何が?
ステージの上にはボーカルがいて、何か話している。
さっきと打って変わって会場は静かだ。
どうやら予定外の問題が発生して、慣れないトークで無理やり場をつないでいるようにも見えた。何があったんだ?
何かが妙だ。ステージの裏方に行ってマーブルかミューゼに会えば状況がわかるだろうか?
僕はステルス化すると、そのままステージに上がり、横手に入りながらステルスを解除する。
裏方では、五人ぐらいの少女が、具合悪そうに座り込んでいた。全員がステージで踊っていた少女だ。しかしマーブルの姿はない。
ミューゼが僕の姿を見つけて声をかけてくる。
「タルム、いい所に。アソナンを探してるんだけど見てない?」
「え? 誰ですか?」
「男、これぐらいの身長で、緑色の服を着てて……」
「緑? さっき、向こうのトイレで見たかもしれません。女の子を看病してるように見えましたけど」
そう言った途端、知らない男がつかみかかってくる。
「なんだと! どこのトイレだ、向こうか?」
「違います、あっちです」
服を引っ張るのはやめて欲しかったけど、誰かの身を案じて焦っているようだったので許すことにした。
どうやら、すぐそこにもトイレがあるらしい。楽屋だから出演者用だな。
あれ? 看病のために、わざわざ遠いトイレに? 妙だな……。
僕が考えている間にも、知らない男は走って行ってしまった。二人ぐらいが慌てて後をついていく。
ミューゼもついていきたそうな顔をしてたけど、この場にとどまる事にしたようだ。せっかくなので質問しておこう。
「何か、あったんですか?」
「誰かが、出演者の女の子全員に毒を盛ったのよ」
「え? なんのためにそんなことを?」
「具合が悪くなった子を看病すると言って、連れ出して……あとはわかるでしょ?」
なるほど。とんでもないやつだな。
「その、毒を盛った犯人はアソナンって人で間違いないんですか?」
「あいつはね、毒を操る実体化系のスキルを持ってるのよ。毒ガスの塊を作ってゾンビの群れに投げ込んで破裂させる、ってスキルなんだけど……使い方次第では飲み物にも混ぜれるんじゃないかな、たぶん」
「へぇ……」
僕も似たような毒を使えます、なんて言ったらどうなるんだろう。しかも、ついさっき別件で人間相手に使っちゃったし。
またスキルを明かせない理由が増えたな。
「ええと、それで、マーブルの姿が見えないのは、どうしてですか?」
「マーブルは帰った。本人はいらないって言ってるのに、アソナンが看病するってしつこくて……。そうか、あいつの本当の狙いはマーブルだったのかも」
「え……どういう事ですか?」
ドーン、と、何かが爆発するような音が聞こえた。同時にガタガタと床や壁が揺れる。たぶん、音がしたのはさっきのトイレの方だ。
すぐにスタッフが慌ただしく、どこかに走っていく。
「……なんか、まずくないですか?」
「うん。これは隠蔽できる範囲を超えちゃってるかもね。来年は中止かなぁ……」
出演者に毒を盛って悪さをする人がスタッフに紛れ込むレベルだと、中止もやむなしかな。
ふと見ると、具合が悪そうにしていた少女たちは、一人また一人と下腹を押さえてトイレへ向かっていく。
あー、なんかやだな。ますます僕の使った毒と性質が似ている。
スキルは本来ゾンビを倒すための物だ。そのスキルで出せる毒を、人間が死なない程度の威力に抑えようとすると、どうしてもこういう方向になりがなのかも。
ミューゼは他のスタッフと何か相談してから、僕の方を振り向く。
「じゃ、マーブルの様子見に行こうか。無事ならそれでいいけどさ」
「僕も一緒ですか?」
「当然でしょ。それを返すんじゃないの?」
そうだった。マーブルの服を持ったままだった。
僕とミューゼは学生寮へと向かう。
マーブルの部屋は建物の三階にあるらしい。階段を上って三階に上がったところで、マーブルが共同トイレから出てきた。下着の上にシャツを羽織っただけの格好だ。
もしかして、あの格好のまま部屋まで戻ったのかな?
「あ、タルム君、ミューゼ先輩も」
「だ、大丈夫? 顔が真っ青だけど」
「うん……大したことないから」
マーブルは気丈に答えるが、今にもその場に座り込みそうだった。
「おい、タルム。歩くのも辛そうだぞ。部屋まで背負ってやれ」
「えっ? あ、はい」
僕がマーブルの前にかがむと、マーブルはノソノソと負ぶさってくる。肩の左右から腕が回され、胸が背中に当たる。あまり大きい方ではないが、なんというか柔らかい。
「何やってんだおまえ、さっさと歩けよ。あ、マーブル? 喉乾いてないか? 水とか持ってくるからな」
ミューゼはどこかに行ってしまう。妙に静かだな、と思った。
それはそうか。みんなどこかのイベントに参加しているんだろう。この建物の中にはほとんど誰もいないのかもしれない。
「えっと、部屋ってどこなの?」
「あっち。前まで来たら教える」
マーブルが耳元でささやく。耳に息がかかってくすぐったい。僕はマーブルが指さしたほうに歩く。
「服、取り返してきてくれたんだ」
「え? ああ。まあね……」
そう言えば、取られたところも見られていたんだ。
「あの人たちと、仲が悪いの?」
「それは……まあ、いろいろあるから」
「……そっか」
「部屋はそこ」
マーブルを降ろして鍵を開けてもらう。
部屋の中は、ごく普通の感じだった。ベッドと書き物机、衣装棚。机の上にサソリか何かを象った置物があるぐらいだ。
マーブルをベッドに寝かせる。
「あのさ、ちょっと謝らないといけない事があって……」
「何?」
「楽屋から帰る時に私、下着姿で戻って来ちゃった。あれはどうかしてた」
「うん?」
それは別に僕に謝る事ではないのでは?
「……ミューゼさんはタルム君から服を受け取ってからにした方がいいって言ったんだけど、私は、あれはたぶん戻ってこない、って。でも……タルム君は、ちゃんと取り返してきてくれて……本当にごめん」
「気にしてないよ」
「本当?」
「本当だよ」
「じゃ、ちょっとお願いがあるの。手、握って?」
「手を?」
差し出されたマーブルの手は冷たく震えていた。力を入れすぎないように、そっと握る。
なんだこれ、手をつないでいるだけなのに、ものすごくドキドキする。
マーブルも恥ずかしそうにしていたが、嫌がっているわけではないようだ。
「あのさ、私……」
マーブルが何か言いかけた時、部屋の扉が開いた。
「水、持って来たよ……っと、お邪魔だったかな?」
僕とマーブルは慌ててお互いの手を引っ込める。
「い、いえ……そろそろ帰ろうかと思ってました。病人の部屋に長居するわけにもいかないので」
「そう、だよね。あはははは」
僕とミューゼが部屋を出ていこうとすると、マーブルが起き上がって言う。
「タルム君、今日は本当にありがとうね。ミューゼ先輩もありがとうございます」
「早く良くなれよ」
「またね」
部屋を出た所で、ミューゼに肩を小突かれた。
「おまえ、やるじゃん」
「何がですか?」
本当に何が?





