卒業
邪神ガンマ。
ゴキブリが人化した姿をしたその邪神は、ついにマリアの黒い痣から変化した封印の穴より這い出し、その全身を現した。
人間の背丈の倍の大きさはあろうかというそいつは、知的好奇心と憎悪が入り混じったような気配で、高さ5mほどの空中から周囲を睥睨していた。
「危険です! 皆アタクシの後ろにお下がりなさい!」
さっきからそんなスキルなど無いはずの俺の危機察知センサーが、ガンガンと警鐘を鳴らしている。
俺の後ろに行かせたところで気休めかもしれないが、それでも神話のドラゴンのウロコを持っている俺の後ろなら少しはマシなはずだ。
「エリス! ユリオスが!……マリアが!」
「分かっておりますわ――そんなことよりマルオ様、どうかアタクシ以外の者たちに『絶対にアレには手を出すな』と、きつく命令をお願いします」
「そんなことよりって……エリスお前――」
殺されたユリオスや魂が抜けたように立ち尽くしているマリアのことを『そんなこと』扱いした俺に、マルオくんが絶句した。
言いたいことは分からんでもない、2人はマルオくんにとっても大切な友人なのだから。
だけどな、マルオくん――。
アレ――邪神ガンマは、それほどにヤバそうなんだ。
ここにいる俺を含めた全員が、いとも簡単に殺されそうな予感がするほどに……。
「……分かった、誰にも手出しはしないよう命じておく」
あまりにも真剣な顔に何かを感じてくれたのか、マルオくんは俺の頼みを聞いてくれた。
理解してくれたのではない――信じてくれたのだ。
「だがエリス、ひとつだけ約束してくれ」
「なんでしょう?」
「……絶対に死ぬな」
そのマルオくんの言葉に、俺は無言で頷いた。
「コれが……ヨミセンの創りし世界カ」
邪神ガンマが言葉を発した。
しかも言葉だけでなく――何か、頭に直接響いてきたような感じだ。
「ヤはり良く出来ていル、ガ……気に入らン」
邪神ガンマの目が黒く輝き、目から黒いビームのようなものが放たれる。
それは学園の校舎に命中し、轟音と共に爆発し本校舎を半壊させた。
うむ、さすがにあんなもんをまともに喰らったら、さすがの俺も死ぬな。
つーか、ここにいる全員死ぬ――卒業式の予行演習のおかげで校舎が空で良かった。
だが同時に『あんなものか?』とも思う。
邪神ではあるが仮にも神なのだ、その攻撃が校舎を半壊させる程度の威力しかないと?
「マだ、力が足りんナ」
そう言って邪神ガンマがマリアに向かって左手を伸ばすと――。
「うがあうあぁぁ!」
マリアが苦しそうな声を上げた。
そしてマリアから邪神ガンマの左の掌へと、何かが流れ込んでいく。
ここで俺は仕掛けた、邪神ガンマがマリアに何かをしているこの時がチャンスと考えたのだ。
が、しかし――。
「ジゃまをするナ」
再び邪神ガンマの目からビームが放たれた。
そのビームは確実に俺に向かってのものだ。
――間一髪。
俺は持っていた――と言うかそれで殴るつもりだった金ちゃんのウロコで、ビームを防ぐ。
バチイィィン!とビームは弾けたものの、俺は仕掛ける前の初期地点まで押し戻された。
あっぶねー……つーか、さすが金ちゃんのウロコ、思った通りあのビームも防いでくれたか。
――じゃねーし。
金ちゃんのウロコが万能チートだという話は置いといて、それよりも今はマリアだ。
邪神ガンマはいったいマリアに何をしている!?
「お止めなさい! あなた、マリアに何をしているのです!」
マリアを助けようともう1度突撃してみたのだが、再び邪神ガンマの黒いビームが俺を襲う。
そしてまた金ちゃんのウロコでビームを弾き、初期位置へと戻される俺――イヤ、さっきよりもちょっと後ろに戻された?
