逢魔の合間に愛間見え
色音が書き終わったらだそうと思ってたやつでした
「ん……」
耳に響く、川の流れる音。目にまぶしい夕焼けで、僕は目を覚ました。
「あれ…」
僕は、何をしていたんだっけ?
河川敷に寝そべる体を起こし、辺りを見回す。
背の低い草が生い茂る河川敷。川を渡るためにかけられた橋。
「わ…」
突然吹く強風に驚く。
それと同時に、僕は何をしていたかを思い出した。
一日前…
今日は母さんの命日らしい。
父さんから聞いた話だけど、母さんは僕を生んだ時に亡くなったらしい。
ちょうど、僕の学校が夏休みに入り、お盆の時期も来たということで、父さんに連れられて僕は、亡くなった母さんの故郷に来ていた。
そこはかなりの田舎で、周りは田んぼや畑、山に囲まれたところで、「田舎」を体現したような場所だった。
「お久しぶりです。」
どこか知らない家に着き、車から降りると、父さんが誰かに挨拶していた。
「こんなところまでわざわざありがとうございます。」
家から出てきたおばあさんが言った。
父さんは僕に振り返って手招きする。
「お前も挨拶しなさい。」
そう言われて、慌てて父さんの隣へ小走りで向かう。
「ご、ご無沙汰してます。」
僕はこの人に見覚えはないけれど、きっと僕の記憶にもないくらい小さい頃に会っているんだろう。
「あらあら、少し見ないうちにこんなに大きくなって、子供は成長が早いですね。」
「まだ十五歳ですよ。あぁでも、前に来た時は生まれたての時でしたね。」
やっぱり、僕はここに来たことがあるらしい。
「あなたは覚えてないかもしれないけど、ここはあなたのお母さんのお家なのよ。」
ああ、なるほど。ここは母さんが住んでいたところなのか。
無意識に、周りを見回す。
ところどころ、見たことがあるような、ないような。
あいまいな記憶がよみがえってくる。
「さ、立ち話も悪いですし、どうぞ中へ。」
おばあさんに招かれるまま、僕と父さんは家に上がった。
家に上がると、居間に通された。
そこには一人のおじいさんがいて、父さんはその人にも挨拶をした。
それまで険しい顔をしていたおじいさんは、くしゃりと顔を崩して、笑いながら父さんに挨拶を返した。
「ここまで来るのに疲れただろう。墓参りは明日にして、今日はゆっくりするといい。」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます。」
父さんが深々と礼をする。それにつられて、僕も一緒に頭を下げる。
すると、おじいさんは笑い出した。
「そんなにかしこまらなくてもいいじゃないか。お前さんはあの子をもらってくれた旦那なんだからよ。俺らのことはただの家族だと思っていいんだ。」
僕はやっと気付いた。この人は母さんのお父さんなんだって。
それから、父さんはおじいさんと何やら話し込んでいた。
僕は黙って父さんの隣に座って、ただぼーっとしていた。
そんな僕を見かねたのか、おじいさんが言った。
「夕飯までまだ時間がある。外の空気でも吸ってきなさい。ここは山に囲まれた土地だから、空気がうまいぞ。」
それに続いて、父さんも言った。
「少しの間、自由に散歩するといい。ここにいても暇だろう?」
僕は何の考えもなしに、こくりとうなずいてその場を離れた。
きっと二人とも、僕が暇そうにしているのが見るに堪えなかったんだろう。それか、僕に聞かれちゃまずい話をするつもりだったか。
まあそんなことはないだろうな。なんて思いながら、僕は外に出た。
玄関先の石畳を歩いていくと、ボロボロのコンクリートに舗装された道路に出た。周りはおじいさんの言う通り山に囲まれていて、豊かな自然が心地いい。
空を見ると、少し日が傾いている。一時間もせずに、夕暮れに差し掛かるだろう。
「…あつい。」
真夏の太陽に照り付けられ、汗がにじみ出る。
