草原エリアとおっさん
ジュウジュウと食欲をそそる音と共に、香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。
匂いの主は、鉄板の上のシカ肉であった。
この肉は、草原エリアのモンスター『一角シカ』のドロップアイテム。
ちなみに狩ったのは、俺である。
「それ、もう焼けてるんじゃない?」
「あ、ホントだ――うまうま」
「このタレ美味しいけど、自作?」
ここは『草原エリア』の中の『ノンアクティブエリア』――モンスターが襲ってこないエリアだ。
だからこうやって、無警戒に呑気に焼き肉なんかが出来ていたりする。
「自作だけど、タレの材料は店売りの品物だよ」
「それでこの味になんのか」
「だったら、材料もプレイヤーメイドならもっと美味しいのかしら?」
焼肉をしているメンバーは、料理士の職業を持つ小次郎さん・俺・ミネコちゃんの3人。
マカロンとシンタは、春休みが終わって昨日から新年度の学校へと通っているのでこの場にはいない――つまり俺たち3人は、昼間っから焼肉をしているのだ。
「どうなんだろうね? 試してみたいけど、まだプレイヤーが作っている物が少なくて……」
「まぁ、あるもんで食おうよ――つか、やっぱ美味いビールが欲しいよなー」
「そうよね、せっかくの花見なのにねー」
昨日から、この草原エリアには桜が満開に咲き誇っている。
本当はサービス開始の4月1日から咲いているはずだったのだが、実装が間に合わなかったらしい。
酒類を作っているプレイヤーは、まだいない。
イヤ、出回ってはいないだけで、酒を造っているプレイヤーはいるのかもしれない。
どちらにせよ課金しない限り、今飲める酒はNPCの店に並んでいる味の抜けた酒だけなのだ。
なので俺が無課金ゲーマーということもあり、今回は草原のあちこちで見かけるベリー系の果物を潰したジュースを、焼き肉のお供にしていたりする。
なにげに自前のスキルで【採取】を持っている俺が採ってきたベリーの味はとても良く、それを小次郎さんにジュースにしてもらえば極上の飲み物となるのである。
コレに関してだけは、チートな俺のプレイヤースキルはとても有難かったと言っておこう。
「――にしても、いい桜だねぇ」
「デカいし、枝ぶりもいいし」
「虫もいないから、本物の桜よりお花見向きだしね!」
「そこかよ」
「何よ、駄目?」
ジト目で睨むミネコちゃんに『まぁ、いいけどね』と適当な返事をしつつ、俺は平和なノンアクティブの草原エリアを見渡した。
一角ウサギ・一角シカ・一角イノシシが、何の警戒心も無くその辺を歩き廻っている。
このエリアではモンスターが襲って来ることも無いが、プレイヤーの側もモンスターに攻撃することは出来ない。
ちなみにモンスターをテイム――従魔とすることはできるらしいが、成功する確率はかなり下がるそうだ。
あと、ここには採取ポイントもあるにはあるが、こちらもほんの僅かしか採れない仕様になっているらしい。
「アレ、釣れてるのかなぁ」
俺たちが花見をしている桜からほど近くを流れている小川に釣り糸を垂らしているプレイヤーを見ながら、小次郎さんが誰に聞くともなしに呟いた。
なるほど、釣れているのなら少し分けてもらって食べてみたい――という意味合いであろう。
魚を食べてみたい――という意見には、俺も全く異論が無い。
ただ、このまま肉と一緒に鉄板で焼くか、別に焚火を起こして串に刺して焼くかの議論は前もって必要だと思う。
――てな訳で、みんなでひと議論。
結論として『面倒だから、このまま鉄板焼きでいいんじゃね?』というところに落ち着き、釣りをしているプレイヤーに交渉することとなった。
「んじゃ、ミネコちゃん交渉よろ」
「え? あたし?」
それはそうであろう。
釣りをしているプレイヤーは見た感じ男、となれば中身が男であっても見た目が美女であるミネコちゃんが交渉したほうが、成功率が格段に高くなるというものだ。
「仕方ないわねぇ」
渋々向かったミネコちゃんが、釣り人プレイヤーへと交渉に向かった。
お話すること約2分――釣り人さんは、快く釣った魚を分けてくれることと相成った。
「なんかすいませんねー」