「ヨミセンの使徒カ――シれたこと、贄である聖女から力を喰っているのダ」
「力を……喰う?」
「ソうだ、封印を破るのにいささか力を使い過ぎたのでナ」
なるほど、そういうことか。
つまり今の邪神ガンマは弱体化しており、それを補う為にマリアから何かを奪っている――と。
ええい、くそっ!
そんなことが分かったところで、どうにもならん!
何せこっちは、邪神ガンマに近づくこともできんのだ。
こうなったら――。
「マリア! あなた自分でなんとかしなさい! 邪神ガンマから離れるのです!」
もうこうなったら、マリア自身になんとかしてもらうしかない。
そう、他力本願だ!
「ナにを無駄なことヲ。 コの聖女の自我は絶望によって奥底に沈んでおル、モはやこ奴は木偶人形に等しイ」
「そんなことはありませんわ。 アタクシが鍛え上げたマリアは、この程度のことで自我を復活させられぬようなヤワな女ではありませんことよ!――起きなさい! マリア!」
呼びかけ続けながらも、俺は邪神ガンマに立て続けに突撃を続けていた。
何度も何度も、何度も――その度に邪神ガンマの黒いビームに跳ね返され、その跳ね返される距離が回を重ねるごとに微増している。
「頑張れ! マリア!」
「そうよ! しっかりしなさいマリア!」
「お前ならやれる!」
「また一緒に、ご飯たべようよ~」
俺が何をしようとしているのかを仲間たちが察し、マリアを励まし始めた。
だがその言葉も届いてはいないのか、マリアはピクリとも反応しない。
幾度となくみんなが声をかけ続け、全ては徒労に終わるのではないかと諦めかけていたその時――奇跡は起こった。
アンの発した言葉が、自我を失っているはずのマリアにヒットしたのだ。
「マリア! あなた本当にそれでいいの! 邪神ガンマはこの世界を破壊しようとしているのよ! そしたらマリアとユリオスの思い出の場所も消えちゃうのよ!――本当にそれでいいの! マリア!」
マリアの目に、一瞬生気が戻った。
そして――。
「――思……い出の……場所……」
マリアの口が、動いた。
ぶっちゃけると邪神ガンマがこの世界を破壊しようとしているのかどうかは知らんが、マリアが反応しているのならばそういうことにしてしまえばいい。
――と、いうことで。
「その調子よみんな! もっと続けて!」
「サせなイ」
邪神ガンマがみんなの声掛けを邪魔しようとビームを放つが、俺がそうはさせない。
ことごとくを金ちゃんのウロコで防ぎ、一筋の光明を守る。
「海のことを思い出せマリア! ユリオスがお前の水着姿に夢中になっていたことを!」
「こないだ山で、雪崩に巻き込まれたよね~!」
「学園祭で、夫婦役をやったじゃない!」
「思い出せ、マリア! 邪神ガンマに、思い出まで破壊させるな!」
そうだ! いいぞ続けろ!
「ユリオスとぉ、学園でスパイみたいなことをしていたんだってぇ」
「帝国との戦争で、ユリオスを治療してやったんだろ!」
「マリアの作った菓子を、あいつは夢中になって頬張ってたよな!」
「…うぅ……あ…ユリオス……様……」
マリアは確実に反応している。
そこだ! 一気に畳みかけろ!
このタイミングで前に出てきたのは、アナキンだった。
「そうですよマリア姉上! マリア姉上とユリオスさんが行ったデート先――クーコーの丘やローズト川、オオユキ山にダメ湖にヤホロ森林公園、他にも時計塔とかオルタ運河とかホロビ峠とかペンタ砦跡とか……王都でデートに行ったノースラ音楽堂に鮨処ネプチューン、ケーキ屋松ぼっくりに北斗印パーラーにファーストフードの幸運の道化師――そんな思い出の場所を邪神ガンマに破壊されてもいいんですか! 頑張ってくださいマリア姉上!」
「……思い…出……ユリオ…ス様…………ぁぁああああああ!」
マリアの四肢に力が僅かに戻った。
そして必死に何かに抵抗しようともがき始めた。
よし! でかしたぞアナキン!