山に沿うようにひかれた道路を歩いていると、生い茂る木の枝に飲み込まれそうになっている自販機を見つけた。
「大丈夫かなぁ…」
少し不安な気持ちを抱えつつ、僕はその自販機に小銭を入れた。
すると、まるで止まっていた時間が動き出したかのように、「ピッ」なんて音を立てながら自販機が明かりを照らす。
売っている飲み物も僕が知っているものばかりで、ひとまず安心。
とにかく何か水分を取りたい。そんな思いを胸に、僕は背伸びをして、自販機の一番上の列にあるお茶のボタンを押した。
ガタコンと音を立て、ペットボトルが落ちてくる。取り出し口が微妙に小さくて、ペットボトルがうまく取れなくてイライラする。
そしてやっとの思いで取ったボトルのラベルを見て、がっかりした。
「なんでだよー…」
飲みたかったお茶と全然違うものが出てきたからだ。
「はぁ…」
でも、出てきたものは仕方がないし、キャップを開けてグビっと一口。
飲みたかった緑茶じゃなかったけど、意外とおいしかった。
「ん…?」
飲み物から口を離して、ふと気付く。
自販機の真横。ほとんど木と葉っぱに隠れてしまっている石段を見つけた。どうやら、山の上のほうまで続いてるみたい。
好奇心というものは恐ろしいもので、僕はただ何があるんだろう。なんて軽い考えでその石段を上り始めた。きっと、町の路地裏とかが気になって仕方ない人とかはこんな気持ちで路地裏に足を踏み入れるんだろうな。
しばらく上り続けて、膝が少し痛くなってきたころ。
大きな大きな赤い鳥居が目の前に現れた。
僕はその前で立ち尽くして、それを見上げていた。
こんなところに神社なんてあるのかな?
そんな疑問が浮かんできたけど、その時の僕を止めるほどの影響力を持っている疑問ではなく、そのまま僕は鳥居をくぐってさらに石段を上り始めた。
気づいたころには、夏の虫たちのせせらぎや、カラスの鳴く声すらも聞こえなくなっていた。そこでやっと、僕はやばいところに来てしまったんじゃないか。と思い始めた。
でも、止まらない。不思議と体が前へ進む。この先が気になって仕方がない。長い長い石段を上って。上って、上り続ける。
ついには風になびく木の葉の音すら聞こえなくなって。
僕の耳に聞こえるのは、自分の疲れた息と足音。
やっぱり、引き返そうかな。そう思った時。
長かった石段が終わりを迎えた。やっとの思いで上り切った。
不思議な達成感と共に、激しい疲労感が僕を襲う。
でも、そんなの関係なかった。
その時、僕は人生で初めての恋をした。
目の前に広がる光景が、僕を虜にした。胸が高鳴った。
まず、そこには神社があった。
でも、それだけじゃなかった。
人がいた。僕以外の人が、いた。僕はその人に一目惚れした。
その人は、神社の賽銭箱の上に腰を掛けて、こちらをじっと見つめている。
長い桜色の髪。白と赤を基調とした、巫女服のような和服。
全体的に整った顔。いや、整いすぎている。まるで、この世のものじゃないような。光をまぶしく反射する白い肌とは対照的に、瞳は赤く、 それでいて水晶のように透き通っている。
背丈は僕と同じくらいだろうか。学校の背の順でいつも前のほうにいる僕と同じように、あまり大きくはない。
どうしてだろう。目が離せない。
そして、その少女もまた、ずっと僕のことを見つめている。
ずっと、目が合っている。
まるで時が止まったかのように、僕と少女は見つめあっていた。
すると、
「うわっ」
ガサガサと周りの木を激しく揺らすほどの強風が流れた。
反射的に目をつぶる。
風がやんだのを確認してから目を開ける。そして、
「あれ?」
目の前の不思議な光景に、僕は目を疑う。
さっきまでそこにいたはずの少女がいなくなっていたのだ。
もしかすると、幻覚を見ていたのかもしれない。そんな考えが頭をよぎるけど、いや、そんなはずはないと目をこする。
もう一度前を見ると、
「ばぁ!」