「いやいや、こっちも料理士の職業持ちに料理してもらえるなら願ったりですよ」
サンペーさんというこの漁士の職業持ちプレイヤーの釣果は、ほとんどがイワナとヤマメ。
鉄板で焼くのはイマイチ雰囲気が出ないなと思いつつも、小次郎さんが塩を振って焼いただけのその味は、思いの外美味であった。
「私も『漁士』の職業取ろうかなぁ」
小次郎さんは、ずいぶんと魚がお気に召したらしい。
釣りをするために、課金で職業をゲットする気が満々だ。
「釣りをするだけなら、職業取らなくても出来ますよ」
とはサンペーさんの言。
多少釣れにくくなるし味も落ちることになるけど、釣ること自体は誰でもできるらしい。
竿やら餌やらという釣りに必要な道具一式は、街のNPCの店で買えるとのことだ。
ずいぶんと熱心に勧めてくるのは、サンペーさんが釣り仲間を増やしたいという気持ちの表れであろう。
24時間ゲームの中にいる俺としては時間だけはたっぷりあるので、釣りには後で挑戦してみたいところではある。
「そろそろ検査の時間なんで、私はこれで」
「それじゃ一旦解散ね」
「夜はマカロンとシンタも一緒に、イノシシ肉で焼肉ってコトで」
相も変わらず入院中の小次郎さんが検査のためログアウトということで、花見をしながらの焼肉はこれでお開き。
現実時間の夜に再び花見で焼肉をする約束をして、この場は解散となった。
片づけをしている俺たちのすぐ横を、一角シカが通り過ぎていく。
考えてみたら、俺たちは一角シカがいるすぐ目の前でシカ肉を食べていたのだな……。
昔、札幌の羊ケ丘で、羊を見ながらジンギスカンを食べたことを思い出した。
あの時も、なんか微妙な気分を味わった気がする。
――まぁいいや。
それより夜の花見焼肉のために、イノシシ肉を狩りに行こう。
ゲーム内では満腹で食べられないなんてコトは無いので、肉はいくらあってもいいのだ。
現実時間ではまだ午前中のはず。
時間が3倍となるこのゲーム内なら、現実時間の夜までにはたっぷり狩りの時間はある。
飽きるまでイノシシ肉を食わせてやれるよう、ちと頑張ってやろうではないか!
…………
「飽きた……」
肉のために一角イノシシを狩りまくっていたのだが、さすがにそればかりを続けていると飽きが来る。
俺はとりあえず街へと戻り、『超絶激大凶の指輪』で大幅に下がったはずなのにまだまだ高い運の数値のおかげで手に入ってしまう、レアドロップの一角イノシシ装備を武器屋・防具屋で売っ払った。
防具屋を出て、いいかげんダブつき始めたゲーム内通貨Gをどう使おうかと考えながら街ブラしていると、目の前を2匹のスズメが通り過ぎて行った。
このゲーム内にはモンスターの他にも、このスズメのような環境生物がいるのだ。
そして実はこの環境生物もテイムして、従魔とすることができる。
従魔とした環境生物は初期状態の戦闘力こそほぼ皆無だが、プレイヤーと経験値を共有するゲームの仕様によりレベルアップができ、現在行けるエリアではテイムできないモンスターへと進化するのだそうだ。
さっきのスズメなどは既に進化させたプレイヤーがおり、カマイタチツバメという風魔法で敵に切りつける攻撃ができるモンスターになったという情報がある。
それでもそこいらでテイムできるモンスターより弱いらしいけど。
この仕様は素晴らしいとは思うが、俺としてはものすごーく不満もある。
――今のところ環境生物に、ネコがいないのだ。
そもそもネコ系の従魔を目当てに従魔士の職業を取った俺としては、なんで町中にネコがいないのか運営にしつこく問い合わせしているくらいは不満である。
運営にとっては、さぞかし迷惑であろう。
ゲームが進んで他の街やエリアが解放されればそのうち出現してくれるはずだ、というのがネコ好きが集う掲示板の希望的観測だが、それがいつになるかも分からんのが現状だ。
ちなみにイヌもいないので、俺たちはイヌ派の連中と一緒に運営にしつこく要望を出し続けていた。
そろそろ運営様におかれましては、音を上げてネコだけでも出してもらいたい所存でございます。
そんなことを考えながら町中を歩いていたら、とある店が目に留まった。
――釣具店である。
釣り道具を買おうかな?