良くやったぞ!
良くやったんだけどさ――。
つーかお前、なしてそんなにマリアとユリオスくんのデート先に詳しいの?
まさかと思うけど――ひょっとしてアナキンお前、ストーカーとかやってたり……。
「そうよマリア! それにわたくしたちの中にも、ユリオスの思い出は残っているわ!」
「学園にも街の人にも、ユリオスとの思い出を持っている人はいるの! そんな人たちがみんな死んでしまったら、誰もユリオスのことを覚えている人がいなくなるのですよ!」
「僕たちの思い出の中で、ユリオスは生きているんだ! 誰もユリオスのことを覚えている人がいなくなる――そうしたらあいつは本当に消えてなくなるんだぞ! そんなことを許しちゃいけない!」
アンとガーリ、それにガルガリアンくんが追撃の言葉を続けている。
これは、アナキンのストーカー疑惑を追及している場合では無さそうだ。
「うわああぁぁぁ!」
マリアが叫んだ。
あと一押し――賭けに出るか。
「マリア、良く聞きなさい! まずはアタクシが邪神ガンマを封印します、それに成功したら――――アタクシが女神ヨミセン様にお願いして、ユリオスを生き返らせてもらいます!」
「……生き…返る……?」
マリアが目を見開いた。
だがその眼にはまだ、心が戻っていない。
正直に言えば、ユリオスを生き返らせることが出来るのかは分からん。
仮に女神ヨミセンさんにそれが可能だとしても、やってくれるという保証なども当然ながら無い。
「アタクシは女神ヨミセン様の使徒なのですよ。 アタクシがヨミセン様にお願いすれば、必ずやユリオスを復活していただけます」
だがそれでも――嘘をついてでも、マリアには希望を持ってもらわねば。
邪神ガンマにマリアの力を吸いつくされでもしたら、ただでさえ薄い勝ち目が無くなりかねん。
「何よりマリア、アタクシが誰だか忘れたのですか? アタクシはエリス・ハイエロー、あなたの義姉にして友でしてよ。 アタクシがこんな大事なことであなたに嘘をつくと思いまして?――エリス・ハイエローが命じます、復活しなさいマリア! アタクシを信じなさい!」
だから復活しろマリア。
絶望を振り払って、俺の嘘という名の希望を掴んでくれ!
「――うおおおぉぉぉぉ!!」
マリアが少年マンガの主人公のような雄たけびを上げた。
そう、マリアは絶望の淵から復活したのだ。
「こっちに来なさいマリア!」
「はいっ! エリスお姉さま!」
駆けだし、邪神ガンマの元から逃れようとするマリア。
だが、邪神ガンマもそうはさせじと手を伸ばそうとする。
「させませんわ!」
「ジゃまダ!」
マリアを助けるべく間に入ろうとした俺だったが、もう何度目になるか分からない邪神ガンマの目からのビームで押し戻された。
無事にマリアを確保してからと思ったが仕方が無い、ならばここで戦闘開始だ!
初手は決めてある。
「【邪神召喚】――出でよ、邪神ヘンコー! 邪神ガンマを倒せ!」
ブオォーンと煙が立ち込めた。
煙が消えたそこには、1人の――――女性の悪魔?
左の背中側にだけ翼のある見た目の、女性に見える悪魔――こいつが邪神ヘンコーなの?
まぁ、姿などはどうでもいい……頼む、できれば勝ってくれ!
「信者は金づるだ!」
何か邪神ガンマが、いきなり変なことを言いだした。
「貧乏人は死ね!」
変なことを言っている当の邪神ガンマも、当惑しているようだ。
「不倫は芸術だ!」
うむ、意味が分からん。
ここで邪神ヘンコーが、答えをくれた。
「オホホホホ、何を言っても無駄ですわ。 あなたがどんな発言をしようが、このワタシ――ヘンコー様の能力で全て偏向されてしまうのですから! オホホホホ!」
確かにある意味ものすごく嫌な能力なんだが、今のこの状況でそれの意味ってある?