「うわぁ!?」
先ほどまで姿かたちもなかった少女が目の前にいた。
驚いてしりもちをついた僕を、少女はけらけらと笑う。
「あっはは!いやぁ、久方ぶりに人の匂いがするかと思えば、こんな小童とは。驚いた。」
驚いたのはこっちだよ。と思いながら、僕は口を開く。
「あ、あなたは…?」
すると少女は不思議そうな顔をして、
「なぬ?おぬし、妾を知らぬのか?」
と言った。
そんなの、知らないに決まっている。僕たちは初対面だし、名前なんて知っているはずがない。というか、
「わ、妾…?」
という聞いたこともない一人称に、戸惑う。
そんな僕を見た少女は、はっと何かに勘付いたような顔をした。
「なるほど。おぬし、さては村のものではないな?」
その問いに、僕は、
「は、はい。」
と答えるしかなかった。僕の答えに、何か納得したのか、少女は言った。
「妾は御思逢満神。この御逢神社に祀られた神じゃ。」
「……はい?」
「大丈夫かおぬし…?」
御思逢満神。そう名乗った少女は、理解の追い付かない僕を心配そうに見つめていた。
どうやら、僕は神様に出会ってしまったらしい。
時間にして約三分。僕は頭の中を整理する時間をもらった。
「どうじゃ?少しは落ち着いたか?」
「は、はい。ええと、ここは一体…?」
とりあえず、普通に会話できるくらいになったので、石段を登っていた時から気になっていたことを聞いた。
「さっきも言ったが、ここは御逢神社だ。」
「その、御逢神社というのは?」
僕がそう聞くと、目の前の自称神様は、あきれた顔をした。
「本当に何も知らぬのか?全く…近頃の人の子は教育がなっとらんな…」
「そう言われても…僕は今日初めてここに来たし…」
そもそも、聞いたことすらないよ。
「ほう?こんな辺鄙なところにわざわざ?ふむ…それなら知らんのも無理もない。ならば妾が教えてやろう。よいか?御逢神社というのは…む?」
ずいっと僕に詰め寄った神様は、突然怪訝な顔をした。
「ど、どうしたんですか?」
「…すんっ」
「えっちょっと…!?」
ほぼ顔と顔が接する距離にいた神様は、いきなり僕の体の匂いを嗅ぎ始めた。
しばらくの間匂いを嗅ぎ続けた神様は、ばッと顔を上げると、
「おぬし、今日初めてここに来たと言ったな?それはなぜだ?」
さっきまでとは違い、真剣な表情で問われ、少し戸惑う。
「えっと…母の命日で、その墓参りのために。って父が連れてきてくれました。」
すると、神様は、
「命日……じゃと…?」
と、驚いたような顔で言った。そして、ゆっくりと僕から離れて、言う。
「そうか…道理で…」
「ど、どうしたんですか?」
「…いや、なんでもない。ほれ、もうじき逢魔が時が終わる。今日のところは帰るがよい。」
逢魔が時?夕暮れ時ってことかな?
僕が疑問に思っていると、神様はさらに続けた。
「早くせんと、帰れなくなるぞ」
「え、それってどういうことですか…?」
「なんじゃおぬし、逢魔が時も知らんと申すか?」
「はい…すみません。」
「いや、謝ることはない。無知は恥ではないぞ人の子よ。そうじゃな…簡単に言うなれば、今おぬしと妾のいる場所。御逢神社の境内…いや、おぬしがくぐった鳥居は、常世と現世の境界じゃ。そして、その境界は逢魔が時の間にしか通れぬ。」
それを聞いたとき、僕は思い出した。
鳥居をくぐった瞬間から、それまで聞こえていた虫の音やカラスの声が一切聞こえなくなったことを。
そうか、あそこが境界だったんだ。
「その様子だと、思い出したようじゃな。それなら、ほれ、さっさと行かんか。帰りは短くしてやるから、行け。」
「あ、ありがとうございます。あ、あの、今日は突然すみませんでした。」
僕は神様にお礼を言ってから、石段を駆け下り始めた。
・・・・・・
名も知らぬ少年が、身をひるがえして石段を下りていく。
姿が見えなくなってから、妾はまた賽銭箱の上に飛び乗った。
