまで家から出たことが無かったらしい。ゆえにお金の使い方も交通法規も乗り物の乗り方も知らない。
……最近ではひとりでお買い物が出来るようになった、これだけでママにとっては大進歩だ。
私ははじめてのおつかいが出来た幼児を誉める気持ちで、ママの背中をポンポンと叩いた。
……私の通学の付き添いまで志願するなんて、成長したねぇ……
ママの手をギュッと握ると、ママは握り返して優しく微笑んだ。ママの緑色の瞳が、朝の日下で優しく揺れていた。
私は胸がいっぱいになって、ママに抱きついた。
「ママスキ」
「アラアラ」
道端で中学生に抱きつかれても、ママは動じず、娘を抱き上げた。
「うわぁ!」
ぐんと視界が高くなって、私はママの肩にしがみついた。ママはクスクス笑って、娘を抱っこしたまま歩き続けた。気分は運搬されるお米さまだ。
「……力持ちだねー。ゆーあーすとろんぐだよ」
「I'm used to it.(慣れているから)」
……いや、いくら慣れてるからって、十キロくらいあるリュックの重さもプラスされて、そーとー重いんだけどな、私。
中学生の娘プラス十キロでも問題なく運ぶ、力持ちなママにしがみついて、私は道行く街を見ていた。
学校が近付くと、生徒がチラホラ見えてきた。この年で抱っこは恥ずかしいので下ろして貰った。
別れる前にもう一度ママにしがみついて元気を貰う。ママは私の頭を撫でて、頭にキスをした。
「Wish you all the best(幸運を祈るわ」
「ありがとう、ママ」
ママは私が門に入るまで手を振っていてくれた。私はママに元気を貰って、しあわせな気持ちで教室に入った。
ママや信の過剰な心配をよそに、私は何事もなく教室についた。私は借りていた信のノートを出して、寝ていた時の板書を写していた。
昨日の信の異世界レポートの追記が楽しかったので、ノートも丸写しではなく意味を調べて書いたり、要点やポイントをカラーペンでチェックしてたら、予鈴が成り生徒が駆け込んできた。
いつのまにか部活帰りの信もいた。私は黙ってこっそりノートを返した。
「……コウ、エレンさん今外にいる?」
信が教室で話しかけてくるなんて珍しいと思いつつ、私は振り向かずに答えた。
「いると思う。ここまで送ってくれたの。ママは新品のタブレットの使い方を説明してくれる人を探しているのかもしれない。隼人がからんだママはしつこいよ」
「……なるほどね」
信はそれ以上何も言わずに着席した。
五時間目の英語の授業中、また私の視界が暗くなった。
寝ているのに英語だけは点数の良い私は、英語教師からよく思われていないのを感じていた。なので今は夢をキャンセルしたい。
……体に入ったフレイが散歩してる夢とかみなくていいし、その情報いらない、迷惑だし!
私は強く念じながら、じっと黒板を見ていた。しかし反抗すること虚しく、視界が薄らいでいく。私の意識は次第に薄れ、フレイの意識が覆い被さった。
……私はまた夢を見ていた。
寝るのを堪えていたのに抵抗出来なかった。強制とか本当にヒドイ。
私はブツクサ不平を思いつつ、いつものように手を見てフレイの年齢を確認した。
「……!」
白く長い腕は大人のもの、しかも感触があるので体があった。
問題は、フレイの右腕が無かった。
……フレイ、怪我をしたの?
私はドキドキしながら肩を触る。
切断と言うか、消失したような腕の傷は綺麗で、既に肉で覆われていて痛みは無かった。
私は気を落ち着かせようと、深呼吸をした。
体を動かすと、足元でゴトッと重い金属の音がする。足に何かついている。足が重くて動かしにくい。
『……!』
フレイの足には金属で出来た足枷がついていた。
部屋は狭く真っ暗で、窓はひとつも見当たらない。灯りは部屋の外から漏れてくるものだけのようだ。
部屋には申し訳程度の寝るための木製の台があり、フレイはそこに座って何するでもなくぼーっとしていた。
……鉄格子は無いけど、もしかしたらここは牢屋かもしれない。フレイは外に出て、誰かに捕まってしまったんだ、どうしよう?