イヤ、まぁ、時間稼ぎにはなっているんだけどね、肝心の戦闘が……。
「性搾取は正義だ!」
相変わらず何を言っているんだか理解不能な邪神ガンマの目から、黒いビームが放たれた。
「甘いですわよ!」
邪神ヘンコーがそう言って右の掌で宙を払うと、ビームが歪んで霧散した。
は? 何した邪神ヘンコー?
「光線でワタシを倒そうなど無駄なこと。 ワタシは邪神ヘンコー、光線を偏光するなどお茶の子なのですわ!」
「国民の命より経済が大事なのだ!」
ビームでの攻撃が無意味と悟った邪神ガンマが、今度は物理攻撃に打って出た。
簡単に言うと、邪神ヘンコーに殴り掛かったのである。
邪神ガンマの拳が、あっさりと邪神ヘンコーの胸に風穴を開けた。
「ゴフッ……暴力…反対……」
そう言い残し、邪神ヘンコーは敗れた。
前哨戦はこうして、邪神ガンマに軍配が上がったのである。
なんかどっと疲れた……。
考えてみたらビームを無効化できる能力は使えるなと思い、再び邪神ヘンコーを召喚しようとしてみたのだが――。
クールタイムとかがあるのか、邪神ヘンコーはもう呼び出せなかった。
結局、時間稼ぎにしか使えなかったようだ。
ちょっと使い方間違ったよなー。
マリアはこの間に、倒けつ転びつなんとかこちらへと到着していた。
かくしてようやくマリアは、邪神ガンマの力の供給源という立場から解放されたのである。
後ろのほうから、マリアの声が聞こえた。
「エリスお姉さま、ユリオス様は本当に生き返るのですよね?」
「アタクシのことを信じなさいマリア」
空気がシリアスに戻り、俺の良心がチクリと痛む。
つーか、まだ俺にも嘘をつく程度で痛む心があったのだな。
フェルギン帝国の兵を大量虐殺しても平気だったくせに、都合の良い心だ。
まぁ、別に俺の心が痛むのは全然構わんのだけどさ。
こちとら大の大人――おっさんなのだ。
心の痛みにゃ慣れている。
嫌な慣れだけど。
邪神ガンマが、邪悪な笑みを浮かべた――ような気がした。
正直ゴキブリの表情など判別などつかんのだが、それっぽく見えたのだ。
「ニげられたカ……マぁ良い、ならばお前たちを殺してから聖女の力を喰うだけダ」
また邪神ガンマが、目から黒いビームを放ち始めた。
今度は俺に対してだけではない、ここにいる者全員に対しての無差別攻撃だ。
「面倒な!」
【浮遊】と【風魔法】を駆使して空中を移動し、なんとか金ちゃんのウロコでビームを弾き返しているのだが――。
これではキリが無い――ものは試し、やってみるか。
俺は、切り札であるスキルを発動した。
そう、これは魔法では無くスキルなのだ。
「そんなに喰いたいのならば、これを喰らいなさい――【邪神封印】!」
マリアが傍にいた時は巻き込まれることを考えて使わなかったが、今なら何の遠慮も無く使える。
これで元の封印生活へ戻りやがれ、邪神ガンマ!
「ウおォ! ナんト!」
邪神ガンマの後ろに黒く大きな穴が開き、その身体の半分ほどが飲み込まれた。
だが、穴の淵に手を掛けて邪神ガンマが踏みとどまる。
そしてブンッという翅音と共に、邪神ガンマが穴から脱出。
封印の穴は消滅した。
「フははははハ! オどろいたぞ、封印を使えるとはナ! ダが無駄なことダ。 ワレを封印したくば、抵抗できぬほどに弱らせるが良イ。 ソれが出来ねば、何度やっても同じことヨ!」
マジかよ! 弱らせないと【邪神封印】効かないんかい!