「はっ。突然すみませんでした。じゃと?くっはは!変なところで律儀じゃのう…まったく…まさか本当に来るとはな…」
あの少年は、なぜここへ来たのだろう。
これも、運命というものなのか。
それとも…
「おぬしの願い…なのかもしれぬな…」
なんとなく、頭上にある鈴から垂れ下がる紐をツンと人差し指でつつく。
ちりん。と透き通る美しい音色を響かせる鈴に、妾は昔の事を思い出し、かつて一緒にいた人の名を、
「のう……巫女よ…」
そっと漏らした。
・・・・・・
「おかえり。」
あっという間だった。
さっきまでの時間が嘘みたいだ。
あれから、僕は急ぎつつ、転ばないように石段を下りた。
神様が気を使ってくれたのか、石段の数を減らしてくれたようで、帰りはすぐだった。
「ただいま。」
父さんは、僕が帰ってくる少し前から、玄関前にいたらしく、遠くから歩いてくる僕を見るなり、駆け寄ってきてくれた。
「どこまで行ってたんだ?心配したぞ。」
心配する父さんに、僕は今日あったことを素直に言うことはできなかった。それを言ってしまうと、もう二度とあの場所へ行けないような気がしたから。だから僕は、
「自販機を探してたら迷っちゃった。」
なんて嘘をついた。
母さんの実家で、夕飯を頂いた。
お風呂も沸かしてもらった。意外だったのは、薪で沸かすお風呂だったこと。父さんが一生懸命火を点けているのを見て、僕はここが田舎なんだって、再認識した。
そして、布団に入ると、今日一日、色々あったおかげか、僕はすんなりと眠りについた。
夢を見た。
どこかで見たような神社で、賽銭箱の上に座る少女が二人。
一人は、桜色の髪をした和服の少女。
もう一人は、黒い短めの髪の巫女服を着た少女。
隣同士に座る二人は、どこか仲睦まじげで、見ていて心地よいものだった。
「ねえカミサマ。あたし、カミサマに言わないといけないことがあるの。」
「妾には御思逢満神という名前があると言うておるじゃろうが…なんじゃ?」
御思逢満神。どこかで聞いたような。つい最近聞いたような。朦朧とする意識の中で、僕は必死に考えを巡らせる。
ああ、そうだ。今日であった神様の名前だ。思い出すと同時に、巫女服を着た少女が言う。
「だってカミサマの名前言いにくいんだもん。逢ちゃんって呼んだら怒るしさー。」
まるで友達と話すかのように、軽い口調で話す少女。
その少女に、僕はなぜか懐かしさを感じた。それが、どうしてかはわからないけど。
「ならもう良い。好きに呼べ。それで、どうしたんじゃ?」
「うん。あのねカミサマ。あたしさ、結婚するんだ。」
「それはまことか!?めでたいではないか!」
「喜んでくれるんだ。」
「当たり前であろう!それともなんだ?妾の許可なしに巫女はやらん!とおぬしの親のようなことを言ってほしかったか?」
「そういうわけじゃないけどさ…」
「ならばどうしたというのだ?まったくもってうれしそうではないではないか。」
「うん。だって、あたしここから離れないといけないからさ…」
「…なぜじゃ?」
「相手が、都会の人なんだ。あたしは嫁入りするわけだし、向こうに行かないといけないんだ。」
「そうか…結婚…か。おぬしも、もうそんな歳だったか。」
「ごめんね。突然こんなこと言っちゃって。」
二人の間に、沈黙が続く。
僕は、その光景をずっと眺めていた。
眺めるしかできなかった。
「のう、巫女よ。」
突如、賽銭箱から飛び降りた神様は、巫女と呼ばれる少女に言う。
「別段、おぬしがここを離れるといっても、二度と会えぬわけではあるまい。これは、妾のわがままだが…」
「会いに来てほしい?」
巫女に先に答えを言われ、神様はむっとする。
「はぁ…おぬしは本当に…鬼火で焼いてやろうか…」
「ごめんごめん。もちろん会いに来るよ。それがどのくらいの頻度になるかはわからないけど…」
