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 いつも見ているニュース番組で天気コーナーが始まった。仕事の準備を始めて、横目でテレビを見た。ここ一週間はずっと雨らしい。土砂崩れや川の増水に注意してください、とアナウンサーが言った。そしてその口で、速報です、と緊張感のある物言いで、私の住んでいる場所から車で一時間ほど離れた山で、遺体が見つかった、と言った。

 バレた。

 目が覚めた。体が痛い。昼寝のつもりで布団も敷かずに、座布団を枕に床で寝ていたら、夜も更けていた。部屋は真っ暗で、テレビもついていない。

 夢だった。私は仕事を辞めている。あのニュースを読み上げたアナウンサーはもういない。あの番組も、もう今は見ていない。

 現実のテレビをつけて確認しようとしたが、どのチャンネルも休止中やテストパターンを流していた。

 壁に掛けてある時計を見ると三時と表示されている。

 折りたたんである段ボールを押し入れから取り出して組み立てた。裏にガムテープを十字に貼って時計を段ボールの中に入れた。

 本棚の上に置いてある無意味な置物も時計と一緒に入れた。段ボールをもう一つ組み立てて本棚の本を入れた。いつでも読めるようにと床に置いてあった読まない本も入れて、台所にあるレシピ本も入れると、丁度段ボール一つに収まった。これは本屋に持って行こう。あまり高く売れないだろうな。

 時間を見ようと思ったが、携帯を持っていなかった。段ボールに入れた時計を掘り出して見ると、起きてから三十分しか経っていない。

 二度寝したい気持ちを抑えてシャワーを浴びた。風呂に入ったら手が震えた。恐怖で、ではなく、ただ腹が減ったからだ。

 家で飯を食べる気にはならない。かと言って外食もしたくない。でも仕方ない。

 服を着替えて外に出た。車には乗らずに徒歩でコンビニまで行った。朝日もない真っ暗な道を歩いていると車とすれ違った。こんな時間から仕事なんだろうか。運転手も、こんな時間に人が歩いていると気にするだろうか。私だったら気にする。

 早朝なのにやけに元気な店員に接客をしてもらってコンビニを出ると、猫と駐車場で目があった。私がその場にしゃがみ込むと、猫はゆっくり私に近づいて来た。

 人に慣れている。擦寄られる前に立ち上がると猫は突然の行動に驚いたのか立ち止まった。猫を置いて帰路につく。野良猫が人に慣れているのに、彼の飼い猫は人には慣れていなかったな。人それぞれ、猫それぞれか。

 テーブルは一番最後に捨てようと思った。きっと一番思い出深いが、一番家にあった方がいいものだ。何より食事をするのに床で食べなくて済む。

 テレビをつけると通販番組かニュース番組しかやっていなかった。おにぎりの袋も開けずに、ぼんやりとチャンネルを変えていると、山で白骨化遺体が見つかったとアナウンサーが読み上げた。あれは夢じゃなかったのか、いや、あの遺体は白骨化するほど時間が経っていない。それなのに、まるで自分が捨てた遺体が見つかったように動揺して心臓が早くなった。カタン、と鳴った音に驚いたが、リモコンを持つ私の手がテーブルに落ちた音だった。

 チャンネルを変えようと思うのに体が固まって動けない。なのに手足は震えている。見つかったかもしれないという状況に酔っているんじゃないのかと、頭の中はやけに冷静だが、そう偽っているだけで、実際は身動き一つ取れないほど恐怖に慄いている。

 ずっと遠くの県名の、知らない地名をアナウンサーが読み上げた。ようやく吸った息を吐けた。机にうち伏せて気持ちを落ち着かせる。心臓がまだ跳ねている。耳鳴りがうるさい。外を歩いてきたときよりも汗をかいていて何故か寒い。今だに震えている手足が冷たい。たった数秒のうちにやけに疲れた。目を閉じると死んだ人間の顔が浮かんだ。

 顔を上げてテレビを見る。震える手でテレビのリモコンを持ち直すと、丁度時間が変わって時報と共に別のニュース番組が始まった。朝の挨拶を元気良くしているアナウンサーを見てやっと現実に戻ってきたような気がした。

 全て妄想だったんじゃないか、山に白骨化した遺体なんてなかったんじゃないか、疲れてありもしないニュースの幻覚を見たんじゃないかと考えたが、同じニュースを別の番組でも報道し始めたのでチャンネルを変えた。

 芸人が派手なリアクションをする通販番組を見ながら、買ってきたおにぎりを一つ食べ終えて、二つ目に手を伸ばしたところで、トイレに駆け込んだ。胃ごと吐き出してしまいそうなほど全て吐き戻した。

 二つ目のおにぎりが、死んだ人間がいつも買っていたもので、気持ち悪かった。捨てようと思っても触ることすら躊躇われた。自分の無意識の中であいつはまだ飯を食うほど元気に生きているのに、自分の意識の中では遺体になって力なくだらりとぶら下がっている。遺体を見に行って、見つかっていないことを確認したい欲にとらわれそうになる。