だがそれならそれで、打つ手が全く無いことも無い。
よし、久々に使ってやろうではないか。
ぶっちゃけ地面に命中すると大災害が起こる諸刃の剣だが、幸いにも相手は空中に浮いている。
「ならばアタクシの最強魔法で弱らせてさしあげますわ――【メテオ】!」
…………
………
……
「フははははハ! ナにも起こらんではないカ!」
邪神ガンマが笑うが、この魔法は時間の掛かる魔法なのだ。
――来た!
昼間なので分かりにくいが、空に5つの光が見えた。
その光は災害級の破壊力に加えて、決して目標を外さぬ追尾性能まで兼ね備えている――流星、我が最強最大の必殺魔法である。
――行け!
「マリア! 邪神ガンマを除く周辺最大範囲に、全体回復魔法を!」
「えっ!?」
「早くなさい!」
「はいぃ! 【広範囲大回復】!」
俺はマリアにできるだけの広範囲に、回復魔法を掛けさせた。
障壁系の防御魔法を広範囲で使える者がいないので、回復魔法でのダメージ軽減を狙ってのことだ。
邪神ガンマが、俺の視線に気づいて空を見上げたが――もう遅い。
緊急避難のつもりなのか慌てて移動しているが、残念ながらそいつには自動追尾機能が付いている。
それに上空に逃げれば逃げるほど、こちらの思うツボだ。
地面から離れてくれるほど、こちらは周辺への被害を気にせずに済む。
流星が邪神ガンマに迫り、ついに命中した。
ドオオォォォンという轟音が5つ、王都中に響き渡る。
「やったか!」
後ろの誰かが叫んだ。
おいバカヤロウ! フラグ踏んでんじゃねーよ!
果たしてメテオのさく裂した爆煙が消えると、そこにはまだ無事な邪神ガンマの姿があった。
「フははははハ――ナかなかの威力ではあったガ、コの程度ではまだまだワレを封印するまで弱らせるには不足であるナ」
だろうな。
そんなもん見れば分かる、だが――。
「あら、まさか今ので終わりだとでも?」
もちろん終わりでは無い。
だいたい【メテオ】1発で決着がつくような相手だとは、最初から思ってなどいないのだ。
女神ヨミセンがわざわざ【邪神封印】などというスキルを俺に寄越したのだ、それ以外で倒せることなどあるはずが無い。
俺にだって、そのくらいのメタ読みはできるのだ!
ニヤリと悪い笑みを浮かべた俺の視線の先には――全魔力を注ぎ込んで放った、20もの光が見えていた。
これならどうだ!
邪神ガンマが気付いた時には、ほぼ全弾が命中していた。
なんか見える範囲の王都の窓とか屋根とかが爆風で吹き飛んでいるけど、そんなもんは世界の破滅に比べたら些細な被害だ。
……まぁ、邪神ガンマが世界を破滅させるつもりなのかは知らんけど。
「これで封印されておしまい!――【邪神封印】!」
爆煙が消えるまで待つつもりは無い。
俺は間髪入れず【邪神封印】を放った。
再び黒い穴が空間に開き、邪神ガンマがついにその全身を吸い込まれ――イヤ、まだ穴の淵に手が掛かっている……。
待て待て待て……これで決まらないと、もう打つ手が――。
ブォーンという耳障りな翅音が聞こえ、邪神ガンマが封印の穴から徐々に――徐々にせり出てきた。
やがて封印の穴から邪神ガンマが完全に脱出し、黒い穴は消えた。
「フははははハ――イまのは危なかったぞ。 ダがまだ足りなかったナ、コれで終わりカ? オわりならばワレの勝ちゾ」
勝利を確信したのか、邪神ガンマの態度は余裕だ。
あぁ、そうだよ! こっちが考えていた手は、これで終わりだよ!
だけど諦めるつもりは無いぞ。
ぶっちゃけると俺自身はここで負けても元の世界に戻るだけだが、エリスとその仲間たちはそうではない――だから殺させない!
殺されてなるものか!
何か打つ手は――何か――。
俺の知恵よ、何か閃け!
