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 ドアが閉まるなんておかしいと気づいて、目が覚めた。寝ぼけて夢を見たのだ。この家には誰もいないのだから、聞き間違えた。それか、風か。いや、窓は開いていないんだった。

 じゃあ夢だ。寝ぼけたんだ。

 キイ、と音が聞こえた。ドアが開いた音だ。キシ、キシ、と床の軋む音が聞こえる。これは夢だ。私は友人の家で、ソファに寝転がって眠っているんだ。

 部屋に入ってきた誰かが、寝たふりをする私の顔を覗き込んできた。目を開けてはいけないと思う。でもこれは夢だ。

 目を開けたが誰もいなかった。ゆっくり深呼吸をした。寝汗をかいていることに気付いた。服が体に張り付いて気持ち悪い。汗をかいていたのは怖かったからじゃない、暑かったからだ。と思い込んだ。寝たふりをしたつもりが、そのまま眠ってしまっていたんだ。と思い込んだ。

 体を起こして、ソファの横に置いてある猫の皿を見た。空っぽで、餌が一粒だけ皿から少し離れて落ちていた。それを拾って皿に入れた。

 猫が餌を食べていた音は現実だった。カリカリ、という咀嚼音。眠って、音で起きて、寝たふりをしたつもりがまた眠ってしまっていたんだ。

 もしかしてこれも夢なんじゃないか。

 ドアは閉まっていた。


 家の鍵を閉めた。車を走らせて海に行った。人がいない駐車場に車を止めて、少し窓を開けた。座席を倒して目を閉じる。風の音に紛れて遠くで波の音が聞こえた。

 深呼吸をした。胸の辺りが落ち着かずざわざわする。

 家に帰りたくない。どこかに逃げ出したい。あれは本当に夢か? 私は餌をあげたんだっけ? あげたことすら夢だったのか?

 助手席に人が座っている気配がする。視界の端に足が見えた。あの家からついて来られたのかもしれない。そんなわけがないと分かっている。

 ゆっくり目を開けて助手席を見るが、誰もいなかった。

 息を吐いた。体調が悪いんだ。だからこんなことを考えるんだ。


 自宅で目が覚めた。時計を見ても、時計がなくなっていて時間が分からない。携帯を探しても見つからず、車に置いてきたんだったと外に出ると、駐車場で二階の住人が尻尾の短い猫を撫でていた。軽く挨拶をすると、餌はあげてないですよ、と聞いてもいない言い訳をした。疑ってませんよ、と言って車から携帯を取って部屋に戻った。

 鍵を閉めて携帯を見ると実家から着信があった。そういえば最近連絡していない。でもかけ直すのも億劫で、布団に携帯を置いて風呂に入った。

 今何時だったか。時間を見るのを忘れた。そのために携帯を取りに行ったのに。時間に追われる生活を送っているわけでもないので今が何時だろうと構わないが……。

 着替えここに置いておくよ、と外から声が聞こえた。ありがとう、と返事をしたが、風呂から出たら着替えが置いていなかった。持ってくるのを忘れた。

 体を拭いて寝室に入ると、テレビを見ていた。その後ろを通って服を着た。

 違う、と気がついたときにはテレビは消えていた。無音がうるさくて無意味にテレビをつけたが責められている気がしてテレビを消した。

 携帯の着信を思い出して服を着た後、実家に電話をすると、母親が電話に出た。

 久しぶり、たまには連絡してよ、なんて母親とよくある会話をして、同窓会の葉書が届いたけど、と電話の要件を聞いた。日にちを聞くと特に用事のない日だったが、その日はちょっと、行けない、と答えると、じゃあ葉書は捨ててしまうね、と言われた。同級生の誰かは結婚して、誰かは子供を産んで、とよくある話を聞いて、じゃあまた、お盆には帰るよ、と電話を切った。

 布団に寝転がった。そういえば、DVDを彼の家に忘れてきた。


 着信音で目が覚めた。携帯の画面を見ると以前働いていた会社の同僚だった。

 何の用かと身構えたが、ただ会社に私の物があったが取りに来るかどうかという電話だった。会社で勝手に使ってくれ、と言うと、助かる、と言われた。もう既に勝手に使っていたが念のため私に断りを入ただけか。

 今はどこで働いているんだ、と聞かれて、何もしていない、と言うと、そうか、それならまたうちで、と言い切る前にこちらから電話を切った。

 何もない壁を見た。時計は、もう売ってしまったんだっけ。携帯を見る。朝の十時だった。

 今日は沢山寝てしまった。休みの日でも、毎日同じ時間に起きようと思っていたのに。違う、今はもう働いていないんだった。

 猫に餌をあげに行かなければいけない。その前に、押し入れから段ボールを取り出して組み立てた。台所の調理器具を手当たり次第段ボールに入れた。もう一つ段ボールを組み立て、それには食器を入れた。