すると、神様は少し悲しい顔を浮かべた。
「そうか、ここも淋しくなるのう…」
巫女はそんな神様を見て、優しい微笑みを浮かべながら、そっと神様を抱きしめた。
「な、なんじゃ突然…柄にもないことしおって…」
戸惑う神様には目もくれず、巫女はずっと神様を離さずに、ただ黙って抱きしめていた。
「ちょっと頼まれてくれるかい?」
翌日。
母さんの墓参りを朝のうちに済ませ、家に戻ってくると、おばあさんが僕にお使いを頼んだ。
「はい。わかりました。」
その頼みを、僕は二つ返事で引き受け、おばあさんから千円札とメモを受け取った。どうやら、夕飯の買い出しを頼まれたらしい。
家を出てから、メモの内容を確認する。
「油揚げね。」
残ったお金はお小遣いにしていいよ。とも書かれている。
いい人だなぁ。このお小遣いで、飲み物か何か買おう。
この近くには、村の人たちが経営する商店街があるらしく、昨日僕が歩いた道をたどれば着くらしい。
歩きながら、周りを眺める。道路の脇からはるか先まで続く田畑。
そのすぐそばには川が流れていた。きっとあの川から水を引っ張ってきているんだろうなぁ。
そんな僕にとってはどうでもいいことを考えながら歩いていると、住宅が密集している場所にたどり着いた。
ここに来るまでに全然人なんて見かけなかったのに、ここは賑わっていた。
おそらくここが目的地だろう。
商店街と言うから、もっとこう、大きな屋根が頭上をおおって、道の左右をお店が挟んでいるようなものを想像していたけど、全然違った。
野菜だったり、肉だったりの直売所が一か所に集まっている感じ。
この辺は農業だけじゃなくて酪農も盛んなのかな。
昨日おじいさんに聞いた限りでは、周辺の村が集ってこの場所が出来上がったってことらしいけど。
よく見ると、魚の直売所もある。そういえば、父さんが山を越えたら海があるって言ってたっけ。
物珍しいものに囲まれて、僕は内心ウキウキで、目的の油揚げを買っても、すぐには帰らずにそこら辺をほっつき歩いていた。
おばあさんは何て言ってたかな。遅くなりすぎなければ、帰ってくるのはいつでもいいって言ってくれてたかな。
だからかな。僕はまた、あの自販機の前にいた。
もう一度、あの場所に行きたくて。
もう一度、あの人に、いや、神様に、会いたくて。逢いたくて。
自販機で飲み物を買って、買った油揚げが入った袋に一緒に入れる。
そして自販機の横に目を向けると、昨日と同じように、木の枝と葉に覆われた石段を見つける。
僕は無意識にその石段を上っていた。
昨日よりもかなり早く鳥居にたどり着いた。
神様が気を遣ってくれてるのだろうか。胸が高鳴り、いてもたってもいられなくなって、そのまま鳥居をくぐる。
あぁ、昨日と同じだ。
鳥居をくぐった途端、虫のせせらぎがやんだ。
僕は前を向いて、続く石段を上った。
神社の境内にたどり着くと、そこには神様の姿はなかった。
「あれ?」
賽銭箱の前まで行って、見回す。
どこにも神様はいなかった。
僕は夢でも見ていたのだろうか。
そんな考えが頭をよぎる。その瞬間だった。
「美味そうな匂いがするのう…」
「わあぁああぁあ!?」
突如、賽銭箱の上。神社の屋根から神様が落ちてきた。
「昨日と言い、おぬしは絶叫を挨拶としておるのか?」
神様は耳を手でふさぎながら、呆れた顔で言う。
「いきなり出てこられたら誰でもびっくりすると思います。」
僕がそう言うと、神様はへらっと笑って、
「おぬしはいちいち反応が面白いからな。脅かし甲斐がある。」
なんて迷惑な神様だ。
「ところでおぬし、その袋の中に何を入れておる?」
心の中で悪態をついていると、神様は僕が持つビニール袋を指さして言った。
「えっ、これですか?僕の飲み物と油揚げですけど。」
そう言うと、驚きの事が起きた。
「なぬ!?油揚げじゃと!?」