 本棚も本も、無意味な小物も時計も、車に積んでリサイクルショップに売りに行った。安くはあったが全て買い取ってもらえた。値段がつかないものもあった。それでも引き取って貰えるだけありがたかった。

 聞かれてもいないのに同居していた人間が出て行ったんです、という言い訳をぼやくと、ただ店番をしているだけであろう女性に慰められた。これあげる、と手のひらサイズのくじらのぬいぐるみを渡されて、お礼を言うと、お疲れさま、と言われた。何に対して労われたのだろう。

 また来ると思います、と言うと、全ては捨てなくても良いんじゃない? と言われた。心臓が強く脈打つのを感じた。動揺して、返答に困っていると、また戻って来るかもしれないよ、未練のある人は女々しくて情けないかもしれないけど、使えるものは使ってしまおうって余裕の持てる人の方が私は好きですよ、と言われた。別にあなたに好かれたいわけではないが、少し考えるふりをしてから、そうですね……と答えた。

 車を走らせながら考えた。お金はかかるだろうが、家電は不用品回収に頼むの方がいいのか、それとも、ネットオークションやフリーマーケットのサイトにでも出品した方がいいのか、どちらの方が見つかりにくいのだろう。サイトに出したとしたら、欲しいものをお金と引き換えに手に入れたのに、もし証拠として没収されてしまっては相手が可哀相か。きっと返金もないだろうと想像して、何故か笑えた。

 通りすがりに寄ったファミレスで、一人でご飯を食べて帰った。家に帰ると、本棚がないだけなのに、部屋がやけに広く感じた。

 ニュースを見るのは嫌だったが、部屋が静かなのがとても恐ろしく感じて、子供向け番組を見ずに流したまま、布団を敷いて惰眠を貪った。体が怠くて起き上がれないまま、夕方になってようやく布団から這い出て、携帯を見ると、彼から着信があった。

 先に電話をかけたのは彼ではなく、私の方だった。暇になったらかけ直してくれ、と留守電を入れたからかけ直してくれたのだ。私は、仕事は何もしていないと言いながら、電話を取れなかったのは矛盾しているんじゃないかと思ったが、何もしていないからこそ寝ていて電話に取れなかったことは理由になる気がした。言うなれば何もしていなくて暇を持て余している人みたいだ。

 電話をかけ直してしまってもいいんだろうか。向こうの都合が悪ければ……と考えていると、丁度電話がかかってきた。もしもし、と電話を取ると、悪い、今家に帰ってきた、電話なんだった? と言われた。謝るのはこちらの方だ。

 忙しいのにごめん、明日、出発する前にもう一度行ってもいいか? と聞くと何のためにとも聞かずに、じゃあ十二時以降に来てくれ、と言った。分かった、それじゃあ昼に、家を出る時にまた連絡すると言うと了承した。おやすみ、と言われ、おやすみ、と返すと電話は切れた。

 布団に寝転がって、何か質問することはあったかと考えた。分からないことがあったら電話をしても良いのか、餌をあげたら連絡したほうがいいのか、猫の様子は報告しなくていいのか、あと、餌が入っている棚の戸をきちんと閉める。二階には行かない。戸締りをきちんとする、水の入った容器には触れない……。

 うとうととしたところで、名前を呼ばれた。返事をしても応答がない。起きて辺りを見回しても、部屋には誰もいない。押入れも、風呂も、トイレも、台所も、誰もいなかった。そこで初めて、聞こえた声が幻聴だと気づいた。いや、夢か。


 彼の家へ行くのに迷うだろうと早めに家を出たが、迷わずに、誰かに道も聞かず、真っ直ぐ彼の家へ着いた。早めに出たのが杞憂に終わったせいで、随分と早く着いてしまった。以前言われた場所に車を停めて、車の中で彼に電話をかけた。

 十二時以降って言われたんだけど……と少し言葉に詰まると、なんだ、来たのはお前か、と言われた。誰が来たのかと思った。予定よりも早くに来てしまったので、見ず知らずの誰かが、道を間違えた人間が家に来たのかと思った、らしい。

 よくあるのか、と聞くと稀に、と答えた。彼が出かけている間に誰か来たらどうしよう、とぼやくと、家の人間は留守だと言え、と言われたが、留守だとバレるとまずいだろ、と言うと、金目のものはないがね、と言った。

 人の家に入ってくるやつは切羽詰まったやつだ。なんでも盗む。それに知らない人間が家に入ったということが気持ち悪いだろうに。でも、知らない人間というと私も含まれる気がした。

 家に入ると、彼は餌をあげておいてくれ、と言って二階に上がっていった。リビングに入ると何もいない。勝手に棚を開けて餌を皿に入れた。棚をきちんと閉める。ソファに座って彼が戻るのを待っていると、彼がボストンバッグを持って降りてきた。

 人でも入っていそうだな、と冗談を言うと、人間を入れると荷物が入らない、と笑って、部屋の入り口の近くにカバンを置いて私の隣に座った。何か聞きたいことは? 今のうちに。