漁士の職業が無くとも釣りは出来るとのことなので、夜の花見のために魚を用意しておくのもアリだろう。
それにネコが実装された時に魚を持っていれば、ご飯として使えるだろうし。
ぶっちゃけると実は【無限のアイテムストレージ】という、前回・前々回の異世界の品と元の世界でなんとなくぶち込んだ品がわんさと入っているチートなアレを、俺は持っていたりする。
なので前々回の異世界で手に入れた釣り竿もその中に入っていたりするのだが、それは海釣り用の竿だ。
つーか、前々から薄々感じてはいたのだが、女神ヨミセンさんが言っていた『このゲームに神様は介入していない』というのはまず間違いなく嘘だよね。
俺のプレイヤースキルもそうだけど、【無限のアイテムストレージ】の中身までゲームのシステムに反映されているとかあり得ないもの。
どうやってこのゲームのシステムと俺のチートを融合させているのかは分からんが、きっと神様のやることなんだから何でもアリなのだろう。
あの嘘つき女神め……今度書く小説では、絶対に出番減らしてやるかんな。
――まぁ、それはそれとして。
釣り道具だ。
草原エリアにあるのは川だけなので、釣りにはそれ用の道具を使った方が良いだろう。
ぶっちゃけあんまし釣りには詳しくないので、NPCの店員さんに聞いてオススメのを買った。
これで準備は万端。
早速ノンアクティブの草原エリアの川で、釣りをするとしよう。
…………
ノンアクティブの草原エリアには通常エリアを通らねば行けないので、途中出てきたモンスターをバッタバッタとなぎ倒してようやく目的地に到着。
10mもない川幅ではあるが、澄んだ流れには魚影がちらほらと見かけられる川だ。
まずは、中世ヨーロッパ風の世界観はどこ行った? と言いたくなるクーラーボックスを傍らに置く。
この辺のゲームにおける世界観のいい加減さは、実はけっこう好きだ。
魚籠を使ったりするのも悪くはないが、やはりクーラーボックスのほうが使い勝手もいいし、俺としては釣りをしている感がある。
何よりクーラーボックスなら、水を張って釣った魚を泳がせ楽しむこともできるのだ。
桜の木を眺めながら、練り餌を付けた釣り糸を垂らす。
俺はのんびりと花見をしながら、釣りを楽しむつもりなのである。
攻略まとめサイトによると、漁士の職業を持たないプレイヤーではそもそも魚がヒットする確率が下がるらしい。
ならばボーっと桜を眺めながらで、ちょうど良かろう。
満開の桜の花びらが、ひらひらと舞い落ちる。
優しい春の空間に蝶が舞い、桜の木の下で一角ウサギが草を食む。
――のどかだ。
しばらく釣り糸を垂らしていたが、竿には何の反応も無い。
念のため一旦竿を上げてみたら、針に付けてある練り餌は糸を垂らす前と寸分の変化も無かった。
こりゃ魚を手に入れるには、かなりの時間が掛かりそうだなー。
漁士の職業を持つ人に頼んだ方が、間違いなく早いし確実っぽい。
まさかこんなに釣れないとはなー、とか思いつつ再び釣り糸を垂らす。
……うむ、平和だ。
他にすることも無いので、再び草原の景色をボーっと眺め続ける。
誰とも知らぬプレイヤーが、一角ウサギをモフろうとして逃げられていた。
気持ちは分かるが、モフりたいならテイマー――従魔士の職業を取らないと難しいだろう。
不意に、ツンツンと竿に手ごたえがあった。
キター! と思って竿を上げてみたが、竿の先には餌の付いていない針があっただけ。
――逃げられたか。
これはなかなか釣れそうにないから、やっぱ漁士プレイヤーにお願いしようかなー?
とか考えていたら、ポーンという通知音と共にアナウンスがあった。
≪環境生物:ドジョウのテイムに成功しました。 名前を付けてください≫
――と。
はぁ? おい、ちょっと……へ?
テイムなんてした覚えなんぞ無いのに、なんでまた……。
…………
………
……あ。
なんか思い出した。
最初の異世界でさんざんやらかしたヤツ。
これはアレだ――。
スキル【真・餌付け】の効果が発動したヤツだ。
うわマジかー、勘弁してくれよ。
相手は生き物とはいえデータ上の存在なのに、【真・餌付け】の効果が出ちゃうのかー。
頭を抱えながら川面を見ると、器用に立ち泳ぎをして水面から頭を出しているドジョウが、俺の名づけを今か今かと待っていた。
テイムする予定の無かった生き物ではあるが、こうして見ると可愛いと思えないことも無い。
イヤイヤ、ダメっしょ。
俺はそもそもネコと戯れたくて『従魔士』になったのだ、何が悲しくてドジョウを従魔にせにゃならんのだ。
つーか、ドジョウと一緒に何と戦えと?
