新型の噂
勇気と狂気は似て非なる物だと思う。
どちらも、何か大きなものに立ち向かう時に掲げる物だけれど、それが他人から見た時にどうなるかは、かなり違う。
勇気は肯定的に捉えられるが、狂気は否定的に捉えられる場合が多い。
何が違うのだろう?
たぶん、良い結果を残すのが勇気で、悪い結果を残すのが狂気。要するに結果論の話なのかもしれない。
それをあえて、実行前に判定するなら、どの程度の勝算があるかで判断する事になる。
自分が手違いをしなければ成功する、という状況で前に進むのが勇気。自分が手違いを犯さないだけでは成功に足りないとわかっていながら進むのが狂気、だろうか?
では、どうしてリスクしかない状況に身を置こうとする者が出てしまうのか。それは恐怖に負けたからではないか。
そもそも恐怖とは何を意味する? 大切な物を失う事か? 自己評価でゼロ点をつけてしまうような状況か?
違う、他者からの採点だ。
僕たちは採点されている。
他人から、組織から、世界から、常に僕たちは採点されている。
その採点の圧力に負けた者が狂気に陥るのだ。
ある者は自分や周囲の人間を傷つけ、ある者は現実逃避に走り、ある者は搾取構造に取り込まれる。
僕たちは、恐怖に打ち勝たなければならない。
〇〇〇
教室はいつもよりやや騒がしかった。皆、何か同じ話題について話し合っているようだったけれど、いちいち聞きに行く気もないので、僕は放っておいた。
僕はいつも通り廊下側一番前の席に座っていた。隣の席にギドゥルスがきて、話しかけてくる。
「あの噂、本当かな……」
「何が?」
「聞いてないのかよ、フィールド活動が再開されるらしいぞ」
「ああ、そうだったんだ」
それなら騒がしいのも納得だ。
しかし、僕の所にそういう噂が回ってくるのは、なぜか最後になる。
いや、なぜか、じゃないな。よく考えたら理由は明白だ。もしかして、積極的に話に加わりに行くべきだったのか? まあ、どうでもいいか。
「おまえ、なんでそんな冷静なんだよ」
「冷静って事はないけど……」
どれだけ座学や体力づくりをしたところで、スキルを強化しなければゾンビとの戦いには勝てない。
それに戦闘訓練をするのは敵と戦うためだ。敵と戦うのが怖くて閉じこもるなら、他の訓練も無意味だ。逆に言えば、訓練があるのなら、上層部はいずれフィールド活動を再開する気がある、という事を意味する。
それが今だった、というだけの事だ。
「怖いとか思わないのか?」
「なんで?」
以前のフィールド活動の時は誰もそんな風に思っていなかったはずだ。ロワール遺構の時なんかみんな遠足気分だった。
それが、どうして急に怖がったりするのか。道理に合わない。
僕が困惑していると、
「おまえなぁ、自分も死にかけた事とか忘れてるんじゃないだろうな?」
「……」
そう言えば、そうだった。攻撃を受けた瞬間の記憶がないせいで、今一つ実感がわかないんだよな。
しかしそれがなんだと言うのか。それはそれ、これはこれだ。
フィールド活動に死の危険があることぐらい、最初からわかっていたはず。今更慌てた所でどうにかなるものか。
自分が死ぬかもしれない。隣にいる誰かが死ぬかもしれない。この世界は、そういう仕組みなんだ。
「でも、結局、人間なんかいつかは死ぬんだから、悩んでも仕方ないんじゃないかな」
僕はそう言ってみる。ギドゥルスは、信じがたいと言いたげな顔になる。
「おまえ、本気で言ってるのか?」
「一応、覚悟はできてるつもりだけど……」
「そうか? ならそう言う事にしとくか……」
ギドゥルスは納得していないようだったが、話はそれで終わりになった。
教官が入って来た。生徒たちはすぐに近くの椅子に座る。
教官は真剣な面持ちで教室を見回す。
「既に知っている者もいるかもしれないが……無期限停止中だったフィールド活動が、来週から再開されることになった」
教室内は静まり返っている。内容自体は予想の範囲内だったので、詳細を聞き逃すまいと集中しているのだろう。
「場所は、荒野フィールドになる。新たに教えるようなことは何もない、と、言いたいのだが……荒野フィールドでは、前回のフィールド活動時に、想定外の現象が発生していたことが判明した」
想定外の現象? 僕の知らない所で、何か騒ぎでもあったのだろうか?
「恐らくは未知のグリーンフォールだ。これについての情報は全くない。完全な新種と思われる。そのため、しばらくの間、生徒の派遣を中止していた。前回のフィールド活動の場がロワール遺構に変更になったのもそれが遠因と言える」
黒板に映像が映し出される。川の近く、数百体のゾンビが倒れている。
見覚えのある光景だった。もしかして、僕がゾンビの大群を倒していた場所かな? あの中に、特殊なゾンビが混じっていたのだろうか? そんな事はないと思うけど……。
「多数の歩行体が倒れているのがわかるな。だが範囲攻撃などの能力が使われた形跡はない。これらの歩行体の死因は不明だ。未確認の敵は、何らかの能力を用いて素早く広範囲の敵を活動停止に追い込む、らしい」
えっ。
あの、それは僕がやった事なんですけど?
「その一方で歩行体の一部、数にしておよそ数十体は近接攻撃を受けている。背後から頸部を狙って鋭利な刃物で一撃だ。殆ど抵抗した様子もない……。音もなく近づき、一瞬で数十体の歩行体を殺傷する。そういう事が可能な存在なのだろう」
傷口のアップが映し出される。
鋭利な刃物……なるほど、先端を尖らせたショベルとか、そういうのだな。これも僕がやった事だ。
「このようなグリーンフォールは、データーに存在しない。調査団が派遣され、数か月に渡って調査されていたが、それらしい痕跡は見つからなかった」
痕跡などあるわけがない。
たぶん、僕があの場を立ち去った後に、他の生徒がやってきて惨状を見つけて、異変として報告したに違ない。
調査隊が痕跡を見つけることも不可能だ。僕が残す痕跡なんて、他の生徒の足跡と見分けがつかないはず。
「一部の生徒には事情聴取などを行っているが、もし何か気づいていることがあるならここで言ってくれ」
教官はそう言って教室を見渡すが、誰も発言しない。
それはそうだろう。真実を知っているのは僕一人だけだ。……どうしよう、言った方がいいのだろうか? しかし、今更?
「どんな些細なことでもいいぞ。報告書にも、いい加減な事しか書いてないんだ。例えば……この新型は、監視の目を盗んでキャンプ地に侵入する、という報告もある」
ん? 何のことだろう?
「器物、例えば固形燃料などを盗み、後で返却するという奇妙な習性があるのではないか、と。何を言っているのかよくわからないが、報告なんて最初のうちはそういう物だ」
はい、やっぱり僕でした。
あの時は本当にどうかしていたと、自分でも思う。