 棚をきちんと閉める、二階には行かない、戸締りはちゃんとする、で良いんだよな、と確認すると、彼はうんうんと頷いた。私が三日しか来なかったら、どうやってそれを知るんだ、と聞くと、お前はそんなことしないだろ、と言った。私はどこでそんな信頼を彼から得たんだろうか。

 猫の様子は報告しなくて良いのか? 餌をあげたら連絡した方が良いのか? 何かあったら連絡した方が良いのか? と昨日ぼんやり考えたことを聞くと、どれも必要ない、と言われた。電話は持てないから連絡してきても取れないらしい。どこに行くんだ、と聞いても笑って誤魔化された。

 じゃあちょっと早いけどもう家を出る、鍵を閉めておいてくれ。と言って彼は立ち上がった。思わず私も立ち上がろうとすると、ゆっくりしてくれて良い、と制止された。

 じゃあ気をつけて、と言うと、彼はカバンを持って手を振りながら部屋を出て、バタン、と玄関のドアが閉まる音と共に彼は家を出た。車のドアが閉まる音と、エンジン音と、車の走り去る音が順に聞こえた。それほどこの家の周りは静かだ。

 誰もいない部屋を見渡したが、まるで査定しているような気になってしまって、すぐに視線を机に落とした。指紋一つないガラステーブルの上に、リモコンが二つ並んで置いてある。部屋も整頓されていて、随分几帳面なんだなと思った。

 空っぽの他人の家にいる居づらさから、すぐに家を出る。鍵が閉まっているのを確認してから車に乗り込んだ。いくら構わないと言われていたとしても、誰もいない他人の家で寛げるはずがない。

 車を走らせ細い道を過ぎ大通りに出た。


 眠りにつくとき布団が床に染み込んで、そのまま地下に落ちたような気がした。それほど深い眠りに落ちた、というわけでもなく、私は数分で目が覚めた。枕もとに人が立っていた。

 お前も、早く寝ろ、と言って寝返りをうった。

 違和感に気づいた時にはもう誰もいなかった。


 次の日、彼の家に行ってソファに寝転んだ。家では枕元にまだ人が立っている気がして、眠れずに朝を迎えて、運転中にうとうとしてしまった。

 ソファの横にある餌皿を覗き見ると、綺麗さっぱり無くなっている。そのまま寝てしまいそうになった。無理やり起き上がって棚から餌を取り、皿に餌を入れた。初日でやらかさないよう、棚をきちんと閉める。

 改めてソファに寝転がって目を閉じた。このまま帰りの道中で寝てしまうのは危ない。

 と言い訳を考えた。眠いのは事実だが、ここに住んでくれても良いと言う言葉を真に受けて、人の家で寛いでやろうと思った。昨日は居づらかったが、今日はもう、彼は居ないのだ。

 猫が私の上に乗っかってくれないだろうかと考えながら、テーブルの上にあるリモコンを手に取り、見もしないテレビをつけた。

 大きくて画質が良く、これで映画を見たらさぞ迫力があって楽しそうだ。近所なんてほとんどないも等しいのだから、音量も気にしなくてといいんだろう。映画を見るのにもってこいの環境だ。

 しかしDVDやBDを再生する機器はあるのに、肝心のディスク自体は見当たらない。レンタル店が近くにあるのでそこで借りて見ているのかもしれない。

 明日は映画を借りて持って来よう。あまりに図々しいだろうか。自宅の布団よりも柔らかいソファで眠った。


 家に帰った瞬間、しんとした冷たさに寂しさを感じて、手が震えた。もう家には誰もいない。背中に誰かが乗っている。見なくても、それが誰かわかった。そいつを振り落としもせずに、布団に寝転がった。

 めまいがするのは、寝不足だからなのか、部屋が寒くて風邪をひいたのか。布団に丸まったが吐き気がしてトイレで吐いた。

 寝不足だから、寒いから、ご飯を食べられていないから体調が優れないのだと言い訳を考えた。

 この家には誰もいない。大丈夫だ。


 次の日、朝から家を出た。コンビニとレンタル店に寄ってから、彼の家に行った。

 空になっている皿に餌を入れて、借りてきたDVDをプレイヤーに入れた。コンビニで買ったおにぎりを食べながら、借りた映画を見た。

 主人公が、部屋を僅かに照らす夕日に、見惚れているのか、眩しいのか目を細めた。ほんの少しのシーンに、私は言い得ぬ寂しさを感じた。思わず停止ボタンを押してDVDを取り出す。ただ、これ以上見たくなかった。見る気分じゃなくなった。

 DVDを片付けはしたものの、無音が酷く恐ろしく感じてテレビをつけたままソファに寝転がった。今日も一眠りしてから家に帰ろうと思った。うとうとし始めた頃、カリカリ、と音が聞こえて目が覚めた。猫が餌を食べている。人見知りの猫だ。音を立てると逃げるだろうと、目を瞑ったまま寝たふりをしてその音を聞いていた。

 聞きながら考えていた。家に帰りたくない。でもここにいるわけにもいかない。家具を売るか、捨てるかしなければならないことが面倒なのか。それとも、あの部屋に何かがいるような気がすることが怖いのか。

 パタン、と音がした。ドアが閉まった音だ。

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