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横浜山手の宝石魔術師  作者: 桜居 かのん
第四章 恋と罠のインカローズ
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そこには朱色で縁取られた木の看板に『ENOKITEI』と書いてあり、その上に小さく『ホームメイドケーキ えの木てい』と書かれている。



「・・・・・・」



朱音はぽかんとその建物を見た。


白亜の壁に朱色で窓が縁取られ、なんとも可愛らしい小さな洋館だが、その建物の手前はオープンカフェで多くの人がケーキや紅茶を楽しんでいる。


春先にこの前のエリスマン邸に来たときは一切このお店に気が付かなかった。


もし、もしもあの時このお店に気が付いていたら、喜んでこの素敵なお店に入って、冬子に会うことも無ければ、あの洋館に住むことも無かったことになる。


ここで自分のその後が全く変わってしまったのかと思うと、朱音はぞっとし、やはりあのラブラドライトが繋げてくれたこの素晴らしい縁にただ感謝しながら歩き出した。


先に地図で確認をしていたが、段々両端には立派な邸宅ばかりで本来曲がる道を越えてないか焦りながら歩いてると、右側に行く道路の角に『石川町駅 山手イタリア山公園』という看板を見つけ、朱音はホッとしながらそこを右に曲がる。


道を少し下った先に、門が開いていて白い壁に埋め込まれた石に『山手イタリア山庭園』と刻まれていて、中に入れば左側に薄い茶の壁に濃い緑の屋根と窓の縁を覆う『外交官の家』がある。


『外交官の家』は、ニューヨーク総領事などをつとめた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、東京渋谷の南平台に1910年に建てられた。


この内田邸は、海外暮らしが長かった定槌氏の意向を反映し、当時の日本人住宅としては珍しく徹底した洋風化が図られ、木造二階建てで塔屋がつき、アメリカン・ヴィクトリアンの影響を色濃く残している。


1997年定槌氏の孫から横浜市がこの館の寄贈を受け、この山手イタリア庭園に移築復元され一般公開となった。


そしてもうひとつここに移築された館が『ブラフ18番館』だ。


白壁に窓やドアは濃い緑で統一され、屋根のフランス瓦はオレンジのような明るめの茶。


元々は関東大震災後に山手町45番地に建てられた外国人住宅で、戦後は1991年までカトリック山手教会の司祭館として使用されていた。


震災前に建築された山手45番地住宅の一部が震災による倒壊と火災を免れ、部材の一部として利用していたことが解体時の調査で判明し、横浜市が部材の寄付を受け、1993年に移築復元した。


朱音は庭園の中に入り、ちょうど二つの洋館の間あたりで腕時計を確認する。


ふらふら見ていたせいか気が付くと待ち合わせまであと二十分くらいしかない。



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