何か一発逆転に使えそうなスキルは…………駄目だ! スキルの数が多すぎて、自分でもちゃんと把握しきれてないから思いつかん!
くそう! どうすれば!
――その時。
――空が輝いた。
イヤ、そうではない。
空に輝く何かが現れたのだ。
その何かは、人の――女性の姿をしていた。
その何かは、薄い顔立ちと薄い胸をしていた。
その名は――。
「オのれぇイ! アらわれたナ、憎き我が敵――ヨミセンめガ!」
その名は、女神ヨミセン。
使徒である俺の窮地に見せたその姿は、実に神々しく見えた。
邪神ガンマの目から、いきなり黒いビームが放たれた。
狙いはもちろん女神ヨミセン。
だが黒いビームは女神ヨミセンに命中する直前に、フッと掻き消える。
あんなあっさり……。
「いきなり攻撃とはガンマ、ずいぶんと無礼な挨拶ですね」
「ブれいだト? ムしろ当然では無いカ! モんどう無用でワレを封印した恨み、ここで晴らさせてもらうゾ!」
どうやら神同士の戦いになったようだ。
うむ、そうしてくれ。
そもそも邪神ガンマの封印に関しては、俺は完全に部外者なのだ。
因縁のある者同士で決着を付けてくれるのならば、それに越したことは無かろう。
「問答無用ではありません。 あなたが無理難題を言いだしたから、仕方なく封印したのです」
「ム理難題では無いワ! ソもそもこの世界を貴様が創る時に、ワレも手伝ってやったではないカ! ソのワレがこの世界に眷属を満ちさせて何が悪イ!」
邪神ガンマの眷属……ということは、やっぱゴキブリだろうか?
だとしたらもし邪神ガンマが封印されていなかったら、ここはゴキブリに満ち満ちた『乙女ゲーム』の世界に……。
うむ、良くやった。
女神ヨミセンさん、グッジョブである。
「頼みもしないのに手を出しておいて、手伝ったなどとは良く言えたものですね」
「ウるさイ! ダいたい何故ワレをわざわざ封印しタ! ワレの眷属が嫌ならバ、ワレをこの世界から追い出すだけで良いではないカ!」
ん? そうなん?
だったら追い出す方向でお願いしたかったなー。
そしたらこの邪神ガンマや魔徒四天王と、面倒な関わりを持たずに済んだのに……。
「封印したのは、こちらにも事情があったから――それにあなたの行動は封印の罰を受けてしかるべきものでした、自業自得というものです」
「ジじょうだと! ソれは貴様がワレを封印する時に言っていタ『終盤のイベントを充実させるため』とか『これで出番が増える』とかのことカ!? ソもそもアレはどういう意味なのダ!」
――はい?
邪神ガンマさんあなた、今ものすごーく引っかかること言いませんでした?
それはひょっとして俺が元の世界に戻ってから書く予定の、この『乙女ゲームの世界』の小説の『終盤のイベントを充実するため』に、女神ヨミセンさんがあなたを封印したということでよろしいですか?
その『これで出番が増える』というのはまさか、俺が書く予定の小説に女神ヨミセンさんの出番を増やすために邪神ガンマさんを封印して、しかもわざわざこの時期に復活させたってコトで合ってます?
…………
………
……
俺は、無言で女神ヨミセンさんのほうを見る。
すると女神ヨミセンさん、露骨に目を逸らしやがった。
おい、マジかこらヨミセン。
そんなもんの為に、わざわざ余計なイベント増やしてんじゃねーよ!