神様が声を張り上げると同時、桜色の髪の毛が波打ち、にょきりと神様の頭に狐の耳が生えたのだ。
「わっ!ちょっと…」
驚くのもつかの間、神様は僕に飛びついてきた。
小柄とはいえ、勢いのついた身体は僕のことを簡単に押し倒した。
神様はそのまま僕の肩を鷲掴みにして、興奮した様子で言う。
「よ、よこせ!それをよこせぇ!」
油揚げをよこせということだろうか。突然のことに理解が追い付かない僕だったけど、反射的に袋から油揚げを取り出して、一袋丸ごと神様に差し出した。
すると、神様はすさまじい速度で僕の手から油揚げをかっぱらい、バリッと包装を破る。
そこから中に入った油揚げを全部一口で平らげた。
「ん~~…うまいっ!最高じゃ!」
両手で頬を抑えて、体をくねくねしながら至福の表情で言う神様。
油揚げが好物だったのかな?というか、狐の耳だけじゃなくて、しっぽまで生えている。
僕がぽかんとしていると、神様は我に返ったのか、はっとした表情で僕を見て、
「ふふ…礼を言うぞ人の子よ。こんなにうまい油揚げを食ったのは久方振りじゃ。」
と指をぺろりと舐めながら言った。
「それは、どういたしまして?」
「なあ小童。おぬし、いつ頃ここを離れるのだ?」
「それは、この村からということですか?」
「うむ。」
「明日の朝には帰ります。夏休みももうすぐ終わっちゃいますから。」
神様は「そうか。」と言うと、ずいと僕に詰め寄って、続けた。
「よし、おぬしの願いを叶えてやろう。」
「…はい?」
唐突に願いを叶えると言われ、僕は理解が追い付かなくなる。
「どうした?」
「あの、願いって、あのなんでも叶えてくれる的なあれですか?」
僕がそう聞くと、神様は狐の耳をぴんと立てて言う。
「そうじゃな。おぬしの願うことであれば、叶えてやろう。ただし、死者を生き返らせるだとか、世界を征服するみたいな非現実的なことはできぬ。できても大金持ちになるくらいじゃ。」
じゃあ、母さんに会うことはできないのか。
「僕は、いいです。願いなんて、ありませんから。」
充分だった。今の僕には、願いなんてなかった。
お金が欲しいだとか。頭がよくなりたいだとか。そんな願いは何一つなかった。ただ僕は、神様に恋をしていたんだ。
「ほう?珍しい人間もいるのだな。昔の者は醜い願いをこれでもかと言ってきたものだが。」
神様は尻尾をゆっくりと振りながら、僕の顔を見据える。
「じゃが、何も叶えぬというのは、妾の主義に反する。この際、どんな小さなことでもよい。何か言え。」
…それなら。
「あの」
「なんじゃ?」
僕はまっすぐに神様を見つめて、言った。
「また、会えますか?」
ひらひらと、きれいな緑色の葉っぱが落ちてくる。
神様は、ぽかんと口を開けて、
「…は?」
と言った。そして、
「ぷっ…くくく…」
突然笑い始めた。
「あっはっは!何を言うかと思えば。そんなことか!」
何がそんなに面白いのか、神様はおなかを抱えて笑っていた。
「もしやおぬし、妾に惚れたなどと言うつもりか?」
ドキリと胸が鳴る。
本当は、神様は僕の気持ちに気づいていたのではないか。
そんな気がした。
「僕は、もう一度。ここに来たいです。神様に、あなたに会いに来たいです。」
僕はそう伝えると、神様は呆れた顔をした。
「…なんじゃその顔は…まさか本当に惚れたと申すか…?」
僕は無言で、神様の目を見つめた。
しばらくそうしていると、神様はやれやれといった様子で、
「…はあ…わかった。その願い、叶えよう。」
と言った。が、
「ただし、条件がある。」
と付け足した。
「条件?」
「その願いはいつ叶うかわからぬ。それでも良いか?」
もう一度神様に会えるのなら、僕はそう思って、
「はい。」
とだけ答えた。
「よし。ならば、おぬしの大切なものと引き換えに叶えてやろう。」
「…え?」
僕は驚いた。
すると、神様はにんまりと笑みを浮かべた。