 食器を割らないように車に運び込んで、リサイクルショップで買い取ってもらった。以前来たときとは違う年配の女性が店番をしていて、余計なお世話かもしれないけど、と前置きをして、調理器具は売らないほうがいいんじゃないのかと言われた。掃除したら出てきたんです、今まで使っていなかったのでこれからも使わないかと……と嘘をつくと、断捨離ね、と笑った。欲しければ差し上げますけど、と言うと、横領になるわ、とまた笑った。

 お金が欲しいわけではなく、ただ物を捨てたいだけだったが、こうして捨てるはずの物が現金に変わると素直に嬉しく思う。

 これから彼の家に行くのも、慈善活動ではなく金のためだ。彼の代わりに猫に餌を与えて報酬を得る。

 なんて楽なバイトなんだろうね、と助手席に座る人間が言うので思わず笑ってしまった。バイトか。確かにそうかもしれない。

 家に行く前にコンビニに寄って昼用におにぎりとお茶を買った。調理器具が食材に変わった。

 あれは買った? と聞いてきたので恐らくいつものおにぎりのことだろう。ちゃんと買ったよ、と答えて車を走らせた。


 山道を通り抜け彼の家についた頃にはもう昼を過ぎていて、家の鍵を開けて中に入るとリビングからテレビの声が聞こえた。

 玄関に靴はないが、彼が早く帰ってきたのかもしれない。部屋に入ると、見知らぬ男の子が椅子に座ってテレビを見ていた。

 誰だ。声をかけると、男の子は私を見て驚いていた。立ち上がって、そわそわと足踏みしている。

 この男の子が彼の身内なら私の方こそ不法侵入者だ。この家の主人に留守中猫に餌をあげるよう頼まれていて、ここ最近この家に通っていることを伝えると、男の子の顔が明るくなった。

 やっぱり。昨日、お兄さんのこと見たよ、と言うので、意味がわからず首を傾げると、餌の皿を指さした。昨日、ご飯食べてるとき、寝てたよね。

 いや何を言っているんだ。これは猫の餌で、と言いかけこの部屋で見た夢を思い出した。確かに私が寝ていた時に部屋のドアを開けて、猫が入ってきた。ご飯を食べて、部屋を出て律儀にドアを閉めて行った。

 今までどこに居たんだ、と聞くと、天井を指差した。

 この家に、男が住んでいるはずだ、私と同じ年齢の、その男とは、どう言う関係で……と聞くと、誰にも内緒って言われてるから、と答えた。

 サッと血の気がひいた。私は知らぬ間に犯罪に加担させられていたのかもしれない。

 どこから来たのか、と聞いても、名前を聞いても、年齢を聞いても、何も答えずただ、戸惑いながら、内緒、内緒、というだけで話にならなかった。

 家を出て鍵を閉めた。郵便ポストを見て、携帯を取り出す。勘違いだったらどうするんだ。でも勘違いじゃなかったら、いや、勘違いなら、それでいい。

 警察に電話をした。


 家にいた子供は、2年ほど前に他県で行方不明になっていた男の子だった。当然ながら私が犯人と疑われ、同級生から頼まれて家に来ていた、と正直に話したが、その同級生が見つからず、手掛かりすらなく留置所に拘束された。

 その間、何度も面会に来てくれた人間が、あなたは何もしていないのに、どうしてこんな目に、あいつのせいで、あいつのせいで、と恨み辛みをボヤくので、通報したのは自分であること、こうなることは予想していたことを話すと、いつも分が悪そうに俯くのだった。あいつのせいだ、あいつを信じた私がバカだった、と言って欲しいんだろう。

 彼はまだ犯罪者と決まったわけではない。それに、もし犯罪者だとしても私がどうこう言える立場ではない。私は人を殺したのだ。子供を家に匿っていた彼とは正反対だ。私は冷たい手の感触を知っている。