そりゃまあ俺が早々にバッドエンドのフラグをへし折ってハッピーエンドを盤石にしたから、邪神ガンマ関連が無ければ3年目からは全く危機感の無い平和な学園生活だったろうさ。
確かにストーリー的には終盤ダレて、盛り上がりに乏しくなったかもしれない。
だけど魔徒四天王も邪神ガンマも、正直いらんかったわー。
俺としては平和な学園生活をキャッキャウフフと満喫できたほうが、どんなに有難かったことか……。
あとさ、わざわざこんなイベントを自分で仕込まなくても、言ってくれればヨミセンさんの出番くらい作ってあげるし。
俺の小説のためにこうやって異世界に飛ばしてくれてるんだから、礼がわりにその辺の融通くらい利かせるってば――まぁ毎回、同意無しに異世界へと飛ばすのは、さすがにどうかと思わんでも無いけど。
たからさ――。
ぶっちゃけ邪神ガンマは、いらんかったなー。
「邪神ガンマよ、あなたは封印中に何も反省していなかったようですね。 仕方がありません、この世界のためにもあなたを再び封印することにしましょう」
「ジょう談ではなイ! キ様の都合で2度も封印などされてたまるカ!」
なんか女神ヨミセンさんが、俺の視線を無視して無理矢理まとめに入った。
邪神ガンマの言い分も、今ならそれなりに分からんでもない。
「さあ、使徒タロウよ――我が力を貸し与えましょう、今こそ邪神ガンマをあなたが封印するのです」
イヤ、悪いんすけどモチベーションがダダ下がりで……。
そっちでやっちゃってくれません?
もうね、今のヨミセンさんと邪神ガンマのやり取りを聞いて、完全にやる気スイッチのブレーカーが落ちちゃったんすよ……。
――とまぁ、脱力感満載中の俺だったはずなのだが……。
何やら体中がエネルギーに満ち満ちてきて、何か知らんが光り輝いてきた。
ハイハイ、やるよやりますよ――やればいいんでしょう?
つーかもう、目の前の邪神ガンマが殺意マシマシでこっちを見ているので、やらざるを得ないというね。
「――という事情で、アタクシがあなたの相手をすることになりました。 邪神ガンマ、大人しく封印されなさい」
「フざけるなァ!」
邪神ガンマが黒いビームを放ってきたが、もう俺にはそんなもの脅威では無くなっている。
念のため金ちゃんのウロコで防いではいるが、もう後ろに弾き飛ばされることも無い。
余裕で空中を前進し近接戦へと持ち込んだ俺は、邪神ガンマをガシガシと金ちゃんのウロコで殴る。
女神ヨミセンさんに力を貸し与えられた俺と邪神ガンマでは、もはや戦闘にもならず――それはもう、一方的にボコるだけの作業だった。
うむ、邪神っていったい……。
…………
……よし、こんなもんでいいだろう。
さよなら邪神ガンマ――君のことは忘れないよ。
「不毛な戦いは、もう終わりにしましょう。 邪神ガンマよ、永遠の眠りにつきなさい――【邪神封印】!」
空中に深淵へと繋がる穴が開いた。
そして今度こそ、邪神ガンマの全身が完全に穴に飲み込まれる。
「イやダ! イやダ! モう封印は嫌だあああぁぁァ!」
穴の中から、邪神ガンマの最後の叫びが聞こえ――。
封印の穴は閉じた。
うむ……本当に不毛な戦いだった。
こうして邪神ガンマは再び封印され、この世界にはようやく――本当にようやく、真の平和が訪れることになったのである。
…………
俺は地上に降り立った。
「やったなエリス!」
真っ先に駆け寄ってきたのは、マルオくんだ。
そう、俺はやり遂げた――邪神ガンマを封印したのだ。
しかしそれは、俺のこの世界での役目が全て終わったことも意味する。
女神ヨミセンさんの目が『もう帰る時間ですよ』と伝えてきているのは、俺の気のせいでは無いだろう。
《恋のどきどきイベントが終了しました》
ピロリロリーン♪
《生きている全ての対象者の好感度が上昇しました》
最後の『恋のどきどきイベントスロット』が終わった。
あぁ、そうだ。
元の世界に帰る前に、やらねばならぬことがあったな。
「女神ヨミセン様、元の世界に戻る前に、ひとつお願いがございます」
