アルゴス祭
孤独が人を殺すというのは嘘だと思う。
僕は平均よりも孤独な環境にいるけど、それが原因で死ぬと思ったことはない。
もしかすると性格の問題で個人差があるのかもしれないけど、本当に孤独が原因で死ぬ人というのは想像がつかない。
そう。たぶん、孤独は人を殺さない。
人を殺すのは孤立だ。
全知全能の人間などいない。
つまり、自分の力だけでは対処できない問題はある。いつかそれが降りかかってくる。その時は誰かに助けてもらうしかない。
しかし物理的、あるいは社会的に孤立していたら? 周囲に助けてくれる人がいなかったら?
孤立は死の遠因になりうる。
この前読んだ本に書かれていた。
過去には、保険、という制度があったそうだ。事故にあったり病気にかかったりした場合、保険金を受け取って治療費に充てることができたらしい。
これが困った時に助けてもらえるシステムだ。
もちろん無条件でお金を受け取れるわけではない。あらかじめ保険料を支払っておく必要がある。これは重要なアイディアだ。
今回はマーブルに助けてもらった。
マーブルだけではない。エノックを始めとしたあのグループの面々。彼らがいなければ、今の僕はありえなかっただろう。
もし、彼らが僕を拒絶していたら?
ありえない話ではない。なぜなら、彼らには僕を受け入れるメリットなど何一つなかった。それでも受け入れてくれた。
これは由々しき事態だ。
僕は、あらかじめ保険料を支払うことなく、保険金を受け取ってしまったのではないか?
この状態を放置すると、後で不正を暴かれ糾弾されるのではないか?
不正は是正しなければならない。今からでも遅くはないかも。
そう、これは保険料の後払いの話だ。
問題なのは、この場合の保険料とは何か、という事だろう? 配給チケットで返すような種類の問題ではないという事ぐらいはわかる。じゃあどうやって支払えばいいのか、よくわからない。
命を助けるとか経験値玉を集めるのを手伝うとか、そういう機会が巡ってくると思うほど、僕は単純ではない。
これは人間関係の問題だ、たぶん。
そんなこんなで迷走した結果、ボランティア行為に励んでみることにした。
だから、柄にもなく立候補してみたのだ。アルゴス祭の実行委員会に。
アルゴス祭とは、都市を守る天使、アルゴスを称える祭りだ。
もちろん人間の居住地域を守っているのは、天使などではなく人間が組織した軍隊であり、アルゴスとか天使とかは実在しないのだが、祭りの由来なんてそんな物だ。
祭りとは基本的にリア充向けのイベントであり、僕がそれに協力するメリットは何一つない。
だがリア充を助けるのも一つの支払いと言えるのではないか。
たぶん、マーブルやエノックたちは普通に祭りを楽しむのだろう。祭りの裏方として仕事をすれば、少しは足しになるのではないか、と思ったのだ。
考えが甘かった。
実行委員会の仕事は祭りの数日前から始まり、当日も忙しい。
重要な仕事は経験者で占められていて、僕のような初回参加に振られる仕事半は、荷物の運搬だ。
あの箱をこっちに、この箱を向こうに……。
露店で商品が足りなくなったり、パレードのための小道具が届いていなかったりといった、小さな問題が発生して、そのたびに実行委員が走りまわる事になる。
僕は昼過ぎには体力を使い果たし、倒れそうになりながらも夕方の閉会式を迎えた。
こういうの、向いてないのかな。
「おまえ、もっと体を鍛えないとやってけないぞ」
売れ残りセールを始めた露店の隣に座り込んで、半額のジュースを飲んでいたら、姉御肌の女子に呆れたように言われた。
実行委員のサブリーダーのミューゼ。僕より一つか二つ年上らしい。
「今日の仕事は、もう終わりですよね?」
「そういう意味じゃない。フィールド活動とか、そういう事だよ」
言ってることはわからなくないけど、実際、どうなのかな?
ミューゼは上を見る。釣られて僕も空を見上げるが、雲った夕焼け空があるだけだった。
「ところで、今夜、なんか予定あるか?」
「いえ、特には……」
他にも何かイベントが行われるような話を聞いたが、どうせリア充向けだ。僕が参加するような物ではないだろう。
「だったらさぁ……」
ミューゼが何か言いかけたが、僕はふと横を見た。マーブルがいた。走って来たのか頬を上気させて息も上がっている。
「タルム君、頑張ってる? ……あ、今忙しい、ですか?」
「いや、休憩中だよ。どうぞ」
ミューゼが譲る。マーブルが僕に用事? フィールド活動の時はともかく、なんでこんな街中で?
僕はよくわからないながらも、立ち上がる。
「えっと、何か用?」
「これあげるね、それだけ」
「うん。ありがとう?」
何か紙切れのような物を渡された。
10センチ四方の紙切れに、番号と二次元バーコードみたいな模様が印刷されている。何かの引換券かな? あ、この数字は開催時間か。今日の夜の9時50分? なんだこれ?
「ちゃんと見に来てね」
「あ、ああ。行けたら行くよ」
でも見に行くって何を? と聞き返す間もなく、マーブルはどこかに行ってしまう。なんだったんだ?
ミューゼが、ひゅぅ、と口笛を吹く。からかうように。
「何あれ? マーブルだっけ。おまえの彼女だったのか?」
「ただのクラスメートですよ」
「まあ、そういう事にしておこうか」
ミューゼはにやにやと妙な笑いを浮かべる。というか、なんでマーブルの名前を知ってるんだろう。知り合いだったとは初耳だ。
「でもそうだな。頑張ったんだし、ご褒美があってもいいよな」
「何ですか、ご褒美って?」
「惚けるなって、出演者直々のお誘いだぞ。行くに決まってるよなぁ?」
出演者って、マーブルの事かな? 何かのイベントに出演するんだろうか?
「もしかして、これがなんだか知ってるんですか?」
「闇ライブだろ。え? むしろおまえ知らなかったのか? この時間、去年は何してたんだ?」
「部屋に戻って、本を読んでたと思いますけど」
僕が正直に答えると、ミューゼは頭を押さえる。
「おまえなぁ、これに参加しないとしても、他になんかあるだろ? ないの? おかしいよ、おまえ……」
失礼な。僕が何を選択しようが僕の自由ではないか。
まあいいや、保険料の後払いもあるしな。リア充イベントの匂いがするが、参加してみるか。
「あ、でも、今夜、何か用事があったんでしたっけ?」
「いや……。それはもういい。仕事を頼もうと思ったんだけど、やめた。楽しんできな」
僕はマーブルから渡されたチケットを改めて見る。
闇ライブってなんだろう、本当に大丈夫かな?