「どうした?そなたの決意は、こんなことで揺らぐものなのか?」
そう言われ、僕は首を振った。
「いえ、構いません。僕はもう一度あなたに会いたい。」
正直、怖かった。
僕の大切なもの。それが何なのか。僕にもわからなかったから。
「その目。いい目をしている。では、そなたの大切なもの。妾が貰い受けよう。」
神様はゆっくりと僕の頭に手をかざし、小さな声で言った。
「十年後、おぬしの気持ちが、今のまま変わらないままであるなら…」
「あ…れ…」
その瞬間、視界が白くなり、ぐにゃりと歪む。
「その時は…」
神様の声が遠くなる。
そして、神様の声が聞こえなくなった瞬間。
「応えてやろう…」
僕は意識を手放した。
夢を、見た。
どこかの神社で、賽銭箱の上に座る。桜色の髪をした少女。
退屈そうに、足をプラプラと揺らしている。
すると、足音が聞こえた。誰かが石段を上ってくる。
少女は、ぴょんと賽銭箱の上から降りて、石段に走り寄る。
そして、石段を上りきって、少し疲れた様子の長い黒髪の女性に向かって、口を開いた。
「誰かと思えば…久方振りじゃのう」
すると、女性も少女に向かって言った。
「久しぶり。カミサマ。」
「しばらく見んうちに、ずいぶんと変わったのう?特にその腹。ずいぶんと肥えたではないか。」
神様と言われた少女は、にやにやしながら、女性のお腹を見た。
女性のお腹は、大きく膨らんでいた。女性は、少女に向かって、少し不服そうに言う。
「ちょっと!太ったわけじゃないよ。」
「ならばどうしたというのだ?」
「これは赤ちゃんなの!あたし、子供ができたんだよ?だから、カミサマに教えてあげようと思って。」
「ほう?そうか。赤子を授かったか。それはめでたい。」
「だから、ちょっとした祈願をしに来たの。」
女性がそう言うと、少女きょとんとして、
「おぬしが?」
と言った。
「うん。」
と女性が返すと。
「あっはっは!それはまことか?あの願掛けなど阿保らしいなどと抜かしておった小娘が、願掛けじゃと?はっはっは!巫女よ、おぬしも言うようになったではないか。」
と、大笑いしながら、少女が言った。
「もう!そんな笑い事じゃないのに!」
女性は少し怒りながら言う。
「すまぬな。あまりにおかしくて笑いを堪えきれんかった。」
少女は謝った。
「それでね、聞いてほしいことがあるんだ。」
すると、さっきとは打って変わって、女性は少し、悲しい顔で口を開いた。
「…どうした?」
「あのね、あたし、来月出産なんだけどさ。その…」
「…その?」
女性はお腹をさすりながら、言った。
「この子を産んだら、あたし…死んじゃうらしいんだ。」
少女は、その言葉に驚いた。
「それは…まことか?」
「うん。あたし、体が弱いらしくて。出産に体が耐えられないんだって。でもね、あたしはこの子を産みたい。命に代えても、あの人との子を産みたい。」
少女は、決意に満ちた女性の言葉を聞いて、
「そうか。」
と言うしかなかった。
「それでね。カミサマにお願いがあるの。」
「…なんじゃ。」
女性の神妙な面持ちに、少女は珍しく緊張をした。
「お願いというよりは、わがままかな…」
「よい。妾と巫女の仲じゃ。おぬしの願いくらい、聞いてやる。」
「…ありがと。」
女性は、少女にお礼を言った。一粒の涙を流しながら。
「それで、なんじゃ?」
そして、女性は少女の目を見て言った。
「この子にね。会ってほしいんだ。」
女性のわがままは、少女を困らせた。
でも、少女は答えた。
「その願い、いつ叶うかは」
「いいの。いつでも。」
少女は、女性の決意に満ちた目を見て、心を決めた。
「…よかろう。おぬしのその願い。聞き受けた。」
少女の言葉に、女性は泣きながら、笑顔で言った。
「ありがとう。」
「ん…」
耳に響く川の流れる音。目にまぶしい夕焼けで、僕は目を覚ました。
「あれ…」
僕は、何をしていたんだっけ?