「何でしょう、使徒タロウ」
「この戦いで命を落としたユリオス・キーロイムを蘇らせてはいただけませんか? 彼は命を懸けてこの世界を守ろうとしたのです――どうか神の奇跡を賜りとうございます」
俺はマリアと約束したのだ、必ずユリオスくんを生き返らせると。
ちなみに言葉では殊勝なことを言っている風な俺だが、頭の中では『あんたが余計なことをしたおかげで面倒なことになったんだから、責任取ってなんとかしろよ』とか考えていたりする。
女神ヨミセンさんは俺の頭の中を読めるのだから、このクレームはしっかり伝わっているはず。
つーか、マジでなんとかしろ。
でないとハッピーエンドにならんぞ。
「いいでしょう。 使徒タロウ……あなたを元の世界に戻すには命が必要なのですが、幸い私は命を2つ持ってきました――そのひとつをユリオスにあげましょう」
「ありがとうございます、女神ヨミセン様」
「では、エリスとあなたの体を分離しますよ」
俺の身体が、キラキラした光に包まれる。
そして気が付くと、俺は女神ヨミセンさんの隣に――空に浮いていた。
地上を見ると、みんなが輪になっているのが見えた。
その中心には、ユリオスくんがいる。
そうか……ちゃんと生き返ったのだな。
つーか、切り落とされたユリオスくんの生首が転がったままなのだが……。
どうやら女神ヨミセンさんは、ユリオスくんを蘇らせる際に胴体から頭を生やしたらしい。
イヤ、そこは首と胴体をくっつけようよ!
せっかく生き返ったのに生首が残っているとか、なんか色々と台無しだよ!
プカプカと浮いていた自分の姿が、少しずつ薄くなってきた。
どうやらもう、時間のようだ。
――仲間たちが見えた。
俺は少しでも思い出に残そうと、みんなのことを見続けた。
アンとラルフくんが手を繋ぎながら、一緒にバンザイを――。
ガーリとコレスは、生き返ったユリオスくんを揉みくちゃに――。
ガルガリアンくんが講堂から出てきたエフータに手を振り、こっちへおいでと手招きを――。
マルオくんはエリスの肩を、もう離さないとばかりに抱きしめ――。
フラワキくんが、そのマルオくんをじっと見つめて――。
ユリオスくんは自分に何が起きたか、まだ良く分かっておらず――。
マリアはそんなユリオスくんに、抱き着いて大声で泣いていた。
そんな友人たちを眺めていると、ふいにエリスと目が合った。
考えてみれば、仲間たちの中で俺のことをちゃんと認識しているのはエリスだけである。
エリスは俺のことを見たことこそ無いが、3年間ずっと一緒だったのだ。
そのおかげかエリスは、俺のことを自分の中にいた存在だと理解しているという顔をしている。
他のみんなは俺のことを知らない。
こちらが一方的に知っているだけ。
だけど……それでも、あいつらは俺の友達なのだ。
共通の思い出をたくさん持っている、仲間なのだ。
エリスが俺に向かって手を振り、俺は手を振り返した。
ありがとうエリス。
君のおかげで、俺は何十年ぶりかの学園生活を満喫することができたよ。
エリスが手を振ったことで、みんなが俺のほうを見た。
当たり前だがエリスを除く全員が『なんだあれ?』みたいな顔をしている。
まぁ、そりゃそうだ。
マルオくーん、君があれやこれやしたがっていたエリスの中身は、実は今見上げてるおっさんだったんだぞー。
真実を教えるのは可哀そうだから、この事実は俺の世界まで持って行ってあげるからねー。
うむ、俺ってば良いおっさんだな。
本格的に俺の姿が消えてきた。
この『乙女ゲーム』の世界も仲間たちの顔も、もう見納めだ。
――ありがとう。
――楽しかったよ。
本当はみんなと一緒に学園を卒業したかったけど、どうやらそれは出来そうもない。
だから卒業式はエリス、君に任せるよ。
俺はみんなより一足先に――。
この『乙女ゲーム』の世界を【卒業】だ。
…………
消えゆく俺が最後に見たもの。
それはマルオくんの首に腕を回し――。
口づけをする、エリスの姿だった。