 数日経って私の冤罪が晴れた。外に出られてすぐ病院に連れて行かれた。

 そこで初めて知ったが、私は幻覚を見るらしい。

 そんなわけがない、と否定したが、では留置所で誰と話していたんですか、と聞かれると、何も答えられなかった。あれは確かに、私が殺した死体だった。

 そこで初めて私は人を殺したと告白した。その死体がずっと話しかけてくるんです。

 でもどうやら、それすら幻覚だったらしい。

 殺してもいない人間を私は夢に見ていた。

 そもそもこの人は生きていたんでしょうか、と聞くと、その可能性は低いです。と、存在しない理由と証拠を掲示された。

 良かった、と呟いた。ようやく解放される。と思った。

 なのに、存在しないはずなのに、どうして、死体はずっと私に話しかけてくるんだ。


 海で彼と出会ったのも夢だったんじゃないかと思った。あの家は彼の家ではなく、空き家に行っていたんじゃないか。たまたまそこに誘拐された男の子がいたんじゃないか。

 そもそも男の子なんて本当にいたのか。私がここにいるのは単純に幻覚を見るからで、警察に行った記憶は入院した事実と錯覚したんじゃないか。

 自分ほど信用ならない人間はいない。

 家族と面会して、アパートは引き払った。車はもう乗らないように実家に置いてある。と言われた。

 どこに帰れば良いのか、と聞くと、うちに帰ってこい、と言われた。

 目の前にいる人間も幻覚なんじゃないかと疑ったが、久しぶりに連絡があったと思ったらこんな、情けない、と小言を言ったので、どうやら本人らしい。

 連絡ならこの間母さんにした、と言ったら、何を言っているんだ、と訝しげな表情をした。そうか、忘れられない手の感触は母親の手だったのか。

 ごめん、と言うと、冗談だと思ったらしく肩を軽く叩かれた。

 いつから夢を見ていたんだろう。呆然としていると、すまない、と謝られた。冗談ではなかったと気づいたらしい。

 帰るよ、と言うと、黙って頷いた。すん、と鼻をすする音が聞こえた。


 私は模範囚だったらしく、死体が話しかけてくることがなくなってきた頃、病院からも解放された。

 父方の実家に行く途中、あの子供は、と言いかけると、子供? と聞かれたので、何でもない、と言った。

 これから住む家は山奥にあり、人よりも動物の方が多いくらいで、人にはあまり会わなかった。家で待っていた祖父母は私を暖かく出迎えてくれた。相当心配させていたらしく、来たばかりの頃は一人で居させてはくれなかったが、たまに来る初対面のご近所さんが本物かどうか確認できたので、そこは助かった。

 毎日祖父の畑を手伝いながら過ごしていた。働いていたときのように忙しいのに、不思議と一人暮らししていた時よりも充実していた。

 海に行った日が、ずっと昔にあったことのような気がした。山の上から見た景色は、月に照らされた海は綺麗だった。現実は美しいのだ。

 家は海から程遠い場所にあった。遠出しなければならない時は海岸沿いを車で走る。もし彼にあったのが海に行ったことがきっかけだと知ったら、この道は通らなくなるのだろうか。町から山道に入ったとき、彼の家へ行くための道を思い出すと言えばどうなるのだろう。

 家族は私に昔を思い出させないためか、行方不明者や白骨化した遺体のニュースの続報等がテレビで流れると、チャンネルを変えた。私がいないときはそういったニュースを普通に見ていることを知っている。話をしていることも知っている。気を遣わせてしまっている。

 本当は、ニュースも海も怖くはない。何もない時間が一番怖い。休みなさい、ゆっくりしなさい、と座らされるのが怖い。眠りにつく前が、湯船に使っている時が怖い。

 疲れ果てて布団に倒れて瞬きしたら朝だった。そんな毎日を過ごしたいが、そう簡単にはいかない。助けてくれといもしない救世主を求めてぼろぼろと弱音を溢した。


 木の影に立っている死体を見た。もう話しかけては来ないが、私をじっと見ていた。いつも無視をしているが、幻覚に対して可哀想などと思ってしまうことがたまにある。ありもしないものに対して罪悪感なんて必要ない。そう言い聞かせた。

 一人で買い物に行けるようになった頃、二階の自室で窓を開けたまま取り込んだ布団に寝転がっていた。心地よい風が吹いて、海に車を止めたことを思い出した。

 そうして昔を思い出さなければ、何もしなくて良い理由を思い出さなければ、死にそうな気になった。

 少し眠って目が覚めると、日は暮れていて、外も部屋の中も真っ暗だった。外からはカエルの鳴き声だけが聞こえた。

 窓を閉めようと近づくと、やけに明るい月明かりに照らされたベランダに、何かが落ちているのに気がついた。

 網戸を開けて外に出てそれを手に取ると、封筒だった。

 中を開けてみた。一万円札と五千円札が一枚ずつと、紙が入っていた。


『猫の世話ありがとう。

 三日分の給料です。』

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