河川敷に寝そべる体を起こし、辺りを見回す。
背の低い草が生い茂る河川敷。川を渡るためにかけられた橋。
「わ…」
突然吹く強風に驚く。
それと同時に、僕は何をしていたか思い出した。
「あ」
慌てて、ポケットに手を入れる。
中には小さなメモと小銭。
そうだった。僕はおばあさんからお使いを頼まれていたんだった。
夕日がオレンジ色に世界を照らす。
僕は、走り出した。
あまり遅くなると、心配をかけてしまう。
早くしないと。
そうして、僕はお使いを済ませ、母の実家に戻った。
翌日の朝。
僕と父さんは、おじいさんとおばあさんに見送られながら、母さんの育った村を出た。
近づく夏休みの終わり。
僕は憂鬱な気持ちで、父さんの車に揺られながら、目を閉じた。
十年後。
僕は、社会人になった。
車の免許も持っているし、いい大学も出ることができた。
ここまで育ててくれた父さんに、僕は感謝の気持ちでいっぱいだった。
そして、僕が仕事に出るようになり、約二年が経とうとしていた。
仕事にも慣れ、後輩ができた。
父さんは歳のせいか、仕事をやめた。
それでもとっても元気な父さんは、それまでの仕事でためたお金を使って、自営業を始めた。
小さな小さなカフェテリア。
もともとコーヒーが大好きだった父さんは、小さなころからカフェを経営するのが夢だったらしい。
前の仕事をしていた時よりも、生き生きとしている父さんを見られて、僕は幸せだった。
そんな中、母の命日がやってきた。
僕を産んで、死んでしまった母さん。
僕と父さんは、いつか来た、母さんの故郷にやってきた。
十年前は、母さんのご両親が出迎えてくれていたけれど、今はもういない。
去年二人とも亡くなってしまった。
「ねえ、父さん。」
僕は車を運転しながら、ずっと気になっていたことを聞く。
「母さんは、どんな人だったの?」
「あいつは…そうだな。女の子なのに、結構男勝りで、ずぼらなところが多かったかなあ。俺がいないと料理も何もできないような、不器用な人だったよ。」
父さんは笑いながら、そう言った。
「そうなんだ。…ねえ、母さんは何をしていた人なの?」
がたんと、車が揺れる。山道は道ががたがたで、危ないなぁ。
「たしか、村の神社の巫女をしていたな。」
「…巫女?」
「今はもうなくなったらしいけど、昔はたくさんの人がお参りにやってきてたらしいよ。」
僕は、それを聞いて、いつか見た夢の中に出てきた女性を思い浮かべていた。
しばらく車を走らせ続け、着いた。
去年も、僕はここに来た。ここで母さんのご両親に迎えられて、お盆を過ごした。
今はだれも住んでいない、空き家になったこの家を、僕と父さんは二人でお金を出し合って、買った。
今では、三か月に一度、ここにきて、家の掃除とかをしている。
車を止めて、家に入る。
今も昔も変わらない玄関に、僕は少し懐かしさを感じた。
「夕飯の買い出しに行ってくる。父さんは片づけお願い。」
「はいよ。」
父さんに家の片づけを任せて、僕は家を出る。
最近になって、舗装しなおしたのか、道路のコンクリートは綺麗になっていた。
この道を進めば、大きなデパートに着く。
前は商店街があった場所だけど、村に住む人たちはみんな歳で商売をやめたか、亡くなったと思う。
のんびり歩いていると、自販機を見つけた。
夏の日差しが照り付ける中、僕は飲み物ほしさに、その自販機に小銭を入れた。
十年前とは違う商品に、少し悩んでから、緑茶のボタンを押す。
ガタコンと商品が落ちる音が鳴り、取り出し口からボトルを取り出す。
キンキンに冷えたボトルが、気持ちいい。
ごくりと喉を鳴らしながら、緑茶を飲む。
「ふう…」
息をついて、再びデパートに向けて歩き出そうと思った時。
「ん?」
自販機の横。生い茂る木の枝と葉っぱに隠れた、石段を見つけた。
僕はどうにも、その先が気になって、気づけばその石段を上っていた。
上っていくと、赤い鳥居にたどり着いた。
僕はそのまま進んだ。
石段を上りきると、どこかの神社に着いた。
乱れる息を正しながら、僕は目を見開いた。
神社の賽銭箱の上に、桜色の長い髪の少女が座っていたからだ。
その少女は、僕を見るなり、口を開いた。
「久方振りじゃのう。巫女の子よ。」
この日。
僕は。
人生初めての。
恋をした。
完
どうも鈴ほっぽです。いかがでしたでしょうか。
私個人としてはなかなかいい出来かなあと思いますねえはい。
設定とかはもうありふれているかんじのあれですが。。
さて、来週はしっかりと色音を更新したいと思います
あ、よかったらこの作品の感想とか書いていただけたら嬉しいなあ、なんて。
では最後まで読んでいただきありがとうございました。