進化したとしても元がドジョウなのだから、魚類系のモンスターにしかならんだろう。
今のところ草原エリアと廃墟エリアしか無いこのゲームでは、川以外では使い道が無いはずだ。
――という訳で。
ドジョウくんには悪いが、ここはテイムをキャンセルでよろー♪
が、しかし……。
キャンセルしようとしたけど、やり方が分からぬ。
こういう時は、マニュアルを読むべし!
えっと……テイムモンスターについての項目は……っと。
ふむふむ……ほうほう……え゛……?
ね……念のため攻略サイトでも情報を……!
うーむ……おふ……まじか……。
どうやら、テイムのキャンセルは出来ないらしい。
それどころか、テイムして従魔になったモンスターの登録解除も不可だった。
このゲームの設定である30年後の世界では、動物なんかの愛護団体や権利団体や反ゲーム団体が――。
『例えゲームの中でも動物を育成するのであれば、責任を持って最後まで面倒を見るシステムにするべき。 無責任に生き物を育成するのは教育上もよろしく無いし、何より生き物に対する虐待にも繋がる』
などとさんざんクレームをつけた結果、従魔の登録解除のような行為は禁止になったのだそうだ。
ついでに数多くの従魔を持って、相手に応じて入れ替えるなどという行為も――『生き物を兵器のように扱っている、禁止すべきだ』――という無茶なクレームによって、出来なくなっていたりする。
これらの事情により、このゲームの従魔の扱いは――。
『従魔の登録解除は不可』
『従魔の登録上限は3体まで』
という、俺にとっては謎ルールに等しい仕様になっていた。
マジでクレーム団体とか、何してくれちゃってんのよ!
言ってること無茶苦茶じゃねーか!
しかもそれが通るとか、30年後の社会ってばどーなってんのよ!
――はぁはぁ……。
――うむ、取り乱してしまった……。
つーか、困ったな。
ただでさえ少ない従魔の枠を、ドジョウで埋めるとか勘弁して欲しい。
ここまでの間けなげに名づけを待っているドジョウくんには悪いが、俺は従魔をモフりたいし、何よりネコ科で枠を埋めたいのだ!
――で、どうするか。
実は攻略サイトを読んでいたところ、俺は従魔の登録解除を可能とする裏技を見つけていた。
プレイヤーの従魔に対する命令には『自由行動』というものが設定されている。
これは本来ログインしていない時間の、従魔の行動を指定しておけるというものだ。
内容は採取や採掘、畑の管理、食材の調達……等々。
それらの命令の設定の1つに『完全自由行動』という項目がある。
これはプレイヤーがログインしているかどうかに関わらず、自由にエリアを移動し好きなように行動せよ、という命令だ。
実はこの命令にはバグがある。
それが『完全自由行動』の命令中に死亡すると、その従魔が消滅するというバグなのだ。
通常は従魔もプレイヤーと同じく、死亡判定となっても神殿やホームで復活する。
しかし、このバグでは何故か従魔が復活せずロストするのである。
――と、いうことなので。
ドジョウくんには『完全自由行動』とやらを、頑張ってもらうことにしよう。
まずは名前を付けてやらねばならぬな。
……よしっ! お前はヌメヌメしてるから『ヌメ太』だ!
「ヌメ!」
ヌメ太が元気良く返事をして水面にぴょーんと飛び上がり、1回転してポチャンと川に落ちた。
どうやら喜んでいるようである。
つーか、返事が『ヌメ』ってどうなのよ?
そもそもドジョウって声出せるん?
そういう仕様なんだろうけど、ドジョウの見た目がリアルなせいでなんか納得いかん。
頑張ってゲームなんだからと、自分を納得させるしか無いんだろうなコレ。
――それはそれとして。
そろそろ命令待ちをしているヌメ太に、指示を出してあげよう。
「ヌメ太、命令だ」
「ヌメ?」
うむ、ドジョウが小首を傾げるというのも、なかなか不思議な光景だな。
「完全自由行動を命ずる! 力尽きるまで好きに暴れるが良い!」
「ヌメ!」
そう元気に返事をして再び水面から飛び上がり1回転の後着水したヌメ太は、これまた元気良く『ヌメヌメヌメ~!』と泳いでどこかへ行ってしまった。
さようならヌメ太。
君のことは忘れないよ。
もう、人間に捕まったりするんじゃないぞー。
めでたしめでたし。
…………
つーか、もう釣りは止めておいたほうがいいなコレ。