しばらくすると扉の鍵が開けられ、白髪の長い髭をたくわえた老人と、金色の髪の青年が現れた。
私はその二人を知っていた。
フレイがよく見ていた世界を覗くアイテム、遠見の珠ではおなじみの人達だ。
二人は東の国、セダンの王と守護竜の地竜だ。金髪の青年が王さまで、白ひげの老人が地竜の人間バージョン。確かオージンさんという名前。
フレイは王を見るが、王はフレイを見ないように、どこか遠くを見ていた。
老人は兵士に命じて、フレイの足から枷を外した。フレイはセダン王と地竜と共に、甲冑をつけた兵士に外に連れていかれる。
セダンの内部がみられるなぁ。と、私はわくわくして石造りの建物を見ていた。
一行は暗い牢獄を抜けて、城の中に入り、長い通路を抜けて外に出た。
フレイが連れていかれた場所は、城から少し離れた円形の広場だった。中央に木製の台が置いてあり、まわりには既に沢山の人が集まっていた。
――うぉぉぉぉ
広場の人々は熱に浮かされたように声を上げていた。
私は驚きつつも、その人達の声に耳を傾けた。
人々はフレイを見て、「人殺し」「おまえのせいでアスラが灰に」「恐ろしい、次は俺達が殺される」などと言い合い、「魔女は死ね」「殺せ」と怒鳴っている人も多数いた。
……どーゆーこと? なんでフレイがこんなに恨まれているの?
私が首を傾げていたら、フレイが微笑んだ。
『今までありがとうコウ、つきあうのはここまででいいわ』
……えっ?
今までフレイから私に話し掛けられた事はなかったので、フレイは私の事を知らないのだと思っていた。
でもそんなことは無かったらしい。
私がフレイを感じているように、フレイも私の存在を感じていたようだ。
……フレイ、逃げた方がいいよこれ、すごく怖いよ、サーに助けて貰えば?
私が必死になって心のなかでフレイに話しかける。するとフレイは優しく笑った。
その笑顔が目の前に見えたので、私は不思議に思う。今まではフレイの視界でしか見えなかったのに、目の前にフレイの緑の瞳が見えた。
……切り離された
私の意識はフレイから追い出され、少しずつ空に向かって上がっていく。私は幽霊のフレイのように、空から円形の広場を見下ろしていた。
熱に浮かされた人々は、フレイを「魔女」と呼び、渦巻く波のように「殺せ」と騒ぐ。
私はその人達の恐怖や憎悪、そして高揚心が伝わってきて心底怯えた。
――ドクドクドク……
教室で寝ている自分の動悸がうるさいほどに聞こえてくる。眼下の殺意や憎しみにあてられて、体から冷や汗が吹き出した。
……ダメ、目覚める
こんなことになっているフレイを置いていくわけにはいかない!
……フレイ!
私はあせって、空からフレイに手を伸ばす。しかしフレイは既に私を見ていなかった。
セダンの王が、持っていた耀く槍を天に掲げた。会場から怒号と歓声が沸き上がり、ビリビリと空気を震わせた。
彼の槍、始原の光を持つ槍は、フレイの体を貫いて引き裂き、フレイは霧散した。
◇◇
「キャアアア!」
絹を引き裂いたようなかん高い悲鳴が教室中に響き渡った。授業を聞いていた生徒は一斉に振り返り幸を見た。
今まで寝ていたのに、突然立ち上がり悲鳴を上げた幸は、そのまま机に崩れ落ちる。
「ミスシノザキ、ふざけるのはいいかげんにしなさい」
英語教師が冷ややかにいい放ち、幸の席まで歩いてきて、机に伏せている幸を揺さぶる。
幸は寝ているのではなく気絶をしているようで、汗をかいていて、血の気が引いた顔は青白かった。
「先生、篠崎を保健室につれていきます」
俺は席を立って、幸を背負うために幸の側にしゃがみこんだ。すると菊子も「私も付いていきます」と言って、俺が背負うのを手伝ってくれた。
教室を出ていく俺たちに教師が言う。
「容態は担任の先生に伝えてください、あなたたちはすぐに戻ってくるように」
「分かりました」
菊子が教室の後ろ側のドアを開けて先生に答えた。信は幸を背負って、ドアを開けてくれた菊子に会釈した。
ママは変な人ですが異世界人ではありません
ママが日本に来た理由は「わたしの魔法使いはあなたです」という話に分けました。
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